「負け犬」関連の本をよんでいると、
結婚したいとおもいながらも、
てきとうな相手がいないから結婚できないらしい。
妥協できる であいをまっていたら、
いつのまにか負け犬になっていた、みたいな。
40歳をこえると、まわりがなにもいわなくなるそうで、
自分の容姿もおとろえていくし、そうなれば、
自分につりあう相手の容姿だってとうぜんおちる。
でもまあ、いいじゃないかとおもう。
40をこえても、であいの可能性がまったくなくなるわけではない。
わたしが理想とするであいは、
映画『ダウン・バイ・ロー』のラストに象徴される。
逃亡ちゅうの男たち3人が、いなか道で一軒家をみつける。
まず、ひとりがようすをうかがいにいくけど、
いつまでたっても もどってこない。
のこされた2人が家のなかをそっとのぞいてみると、
家の主人であるイタリヤ系の女性(ニコレッタ=ブラスキ)と、
はじめにおとずれた仲間(ロベルト=ベニーニ)が
いいかんじにできあがっていた。
ふたりも家のなかにはいり、女性がつくってくれた料理をたべる。
ロベルトは、この家にのこって彼女とくらす、とふたりにつげる。
このシーンにわたしはつよくひかれ、恋愛観に影響をうけたようだ。
まったく予期してなかったであいでも、
気があうものどうしは、あいてとの相性のよさがわかる。
恋愛だ、結婚だと、一般的なコースをたどらなくても、
いちどのであいだけで、すぐに いそうろうをきめてもいい。
ニコレッタも、すっかりロベルトが気にいって、
ふたりはいとおしそうに いつまでもだきあっている。
こまかい条件を計算ずくでくっつくのではなく、
ただいっしょにいたいという いちずさがよかった。
このふたりなら、いつまでもなかよくやっていくだろう。
しばらくくらしてみて、だめなら荷物をまとめ、
でていけばいいだけのはなしだ。
「負け犬」たちにも、いつか一発逆転がおきて、
『ダウン・バイ・ロー』みたいなであいが おとずれるかもしれない。
そんなときに、いっしょになる決断がすぐにできるよう
かるいフットワークをたもっておいたほうがいい。
わたしがトレーニングをかかさないのも、
いつの日か最高のであいが、なんて、
いまだにこころのどこかで期待しているのかもしれない。