『居るのはつらいよ』(東畑開人)をよんでから、
自立と依存のかねあいが 気になっている。
障害者介護にたずさわるわたしは、
自立をたすけるのが仕事だと おもっていたけど、
はたしてそうかんたんに いいきれるだろうか。
自立をもとめすぎると、「いる」のがつらくなる。
「ただ、いる、だけ」をみとめ、
そこが自分の居場所だとおもってもらえなければ、
安心してすごせなくて、なにかと問題がでてきやすい。
わたしが所属するクッキー班のメンバーに、
このごろ仕事につけなくなっているひとがいる。
休憩室のイスにすわり、なかなかうごけない。
クッキーをつくる部屋に、ようやくこれたかとおもうと、
手袋がつけられず、また休憩室にかえってしまう。
表情がかたく、仕事にさそっても、首をよこにふる。
はじめはつかれかとおもっていたけど、
どうもそれだけではないようで、
この2週間おなじような状態がつづいている。
クッキー班以外ですごすときには、
これまでとかわりなく 笑顔がでるのだから、
おそらく問題はクッキーの仕事であり、
なにかひっかかり、こまっているのだろう。
クッキー班は、就労継続B型の事業所であり、
はたらくこと、はたらく意欲をひきだすのを大切にする。
クッキー工房にきても、仕事にむかえなければ、
休憩室で気分をかえてから仕事をしましょう、とうながす。
仕事をしなかったひとは、配達にでられず、「おるすばん」となる。
仕事をするひとは立派で、仕事をしないひとは「こまったひと」。
はたらく場なのだから、そうした「きびしさ」は
当然なのだと職員たちはおもっている。
でも、そうやって仕事をもとめられると、
「いる」のがつらくなるひともいる。
いま調子をくずしているメンバーも、
そうしたひとりではないだろうか。
はたらくとほめられるけど、
はたらかないと、居場所がなくなる。
これまでになんどもサインをだしていたのを、
職員たちは気づかずに、仕事ばかりをもとめてしまった。
その結果が、仕事へのプレッシャーというかたちとなり、
仕事につけなくなっているのでは。
わたしたちは、クッキー班のメンバーに、
ここにいるだけでいい、いてくれるだけでうれしいと、
自分たちの気もちをつたえる必要がある。
安心してすごせる場所であると、ふかくかんじてもらうこと。
それは、あいてのいいなりになるとか、あまえをゆるすとかではなく、
そのひとにあった自立と依存を保証する、というかんがえかただ。
もういちどクッキー班で笑顔をみせてもらえるように、
「ただ、いる、だけ」を大切にする場をつくりたい。