2019年08月16日

『50回目のファースト・キス』最高のハッピーエンド

『50回目のファースト・キス』
(ピーター=シーガル:監督・2004年・アメリカ)

夜ねむると、まえの日の記憶を
すべてわすれてしまう女性(ルーシー)と、
彼女にひとめぼれした男性(ヘンリー)のものがたり。
映画としてはめずらしくない題材なので、
いくらでもかなしく、深刻につくれるところを、
どうやって、じゃないほうへもっていくかがキモとなる。
この作品は、みごとにロマンチックコメディにしあげた。

まえの日の記憶がなくなるのだから、
いくらその日のできごとがたのしくても、
つぎの日にはもうおぼていない。
恋愛は、相手との共通な体験をつみあげながら
ふかい関係をつくっていくものなのに、
ルーシーにとって、すべてがはじめてのできごとだ。
ヘンリーはルーシーにあうたびに
あらためて いちから彼女の気をひかなくてはならない。
バッテリーがあがったふりをしたり、
強盗におそわれた演技をしたり、
いろんな工夫をしながらヘンリーは
ルーシーとはなすきっかけをつくる。
つぎの日になると わすれてしまうのだから、
おなじパターンをくりかえしてもいいはずだけど、
あれやこれやの熱意が みるものをひきこんでいく。
まいにちルーシーとのであいを はじめからやりなおして
彼女の気をひくヘンリーって、かんがえてみたらすごい。
映画のなかでもいっていたけど、
どうせひとばんねたらわすれてしまうのだから、
彼女にあきたら ただあわないだけで、
あとくされなくチャラにできる。
でも、ヘンリーはルーシーとかかわりつづける。
それだけの魅力がルーシーにはある。
あきらめないヘンリーのおもいが、
この作品をせつなく、うつくしくしている。

状況が深刻なだけに、ふたりをとりまくメンバーは、
かるさが大切になってくる。
ヘンリーがつとめる水族館の動物たち。
ヘンリーの同僚であるゲイの男性。
ルーシーの弟である筋肉バカの青年。
ヘンリーのともだちのウーラとその家族。
彼らの存在が、おもくなりがちなテーマを
みごとにあかるくもりあげてくれた。

ルーシーが記憶をうしなう原因となった事故は、
牛をよけようとしておきた。
牛はそのあとどうなったか。
まいにち自分が牛であるのをわすれるそうだ。
こうしたわらいがこの作品の底にずっとながれている。
そしてラストは ありえないほどみごとなハッピーエンド。
みおえたあとのここちよさが最高の作品だ。

posted by カルピス at 09:26 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする