(リチャード=カーティス:監督・2013年・イギリス)
主人公のティムは、21歳の誕生日に父親によばれ、
一族の男性にだけ、タイムスリップの能力が代々つたわっている、
とうちあけられる。
タイムスリップする映画はいくつもあるけど、
この作品くらいお手がるに過去へもどれる設定のものはない。
くらい場所で目をつむり、両手のひらをかるくにぎるだけで、
あたまにおもいうかべた過去へもどれる。ただし、未来へはいけない。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』では、デロリアンが、
時速140キロのスピードにたっしないと
タイムトラベルができなかったのにくらべ、
ものすごくかんたんだ。
かんたんなので、主人公のティムは、現実がうまくいかないと、
気がるに過去へもどって、つごうのいいように修正する。
女の子とであうためだったり、ひとだすけだったり、
はじめての一夜を成功させるためだったり。
過去へいくのはいいけど、もどるときは未来へいくわけで、
どの時点にかえるか ややこしくないのだろうか。
かんたんに過去へもどれるので、
タイムスリップ自体が作品のテーマとはならない。
コメディっぽいけど、家族について、
人生について、いちどみなおしてみたくなる作品だ。
気がるに過去を修正してきたティムの父親が、
人生は結局いっしょだ。年をとり、おなじことをくりかえす。だからわかいひとたちには、だれかと結婚してほしい。
と、彼はむすこの披露宴にあつまったお客にかたりかける。
結婚は、しあわせを意味しないかもしれないけど、
それでも結婚はわるくないとわたしもおもう。
家族をえて、子どもをそだてるのに損得は関係ない。
ただ家族を愛する。
非婚や晩婚があたりまえとなっている
いまの日本のわかものに、このセリフをつたえたくなる。
ティムの結婚式は、あいにく嵐もようのあれた天気だった。
雨がはげしくふり、風もつよい。
でも、正装したお客たちは、いくら雨にぬれても、
ただキャーキャーさわぐだけで、雨をちっとも災難だとは
とらえていないのがおもしろかった。
用意したケーキがぬれ、テントが雨でひきさかれても、
男も女もわらっておおさわぎするだけ。
雨で結婚式がめちゃくちゃになった、とはとらえずに、
なんだかすごくたのしそうだ。
披露宴でのスピーチで、ティムの父親がむすこをほめる。
わたしは、人生においてほこれるものはおおくないが、こころからほこれるのは、彼の父親であることだ。むすこはやさしい男だ。こころがあたたかい。
自分のむすこを、これだけ手ばなしでたたえるのはすばらしい。
わたしは、自分のむすこの結婚式をおもいえがいた。
わたしのむすこもまた、こころのあたたかい男だ。
むすこの父親であることぐらいしか、
わたしのほこれるものはないかもしれない。
タイムスリップものの映画をみて、
印象にのこったのが、嵐のなかの結婚式と、
披露宴でのスピーチだなんて、なんだかずれている。
でも、この作品における世界観をあらわしているのは、
雨ふりを災難だとおもわない楽観した生き方と、
こころのあたたかい人間であることの大切さだ。
過去をいくら修正しようと、人生はけっきょくいっしょなのだ。