2019年08月19日

『ジョー・ブラックをよろしく』ブラッド=ピットとクレア=フォーラニの魅力が満載

『ジョー・ブラックをよろしく』
(マーティン=プレスト:監督・1998年・アメリカ)

(以下、ネタバレあり)
いまさらながらの作品だけど、みたのはこれがはじめてだ。
ストーリーは、いまさらだからかんたんにいえば、
死神としてこの世にやってきたジョー=ブラックが、
人間の女性にひかれていくはなし。
主役であるブラッド=ピットとクレア=フォーラニの、
ふたりの魅力をひきだすのに成功している。
ハリウッドらしくゴージャスにお金をかけ、
それがいいほうにはたらいて、きれいにしあがった。
まるでギャツビーみたいに豪華なビルの誕生日パーティーは、
それだけで映画が1本つくれそうだ。

わかいころのブラッド=ピットは、
あんなにもチャーミングだったのか。
おとこのわたしもいちころとなる。
カフェでたのしそうにおしゃべりするピットは、
笑顔がこぼれるだけで キラキラとかがやいている。
あいて役をつとめるクレア=フォーラニ(スーザン)の
表情ゆたかな演技もひかる。
どこかアンバランスな顔のつくりで、
まぶしそうに目をいろんな形にうごかし、
一瞬ごとに微妙に表情をかえてたのしませてくれる。
ちょっと顔で演技をしすぎかも、とおもえてくるけど、
非常に魅力的な表情なのはまちがいない。
むすめのスーザンが、情熱的な恋愛をしたことがないと
父親であるビル(アンソニー=ホプキンス)は気にしてたけど、
そんな心配などぜんぜんいらないほど経験豊富そうで、
じゅうぶん積極的にジョーの気をひこうとしていた。

冒頭の場面で、カフェをでたあと
ブラッド=ピットが車にひかれるのも
みるものにショックをあたえる。
これから活躍するとおもっていた主役が、
あっけなく、まちがいなく死んでしまった。
もしかしたらたすかるかもしれない、などという、
かすかなぞみさえ、ぜったいにのこさないハデなぶつかり方だ。
ピンボールみたいに、なんども車がぶつかって はねあげられる。
「映画の『ジョー・ブラック』で、
ブラッド=ピットが車にひかれたときのような事故」と
のちのちまで比喩としていいつたえられるのではないか。

有名な場面では、ジョーがおいしそうに
ピーナツバターをなめるのが印象にのこる。
女性はピーナツバターのついたサジを
ペロペロなめるような男にひかれがちなのだろうか。
そこがブラッド=ピットのうまさで、
わたしがやればただ行儀のわるい動作でも、
彼が自然にふるまうと、まったくちがう効果がうまれてくる。
ジョーは社会性がないため、はずかしさをかんじない。
そんなジョーが、おちついて、堂々とふるまえば、
どんな場所であり、そしてどんなひとがあいてでも通用する。

そんな彼が、はるかに年うえのビルにたいし、
「君」とはなしかけるのもうまい。
死神だから、立場はジョーのほうがまさっているし、
なにしろ高貴な精神のもちぬしなので、
あいてがどんな権力者でも、年齢がうえでも、関係ない。
さいごは、ビルだけを あの世におくりこみ、
ちゃっかり自分だけかえってくるずうずうしさもいい。
ただ、このときは、死神のジョー=ブラックではなく、
なぜかカフェではじめてあったときの青年にもどっていた。
あれだけハデな事故でも、やっぱり主人公は死ななかったのだ。
鉄板のパターンとして、冒頭の死は、伏線である場合がおおい。
そして、その伏線は、じょうずに回収された。

posted by カルピス at 21:57 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする