ジムでトレーニングをするまえに血圧をはかると 126/83だった。
あまりにもうつくしい数字にうれしくなる。
印刷された記録を、日記帳にはっておいた。
健康診断をうけないくせに、数字をけっこう気にするわたしは、
いい数字のときは、こうして記録をとっておき、
わるいときには「なかったこと」にする。
だから、わたしの血圧はいい数字ばかりがのこっている。
はかるたびに120〜160のあいだでおおきく数字がうごくので、
どれを本当の血圧とみるかがわからない。
わたしとしては、ひくいほうが自分の血圧とおもいたいけど、
じっさいに160まであがることもあるわけで、
自分に都合のよい数字ばかりを採用するのはいかがなものか。
ネットをみると、10分ほど安静にしてから3ど血圧をはかり、
その平均を記録する、というのが正確な血圧らしい。
でも、10分安静なんて なかなかできなし、
3どもはかるなんてめんどくさい。
べつの記事には、血圧を気にしない、というのものっていた。
はかるから気になるのであり、はからなければ心配しようがない。
血圧に一喜一憂するのはいいかげんやめよう。
床屋さんで順番をまつあいだ、
本棚にあった週刊誌をひらくと(「週刊現代」だった)
健康情報というか、おどかす記事がたくさんのっている。
こうしたサインがあぶないとか、
たべたらいけない食品とか、
国民の何割が潜在的な患者とか、
ひとを不安にさせるような記事がおおい。
それだけ健康についての情報が関心をあつめているのだろう。
週刊誌がターゲットにする中高年の男性は、
ほとんどのひとが なんらかの不調をかかえているだろうから、
ひとの心配につけこむようで、なんだかいやなかんじだ。
そうおもってしまうのは、わたしもまた健康に自信がないからで、
いつ なにがおきても不思議でないとおもっている。
おおきくノビなんかすると、どこかの骨や筋が
ギクッと音をたててはずれる気がして、
うっかりからだものばせない。
頭をひくくして湯船をあらったりしたら、
頭に血がのぼって 血管がやぶれそうだ。
なにごとにつけ、ソロリソロリがうごきの基本となる。
ながいきしたいとは おもわないけれど、
自分のまわりのひとが、どんな老後をむかえるのかは興味がある。
わかいひとの老後をみとどけるのは、わたしの年齢では無理なので、
自分とおなじか、年上のひとがどう人生をしめくくるか。
自分の老いについては、なにがおきてもうけいれて、
たのしい人生だったと わらいとばすことにきめている。