すこしまえの記事に、ネコのココが、
プレゼントをもってかえってくるはなしをかいた。
きれいな木の葉だったので、秋のおとずれをしらせる、
粋なこころづかいにおもえた、という内容だ。
その後もココのプレゼントはつづき、
ボールペンやプラスチックの小物、
せんたくバサミ、なんだかわからない紙のかたまり、
はてはジョウロのさきっぽ(2つも!)やカッターナイフという、
どうやって口にくわえてはこべたんだろう、
と不思議におもえるものがとどいている。
チップスターの容器も もってかえってきた。
「ヒマワリノタネ」とかかれている。
ひまわりの種をとっておいた いれものなのだろう。
なかにはなにもはいってなかったけど、
ココがはこぶうちにこぼれたのかもしれない。
ひまわりの種がなくなってこまっているひとがいやしないか。
ジョウロのさきっぽだって、
なくなれば、ジョウロのやくをはたさない。
とられたひとは、さぞかしこまっているのではないか。
ココはまえからボールペンにつよい興味をしめしていた。
コロコロころがるし、かみごたえも適度にあり、
あそぶのにちょうどいいおもちゃなのだろう。
わたしの部屋のペンたては、ココにねらわれないよう、
本棚にかくしてあり、机のよこには うっかりボールペンをおけない。
だから、ベッドのしたにみなれないボールペンがおちていても、
わたしのものではないのだから、
きっと、配偶者の部屋からはこんできたのだろう、
ぐらいにおもっていた。
そのあと、ジョウロの口、カッターナイフ、とつづくうちに、
これはどうやら わがやの品物ではない、
というのが わたしにもようやくわかってきた。
ココはボールペンだけでなく、
プラスチックのこもの全般がすきなようだ。
ジョウロの口はそとにあるものだけど、
ボールペンやカッターナイフということになると、
ココがよその家にしのびこんだ可能性がたかい。
秋のおとずれをしらせるプレゼント、なんて、
のんきなことをいっている場合ではない。
犯行現場を目撃され、問題ネコとして、
町内じゅうからきらわれたらたいへんだ。
【ココの獲物】
夏にはいるまでは、ココは人間のスキをうかがって、
外にでるチャンスをねらっていたけど、
いちど網戸をやぶってからは、ちからずくで
外にでるやり方をおぼえてしまった。
いまでは、気軽に外へでて、すきなようにあそんでいる。
いまさら厳重に戸をしめて、外へでられないようにしても、
ココはおそらくいらついて、ちからで解決しようとする。
なんとなく、首輪をつけそびれてしまったので、
しらないひとがココをみたら、
ふとった野良ネコとしかおもわないだろう。
わたしにとったら 愛すべきかわいいココでも、
ジョウロの口をとられたひとからすれば、
にくたらしいめいわくネコでしかない。
ジョウロの口やカッターナイフなど、
獲物を家にもってかえれば、それでもう ココの気はすむようで、
あとはまったく関心をしめさない。
狩猟ができないわたしにたいするプレゼント、というよりも、
自分のすきなものをあつめたコレクションなのかもしれない。
ジョウロの口がなくなったおうちはありませんか?
なんて、それとなくきくわけにもいかないし、
こまったこまったといいながら、解決策をおもいつけずにいる。