2019年08月26日

『書評稼業四十年』(北上次郎)本をめぐり、時代のにおいがただよってくる

『書評稼業四十年』(北上次郎・本の雑誌社)

タイトルどおり、書評家として 40年にわたる
北上さんのとりくみをふりかえったもの。
ミステリマガジンでの同名の連載をまとめたうえに、
ほかのところにかいた「中間小説の時代」
「書評家になるまで」もくみいれてある。

北上さんだけが特別に本をよみこんでるのかとおもっていたら、
本書にでてくるひとたちは、みんなそんなかんじだ。
本をとりまくひとたちの、本に関する熱量におどろく。
むかしのはなしがおおく、時代をめぐる うつりかわりがおもしろい。

40年にわたる北上さんの仕事がこまかく章だてしてあるけど、
北上さんはかいているうちにおもいだしたことを
どんどんつぎたしていくので、しょっちゅうはなしがそれる。
それがまたおもしろいからいいのだけど、
タイトルと内容があっているほうがすくないくらいだ。
できるだけ正確にとうじのようすを記録しようとして、
でもなぜかすぐに脱線してしまい、本来かくはずだったことが
ほんのすこしにおわったり、次回にまわされたり。
どうでもよさそうな裏側まで、北上さんが こまかくかたりだすと、
いったいなんのはなしだったか わからなくなるけど、
それでもよませるから、北上さんどくとくの話芸になっている。

五木寛之についてかなりのページがさかれており、
わたしが大学生のなれのはてになりかけていたころ、
古本屋で50円とか100円でかってきた五木さんの本を、
まいばん1冊よんでいたころをおもいだした。
五木さんがかくはなしは、北欧・ラジオ業界・作曲業界・
金沢・自動車など、あんがいかぎられた話題がおおく、
たくさんよんでいると、そのうち
どの本が どんな内容だったか ゴチャゴチャになってくる。
そのせいか、本書でとりあげている『さらばモスクワ愚連隊』と
『蒼ざめた馬を見よ』は、ほとんどおぼえていない。

書評にまつわるはなしでおもしろかったのは、
北上さんが朝日新聞の書評委員をしていたとき、
競馬の本をとりあげたら、月曜日に(日曜日に書評がのるので)
朝日新聞社の電話がなりっぱなしだった、というおもいで。
書評のみだしが「競走馬はいつ激走するか」だったそうで、
競馬ファンにすれば、そんなタイトルをつけられたら、
かわずにおれないだろう。
だれだって、「競走馬はいつ激走するか」をしりたい。
それがわからないから、だれもがこまっている。

北上さんの競馬ずきはずっとむかしからで、
あれだけ本についてかたるのがすきな北上さんなのに、
土曜日は競馬にいく日ときめて、かたくまもっている。

番組ディレクターから電話があり、毎週出演できないかと言ってきた。毎週大阪に行くのは無理だ。すると、毎週土曜日の朝八時ごろに携帯へ電話するので、その週のおすすめ本を電話で紹介してくれないかと言う。しかしそのころは毎週末は早朝に競馬場にかけつけていた。指定席に入るためには朝早くから行列に並ぶ必要があるのだ。そういうときに電話がかかってくるのはイヤなので(頭はすっかり競馬モードになっているので、そういうときに仕事の話はしたくないとの生理的な事情がある)結局断るしかなかった。

本についての仕事ができるのだから、
「断るしかなかった」ことなくて、ひきうければよさそうだけど、
あくまでも土曜日には競馬、とゆずらないのがおもしろい。

北上さんがすきなのは、本をよむよりも、ながめていることらしい。
本を読むのも実は面倒くさい。結構頭を使うから本を読んでいると疲れてくるのだ。いちばんいいのは、本を外から見ていることだろう。(中略)たまに何も予定のない休日、書棚の前に座って何を読もうかと選ぶだけで終わってしまうことがあるが、あれ以上の至福はあり得ない。

本人はまじめにかいているけど、けっこうへんなひとだ。
タグ:北上次郎

posted by カルピス at 21:53 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする