2019年10月11日

「チャリダー 」での全日本選手権ロードレースにしびれる

「チャリダー 」が、富士スピードウェイでの
全日本選手権ロードレースをとりあげていた。
10.8キロのコースを21周して227キロはしる。
日本一をきめる、いちねんにいちどの真剣勝負。
本命には、海外での実績がとびぬけている
新城幸也選手と別府史之選手があげられている。
とはいえ、このふたりは単独の参加であり、
チームからのサポートをうけられない。
それでもふたりは、ただかつだけではなく、
絶対的なちからをみせつることにこだわる。
ふたりをむかえうつ日本トップチームの選手たちは、
エースを温存させ、ふたりを徹底的にマークする。

このところのチャリダー は、50分という枠をうまくつかい
充実した番組をとどけてくれる。
坂バカだったり、初心者むけだったり、
自転車にはいくつもたのしみ方があるけど、
トッププロによるあらそいはとくにしびれる。
ロードレースをよくしらないわたしは、競技をみているだけでは、
そのなかでどんなかけひきがおこなわれているのかわからない。
番組では、こんかいのレースを、「全日本博士」がこまかく解説する。

レースは序盤からなんどもアタックがくりかえされ、
前半で半数以上がふりおとされた。
こうなっては、チームからのサポートをうけられなくなり、
エースといえども個人でのたたかいがしいられる。
別府選手と新城選手も先頭集団についてはしる。

新城選手のタイ・チェンライでの合宿を
せんじつの「チャリダー 」でみたばかりのわたしは、
心情的に新城選手を応援していた。
227キロのながいレースが終盤をむかえ、
新城選手と入部選手(シマノレーシング)のはげしいせりあいとなる。
ラスト400メートルの直線まで勝負がもつれ、
けっきょく新城選手は入部選手のスパートをゆるし
優勝とはならなかった。
それぞれが個人の事情をかかえ、どうしてもかちたいレース。
新城選手は、ケガからの復活をかけ、このレースにいどんでいた。
結果は2位におわったものの、新城選手の圧倒的なちからは
みるもののこころをとらえる。
新城選手の、東京オリンピックでの活躍に期待したい。
タグ:チャリダー

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2019年10月10日

サッカーW杯アジア2次予選 日本対モンゴル 6-0で日本

サッカーW杯アジア2次予選 日本対モンゴル
6-0で日本

FIFAランキング31位の日本と、183位のモンゴル。
ラグビーだったら ものすごい点差がつくだろうけど、
そうならないのがサッカーだ。
11人がゴールまえをかためると、どんなチームでも
くずすのがむつかしくなる。
ひいたあいてからどう点をうばうか。
日本がこれまでずっと苦手としてきた課題に今回もとりくむ。
スターティングメンバーは、
いつもワントップにはいる大迫にかわって永井、
2列目は堂安にかわって伊東純也。
伊東の起用があたりだった。
スピードをいかし、どんどんクロスをあげてくる。
ボランチには、ひさしぶりに遠藤がはいった。
それ以外は、いつもの顔ぶれがならぶ。

     永井
  中島 南野 伊東
   遠藤 柴崎
長友 吉田 富安 酒井
     権田

試合がはじまると、日本はたてつづけにチャンスをつくるけど、
予想していたように得点にはむすびつかない。
なんだかんだで うまくまもられてしまい、
あいてのキーパーも調子よさそうで、
これはなかなかくずせないかも、と心配になる。

そんな前半20分をすぎたころ、
南野が伊東からのクロスを頭であわせる。
南野はいまザルツブルグでノリノリなのを
証明したようなきれ味をみせる。
そのあとたてつづけに日本が3点をあげた。
29分に中島がけったコーナーキックを、
なんにんかの選手がからみ、さいごは吉田がおしこむ。
33分には、伊東のクロスを長友があわせる。
このころになると、モンゴルの選手は足がとまり、
ただボールをみているだけとなる。
長友は、なんと2009年以来のゴールというから、
ずいぶんひさしぶりだ。
4点目は、40分に永井がヘディングできめる。
今シーズンの永井は、スピードをいかすだけでなく、
ゴールまえのプレーがとてもうまくなった。

後半にはいると、モンゴルはせめの姿勢をみせる。
それだけスペースがうまれそうだけど、
日本の攻撃はなかやすみ状態となった。
後半25分に原口元気がはいると、ゲームがすこしうごきだす。
元レッズの原口を、埼玉スタジアムでの試合におくりだすのは、
試合の活性化という意味において的をいている。
ピッチにはいるまえ、ユニフォームをきるときに
原口はうれしそうにわらっていた。
期待どおり 原口は はげしくボールにからんでシュートをはなつ。
ピッチをひろくはしりまわり、
味方の攻撃も さかんにひきだしていた。

けっきょく日本は6得点をあげ、
あぶなげなくモンゴルをしりぞけた。
これぐらい実力差があれば当然とはいえ、
課題である ひいてまもるあいてから、
得点をかさねられたのはおおきい。
今回あつめられた23名の選手のうち、
Jリーグでプレーしているのは わずか3人だ。
それだけヨーロッパ組の存在感がましているけど、
Jリーグにもこれから期待できそうな選手がたくさんいる。
いきのいい若手を、どんどんためしてもらいたい。

モンゴルは、けして試合をなげださず、
さいごまでゴールをよくまもり、好感のもてるチームだった。
きょうの試合がいい経験となり、ちからをつけていくだろう。

posted by カルピス at 22:17 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月09日

『おなかがすいたハラペコだ。』椎名誠さんがタマネギにむける愛

『おなかがすいたハラペコだ。』
(椎名誠・新日本出版社)

たべものにまつわるエッセイ。
前半は、タマネギへの愛がおおくをしめ、
後半は、日本ではやりつつある なんだかんだに、
イチャモンをつける。

糸井重里さんは、野菜とはすなわちキャベツのことでは、と
「今日のダーリン」で発見をかたっている。
椎名さんにとって、いちばんえらいのはタマネギとなる。
たしかに、キャベツがなければ いろいろとさみしいし、
タマネギの存在感も、野菜のなかでとびぬけている。

わかいころ、仲間たちと貧乏な共同生活をしていたころ、
椎名さんはタマネギにめざめる。
 炊きたてのごはんの上にカツオブシとタマネギを炒めて醤油で味つけしたのを惜しげもなく全部ドサっとのせて四人でわしわし食うと、もう何も文句ありません状態になった。

 タマネギはちょっと赤っぽい透明のアミの袋に入っている。(中略)寝るときはみんなそのタマネギを見上げることになる。タマネギのいっぱい入ったあの網袋はぼくたちのシャンデリアだった。

わかくて、ビンボーで、いいはなしだ。

本のなかで紹介されている
「タマネギ丸ごと十個焼き」をためしてみた。
 丸ハダカにしたタマちゃんの底を包丁で丸くくり抜く。上のほうは軽く十字に切っておく。そうしてフライパンに薄口醤油を薄くいれて十個いっぺんに煮る。(中略)蓋をして全体に熱が回るようにする。全体に熱が通ったところで上のほうにも薄口醤油をさっとたらし、蓋をしてダメおしにもうちょっと火を通してできあがり。
 これがうまいんだよおー。

ちょうどスーパーで、10個ほどのちいさなタマネギが
150円でうれていた。
ちいさいければ、火がとおりやすいだろう。
うすくち醤油はないので、ふつうの醤油をつかった。
それだけではなんだか心配なので、酒とブイヨンもいれる。
せっかくだから、手羽元とエリンギもくわえた。
フライパンではなく圧力鍋にたよる。
ここまでくると、もやは別料理だけど、
なにごともレシピどおりつくれないわたしなので、
これぐらいの変更はいつものことだ。
みじかい時間で、ボリュームのある料理ができあがった。
椎名さんは新タマネギをすすめていたけど、
いまはないのでふつうのタマネギをつかっので、
あんがいタマネギのかたさがたもたれている。
「これがうまいんだよおー」というほどにはしあがらなかったけど、
かんたんで、たしかに わるくない。
なによりも、包丁でタマネギを
こまかくきざまなくてもいいのが気にいった。

この夏おぼえた料理に、ピーマンの丸やきがある。
魚やき用のグリルに あらったピーマンをそのままならべる。
グリルの火力は強力で、すぐに火がとおる。
すこしこげめがついたピーマンに、メンツユをかければできあがりだ。
ピーマンのヘタと種をとるわずらわしさがなく、
ピーマンのおいしさを丸ごと味わえる。
なにごとも丸ごとつかうのは、素材をいかす、
理屈にあった調理法かもしれない。
魚やき用のグリルは あらうのがめんどくさいけど、
ピーマンをやいたからといって、油はでないので よごれない。

あとがきには、妻である一枝さんのつくる朝ごはんが
いまでは最強の食事、とある。
国内外で、いろんなものをたべてきた椎名さんの結論が、
家での朝ごはん、というのも、人生のしめくくりをかんじる。

posted by カルピス at 16:51 | Comment(0) | 椎名誠 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月08日

田中泰延さんの『読みたいことを書けばいい。』がおもしろそう

ほぼ日で、きょうから田中泰延さんのおはなしがはじまった。
https://www.1101.com/n/s/yomitaikoto/2019-10-08.html
田中さんは『読みたいことを書けばいい。』
という本をだされている。
わたしもすこしまえに、
「よみたいことをかけばいいんだ」を発見した。
なんていうと、たちのわるい冗談みたいだけど、
10%くらいはほんとうだ。
ラジオをきいているとき、本についてはなされると、
しぜんと きき耳をたてる自分に気づいた。
どうやらわたしは、自分が関心をもつはなしをききたいらしい。
わたしが関心をもつのは、
本のほかに旅行やトレーニングについての話題で、
したがって、よみたい本やブログは、あたりまえながら、
関心のあるものについてかかれたものとなる。
もちろん、本や旅行についてのものなら なんでもいいわけではなく、
信頼できるひとがかいた書評なり旅行記にかぎられてくる。

本についてかかれたいくつかのブログをよんでみたけど、
あまりしっくりいくブログにであえなかった。
だったら、自分がよみたいような記事を
自分でかけばいいのでは、とおもいはじめる。
というわけで、わたしがかくブログは、
わたしが興味をもったことについてかいてあり、
たくさんのひとによんでもらいたい、
という気もちはあまりない。
田中さんのおはなしと、
いくぶんかさなる点があるような気がする。
あすからのはなしが、どう展開していくのだろう。
僕が一生懸命書いたコラムが182PVだとして、
たとえば宇多田ヒカルさんが
「神保町で食べたトンカツが厚切りで」
と書いたら、256万8320PVになる。
だから「何を書いたか」では勝てない。
なにも絶望しろと言ってるんじゃないんです。
自分が何かを書いてネットに載せたりしたら、
たくさん読んでもらえるんじゃないかと思う心を
一度捨てましょうと言ってるんです。(中略)
だったら僕とかみなさんが何かを書くにしても、
一生懸命に書くのは大事やけど
「書いたものが誰かに影響を与える」とは
思わないようにしましょうよ。
というのが、この本を書いた原点です。

田中さんのおはなしは、7日連続で連載されるという。
あすからの2回目以降をたのしみにしている。

posted by カルピス at 22:18 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月07日

高校放送部が発表した「先生、水がのみたいです」って、なんだかいやなかんじ

8月にきいたラジオ番組で、
高校の放送部の、全国大会をとりあげていた。
スポーツだけでなく、文化部でも全国大会がひらかれるようだ。
札幌南高校は「先生、水がのみたいです」を発表していた。
なんのことかというと、
授業中に生徒が水をのみたくなったとき、
どうしたらいいかについて、いろいろな意見をあつめている。
がまんできないほどノドがかわくのなら、
水ぐらい、いくらでものみにいけばいいじゃないかと、
わたしは単純におもったけど、
高校では そうはかんたんに いかないみたいだ。
授業のとちゅうで水をのみにいく是非について、
放送部員の生徒が なんにんかの先生にたずねている。
先生のおおくは、自分は真剣に授業をしているのだから、
とちゅうで席をはずされるのは このましくない、
というかんがえをのべている。
なかには、授業に集中してほしいので、
ずっとノドのかわきのことをかんがえて気がちるよりも、
はやく水をのんですっきりさせてほしい、という
ものわかりのいい先生もいたけど、少数派にすぎない。

「先生、水がのみたいです」を、
わざわざ題材にとりあげなければならいほど、
高校というところは、きゅうくつな場所なのだろうか。
授業のとちゅうで水をのみにいくのが
いつものことになれば問題だろうけど、
ときどき授業をぬけだすくらい、なんだというのだ。
おたがいに信頼関係があれば、
すこしのあいだ席をはずすなんてあたりまえだ。
先生という立場で権威をふりかざし、
生徒にいじわるしているだけにおもえた。
先生らしい うえから目線の反応がすごくいやらしい。
トイレにいきたかったら、
むりに我慢しないで、授業のとちゅうでもいけばいい。
水だって、生理的なものだから、のめばいいのだ。

ただ、ちょっとかんがえてみると、1時間ていどの授業で、
のどのかわきをがまんできないのは すこしおかしい。
きゅうけい時間に水をのんでおけばよかったのだし、
あとすこししたら つぎのきゅうけい時間だ。
「先生、水がのみたいです」という発表の本質は、
たとえささいな要求であっても、
生徒が先生におうかがいをたて、
先生がエラソーに いいわるいを判断するという
硬直した関係を象徴している点にある。
こうした上下関係は、水の問題にとどまらず、
すべからく生徒の自由をうばうのではないか。
「先生」は、水をのみにいくことさえ、自分の権利をふりかざす。
先生って、いつでもどこでも先生としての発想しかできない。
学校って、特殊な常識がはばをきかせる へんなところだ。

posted by カルピス at 21:48 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月06日

ニワカなりにサモア戦の勝利をよろこぶ

ラグビーW杯、日本対サモア 38-19で日本

なにぶんニワカファンなので、
サモアがどんなチームなのか まったくしらなかった。
前回のW杯でも対戦し、そのときは日本がかったというし、
南太平洋の島国が、そんなにつよいわけないだろう、
などとかんぜんにみくびっていた。
試合がはじまると、サモアのタフさにおどろかされる。
スクラムがつよい日本にたいし、サモアはぜんぜんまけてない。
日本がペナルティキックですこしずつ得点をかさねていくと(6-0)、
サモアもまたペナルティキックをきめて同点においつかれる(6-6)。
サモアがトライとコンバージョンゴールをきめたときは(26-19)、
いきおいがむこうにわたったようにみえた。

でも、日本は終始おちついてプレーした。
終了間際のトライをうんだスクラムは、
おたがいの意地をかけた勝負となり迫力があった。
日本はどうしてもボーナスポイントがほしいし、
サモアだって7点差以内においついて、
ボーナスポイントを手にいれたい。
ゴールラインちかくで なんどもスクラムがくまれ、
みているわたしもちからがはいる。
スクラムのがんばりが、松島のトライにむすびつき、
日本が劇的にボーナスポイントをえる。

実況のアナウンサーは、声をからして
ボーナスポイントの獲得をよろこんでいた。
ニワカのわたしには、いまひとつピンとこないけど、
W杯におけるボーナスポイントはおおきな意味をもつ。
前回のW杯は、日本がグループリーグで3勝したのに
決勝トーナメントへすすめなかったのは、
ボーナスポイントを意識した たたかいができなかったからだ。
サモア戦で4トライにこだわったのは、
4年間での日本の成熟をあらわしている。
日本がつぎに試合するスコットランドは、
ベスト8への条件として、大量得点でのかちがもとめられる(らしい)。

試合がおわり、両チームの選手たちがおたがいの健闘をたたえあう。
テレビの解説者が、「タフな試合でした」と、
ほっと安心のため息をはく。
ほんとうに、サモアはつよいチームだった。
さいごまで試合をあきらめず、
まっこうからのちから勝負をいどんでくる。
サモアの選手たちは、試合にまけたのに、
すがすがしい笑顔で 日本の選手とハグしあっていた。
形だけの「おめでとう」ではなく、
こころのそこから あいてをたたえているのがわかる。
自分たちも やりきったからこその笑顔なのだろう。
試合のあとにみられる「ノーサイドの精神」は、
サッカーにはないうつくしさがいいかんじだ。

posted by カルピス at 22:39 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月05日

林雄司さんの大発見「五七五は逆から読んでも五七五」

林雄司さんの記事、「リズムだけ俳句」をよむ。
http://yaginome.jp/?p=2383
トラックの車体にかかれたコピーが、
左から右にかかれていて、そのままよむと、
なんのことだかわからない。

「いま住(じゅ)の木 なかたゆ心 しよでん住(じゅ)」。
もちろん もとは「住んでよし 心ゆたかな 木の住まい」だ。

意味はわからないのに、ちゃんと五七五のリズムが
まもられていることに林さんは気づいた。
もともとが五七五なのだから、さかさによんでも五七五なのは
かんがえてみるとあたりまえだけど、
意味はないのに、リズムのよさがたもたれている。
「俳句は逆から読んでもいいのだ」が
林さんの第一発見。

さらに林さんは、いくつか俳句をいじってみて、
「完全に意味のない五七五のほうがグッとくる」という
さらなる発見へとつなげている。
五七五のリズムは最強だ。

意味はわからない、リズムだけでもおもしろい、といえば、
「アジアの純真」がそうだし
(北京 ベルリン ダブリン リベリア 束になって 輪になって・・・)、
桜高軽音部がうたう「Don't say "lazy"」も、
きいていて、なんのことだかわからない。
Please don't say"You are lazy"
だって本当はcrazy
白鳥たちはそう
見えないとこでバタ足するんです
本能に従順 忠実 翻弄も重々承知
前途洋々だし…
だからたまに休憩しちゃうんです

リズムだけでひっぱっている。
そんなことをいえば、ラップもリズム優位でつくられる。
いまや われわれのまわりには、意味のないフレーズがあふれている。
五七五による俳句のリズムになじんだ日本人は、
さらにその感覚を発展させ、
まったく意味をもたないことばのつらなりまで
たのしめるようになった。
意味がわからないほうがいい、なんて、
いったいだれが予想しただろうか。

posted by カルピス at 09:52 | Comment(0) | 林雄司 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月04日

5年間の米づくりが失敗におわる

田んぼで草かりをする。
これがさいごの草かり。
ことしさいご、なのではなく、
田んぼでの草かりが、これでさいごだ。
5年つづけて米をつくろうとしたけど、
収穫があったのは 1年目だけで、
それもたった18キロというわずかな量だった。
2年目からことしにかけて、
あとの4年は ほとんど稲がそだたなかった。

福岡正信さんがとなえる自然農法をまね、
種モミいりの土だんごをつくって田んぼにまいたけど、
まともに芽がでない。
鳥が種モミをたべてしまったのだろうか。
そうだとしても、すこしくらいは芽がでそうなものなのに、
ことしなんて、まったく稲をみかけなかった。
これ以上 米づくりにとりくむ気もちがわいてこない。
田んぼは5年契約でかりたので、
5年目がおわることし、つつしんで田んぼを
もちぬしへかえそうとおもう。
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稲がそだたなくても、田んぼまわりの草はからなければならない。
この4年間は、草かりだけに 田んぼへかよっていたようなものだ。
さいごの草かりをおえ、田んぼをみわたすと、
アゼはきれいなのに、田んぼと畑のなかは草だらけだ。
この景色は、一般的な田んぼの逆といえる。
このごろは、おおくの農家が、自分では米つくりをせずに、
うけおい会社に米づくりをたのむのだそうで、
そうした田んぼは、たしかにちゃんと稲がそだっているけど、
最小限しか手間をかけないので、アゼには草がおいしげっている。
米はできていても、まわりは草だらけ、
というのは、なんだかさみしい景色だ。
わたしの田んぼみたいに、田んぼは草ばかりで、
まわりはきれい、というのもへんなかんじだけど。

米ができていないのに、ことしはイノシシが田んぼにやってきて、
あちらこちらを ほりおこしている。
まるで機械をいれて土をたがやしたようにみえるほど、
イノシシが田んぼにはいると めちゃくちゃになる。
米ができないうえに、イノシシまでやってくる田んぼは、
これからどうなるのだろうか。
自然農法をめざしたわたしの米づくりは失敗におわったけど、
環境をたもつ意味では、5年間 田んぼをまもったので、
すこしだけでもお役にたてたとおもいたい。

posted by カルピス at 20:20 | Comment(0) | 農的生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月03日

チャリダー がとりあげていた 新城幸也選手のタイ合宿

すこしまえに放送されたチャリダー を録画でみる。
新城幸也選手のタイ合宿を猪野さんがおとずれ、
いちにちをとおして練習につきそったものだ。
合宿所はタイ北部のチェンライにあり、
練習では、ラオスとの国境の町、チェーセンへもでかけている。
いずれもわたしが旅行でとおった町で、
なつかしさとともに、タイの激坂をおもいだした。
チェンライから、タイ北部の中心都市、チェンマイまで、
なんどもバスでとおったことがあるけど、
トイレで用をたすのもむつかしいほど
急カーブがおおく、バスがはげしくゆれる。
もちろんたいらな道ではなく、けわしい山をとおる道なわけで、
タイ北部は、いたるところがそのような山のつらなりだ。
わたしもチェンマイへ自転車をもちこんだことがあったけど、
どこへむかっても山なので、わたしの実力では歯がたたず、
はやばやと自転車をたたんでバス旅行にきりかえた。

そんな場所で、新城選手は合宿をはっている。
激坂をふくむコースで、まいにち200キロ以上はしり、
午前・午後ともクライマックスでは
バイクのすぐあとについてはしる スピード練習にもとりくむ。
猪野さんは、とびこみで取材したのではなく、
新城選手から招待されての訪問だ。
3年前のチェンライ合宿で健闘がみとめられ、
こんかいの合宿にも声がかかった。
3年まえ、きびしい練習に必死でついていった猪野さんは、
きゅうけいにはいった店でスイカをたべたとき、
おもわずなみだをこぼしている。
新城選手がじきじきにスイカをきってくれたこと、
スイカのあまさがつかれたからだにしみわたったこと、
地獄の練習になんとかくいついて、休憩所までたどりついたこと。
いくつものおもいがかさなってのなみだだ。
こんかいの合宿でも、休憩所でスイカがでてきた。
3年まえをおもいだし、猪野さんはここでもなみだをこぼす。
新城選手は、猪野さんが3年まえにくらべ、
ずいぶんちからをつけたと評価していた。
猪野さんの、まいにちつみかさねた努力が、実をむすんだ瞬間だ。
坂バカをつづける猪野さんが、このところ妙にかっこいい。
坂をいやがるのではなく、ごちそうだと発想をきりかえて、
体力の限界にいどむ自転車旅行をやりたくなった。

番組の後半は、猪野さんが国内の坂バカたちと
彼らが自慢するご当地坂をたのしむ企画へとつづく。
こんかいは、徳島市にある眉山(びざん)へ
地元のチャリダー といっしょにのぼる。
3キロにみたない みじかいコースとはいえ、
スタート直後に15%勾配の坂がはじまり、
猪野さんもすごくくるしそうだ。
そんな激坂なのに、そのくるしさゆえに
眉山を愛するチャリダー もまた たくさんいる。
坂にくるしみながら、どうじにうれしそうという、
坂バカならではの表情をうかべていた。
わたしには理解できない坂バカの世界。
うれしそうに激坂をのぼる坂バカたちが、
すこしうらやましかった。
タグ:チャリダー

posted by カルピス at 22:06 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月02日

酒井順子さんによる「駄目な世代」の発見

『駄目な世代』(酒井順子・角川書店)

なにごとも分類するのがじょうずな酒井順子さんが、
こんどは「駄目な世代」を発見した。
酒井さんが「駄目な世代」と名づけたのは、
バブル景気のころに学生時代をすごした世代であり、
だいたい1965年前後にうまれたひとたちをさす。
バブルのころにさんざんあそび、就職も超うりて市場で、
苦労しなくても、だれでも一流企業にはいれた時代。
たのしいことがだいすきで、わかさだけがとりえなのに、
ちやほやされつづけた彼・彼女らが、
「駄目」になっていったのは、自然なながれといえるだろう。
自分たちの世代は、「駄目」なのではないかと
酒井さんは うすうす気づいていた。
わかいころ「駄目」なのは しかたないとしても、
年をかさねても「駄目」なままなのが あきらかになってくる。
「駄目な世代」にしろ、「負け犬」にしろ、
あたらしい概念ではないけれど、
ふるくからあることばに ちがう角度から光をあてて、
世代の特徴をざっくりと整理するのが、酒井さんは ほんとうにうまい。
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表紙につかわれているわかい男女の絵が、
この本がいわんとする「駄目世代」を的確にあらわしている。
みるからにフワフワで、
このひとたちに期待してもしょうがないと
いっぺんでわかるチャラいふたり。

じっさい、「駄目な世代」の社員は、
会社にとって、おおきな負債になっているそうで、
上からも下からも もてあまされている例がでてくる。
なぜそのような世代がそだってしまったかを、
ふかいあきらめと、じゃっかんのひらきなおりのすえ、
こまかい分析をつみかさねて 本書はできあがった。
酒井さんの本は、どれもおもしろいながら、
発見が成功しているのは、いくつかにしぼられてくる。
この本は、そうしたアタリの一冊としてつよくすすめられる。
 そんな我々が先導したのは、流行や消費だけではありません。我々世代が日本に与えた最も大きな影響、それは晩婚化・少子化を推し進めたということなのではないかと、私は思っています。(中略)
 1.57ショックの時、私は23歳、そして1.26(統計史上最低の出生率)のとき、39歳。日本国中が若い女性に対して「産め!」と期待していた時、私はまさに「産み頃」でした。しかし私はやっぱりその時代、10代の頃と同じように、アイだのコイだのハワイだのおしゃれだのにキャッキャしていただけだったのです。

 そんな我々を見て、平成人の女性達が、「ああはなるまい」と思ってくれているのであれば、それがせめてもの我々の存在価値かもしれません。

posted by カルピス at 22:02 | Comment(0) | 酒井順子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月01日

血圧に一喜一憂するのをやめる

ジムでトレーニングをするまえに血圧をはかると 126/83だった。
あまりにもうつくしい数字にうれしくなる。
印刷された記録を、日記帳にはっておいた。
健康診断をうけないくせに、数字をけっこう気にするわたしは、
いい数字のときは、こうして記録をとっておき、
わるいときには「なかったこと」にする。
だから、わたしの血圧はいい数字ばかりがのこっている。
はかるたびに120〜160のあいだでおおきく数字がうごくので、
どれを本当の血圧とみるかがわからない。
わたしとしては、ひくいほうが自分の血圧とおもいたいけど、
じっさいに160まであがることもあるわけで、
自分に都合のよい数字ばかりを採用するのはいかがなものか。
ネットをみると、10分ほど安静にしてから3ど血圧をはかり、
その平均を記録する、というのが正確な血圧らしい。
でも、10分安静なんて なかなかできなし、
3どもはかるなんてめんどくさい。
べつの記事には、血圧を気にしない、というのものっていた。
はかるから気になるのであり、はからなければ心配しようがない。
血圧に一喜一憂するのはいいかげんやめよう。

床屋さんで順番をまつあいだ、
本棚にあった週刊誌をひらくと(「週刊現代」だった)
健康情報というか、おどかす記事がたくさんのっている。
こうしたサインがあぶないとか、
たべたらいけない食品とか、
国民の何割が潜在的な患者とか、
ひとを不安にさせるような記事がおおい。
それだけ健康についての情報が関心をあつめているのだろう。
週刊誌がターゲットにする中高年の男性は、
ほとんどのひとが なんらかの不調をかかえているだろうから、
ひとの心配につけこむようで、なんだかいやなかんじだ。

そうおもってしまうのは、わたしもまた健康に自信がないからで、
いつ なにがおきても不思議でないとおもっている。
おおきくノビなんかすると、どこかの骨や筋が
ギクッと音をたててはずれる気がして、
うっかりからだものばせない。
頭をひくくして湯船をあらったりしたら、
頭に血がのぼって 血管がやぶれそうだ。
なにごとにつけ、ソロリソロリがうごきの基本となる。

ながいきしたいとは おもわないけれど、
自分のまわりのひとが、どんな老後をむかえるのかは興味がある。
わかいひとの老後をみとどけるのは、わたしの年齢では無理なので、
自分とおなじか、年上のひとがどう人生をしめくくるか。
自分の老いについては、なにがおきてもうけいれて、
たのしい人生だったと わらいとばすことにきめている。

posted by カルピス at 22:06 | Comment(0) | 健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする