2019年09月30日

得か損かを、ストレートにといただすと あんがいたのしい

デイリーポータルZにのった
「得!お金に詳しい人と行く東京観光」がおもしろかった。
https://dailyportalz.jp/kiji/profit-from-sightseeing-in-tokyo
「お金についてほぼ無知」という
地主さんと安藤さんが、
「お金に詳しい」石川さんと東京の観光地をめぐる。
タピオカをたべたり、上野動物園にでかけたり、
スタイツリーにのぼったりしながら、
いまやってることは特かどうかをかんがえていく。

地主 家賃は収入の3分の1っていうのは本当ですか?
石川 今は4分の1ですかね。
   そうでないと貯蓄とかできないですから
安藤 貯蓄はできていません!
地主 同じくできていません!
石川 若い人の方が危機感があるかもしれませんね!
地主 昔から一切悩みません!
安藤 同じく悩みません!
石川 知らないと悩まなくていいというのは
   あるかもしれませんね。
   ただ知っていると得することもありますから!

なにごとも、得か損かでかんがるのはつまらない。
そこをあえていまやってることは得かどうかを
お金にくわしいひとにたずねるのがいい。
仲間うちではなしても、雑談でおわってしまうけど、
専門家からの意見がきけると、
けしてそれだけがただしいこたえでなくても、
自分のやってることを客観的にみられる。
安藤さんは、土地をかったらいいかどうか、
地主さんは、10万円するレンズをいまかうべきかどうかを、
石川さんに相談していた。
東京観光の記事とはまったく関係ないけど、
そこらへんの質問から、
お金にかんするふたりのリテラシーがみえてくる。

お金にくわしいひと、というと、
銀行員みたいな かたぐるしいタイプをおもうけど、
石川さんは27歳のわかもので、
さらりとただしいことをいいながら、
まったくいやみがない すがすがしいコメントをのべている。

消費税があすから10%になる。
お金にくわしくないわたしは、
どうしたらいいかわからず、とりあえずイオンへいって
金麦(第3のビール)の350cc6本いりをかった。
お酒は軽減税率の対象とならず、8%から10%へあがる。
とはいえ、金麦の6本いりは8%の消費税こみで624円だから、
かけこみ消費をしても、12円ほど節約したにすぎない。
かといって、10月1日になるまえに、
大量のお酒をかいおきするのもなんだか抵抗がある。
けっきょく ほとんど効果のないかいものだけにとどめ、
10月1日をむかえることとなった。
消費税8%でかった第3のビールを
記念のかいものとして、しみじみと味わいたい。

posted by カルピス at 21:46 | Comment(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月29日

ラグビーW杯 日本対アイルランド 19-12で日本

ラグビーW杯 日本対アイルランド
19-12で日本

4年まえのW杯南アフリカ戦で、
スポーツ史上最大の番くるわせ、といわれ
奇跡的な勝利をあげた日本。
今回は、世界ランキング2位のアイルランドに、
またしてもジャイアントキリングを演出した。

ラグビーについて、あまりにも「にわか」すぎる
にわかファンのわたしなので、
こまかいことはなにもわからない。
ただおめでとうというだけだ。
会場には5万人ものファンがおとずれて、
ちからづよく日本代表のプレーをあとおしする。
4年前の健闘があったからこそ、
きょうまでラグビーファンの熱意はとぎれなかった。
大会の運営がうまくいっているようすを うれしくおもう。
テレビをみていたら、実況のアナウンサーが、
勝利のよろこびにひたりながらも、
なぜ日本がかてたのかを冷静にふりかえっていた。
日本がなにか特別なことをしたのではなく、
もっているちからをそのままだせたから、という。
奇跡とよぶのは不適切な、かつべくしてかった試合みたいだ。

試合をみていると、アイルランドは なにがなんでも
中央からの突破をはかろうとするのが目についた。
それがアイルランドのスタイルなのだそうで、
そのアイルランドにたいし、日本も中央での勝負におうじる。
フモフモさんのブログに、
そこらへんがわかりやすく分析されている。
http://blog.livedoor.jp/vitaminw/archives/53333132.html
日本が真に選んだ勝負所は中央だった。それは「真っ直ぐが速く、変化球もキレる」タイプに対して、真っ直ぐを叩きにいくような姿勢。全部が強い相手の、そのなかでも一番自信を持っている球に狙いを定め、フルスイングするような姿勢です。お前の得意球を狙っているぞ、かかってこいよとアイルランドを逆に挑発した。そのことがアイルランドに全方位的な戦いをさせず、「絶対に真ん中を割ってやる」と意固地にさせた。

最後のプレーでトライを取って勝った4年前の「奇跡」。最後のプレーで相手を「ここでヘタなことをすれば惜敗ボーナスポイントすら失う」と怯えさせた「完全勝利」。同じ番狂わせでもその質はまったく違うものでした。仮にトライを取って、コンバージョンを決めても引き分けで得られる「勝点2」しか取れない状況で、アイルランドは「負けても勝点1を得られる」安全な道を選んだ。日本がそれを選ばせた。これが「勝ち」でなくてなんでしょう。偶然でも奇跡でもなく、狙い通りの勝利です。

そして、アイルランドの選手たちは、
日本の健闘をたたえ、花道をつくって選手たちを祝福した。
日本の選手たちもまた、花道でのおかえしをする。
格下の日本にまけても、アイルランドは「よい敗者」だった。

いまちょうどエイドリアン=マッキンティの
『サイレンズ・イン・ザ・ストリート』をよんでいる。
北アイルランドが舞台のこの小説は、
アイルランドをめぐるややこしい状況が
つねにものがたりの背景にある。
サッカーとラグビーは、アイルランド代表が組織されるのに、
それ以外の場面では、北アイルランドはイギリス
(グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国)の領土だ。
ラグビーにおけるアイルランド代表は、
どれほどとおとい統一チームなのかが あたまをかすめた。

posted by カルピス at 22:09 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月28日

ブルートゥース スピーカーをつかってみる

Muziliという名のブルートゥース スピーカーをかった。2299円。
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レコードがCDへ、さらにはネット配信が主流へと時代はうつり、
いまはまたレコードプレーヤーが人気をあつめているときく。
そんなときに、ブルートゥースのスピーカーにとびつくのは、
いまさらながらの反応だけど、つかってみると わるくない。
18センチx4.5センチx6センチとちいさいし、2000円のやすさなので、
ものすごくいい音、とはいえないのだろうけど、
わたしの耳くらいなら、じゅうぶんたのしませてくれる。
目をつむって音だけをきくと、
まさかあのちいさなスピーカーから、
これほどの音がでているとはしんじがたいほどだ。
これまではイヤホンやヘッドホンをつかっていたわけで、
それはそれで満足していたけど、
部屋で音楽やラジオをきくときには、
スピーカーからの音のほうがくつろげる。
寝酒にも、イヤホンよりスピーカーのほうが相性がいい。
こんな製品が2000円でかえるなんてすごい。

すこしまえに、フランス製のスピーカー「ファントム」の記事をよむ。
https://av.watch.impress.co.jp/docs/news/1141981.html
25〜44万円と、かなりの値段ながら、
「ライブハウスのような」音がでるという。
オーディオをたのしむというと、
アンプやらスピーカーやらを複雑にコードでつなぐ、
わたしには縁のない世界だとおもっていた。
値段だって、いくらでもたかいものがあり、
なにをそろえたらいいのか、さっぱりわからない。
それが、ファントムさえ手にいれれば、
25万円で「ライブハウス」の音をきけるというのだから、
老後の生活にぜひごいっしょしたくなった。
いまや、音楽をきくのにCDプレーヤーは必要がなく、
ブルートゥースでつなげば、アンプもややこしいコードもいらない、
というのはすごくたすかる。

こんかいのブルートゥース スピーカーは、
ゆくゆくの「ファントム」をみすえたかいものだ。
ケチなので、いきなり25万円はだしたくない。
2000円なら気やすく体験できる
(そうやって、おろかないかいものを かさねてきたわけだけど)。
ヨレヨレになり、からだがいうことをきかなくなったとき、
高音質のスピーカーは、わたしをなぐさめてくれるにちがいない。

posted by カルピス at 10:13 | Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月27日

「VARが開けたパンドラの箱」(西部謙司)をよみ、サッカーの将来がくらくおもえてきた

西部謙司さんによる
「VARが開けたパンドラの箱 フットボールが死んだ日」をよむ。
https://www.excite.co.jp/news/article/Footballista_074217/
サッカーは、これからどういう方向にすすむのか。
きょねんのロシア大会で、W杯としては はじめて
VAR(ビデオ=アシスタント=レフェリー)制度が導入された。
たしかに審判のミスはすくなくなったかもしれないけど、
たびたび試合が中断され、おもしろさが半減したようにかんじた。
そのVARが、J1リーグでも、2020年からとりいれられるという。
いったんふみきった機械による判定へのながれは、
もうあともどりできそうにない。

そもそもサッカーは、町のおまつりとしておこなわれ、
勝敗よりも社交の精神がおもんじられていた。
ルールがととのってからも、得点のおおさや
なにがなんでも勝敗をはっきりきめるのではなく、
90分たたかったすえでも、
ひきわけをうけいれるのがサッカーの精神だった。
 2012年FIFAクラブワールドカップ、サンフレッチェ広島対オークランド・シティ。ついにFIFAはゴール・ライン・テクノロジーを導入する。
 ホンネがタテマエを越えたターニングポイントだった。判定が信用に足らないことは、フットボールが開始された時から実は誰もが知っていた。しかし、タテマエは尊重されてきた。タテマエを綺麗な言葉で言うなら理想である。人間は間違える、間違えは許容される、それがフットボールの理念であり美しいタテマエだった。

なぜ、急に判定は正しくなければならなくなったのか。答えは察しの通り、フットボールが巨大なビジネスに変貌していたからだ。この理不尽極まりないスポーツに対して、ばかばかしいほどの大金が投じられるようになっていた。フェアネスをモツトーとするビジネスマンは判定ミスなど許容できるものではなく、彼らのルールでは一刻も早く機械を導入すべきなのだ。間違った判定1つで投入した資金が水の泡になるのは耐えられない。フットボールにそんな大金を突っ込んでいる方がどうかしているのだが、彼らは理不尽さに耐えてきた人々の忍耐と諦観を持たなかった。

 VARが導入されてからの流れは早かった。すでにパンドラの箱は空いている。
 AIの発達とともに、判定はAIが一手に引き受けることになった。ビッグデータの解析において人間など問題にならない。ゴール後の確認作業は1秒に短縮された。
 すぐに副審が姿を消した。(中略)オフサイド判定はそもそも人間には無理だったということになるのかもしれない。(中略)
 やがて主審もいなくなった。判定はAIがしていて、主審はそれを選手たちに伝達する役割を果たしているに過ぎないのだから、いなくて困るのは乱闘にでもなった時ぐらいなのだ。乱闘で役に立つのは主審より警備員であることもすぐに判明した。フィールド上空には小型のドローンが飛び交い、AIの指令を受けてファウルのあった地点をライトで照らす。

西部さんは、選手がサイボーグ化する未来を予言している。
人工の骨、人工の筋肉、人工の神経などによって再生された彼の左足は、むしろ全盛期のパフォーマンスを上回っていた。

かつためには、いくら金をかけてでも、選手の能力をたかめていく。
そして、さらにそのあとは、
「プログラミングされたホロスコープの選手たち」の登場だ。
もはやサッカーは、人間によるスポーツではなくなっている。

巨大な金がうごき、勝敗にこだわるかぎり、
サッカーはどんどんすがたをかえていきそうだ。
VARがパンドラの箱をあけてしまった、
という西部さんの指摘はおそらくただしい。
わたしたちは、サッカーというスポーツの、
おわりのはじまりに たちあっている。
タグ:西部謙司

posted by カルピス at 21:19 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月26日

米子ーソウル便につづき、出雲ーソウル便も終了となる

きょうの朝日新聞・島根版に、
「出雲ーソウル便終了」の記事がのった。
わずか1ヶ月しか運航しなかったことになる。
先週は、「米子ーソウル便 来月から運休へ」のしらせだった。
出雲便とちがい、米子発着のソウル便は、
2001年4月に定期線となっているので、ずいぶん実績がある。
米子から1時間飛行機にのって仁川まで でると、
そこから世界各地への便にのれる。
松江にすむわたしにとって、「米子ーソウル便」は とても便利だった。
ただ、以前は週に3便だけだったので、
ソウルゆきの曜日と、旅行の日程をあわせにくい。
それが、最近では週6便となり、関空や成田までいかなくても
柔軟に旅行スケジュールがくめるようになっていた。
それなのに、10月から運休になるとは、
いっぺんに世界への窓がとじられたかんじだ。

もちろん原因は、日韓関係の悪化にともなう利用率の低迷だ。
両国の政府がどんな態度をとろうと、
一般市民は関係なく おたがいに いききをすればいいのに、
いまでは市民レベルでも 両国民に 不信感がつのっているようだ。
ソウル便が再開するときがくるだろうか。

海外旅行は、わたしにとって年にいちどのたのしみだけど、
さいきんでは、環境への負担から、飛行機の評判がわるい。
あたりまえにおもわれがちな状況に、あらためて目をむけると、
まいにちものすごい数の飛行機が世界じゅうをとびまわっており、
それにつかわれる燃料と、もやされてうまれる二酸化炭素の量は、
船や列車による移動よりも はるかに環境への影響がおおきい。
環境が心配だ、などといいながら、自分が飛行機にのる矛盾を
どうしたら正当化できるだろうか。
ソウル便が運休となるのをきっかけに、旅行を我慢すればいいけど、
いけないとなると、よけいにでかけたくなるのが人情だ。

環境破壊への加担を最小限にとどめるためには、
飛行機の利用はいちばんちかいソウルまでにかぎり、
あとの移動はバスや列車をつかう、という方法がある。
ただ、すくない有給をやりくりしての旅行の場合、
そんな気のながいかまえはとりにくい。
けっきょくいろんないいわけをならべながら、
関空からバンコクへとぶことになりそうだ。

環境破壊に手をかしてしまう側になるわけで、
その場合、気もちをおちつかせ、整理するためには、
飛行機にのるのはいちねんにいちど、とマイルールをかかげ、
旅行回数に制限をかけると、なんだかもっともらしい。
じっさいには、経済的な条件から、
なんども飛行機にのる旅行はできないわけだけど、
マイルールという、自分の意思で環境をまもった形になる。

環境破壊へ すこしでもブレーキをかけるためにも、
ソウル便の再開をのぞんでいる。

posted by カルピス at 22:10 | Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月25日

『アレグリアとは仕事はできない』(津村記久子)なまけものの複合機をめぐるお仕事小説

『アレグリアとは仕事はできない』
(津村記久子・筑摩書房)

タイトルが、なにをあらわしているかというと、
「アレグリア」という機種名の複合機
(コピー・スキャナー・プリントができる機械)が
いうことをきかないので やってられない、という小説だ。

主人公のミノベが、会社にある「アレグリア」をつかおうとすると、
たいしてはたらかないうちに うごかなくなったり、
「ウォームアップ中です。しばらくお待ちください」
などの表示がでる。
スキャナーとプリントをするときは
なにも問題をおこさないのに、
いちばんかんたんな仕事であるコピーになると、
とたんにアレグリアはだだをこねはじめる。
社内のだれも、アレグリアの実態をしらず、
コピー機としてつかう頻度のたかい
ミノベだけがアレグリアにイライラし、
まるで人間に対するように、感情をたかぶらせて悪態をつく。
むかしのパソコンも、まるでひとの気もちをあざわらうかのように、
天気によって こちらのいうことをきかないヤツがいたけど、
ミノベとアレグリアの関係は、もっとひどい。
ミノベに言わせると、アレグリアはどうしようもない性悪だった。快調なスキャン機能で、それを主に使う男性社員の歓心を買い、そのじつ怠惰そのものの態度をミノベには示し、まるで媚びを売る相手を選んでいるようにも見える。メンテナンスの人間がやってくるとぐずっていたそれまでの様子を覆し、突然ちゃんと動き始めたりもする。

じっさいに、アレグリアは欠陥機種であり、
アレグリアをつくった会社も、問題点を認識している。
しかし、いったん会社におさめられた機械は、
だめな機種でした、とはぜったいにみとめようとしない。

なんとなく、アレグリアの担当はミノベ、
みたいなかんじに社内ではなっており、
アレグリアがうごかなくなるたびに
ミノベがサポート会社へ連絡して修理にきてもらう。
メンテナンスにくる男性も、アレグリアが失敗機種で、
根本的な問題をかかえているとしりつつも、
ミノベのまえでは うまくいいつくろって
たいした問題ではなかったようにふるまう。
しかし、ある事件から、ふたりのあいだに戦友みたいな
共通認識がめばえてきて、
アレグリアをなきものにしようと 会社にウソの報告をだす。
彼もまた、アレグリアの本性に、まえからうんざりしていたのだ。
「いっそのこと、あいつを葬りましょう。この機会に」
額に汗が噴き出した。耳を疑った。
「出荷時における、致命的なエラー、ということにしましょう。僕がそう報告します」

すぐに調子がわるくなる複合機をめぐり、
きちんと仕事をしようとする人間と、
自分では手をよごさずに、部下たちに責任をしょわせる上司。
アレグリアとミノベの攻防が、はげしくなるにつれ、
機械であるアレグリアに人格をかんじるようになる。
ただその人格は、ひとのあしもとをみる ろくでもないもので、
けっきょくは、自分のなまけグセが原因でほうむられてしまう。
影の主役が複合機、という めずらしい小説で、
津村記久子さんでなければ こんなはなしはかけない。
かわったタイプのお仕事小説として、たのしくよめた。
タグ:津村記久子

posted by カルピス at 22:14 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月24日

仲間といっしょになにかをするって、すごくたのしそう

BSプレミアムの「世界ふれあい街歩き」で、
ベルギーのブリュッセルをとりあげていた。
ブリュッセルというと、EUの本部があり、
国際社会の最先端をすすむ町、という印象がある。
とおりがかりのひとが、ブリュッセルは
170カ国のひとがくらす町、とおしえてくれた。

ということは、きょうのはなしでは どうでもよくて、
番組をみていて わたしが気にいったのは、
グループでうごいているひとたちの たのしそうなようすだ。
ある町かどで、2世帯の家族が、開店まえの店の掃除をしていた。
親はベルギー人で、むすこはラオスからきて、
妻はタイ人で、むこうにいるひとはなんとか人で、と
出身のことなるさまざまなひとたちが、
いっしょに店の壁をきれいにしている。
もうひとつのグループは、楽器をつくるという。
蚤の市でのうれのこり品(ガラクタにしかみえない)を、
ネコ車にのせて倉庫へもってかえり、
どんな楽器をつくろうかと相談している。
ひとりの女の子が、ホースをブンブンふりまわして
音をならしてみせてくれる。まわすスピードにより、
いろんな音をだせるのだという。
わたしにはさえないあそびにしかおもえなかったけど、
やっている本人たちがたのしければ それでじゅうぶんだ。

いまさらこんなことをいうのもなんだけど、
仲間といっしょになにかをするって、すごくたのしそうだ。
そんなのブリュッセルでなくてもできるわけだけど、
先進国の首都、とりわけおおくの民族があつまる街で、
「よりよく」なんてぜんぜんもとめない、
雑多なメンバーによるとりくみが 新鮮にうつった。
もっと徹底した個人主義がいきとどき、
ひとびとは、ひとりを基本のかたちとして、
しずかに、ひっそりとくらしているようにおもっていた。
ひとりがいいときもあるだろうし、
グループでの仕事は効率がわるいこともあるだろうけど、
なんにんかでとりくむのがあたりまえ、という
そもそものスタートラインがすてきだ。

日本では、少子・高齢化をさきどりする状況として、
活気のない農村が問題として とりあげられるけど、
ひとがすくなければ どうしてもうごきは停滞しがちだ。
わかいひとが、とくに女性がなんにんかくわわると、
いっぺんでその場にひかりがあたる。
ひとりで、ひっそりうごいていては活気につながらない。
どうしたら ひとがあつまる場所をつくれるかに、
知恵をしぼったほうがいいのではないか。
それができないから問題なんだろうけど、
とにかく、ひとがいなければ どうにもならない。

わたしの職場である介護事業所だって、
グループでのうごきが基本だ。
でも、グループでうごくからたのしい、
という活動にはなかなかならない。
仕事の効率をあげるには、だれがどんな仕事をうけもつ、
というのが暗黙のうちにきまっており、
職員がそのおおわくをきめがちだ。
ひとがすくないほうが、かえって効率がいいときさえあり、
活動にとりくむたのしさより、
つつがなく仕事をすすめることが 優先されてしまう。

『居るのはつらいよ』(東畑開人)をよんでから、
居場所をえる、とか、
「ただ、いる、だけ」の価値などが気になっている。
だれもが自分の居場所をもとめている。
たとえ仕事へのかかわりはすくなくても、
だからといって そのひとがいづらくなるようでは
なんのための活動なのかがずれてしまっている。

わたしはグループでうごくのがにが手で、
ひとりでの仕事のほうがよほどたのしい。
でも、仕事だとおもって(まさしく仕事なのだ)、
集団でゴソゴソうごくのをたのしまないと、
利用しているひとがつまらないおもいをする。
仲間といっしょにいる充実感もまた、
たのしさにかかわる たいせつな要素となる。
いっしょにいるだけでたのしい、を、どこまで保証できるか。
ものづくりのまえに、居場所づくりがわたしたちの仕事だ。
ブリュッセルの光景をみて、なぜだかそんなことが頭にうかんだ。

posted by カルピス at 21:50 | Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月23日

『12ヶ月の未来図』エリート教師がパリ郊外の中学ですごした1年間

『12ヶ月の未来図』
(オリビエ=アヤシュ=ビダル:監督・2019年・フランス)

パリのエリート高校につとめるフランソワが、
しりあいとの雑談で、生徒たちの学力がおちているとためく。
パリ郊外の学校はもっとひどい、とあいてにいわれ、
だったらパリにつとめるベテラン教師が、
郊外の学校へいけばいい、
とフランソワはおもいつきをはなす。
あくまでも一般論としての発言だったけど、
それをきいていた文部省の職員に、
いいアイデアだから、政策としてすすめたい、
労組などにしられるまえに実績をつくりたいので、
あなたがまず郊外の中学へいってくれないか、とたのまれる。
おもってもなかった展開に、フランソワがしぶっていると、
1年という、期間限定でいいからぜひと、さらにうながされる。

フランソワが、郊外にある中学校での初日をむかえる。
教室にはいってきた生徒たちは移民の子がおおく、
授業がはじまっても、おしゃべりばかりで、
いかにもやる気がなさそうだ。
フランソワは、この仕事がかんたんではなさそうだと気づく。
それにしても、フランソワの授業はきびしかった。
答案をかえすときなど、点数もよみあげ、
しんらつなコメントをつけくわえる。
生徒たちが、やる気をうしなう気もちもわかる。
きびしい先生が、生徒の気もちを尊重するようになり、
だんだんと生徒たちにうけいれられる、
というのがよくある展開だけど、
フランソワは、自分のやり方を基本的にかえなかった。
やらなければならないことは、
どんな理由があれ、やらなければならない。
ただ、生徒たちが関心をむけやすいように、
授業の題材を工夫し、生徒へのはなしかけも、
ほめことばがおおくなる。
生徒たちはすこしずつやる気をみせはじめ、
テストでの点数があがっていく。

生徒へのゆたかな愛情があるとはいえないものの、
フランソワは非常に公平な教師であり、
問題児とされている男子生徒へも、
教育の機会がうしなわれないよう最善をつくそうとする。
生徒にたいし、授業への積極的な参加をもとめるのとおなじように、
自分も教師としてやるべき義務をはたそうとする。

けっきょく、12ヶ月たっても、劇的になにかがかわったわけではない。
おおきなもりあがりはなく、淡々と1年がすぎていく。
フランソワのおかげで中退をまぬがれた生徒は、
さいごに「先生がいなくなるとさみしい」という。
フランソワは、いっしゅんことばにつまるが、
ありがたくそのことばをうけとめるだけにとどめ、
笑顔で生徒に「さあ、みんなのところへあそびにいきなさい」という。
なにもかわっていないようで、なにかがすこしかわったようだ。

posted by カルピス at 10:23 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月22日

『新感染 ファイナル・エクスプレス』げんきいっぱいのゾンビと、ゾンビよりひどい人間たち

『新感染 ファイナル・エクスプレス』
(ヨン=ホンサ:監督・2016年・韓国)

原因があかされないまま、ソウル市内にゾンビウィルスがひろがる。
感染した女性をのせて、釜山ゆきの列車がはしりだす。
韓国映画で、ゾンビがでてくるというと、
いかにもきわものてきだし、タイトルが「新幹線」をもじった
『新感染』では、ろくな作品じゃなさそうだ。
あまり期待しないでみはじめたら、おもしろかった。
単純にわらえる場面があるし、
親子のきずなもうつくしくえがかれる。
『新感染』なんてタイトルでなければ、
日本でもはやったのではないか。

感染者がゾンビになると、
やたらとゾンビでない人間にかみつこうとする。
ゾンビどうしではたたかわず、あくまでもかみつく対象は人間だ。
かみつかれると、100%の確率でゾンビとなってしまうため、
ものすごいスピードでゾンビがふえていく。
ゾンビの大集団があっというまにできあがる。
感染者がゾンビになる瞬間がおかしかった。
バキバキっと関節をありえない方向にまげ、
クワーッと顔をあげると、一丁あがりー!
みたいなかんじでゾンビになりかわっている。
ものすごくエネルギッシュで、げんきにはしりまわるけど、
知能はきわめてひくく、目にはいったもの、
耳がとらえた音だけに反応する原始的な生物(?)だ。
列車のとびらをしめられただけで、あけかたがわからない。
とびらのちかくで ウロウロしているようすが なさけなかった。

ゾンビは、かみつきたいという欲求だけでうごいている。
ちからがつよいため、わかっていても、
単純なかみつき攻撃をふせぐのはむつかしい。
バットでうたれても、げんこつでなぐられても、
ただもうかみつきたい いっしんで 攻撃をやめない。
うごきだした列車にゾンビがしがみつく場面があり、
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」そのままに、
ゾンビのむれが列車にずるずるとひきずられていた。
判断力をもたず、ただ人間にかみつきたいゾンビたちは、
なかま(?)のゾンビをのりこえて列車にしがみつき、
ゾンビの団子がどんどんふくらみをましながら
列車にひきずられていくようすは おぞましかった。
日本人には とてもおもいつかない演出だ。

乗客は、列車のなかで なにがおきつつあるかに気づき、
安全な車両へとにげまどう。
だんだんとエゴまるだしになってゆき、
自分さえたすかればいいという、みにくいあらそいがおこる。
バス会社の社長というのが、いちばんひどいやつで、
自分がたすかるためなら、
まわりの乗客を 平気でゾンビのいけにえに つきだしてしまう。
あいつさえいなければ、列車の秩序はたもたれただろうにと、
彼がゾンビにやられるのを こころまちにしながら画面をみていた。
もちろんなかには たすけあって生きようというひとたちもいたけど、
なにしろゾンビはたくさんいて、感染力がつよいので、
ひとり、またひとりと「人間」のかずがへってゆき、
さいごまで生きのびたのは妊婦と少女のふたりだけ。
たとえゾンビにならかなったとしても、生きのこったところで
まっているのは地獄みたいな社会なのがみえてくる。

あれだけゾンビがふえてしまったら、韓国社会はもうおわりだろう。
ふつうの作品なら、ゾンビからまた人間にもどるワクチンを
おおいそぎで開発して・・・、
というながれになりそうなところを、
この作品はそんな解決にすくいをもとめない。
ただひたすらゾンビによる破滅をえがいている。
げんきいっぱいにはしりまわるゾンビと、
ゾンビにならないためには
どんな卑劣な手をつかってでも生きのびたい人間たち。
彼らはあきらかにゾンビよりもひどい存在だった。

posted by カルピス at 21:34 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月21日

『チャンプ』ありきたりな設定を、ひとりの子役だけですくった作品

『チャンプ』(フランコ=ゼフィレッリ:監督・1979年・アメリカ)

ボクシング世界チャンピオンだった37歳の男が、
むすこのために(お金もだけど)、もういちどリングにあがる。
とかくと、もうストーリーがみえてしまう。
なんでボクシングをとりあつかう作品は、
かならずカムバックをめざすのか。
そして、それに子どもがからんでくれば、
ますますはなしのながれは きまったようなものだ。
そうなると、ありきたりの展開を、いかにはずすかがキモとなる。

しかし作品は、ほんとうに、想像していたとおり はなしがすすむ。
父親は酒と賭博をやめられず、むすこの馬までかけ金にしてしまう。
もうあとがなくなり、さいごにのこったのがボクシングで、
むかしからのトレーナーがとめるのをなんとか説得し、
親子でトレーニングにはげむ・・・。
まるで『がんばれ元気』だ。すこしもあたらしみがない。
そんな手あかにまみれた題材を、
みるにあたいする作品へとかえたのが、むすこのTJだ。

8歳のTJは、父親を「チャンプ」とよび、こころから愛している。
なんてくもりがなく、まっすぐなひとみ。
わらうと顔ぜんたいがキラキラひかる。
あの子のよろこびやなみだが演技のわけがないと、
絶対にいいきれるサイコーの子役だ。
TJは、だれにたいしても ていねいで、
しかしまっすぐにものをいう。うそをつかない。
行儀がよく、どこにいても堂々としていて、
子どもっぽいふるまいはせず、いつもひとりの人間として
誠実であろうとしている(ようにおもえる)。
TJでこの作品はなりたっているのだ。
TJをかなしませる父親にいかりがわいてくるし、
いかに感動的なラストとはいえ、
TJにあんな演技をさせるのはゆるせない。

ありきたりの設定を、ひとりの子役だけで
ぜんぶチャラにしてしまったのが、この作品であり、
TJの笑顔にであえば、だれもがこころをあたためられる。

posted by カルピス at 09:54 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月20日

このごろつづけていること

コーヒーをのまなくなって1年がたつ。
まえは食後にかならずのんでいたけど、
胃がよわいので、よくいたくなる。
いたくなるたびにコーヒーをやめ、
いたみがおさまると、またコーヒーをのむ、
というのをくりかえしてきた。
きょねん、いたみがつよいときがあり、
それをきっかけに のまないようにしていたら、
なんとなく1年がすぎた。
のみたくなるときが、ないわけではないけど、
せっかくながいことやめてるのだからと、
もうすこしやめてみようと、自分をなだめる。
胃のいたみになやまされないのは、すごくらくだ。

「みんなで筋肉体操」を、100日以上つづけている。
ことしにはいってから、ほぼ毎日やっていたけど、
いまは いちにちもかかしていない。
夜、お風呂にはいるまえ、うでたてふせとスクワットにとりくむ。
それぞれ3パターンあるので、あきずにとりくめる。
腹筋と背筋は、やりがいをかんじないので、
あくまでも、うでたてふせとスクワットだけだ。
番組では、種目ごとに 週2回ていのとりくみをすすめている。
うでたてふせとスクワットだけを毎日やるのは、
あまりかしこいやり方ではないけど、もう習慣になってしまった。
10分しかかからないし、からだをおいこむ満足感を、
いちにちのさいごに味わうのは わるくない。
おおきな変化はないけれど、
すくなくともからだのラインがたもてている。

夕ごはんをつくりながら、ビールをのむのも習慣になっている。
猛暑だったきょねんでさえ、ビールをのんだのは2回だけ、
どちらものみ会のときで、家ではのんでいない。
それなのに、ことしは夕方のビールが習慣になると、
あつくない日でも、そんなにほしくないときでものんでしまう。
習慣とはおそろしいものだ。ほしくないのにのむなんて。
ただしくは、ビールではなく、第3のビール、
というカテゴリーの「金麦」におちついている。
ビール券をいただいたので、プレミアムモルツにかえ、
たのしみにのんだら、もはや金麦のほうを
おいしくかんじるからだになっていた。
350ccのプレミアムモルツをもてあましてしまう。
舌がおそまつなのか、正直なのか、よくわからないけど、
ビールよりも第3のビールがおいしいとかんじるのは、
あまりよくない気がする。

映画をあまりみなくなっていたので、
この夏から週2本、レンタルショップでかりることにした。
映画をみる時間を確保しにくいときは、2日にわけてみる。
1本をとおしてみたほうがいいにきまっているけど、
連続ドラマだとわりきって、ぜんぜんみないよりは、
おおくの作品にふれたいとおもう。

つづければ、あんがいかんたんに、なんでも習慣になる。
お酒のように、あまりよくないものでも、
すこしつづけただけで、もう頭とからだが
おなじうごきをもとめるようになる。
ジョン=アービングの『熊を放つ』で
けっこうめちゃくちゃなわかもののジギーが
良き習慣は狂信的になされるだけの価値がある。

と、習慣をつづける大切さにふれている。
「みんなで筋肉体操」は、きっといい習慣だ。
狂信的につづけていきたい。

posted by カルピス at 11:40 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月19日

チャリダー の超ロングライドをみて、自転車で長距離をはしりたくなった

チャリダー (NHKーBS)をみていたら、下北半島でのロングライドに
猪野さんと筒井さんが参加していた。
310キロに、制限時間が14時間という とんでもないレースで、
しかも坂だってたくさんあるという。
310キロというと、わたしがすむ島根県から大阪までくらいある。
バスで半日の距離を、どうやったら14時間ではしりとおせるのだろう。
とまらずに自転車をこぎつづけたとしても、
時速22キロを維持しなければ、制限時間におさまらない。
参加したのは20人。完走は5人だけだった。

わたしがこれまでにはしったいちばんながい距離は、
マレーシアを自転車旅行したときの164キロだ。
ただし、ほとんどたいらなコースだったし、
ゴールしたあとの5日間は、ゲストハウスからうごけなかった。
それぐらいやすまないと、自転車をこぐ気にならないほどつかれた。
164キロでぐだぐだになってしまうのだから、
310キロをはしりおえた猪野さんはすごい。
いつもはただの坂バカをよそおっているけど、
下北半島のレースでゴールした姿はかっこよかった。

竹谷ドクターが、猪野さんは坂バカをやめて
これからは距離バカにしたら、と提案していた。
猪野さんは、制限時間よりも1時間以上はやくゴールしている。
しんどかった、といいながらも、
あまりつらさをかんじさせないはしりだ。
坂があると、ついいつものクセがでて、
とばしてしまうところも、根っからくるしいのがすきみたいだ。

250キロぐらいで制限時間にひっかり、リタイヤしたひとが、
来年は完走できるよう きたえて またきます、といっていた。
そんな気もちにさせてくれるほど、魅力的な目標なのだろう。
目標は、よほどがんばらないとムリ、くらいがやる気になる。
これぐらい極端にながい距離だと、あまりにも未知の世界なので、
こまかい準備よりも、気もちでまけないことがだいじになる。
限界までからだをおいこみ、へろへろになって
マグロやウニ・イクラ丼などの郷土料理をほおばりたい。
下北半島のレースは、わたしにはレベルがたかすぎるけど、
べつのかたちでなにか、自転車で長距離をはしりたくなった
(パンクすらなおせないけど)。
わたしがこのところレースにでていないのは、
もえあがる気もちにならないからだ。
中途半端なかまえなら、レースにでないほうがいい。
きょうみた「チャリダー 」は、わたしの胸だか頭だかにささった。
タイムも順位も関係なく、完走をほこれる体験がしたくなった。

posted by カルピス at 21:32 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月18日

『ケイトが恐れるすべて』

『ケイトが恐れるすべて』
(ピーター=スワンソン・創元推理文庫)

あの『そしてミランダを殺す』をかいた
ピーター=スワンソンの新作だ。
ロンドンでくらすケイトは、
ボストンにいる いとこのコービンから、
半年のあいだ家を交換しないか、という提案をうける。
彼は仕事の都合でロンドンにくることになり、
もしケイトがそのあいだボストンでくらせば、
彼女はアメリカでの生活を体験できるし、
おたがいに家賃の節約にもなる。

ケイトは、数年まえにおきた事件で
こころにおおきな傷をおい、ようやくすこしずつ
家からでられるようになったところだ。
アメリカでのくらしは、リハビリとして、
いい刺激になるかもしれないと
彼女はコービンからのもうしでをうける。
しかし、ケイトがボストンについたその日、
彼女がたずねたコービンのアパートで
殺人事件がおこる・・・。

しずかに、すこしずつものがたりがすすむ。
しばらくは、はでなうごきはないけれど、
あきさせずによませるし、だいいち、
あのピーター=スワンソンだという たしかな信頼がある。

だんだんあかされていくけど、
ケイトとコービンは、過去のできごとから
こころのなかにふかい闇をかかえている。
ケイトはしばしば、
自分は異常者をまねきよせる、といっているけど、
あながちそんな表現もおおげさでないほど
でてくるひとすべてがどこかへんだ。
いや、ほんとうにいかれているのは
彼らのトラウマの原因となった2人だけなのに、
ケイトの恐怖によりそってページをめくるうち、
だんだんとすべてのひとがうたがわしくなってくる。
ひさしぶりに、ルース=レンデルの異常心理小説をおもいだした。

ありがたいことに、よんだあとの印象は けしてわるくない。
将来にむけ、あたらしい生活がはじまる可能性がしめされており、
あかるい気もちで本をとじることができた。
これまでケイトは、ただ運がわるかっただけで、
彼女があやまちをおかしたわけではない。
だれもがおくる平凡な生活を、
彼女がこれから手にいれるよう ねがっている。

posted by カルピス at 21:36 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月17日

MGC(マラソン=グランド=チャンピオンシップ)にしびれる

東京オリンピックに出場する選手をきめる
MGC(マラソン=グランド=チャンピオンシップ)をみる。
おもしろかった。
これまでの選手選考は、いろいろ問題があったため、
ひとつのレースで勝負をきめようと、
はじめてこころみたレースの設定と運営が成功した。
選手たちは、オリンピックへの出場をめざし、
あついレースをくりひろげ、みるもののこころをとらえた。
男子は30人が8時50分にスタート、
女子は10人が20分あとの9時10分にスタートする。
わたしは男子のレースを観戦した。

スタートから設楽悠太選手がとびだし、
1キロ3分のペースでにげきりをはかる。
あとの選手たちは、設楽選手についていかず、
後方で集団をつくった。
2位までが内定をえること、
30度ちかく温度があがることが予想されるなど、
選手たちをまよわすいくつもの材料がある。
コースも、ゴールちかくになって、
3つの急な坂がふくまれていて、
どこで勝負をかけるのかがむつかしいレースだ。

そのなかで、はじめからとびだし、
37キロまでひとりでレースをつくった設楽選手にしびれた。
さすがに後半はくるしくなり、
ペースがだんだんおちてしまったけど、
それまではすずしい顔ではやいペースをたもち、
道路を独占してはしりつづける。
37キロで第2集団にとらえられたときは、
もうついていくちからがのこっていなかった。
作戦が失敗したともいえるけど、
今回のレースをあつくもりあげたひとりは
まちがいなく設楽選手だ。
第2集団の選手たちが設楽選手においつくと、
そこで競争は いっきにはげしさをました。
39キロで中村がスパートをかける。
必死でついていく大迫選手と服部選手。
3人ともくるしそうな表情ながら、
坂道なのにキロ3分をきるスピードでつっぱしる。
1位をねらうのか、2位でよしとするのか、
いろんなおもいが選手たちの胸をかすめただろう。
けっきょく、中村選手がそのままにげきって1位、
2位には大迫選手をふりきって服部選手がゴールインする。
設楽選手は14位となる。

沿道にあつまった 50万人という観客におどろいた。
男子30人、女子10人という少人数のためだけに、
道路が封鎖され、ふつうのマラソン大会とおなじくらい
観客がとぎれることなく応援にあつまっている。
選手たちに、おおきなはげみとなったのではないか。

16日の天声人語でもふれられていたように、
ほとんどの選手たちがはいていたのは
ピンクのシューズだった。ナイキ製だという。
ピンクだからナイキというわけではないだろうから、
ナイキ社が宣伝のために、
ピンクのシューズだけを提供したのだろうか。
シューズについては、ナイキがひとりがちしたレースだった。

もうひとつ気になったのは、
女子で1位になった前田穂南選手が
ものすごく ほそかったこと。
あんなにやせていて大丈夫なのだろうか。
高橋尚子さんが、体重がおちすぎて調整に失敗し、
オリンピックの選考をかねたレースで
ふんばれなかったことをおもいだす。
前田選手のほそいからだが心配になる。

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2019年09月16日

『天国から来たチャンピオン』吉本新喜劇みたいなテキトーさがわらえる

『天国から来たチャンピオン』
(ウォーレン=ベイティ・バック=ヘイリー:監督・
1978年・アメリカ)

天国への案内人のまちがいで、
死んでないのに天国へいかされそうになった
アメフト選手のはなし。
まだ死んでない、と案内人に猛抗議したらみとめられ、
もういちど地上へかえることになる。
ただし、自分のからだはもうやかれてしまったので、
べつのひとにのりうつらなければならない・・・。

第51回アカデミー賞に、9部門がノミネートされ、
美術監督・装置賞を受賞というから、
当時では人気だったようだけど、いまみるとさすがにふるい。
ひとのからだにいれかわるときの ルールがよくわからないし、
のりうつってからも、まえとおなじ身なりをたもつなど、
けっこうおおざっぱにつくれれている。
なんのことかというと、フットボール選手のジョーが、
大富豪のファーンズワースにうつると、
まわりからはファーンズワースにみえるけど、
画面ではジョーのままの人物がえんじている。
まわりからはファーンズワースにみえるひとが、
きゅうにめしつかいをあつめてアメフトをはじめだし、
一流選手みたいにうごけるなんて、ありえない。
でもまあ、いれかわるたびに べつのひとが主人公になったら、
みるほうは混乱するだろうから、
テキトーさにたすけられる作品ともいえる。

ジョーがものすごくまえむきな性格で、
なにごとも肯定的にとらえるのが好感をもてる。
役員会に出席したジョーが、これまで会社がとっていた
悪質な路線をチャラにするとき、
社会からの信頼がだいじだ、などと、
すべてをアメフトの論理でおしきるのがおかしかった。
ガンバ大阪の宮本監督にそっくりなのもわらえる。

大富豪のファーンズワースには、わかい奥さんがいて、
彼女は秘書とできており、夫をころして遺産を手にしようとする。
ふたりはずっとくっついているので、
だれがみたって遺産ねらいの性悪コンビなのに、
そこらへんにはぜんぜんふれないという、
ふるいコメディ映画みたいだ。むかしはこれでよかったのだろう。
一歩まちがえば、吉本新喜劇になるところを、
ゴージャスなかざりつけで なんとかふせいだ、というみかたもできる。
けなしているのではなく、ドタバタをそれなりにたのしめた。

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2019年09月15日

『セルピコ』

『セルピコ』(シドニー=ルメット:監督・1973年・アメリカ)

NHK-FMの音楽遊覧飛行をきいていたら、
映画音楽担当の紺野美沙子さんがこの作品を紹介していた。
セルピコがひっこしてきたアパートのいりぐちで、
数匹の子犬がダンボール箱にいれられていた。
「子犬をかわない?」と
段ボール箱をもっていた少女がたずねると、
セルピコが「うちのアパートにくるのはどの子?」
と子犬たちにはなしかける。
そのうちの1匹だけが「ワン!」とないて、
めでたく彼にもらわれていったのだという。
その場面がみたくて、ツタヤからDVDをかりてきた。

ニューヨーク市警の腐敗を、ひとりの警官があばいていく、
というストーリーは、紺野さんの紹介でしっていた。
腐敗や汚職なんて、どこでもあるはなしだとおもっていたけど、
ニューヨーク市警は組織全体がくさりきっており、
現場の警官だけでなく、上司たちもまた汚職にまみれている。
情熱にもえる新人警官のセルピコ(アル=パチーノ)が、
初日の勤務ではやくも 賄賂が日常の現場をしり、
そのあとも「みかじめ料」のとりたてみたいなことを
どの警官もやっているのがわかり とまどってしまう。
金をうけとるのをことわると、仲間からしろい目でみられる。

上司に相談しても相手にされないし、
そのまた上の上司をたよってもだめだ。
やる気があり、希望にもえる警官がたとえいても、
組織のまえでは声をあげられない構造ができあがっている。
セルピコは、仲間からきらわれ、配属をなんどもかえられる。
あたらしい部署についても、腐敗の構造は どこもかわらず、
またおなじことがくりかえされる。

あかるい青年だったセルピコが、
しだいにくらい表情だけをみせるようになり、
いっしょにくらしていた女性にやたらとあたりちらす。
どなってばかりのセルピコを、ひどいやつだとおもうけど、
職場に信頼できる仲間がひとりもおらず、
身内から命をおびやかされるような仕事をつづけ、
このさきもよくなるみこみがなければ、
だれだって正気をたもてない。
みているわたしも、だんだんつらくなってきた。

麻薬をとりしまる部署にうつされたセルピコは、
事件をおいながら、顔に弾丸をうたれる。
さいわい命はとりとめたものの、
英雄であるはずのセルピコのもとには
「くたばっちまえ」などとかかれた
同僚からの手紙が いくつもおくられてくる。
みまいにきた上司は、セルピコに金バッチをわたそうとする。
しかし、このバッチは、なににたいして評価したものなのか。
命の危険をおかして仕事をしているのに、
その原因となっている 腐敗した組織に手をいれようとせず、
セルピコの告発を、金バッチでもみけそうとする上司たち。
あまりのむなしさに、セルピコは はじめてなみだをこぼす。

たのしみにしていた子犬が「ワン!」となく場面は、
映画のかなりはじめのほうに登場する。
子犬はそんなにいきおいよくないたわけではなく、
ちいさくささやいたくらいの「ワン」だった。
紺野さんにいわれなかったら、ききのがしているくらいだ。
あまり印象にのこらなかったこの子犬は、
すぐにおおきな牧羊犬へとそだち、
しかし、さいごまであまり印象にのこらない存在で、
ものしずかにセルピコのまわりをうろついていた。

アル=パチーノといえば、
『ゴッド・ファーザー』(1972年)における
マイケル=コルレオーネがおもいだされる。
警察や行政にコネをつくりまくっていたマフィアのボスが、
つぎの年につくられた『セルピコ』では、
きっぱり賄賂をことわるのだから映画はおもしろい。
それにしても、これだけの内部告発を、
よく映画にして公開できたものだ。
その後のニューヨーク市警は、
どれだけクリーンにうまれかわったのだろうか。

posted by カルピス at 20:33 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月14日

タイトルが気になった『58歳から 日々を大切に小さく暮らす』

新聞の広告欄に
『58歳から 日々を大切に小さく暮らす』
という本がのっていた。
人気のあるブログを本にしたものらしい。
内容はまったくしらないけど、
わたしの年齢が タイトルになっているので気になった。
ほんものの老人になるまえの、
58歳くらいから しずかに老後をはじめたら?
というささやかな提案だと、かってに解釈する。

わたしも、以前は「老後になったら」と、
老後をたのしみにしていたけど、
しばらくまえから、老後にやろうとおもっていたことを
いまのうちから はじめたほうがいいのでは、
とおもうようになった。

そうしたこころがけのおかげか、みかけはそうみえないまでも、
内面は、すでに老後のような生活になっている。
仕事にむけるエネルギーは、最小限にとどめ、
朝8時半から夕方6時まで、あたえられた仕事、
ただそれだけを しずかにこなす。
それ以外は、自分が自由につかえる時間だ。
夕ごはんの当番もあるとはいえ、
自分がたべたいものをつくるのだから、
ぜんぜん負担にはおもわない。
1年にいちど 旅行へでかけ、週に5日はたらき、映画を週に2本。
運動は、はしったり およいだりを月に20回ていど。
すきな本をよみかえすのを、老後のたのしみにあげていたけど、
こちらはまだ手をつけてない。
ふるい本よりも、あたらしい本をおいかけるのが精一杯だ。
いまはまだ すこしぐらい はたらいたほうが、
精神的にも いい状態をたもちやすいけど、
もうすこしかれてきたら、いちにちの大部分を
本をながめられるように なるのではないか。
夕ごはんのあとブログをかき、
毎晩の「みんなで筋肉体操」に、ねるまえのストレッチ。
ベッドに寝酒をもちこんで、ねむくなるまで本をながめる。

きわめて地味な生活だけど、おおむねみちたりており、
これが このまま 死ぬまでつづいても とくに後悔はない。
もっと、世のため ひとのために生きたらどうなんだ、
とか、愛がなければダメだろう、
いうかんがえ方があるのは承知しているけど、
無理して手をひろげたら、いまのわたしはたのしめそうにない。
60歳をまえにしたら、もう生物としての役割はおえている。
あとは余生だとおもっても、そうまちがいではないだろう。

きのうの「夜廻り猫」で、
「金無し 職無し 家族無し 人望もあるとは言えない・・・」
といじけている女性に、ワカル(ネコ)が
何にもなくないです〜
ほとんど全部あります〜
生きてるもん

といって、
自分でつくったネギ丼をすすめながら なぐさめている。
http://www.moae.jp/comic/yomawarineco?_ga=2.45188388.126537437.1533341546-545983925.1532953345
なにもないとおもって生きるのか、
ほとんど全部あるとおもって生きるのとでは、
こころのおちつきがずいぶんちがう。
なんでもある、とはいえないまでも、
ほとんど全部ある、とおもって生きられたら
なにがどうなっても、あんがい なんとかなりそうだ。

posted by カルピス at 20:11 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月13日

『ヴィンセントが教えてくれたこと』おもいがけずアタリの作品

『ヴィンセントが教えてくれたこと』
(セオドア=メルフィ:監督・2014年・アメリカ)
以下ネタバレあり。

12歳の男の子をつれたシングルマザーが、
ひっこしてきたとなりの家には、
人間ぎらいで下品な老人ヴィンセントがすんでいた。
酒と競馬におぼれ、妊婦のストリッパーをつれこんだり。
親子との初対面も最悪で、おたがいにわるい印象をもつ。
でも、母親の仕事がときにはおそくなり、
男の子の世話をたのまざるをえない日がでてきた。
ヴィンセントは、時給15ドルなら面倒をみると、
母親のあしもとをみて、ぜんぜんやさしくない。
少年は、ヴィンセントのアクのつよさを気にとめず、
ふたりはしだいにうちとけていく・・・。

とかくと、いかにもありがちなストーリーだけど、
ヴィンセントをえんじるビル=マーレーの
「いやなやつ」ぶりが板についていて、
しぶしぶ少年をひきうける姿にリアリティがある。
こんなやつとかかわりたくないと、心底おもわせる。
「いいひと」のふりなんて絶対にしない。

オリバー少年役のジェイデン=リーバハーもうまい。
からだがちいさく、いかにもちからがなさそうにみえ、
転校先の学校でさっそくいじめられるけど、
気もちがつよく、こわがらずに相手へむかっていく。
ヴィンセントにけんかのやりかたをおしえてもらい、
しかえしをはたしたのち、ふたりは友だちになる。
シングルマザーの母親は、オリバーをかわいがりながらも、
なんだかいつもオロオロとあわてていて、
オリバーのほうがよほど冷静でしっかりしている。

競馬で大穴をあてると、ヴィンセントはオリバーとお金をわける。
オリバーのほうがおおくお金をだしていたので、
出資した割合で計算し、公平な金額がオリバーのものとなる。
ヴィンセントは、オリバーのために口座をひらき、
オリバーのとりぶんを たしかなものにした。
あんがいいいやつかも、とおもっていたら、
そののち どうしてもお金が必要になると、
ヴィンセントはオリバーの口座から全額をひきだした。
そのままつかうのならまだしも、競馬でぜんぶすってしまう。
どうしよもなくダメでトホホのひとなのだ。

オリバーのクラスでは聖人について勉強している。
聖人とはどんなひとか。なにをすれば聖人といえるのか。
そんな授業をかさねたのち、保護者をまねいての発表会がひらかれる。
オリバーはヴィンセントを聖人にえらんでスピーチにのぞむ。
ヴィンセントのまわりにいるひとたちから
うわべはかくされている 彼の一面をききだしていく。
オリバーは、ヴィンセントがベトナム戦争で勲章をうけていたこと、
アルツハイマー病で介護施設にはいっている奥さんをしばしばたずね、
彼を医者だとおもっている妻にあわせ、
医者になりきってやさしくはなしかけること。
そして、彼女の洗濯物を、8年間もあらいつづけていること。
聖人はたたかうひとだから、ケンカのやりかたをおしえてくれたこと。
自己主張のしかたも。
発表にはヴィンセントもまにあい、
オリバーはヴィンセントを壇上によび、彼をだきしめる。

エンドロールは、ボブ=ディランの曲をヴィンセントが
なはうたまじりにうたう映像がながれる。
うたいながらホースの水でテーブルなどをあらい、
あらうものがなくなると、そこらじゅうに水をかけてあそぶ。
ボブ=ディランのやわらかな声と、
ヴィンセントのテキトーなうごきがびったりで、
すごくおしゃれな演出になっていて、ついみいってしまう。
聖人ともちあげられても、ヴィンセントはかわらない。
脳梗塞をおこしたのにタバコをやめない。
いいかげんをつらぬき、気らくに生きている。
気らくに生きてるようにみえて、背おうべき責任をはたそうとする。
妊婦のストリッパーだったダカに赤んぼうが生まれる。
ヴィンセントは、自分のやりかたで
彼女たちにかかわりつづけるだろう。
いじわるそうにみえた人物がじつは、なんて
ありがちな展開にとどまらず、
ヴィンセントはさいごまでヴィンセントだ。
うまくつくられたアタリの作品として つよくおすすめしたい。

posted by カルピス at 17:43 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月12日

一年の半分を旅行する 地主恵亮さんの荷づくりとは

デイリーポータルZのライターである地主恵亮さんが、
旅行にもっていく荷物についてのインタビューをうけていた。
「旅人必見!
 年間半分旅する人のカバンの中身を見せてもらった」
http://genryudaigaku.com/archives/6159
地主さんは、いちねんの半分くらい
国内外を旅行しながら 無職の生活をつづけている。

カバンにはいっているものをみせてもらうと、
オレンジ色のTシャツがたくさんでてきた。
「妄想彼女」という本をだしたのにちなみ、
そのどれもに「MOUSOU UNIVERSITY」のロゴがはいっている。
「上はこれしか着ないと決めて」いるのだという。
たしかに、デイリーポータルZの記事でも、
地主さんはいつもオレンジ色のTシャツだ。

「今回の予定は1泊ですが、ずいぶんTシャツが多い気がしますが」
とたずねられると、

「作業用とパジャマと正装用ですね 」
というのだから、そうとうかわっている。

Tシャツは、半袖ばかりではなく、長袖もあるし、
もっとさむいときのためにパーカーも用意している。
パーカーは もちろんオレンジで、おなじロゴがはいっている。
さらにウィンドブレーカー、ハンドタオルもありますよ。これだけあれば何があっても大丈夫です

なんで大丈夫なのか ぜんぜんわからない。

「温度計が2個あるのはなぜですか?」
とたずねられると、
……今、初めて2個あるのに気がつきました。そもそも温度計を持っている理由がわかりません!

インタビューをした田中氏の感想は、
旅慣れた人の旅荷物。似たような物が入っているのかと思ったら、全然違う、自分の「好き」を突き詰めたものが入っていました。「必要かどうか」だけでなく「好きかどうか」を考えると荷造りしやすいのかもしれません。

ふつうのひとにはあまり参考にならない
地主さんの荷づくりだけど、ただひとつ、

「『必要かどうか』だけでなく『好きかどうか』を考えると
 荷造りしやすいのかもしれません」

だけは なんだかもっともらしい。
それさえあれば大丈夫、と本人がおもえるのなら、
どこでなにがおきても大丈夫なのだ。

とはいえ、わたしだってすきなものをカバンにいれるけど、
だからといって、荷物がすくなくなったりはしない。
1泊だろうが、1週間だろうが、いつもおなじ量の荷物になる。
やっぱり、「好きかどうか」で荷づくりしてたらダメじゃないか。
けっきょく、かわったひとの荷づくりは、
かわったものがはいっていて参考にならない、というのが
このインタビューから得られる教訓だ。
いつもオレンジ色のTシャツをきて、
にっこりわらっている地主さんをみると、
「よりよく」なんて かんがえなくてもいいような気がしてくる。

posted by カルピス at 20:43 | Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月11日

iMac(2011)のHDDをSSDに交換して復活させる

きょねんの10月に、iMacがうごかなくなった。
症状は、起動スイッチをおしても、
まるいマークがくるくるまわりつづけ、いつまでも起動しない。
きっとハードディスクがこわれたのだろう。
システムはOS10.6.8とふるく、サブ的な位置づけだったので、
いい機会だから、全面的にHigh Sierra(10.13.6)の
MacBook Proへきりかえる。
iMacは、そのまま部屋のすみにおきっぱなしで 1年をすごした。

そのままゴミにするのはもったいないので、
パソコンの師匠にたのみ、ハードディスクをSSDに交換してもらう。
250ギガのSSDと、iMacの画面をはずすのに必要な吸盤、
それに温度センサー(HDDをSSDに交換するときに必要らしい)を
アマゾンで注文する。1万3000円ほどかかった。
なかでも、温度センサーが7700円とたかい。

わたしがかったSSDは、2.5インチで、
iMacのHDDは3.5インチだったため、
きちんと固定するにはマウンタが必要、と師匠から連絡がある。
マウンタ本体は810円なのに、それを注文するには
2000円以上のかいものをしてください、とアマゾンがいう。
なんだかんだと、ずるずるお金がかかるのはいやなので、
師匠がおしえてくれた 両面テープでSSDを固定するやり方を
とりいれてもらうようおねがいする。
師匠は、仕事がいそがしいのに、
修理中のパソコンが目のまえにあると 気になるようで、
すぐにSSDへの交換にとりくみ、
つぎの日には、できあがりましたと連絡がはいる。

きょうは、復活したiMacを師匠からうけとり、
タイムマシンによる復元にとりかかる。
4時間ほどかけて、ぶじに復元が終了し、
再起動すると、なつかしいデスクトップがあらわれた。
タイムマシンにデーターをとっておいてよかった。
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わざわざふるいシステムのiMacを復活させたのは、
ファイルメーカープロでつくったファイルをつかいたかったのと、
Itunesにはいっている曲をいかしたかったから。
せっかくHigh Sierraにきりかえたところへ、
またふるいシステムのパソコンをもちこむと、
ややこしくてクールじゃない方向へ
わたしのパソコン環境がむかいかねない。
それに、ぶじに復活したとはいえ、
ふるいシステムのOS10.6.8が、いつまで生きのびるだろう。
いまだって、Dropboxがサポートされていないので、
孤立したパソコンとしてしかつかえない。
ファイルメーカープロとItunesの利用にかぎっても、
ほかのパソコンとデーターを共有できなければ不自由だ。
せっかく復元したiMacのいかし方を、
復元してからかんがえるなんて われながらさえない。

posted by カルピス at 21:19 | Comment(0) | パソコン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする