2019年11月30日

『月の満ち欠け』(佐藤正午・岩波文庫的)

『月の満ち欠け』(佐藤正午・岩波文庫的)

ものすごくこみいったはなしなので、
かんたんに説明はできない。
ふつう、ひとは死をもって世のなかからきえるけど、
主人公の女性は、月がみちかけするように、
なんどでもうまれかわり ひとりの男をしたいつづける。
前世とか転生とはちがう(ような気がする)。
といわれても すんなりわかるわけがない。
じっさいに本をよんでみるしかない。

よんでいて、とちゅうまではなしがよくみえないので
いったいなにがつたえたいのかと、モヤモヤ感がずっとある。
それでもさきをよみたくなるのだから、いつもながらうまい。
これだけ複雑なはなしをかきあげるのはさすがだとおもう。
本の表紙や奥付にある「岩波文庫的」という表現が気になる。
すんなり「岩波文庫」とするには、
岩波文庫はあまりにも権威がありすぎるようだ。
佐藤正午さんが「岩波文庫的」について
インタビューにこたえたちいさな「おしらせ」が
文庫本にはさんである。
 もともとは、「的」ではなく、「岩波文庫に」というリクエストだったんだ。いま思えば、単行本が刊行されてまだ二年半の小説を岩波文庫に入れろというのは無茶だったと思うんだけど、その無茶がおもしろいかなと思って「なんでこんなのを岩波文庫に入れちゃうの?」という悪評をね、聞いてみたかった。でもそれを担当の坂本くんに言ったら「無理です」って言うから、それじゃあ岩波文庫がダメなら岩波文庫風の装丁でつくれないか、という案が話の流れで出たんじゃないかな。

ふつうなら「解説」がのる場所に、特別寄稿の
「解説はお断りします」を伊坂幸太郎さんがよせている。
佐藤正午さんは、ずっと前から今と同じく、「小説センスの塊」で「小説というマシンの持つ能力を、フルに使える作家」だったと思います。

「解説」ではないかもしれないけど、
佐藤正午さんファンをよろこばすひとことだ。
タグ:佐藤正午

posted by カルピス at 17:22 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月29日

NHKスペシャル「食の起源」日本人とご飯との関係

NHKスペシャル「食の起源」が5回シリーズで放映されている。
第1回目は「ご飯」について。
糖質制限ダイエットがもてはやされ、
このごろは評判のわるいごはんだけど、
番組によると、極端な糖質制限をながいあいだつづけると、
健康に害がでるという報告がいくつもあがっているという。
なんだか糖質制限に反対したい番組のようで、
ごはんがいかに日本人のからだにあっているかをしきりに強調する。

人類の祖先が700万年前になにをたべていたかをしらべると、
狩猟による肉だけでなく、
どんぐりや地下茎などの炭水化物もとりいれている。
研究では、全カロリーのうち、
5割が炭水化物によるものだという。
なまではたべにくい どんぐりや植物の地下茎も、
熱をくわえると、たべやすいし、おいしくなる。
火をつかっての料理で、脳は糖質からおおくのエネルギーをえる。
脳はおおきくなり、人類の進化が加速度ですすんだ。

日本人の祖先は、炭水化物をとりいれる方法として、米をえらんだ。
たくさんの米をたべることで、日本人の遺伝子が進化し、
糖を活用しやすいからだに適応させてきたという。
それでは、ごはんをあまりたべなくなっている現代の日本人は、
どれだけたくさんごはんをたべるようにしたらいいのだろう。
番組では、炭水化物をとらないと、
健康へのリスクがたかまるけど、
おおくとりすぎるのもまた、からだにわるいという。
現代の日本人に適切なお米の量は、
1食におちゃわん1杯なのだそうで、
外食すればすぐにごはんをたべすぎてしまう。
ごはんはすばらしい、というわりには、
なんだかとても常識的なはなしにおちついている。

きょうの朝日新聞に、家の味つけがこゆいと、
脳梗塞がおきやすい、という研究が紹介されていた。
「家族の健康を守るために、濃い味付けの家庭は、薄くしてほしい」
のだそうだ。
明治時代の研究ならわかるけど、いまさら
「塩分のとりすぎは脳梗塞に」、なんていわれても、
あたりまえすぎてちからがぬけそうだ。
「食の起源」も、そんなかんじ。
あまり目あたらしい情報はなく、
期待していただけに、肩すかしをくった。

「食の起源」は、これから塩・脂・酒・美食へと回をすすめていく。
1回目の「ご飯」は、進化や遺伝子のはなしがおおく、
研究の成果といわれると、はいそうですかというしかない。
わかったようで、ふかいところでは理解できず、
消化不良の気もちがのこされた。
研究の名において、いいくるめられたかんじ。
2回目以降が、わかりやすく刺激的な内容であるよう期待したい。

posted by カルピス at 20:13 | Comment(0) | 食事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月28日

大北秀栄人さんの「美味しんぼみたいなことを実際にやるとこうなる」がすばらしかった

デイリーポータルZに最近のった
「美味しんぼみたいなことを実際にやるとこうなる」(大北栄人)が、
いかにもデイリーポータルZらしく、わたしごのみのだった。
https://dailyportalz.jp/kiji/eat-the-real_thing
この記事は、デイリーポータルZ的であることにかけて、
ほかの記事よりも あたまひとつぬきでている。
「おれが本物のたけのこってやつを見せてやりますよ。明日7時、羽田空港に来てください」
と言われて京都までたけのこを食いに行かされる。『美味しんぼ』などのグルメ漫画でよくある展開である。
あれを実際にやってみるとどんな感じなんだろうか。気まずい空気になったりしないのだろうか。スケールダウンして体験してみた。

わたしは「美味しんぼ」をほとんどしらないけど、
「おれが本物のたけのこってやつを見せてやりますよ。
 明日7時、羽田空港に来てください」
は、いかにもグルメ漫画にでてきそうなセリフだ。
グルメ漫画で「お前達に本物を食べさせてやる」と連れていかれる人たちってどんな感じなんだろう。

それをすこしスケールダウンし、内容をあかさずに、
編集部のメンバーでためしたのがこの記事だ。

京都までたけのこをたべにいくのはたいへんなので、
山岡士郎にコスプレした大北さんは、
タイ料理のマッサマンカレーを題材にえらんだ。
テキトーにつくったマッサマンカレーもどきを
なにもしらされていない編集部スタッフにまずたべてもらう。
「まあふつうにおいしい」とスタッフがいったら、
「こんなものがマッサマンカレーだと言うんですか」と
それまで不機嫌そうに席についていた大北さんが、
おもおもしく口をひらく、はずだった。
でも、大北さんはふきだしてしまい、ちゃんとセリフをいえない。
こんなかっこよすぎるセリフは、
まじめな顔をしてなかなかいえないという
予定してなかった事態に直面する。
それでもなんとか「ほんもののマッサマンカレーをたべさせるので、
12時40分に渋谷駅西口に来てください」とつたえる。
それからの展開が、マンガとちがうところで、
本来のマンガであれば「なんだと!?」だとか「わかったわ!」だとか、とにかくテンションの高いリアクションだ。
ところが実際に返ってきた言葉は安藤の「今じゃなきゃだめですか?」である。

そりゃ、そうだろう。ひとにはもうその日の予定があるのだから、
いきなり時間まで指定されてもこまる。
「みんなで一緒に行くんですか?」「一緒かどうかは別にどっちでもいいですけど一緒がいいですか?」おやおや!? こういう会話は美味しんぼにはないぞ!
明らかにみんな乗り気でない。当然だ。マッサマンカレーを食べたいなんてそもそも思ってないからだ。本物に対する欲求もない。筆者だってそんなに興味はない。この場のテンションが上がるわけがない。
(中略)美味しんぼが描かなった場面が次々に生み出される

「一人920円です」本物を食べに行かされたあとには割り勘がある。これも美味しんぼにはなかった描写である
美味しんぼが最も描かなかった部分、それがお会計である。本物を食べさせてやると言われて連れていかれた先で割り勘をするのだろうか。それともおごってくれるのだろうか。移動費はどうなる?
私達はすべて割り勘である。割り勘してこの『美味しんぼ』は完結するのである。

「美味しんぼみたいなことを実際にやるとそうとう気まずい」
という事実を、
こんかいのこころみにより、大北さんはさぐりだした。
目的地までの移動、せっかくお店へいっても、
自分がたべたいものをたべられない不自由、
お勘定のしかた。
じっさいにためしてみると、
「美味しんぼ」にえがかれなかった部分がいくつもあきらかになる。
そのどれもが、それぞれに雰囲気をおもくする。

編集部のスタッフに、記事の全体をあかさず、
まがいもののマッサマンカレーをたべてもらうことからはじめる。
つぎに、ほんものをたべるため、さむいなか お店へ移動して、
たいしてたべたいとおもってないマッサマンカレーを注文し、
わりかんで料金をはらう。
気がすすまないひとにとって、じつにありがたくないながれだ。
気まずい沈黙をこらえながら、大北さんにつきあって、
マッサマンカレーをたべにいったスタッフはおとなだし、
ひんしゅくをかいながらも、
事実をたしかめようとする 大北さんの姿勢がすばらしい。

こうして、じっさいにためしてみると
マンガではすどおりされていた問題点が、
いくつもうかびあがってきた。
この記事にかぎらず、デイリーポータルZは、
ばかばかしいとおもえる実験を、ストレートにつみかさねてきた。
デイリーポータルZらしい含蓄・ばかばかしさ・わらいが、
いいかんじでまざりあったのがこの記事であり、
大北さんのすぐれた表現力をたかく評価したい。

posted by カルピス at 22:18 | Comment(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月27日

まちがってはならない場面こそ盛大なまちがいを

このまえNHK-FMの「キラクラ」をきいていたら、
視聴者からのリクエストをよみあげていた。
そのひとのお父さんが、いまガンの緩和治療をうけており、
これまで父に親孝行らしいことができなかったので、
ぜひ父がすきなベートーベンの交響曲第7番を、という内容だ。
ベートーベンの曲のなかで、わたしは第7番に
いちばんしたしみをおぼえる。
たのしみにまっていると、なんだかしらない曲がかかった。
これはもしかしたら番組側のまちがいで、
ちがう曲をかけてしまったのではないか。
病気にふせる父のためという、
まちがえられない特別な場面でまちがってしまうと、
けっこうとりかえしがつかないかんじだ。
すぐに音楽をとめ、「失礼しました」と
ただしい第7番がはじまるかとおもったら、
ふかわりょうさんはそのまま曲をながしつづける。
どうやらこれが第7番であっているようだ。

このときわたしがおもったのは、
こんなふうに、ラジオではけっこうまちがった曲が
ながされているかもしれない、ということと、
いかにシリアスな依頼にこたえる場面でも、
まちがってはならない、と、
まわりがかたくなるのはやだなー、
ということだった。

ベートーベンの第7番くらい有名な曲なら、
かけるのをまちがえとき、すぐに気づくだろうけど、
超マイナーな曲だったら、まちがったまま
だれも気づかないうち、おしまいまでいき、
それでもなおまちがいとおもわずに番組がおわる、
なんてこともありそうだ。
音楽遊覧飛行のサラーム海上さんは、
世界各地のマイナーな曲をいつもかけるけど、
その曲があってるかどうか、ほとんどのひとにはわからない。
世のなか全体でいえば、名がしられてない曲のほうがじつはおおい、
ということに、いまごろになって気づいた。

この日「キラクラ」でかかったのは、第3楽章だった。
わたしになじみがなく、第7番とわからなかっただけで、
ちゃんとただしい曲がかかっていたのだ。
まちがっていたのは、わたしのほうだった。
でも、いくらシリアスな依頼といえども、
まちがえてしまうことはあるだろう。
まちがえたっていいじゃないか、とおもった。
深刻な雰囲気にのまれて わたしまでかたくなり、
ただしい曲をぜったいにはずせない場面だ、
なんておもうほうがまちがっている。
こんなときこそ盛大にずっこけて、ベッドできくお父さんに
わらいをとどけられたら、それもまたすばらしいではないか。

空気をよみ、あえてはずす、というのを
だれかがかたっていたけど、
「まちがってはよくない」雰囲気にのまれるより、
堂々とまちがえ、なーんちゃって、とわらえたほうがいい。
ベートーベンの第7番をきいていると、
いろんなよけいなことをかんがえてしまう。

posted by カルピス at 21:19 | Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月26日

「みんなで筋肉体操」を半年つづけられた

「みんなで筋肉体操」について、
これまでなんどか記事をかいている。
うでたてふせとスクワットを
ことしにはいって、ほぼ毎日つづけるようになり、
5月の下旬からは、完全に毎日となった。
たった5分ずつの体操とはいえ、半年のあいだ、
いちにちもやすまずとりくめたのを、
ちょっと自慢してみたいので、またまた記事にしておく。

みんなで筋肉体操は、うでたてふせ・腹筋・スクワット・広背筋と、
おおきな筋肉に焦点をあて、4つのプログラムにわかれている。
その4カ所をおさえたら、おおむね全身がきたえられる。
ただ、腹筋と広背筋は、わたしにとって
あまりおもしろいメニューではないので、
まいにちとりくんでいるというのは、
うでたてふせとスクワットにかぎられている。
まったくおなじトレーニングを
まいにちやるのはおもしろくないけど、
それぞれ3パターンあるので、気分をかえてとりくめる。

いちにちのうち、いつでもやればいいとはいえ、
まいにととなると、それなりにたいへんだ。
たとえば、ねるまえにとりくむのなら、
それまでにお酒をのみすぎてはできないし、
体調をくずしたり、熱なんかでたら、
それでもう連続日数がとぎれてしまう。
つかれていても、ねむくても、
とにかくテレビのまえにたつ(録画をみながら、なので)。
べつにいちにちぐらい やらない日があっても
運動の効果としては問題ないのだけど、
連続にこだわっているあいだは、
できるだけ連続のままつづけたい。
ここらへん、ブログの毎日更新とよくにている。

まいにちやってると、さすがにからだがきたえられるようで、
1分間ひたすらうでたてふせをつづけるメニューでは、
半年まえは47回しかできなかったのが、
さいきんでは59回へと回数がふえている。
5分間の番組といっても、じっさいに運動するのは2分しかない。
たった2分でも、プログラムがおわると
かたで息をするぐらい はげしくつかれる。

その日いちにちを、ねるまえにふりかえったとき、
きょうもまた あまりパッとしない日だったと、
ネガティブにまとめてしまいがちだけど、
運動しなかった日でも、筋肉体操にとりくんだ事実があると、
勤勉にすごしたいちにちとして記憶にのこる。
筋肉体操は、存在感のある、たいせつな句読点だ。
そして、筋肉体操により、いちにちのうち、
わずかな時間でも 心拍数をあげるのは、
こころとからだの安定において、
あんがいたいせつなツボなのではないか。
なにしろ、5分のプログラムを2つこなすだけだ。
たったそれだけで、体調を維持できるのだから、
すばらしい生活習慣を身につけたのかもしれない。

腹筋と広背筋の筋肉体操をとりいれたり、
ジムへかよったりすれば、
もっと筋肉への刺激になるのだろうけど、
うでたてふせとスクワットの筋肉体操だけでもつづければ、
最低限の成果は期待できそうだ。
連続記録はとだえてもいいけど、
筋肉体操のとりくみじたいはやめないで、
たしかな実績として ながくつづけていきたい。

posted by カルピス at 21:54 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月25日

「喜びを共有してもらっている」ことの大切さ

きのうのほぼ日に、赤ちゃんのぐずり期は、
あるきまった時期におとずれる、というはなしがのっていた
(糸井重里さんの「今日のダーリン」)。
「メンタルリープ」というらしい。
糸井さんは、「メンタルリープ研究所」のツイートを紹介し、
「喜びを共有してもらっている」ことの大切さにふれている。

まだ言葉や態度で思いを表現できない赤ちゃんでも、
おもしろいものを見つけたときには
「独特の声」を出します。
それに気づいたら、キスしたり、抱きしめたり、
ほめてあげましょう。
すると、ママパパが自分のことを理解してくれていて、
自分と喜びを共有しているのだということが、 伝わります。
(メンタルリープ研究所)

糸井さんはふかく共感し、以下のようにつづけている。
「自分のことを理解してくれる」人がいるということ、
 そして「喜びを共有してもらっている」ということ、
 人間は、一生、それが欲しくて生きて活動してると思う 。

そのよろこびは、赤ちゃんだけでなく、
おとなだっておなじだという。
そして、ネコだって、そうだ。

ネコのココといっしょにあそんでいると、
「喜びを共有」した手ごたえをかんじるときがある。
ココは全力でわたしの手にたたかいをいどむ。
すぐに興奮し、フーッとあらい息をはく。
といっても、本気でかんだりひっかいたりしたら、
わたしの手などは すぐにひどいことになる。
興奮したように 自分でもあそびをもりあげながら、
ちゃんと手かげんして あまがみにとどめている。
そんなふうに、安心しきっててあそんでいるのは、
まさに「喜びを共有」しているわけで、
ココとわたしは気もちがかよいあっている。
ココは、わたしが「自分と喜びを共有している」ことをよろこび、
わたしにからだをくっつけてあそぶ。
このまえココが右目をいためたとき、獣医さんへ2どかよった。
目薬をさしたり、薬をのませるのは、
ココにとっておおきなストレスなのに、
わたしをさけるようになるわけではなく、
ますますきずながふかまったようにおもう。

「自分のことを理解してくれる」人がいるということ。
「喜びを共有してもらっている」ということ。
生きるよろこびのまんなかにあるものは、ものすごくシンプルだ。

posted by カルピス at 21:35 | Comment(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月24日

J1リーグの優勝あらそいと残留あらそいがおおづめ

J1リーグは第32節をおえ、優勝あらそいと
残留あらそいが、おおづめをむかえている。
あと2試合をのこすのみで、どんな試合結果となるか、
目がはなせない。
今シーズンはじめて横浜・F・マリノスが1位につけ、
2位はかち点1の差でFC東京、3位は鹿島アントラーズとなり、
優勝あらそいは、この3チームにしぼられた。
わたしがひいきにしている川崎フロンターレは、
4位につけているものの、きのうの結果により、
3年連続優勝はなくなった。

今シーズンの川崎は、まけ試合は5と すくなかったものの、
ひきわけが12と、あまりにもかちきれない試合がおおかった。
開幕から3試合つづけてひきわけており、
今シーズンの川崎を予告するようなスタートだった。
4月14日から5月12日にかけて5連勝し、
このまま波にのれるかと期待したら、
そのあとはひきわけたり まけたりと、
ピリッとしないままシーズンの終盤をむかえた。
タラレバだけど、ひきわけ試合のうち、半分をかっていたら、
いまごろは首位にたっているのに。

横浜は、きょねんからの超攻撃サッカーが身をむすんでおり、
最近の5試合がまけなしと、いまいちばんいきおいがあるチームだ。
中川選手が調子をあげており、32節でも
ひとりできりこみシュートをきめている。
FC東京は、32節で湘南に0-1とまけていたところを、
後半のアディショナルタイムで同点においついた。
かちはしなかったけど、いきおいという意味では
いいかんじで次節をむかえられそうだ。
鹿島もおなじくひきわけているものの、
こちらはドローでのひきわけで、
チームのいきおいとしては いまひとつか。

残留あらそいでは、ジュビロ磐田が18位でくるしいところ。
のこりの試合を2連勝しても、16位どまりで、
J2とのプレーオフにかたなければならない。
残留をまだきめきれてないチームに、
名古屋・浦和・清水・鳥栖がいる。
名古屋は開幕で3連勝し、ことしは
風間監督の3年目として期待されていたのに、
とちゅうで調子をおとした。
浦和も、ACL(アジアチャンピオンズリーグ)では
決勝までのこりながら、Jリーグではパッとしなかった。
だいじな試合にかてないのは、浦和のわるいくせで、
自作自演というか、ひとりでくるしんでいる印象がある。
あと、のこり2試合。
いつもながら、おおきなドラマがおこりそうだ。

posted by カルピス at 22:05 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月23日

伊藤理佐さんの「大人は大人だ、とわたしも思ってたもん」に共感する

朝日新聞の金曜日に連載されている「オトナになった女子たちへ」。
今週は伊藤理佐さんの回で、
子どものころ、大人は大人だとおもっていたのに、
というはなし。
伊藤さんが保護者の当番活動として、音楽室でおこなわれている
子どもたちの練習につきそっている。
難しい顔している。みかけは50歳、57キロ(秋、肥えた・・・)な、大人だ。しかし、中身は、
(ど、どーしよ、な、なんて言おう)
でいっぱいだった。

演奏の練習がおわり、子どもたちがふりむいて
保護者へおれいの挨拶をするときに、
なにを、どういえばいいのか、に伊藤さんはなやんでいる。
ありがとうございました、とかえすのはおかしいし、
おつかれさまでした、もへんだ。
これから授業へいくのだから「いってらっしゃい」かな、
と伊藤さんはことばをさがす。

この、「大人は大人だとおもっていたのに」は、
わたしにもこころあたりがある、というか
ずっとつきまとっている心境でもある。
子どものころ、30歳をこえた大人は、
みんなそれなりの中身がつまった大人にみえた。
いざ自分がその年代になってみると、
なかみがまったくともなっておらず、
あまりにかわらないのがなさけない。
みかけも年齢も それなりのおとなのはずなのに、
なかみは子どものころとたいしてちがいがない。
成熟してないし、年そうおうのふるまいができない。

そんなことをひとにいっても、みんなそうですよ、
となぐさめられるけど、ほんとうだとはおもえなかった。
でも、伊藤さんの「大人は大人だとおもっていたのに」をよみ、
どうやらほんとに みんな そんなものらしい、と安心する。
ひとのなりふりをみて安心する、
というのが、そもそもなさけないけど。

伊藤さんは、けっきょくどんな挨拶をかえしたか。
「・・・・ざ ぃし た!」

だったのだという。
 何も言ってない。でも何か言っている。そこんとこ、ちゃんと大人、だった。

これもまた、「大人」でないことを自覚しているおとなは、
おもわずひざをうつひとことだ。
なにかいわなければならない、でも
つたえたい内容が、具体的にはない。
社会でやりとりされている手紙だって、
おおくはひとことで内容をあらわせるけど、
それでは紙面があきすぎるので、
あたりさわりのないことばをならべているだけだ。
子どもたちへの挨拶は、
「・・・・ざ ぃし た!」でじゅうぶん用をはたしている。
わたしも「・・・・ざ ぃし た!」
がいえるようなおとなに はやくなりたい。

ちなみに、きょう11月23日は、
勤労感謝の日でおやすみなのだという。
もともと土曜日がやすみのひとがおおいきょう、
あえて祝日、しかも勤労に感謝する日として
わざわざ土曜日に設定する意味がどこにあるのか。
いやがらせか、ブラックジョークにしかおもえない。
勤労感謝の日は、ぜったいに土曜日以外でなければならない。
タグ:伊藤理佐

posted by カルピス at 20:29 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月22日

「婚活」と、結婚活動のちがいがわからない

5年間、田んぼをかりてお米をつくろうとしたけど、
はじめの年に18キロとれた以外は、ずっと失敗ばかりだった。
種をまいても芽がでない。芽がでないので、収穫はゼロだ。
5年契約で田んぼをかりていたので、
田んぼのもちぬしに、ことしでひとくぎりつけ、
田んぼをかえすとつたえる。
田んぼをかりると、田のなかの草とりより、
まわりの草かりがたいへんだった。
1ヶ月に1〜2回は草刈機でからないと
草がのびほうだいで、ひどいことになる。
もう草かりをしなくていいとおもうと、
気がらくになったけど、すこしさみしくもある。
どう理由をつけたところで、
失敗をつづけ、撤退するのはかっこわるい。
でもまあ、田んぼの草かりにあてた時間を、
畑の管理にまわせるので、よい撤退としたい。
やることを整理し、生活をシンプルにするのは、
いわゆる就活のひとつとしてとらえている。
これからさき、なにをやるかの優先順位をはっきりさせて、
のこされた時間をわりふりたい。

就活といえば、本のしおりに「婚活」がのっていた。
「広辞苑に遊ぶ」という名がついたしおりだ。
婚活を説明したあと、
なお「婚活」は「結婚活動」を略してできた語ではないので念のため。

とかいてある。
えっ?「結婚活動」のことじゃなかったの?
ネットをみると、わたしとおなじ疑問をかんじたひとが
Yahoo!知恵袋に質問していた。
婚活は略語ではなく造語です。
広辞苑には就活になぞられた造語で、結婚相手を探すための活動と記載されています。

と、だれかが回答している。
質問者は、
そういうことなのですね!ありがとうございました!すっきりしました!

と納得されているけど、わたしはまだ理解できない。
結婚活動をちぢめたのが婚活ではなく、
就活になぞらえた造語、といったところで、
おなじことにしかおもえない。
もやもやをぬぐいされない。

花見について、政府側がする説明も、もやもやか感がひどい。
どれだけ説明されても、公私混同の
めちゃくちゃなはなしにしかおもえない。
事実、めちゃくちゃなはなしなのだろう。
資料をシュレッダーにかけるとか、領収書がないとか、
なんでそんな無茶がまかりとおるのか しんじられない。
国のトップが、もみけしやら、ひらきなおるのをみると、
なにかほかの不祥事がおき、きびしく罪を追求されても、
だれも本気で反省する気になど なれないだろう。
国のトップがああなのに、
なんで自分だけがあやまらなければならないのか。
自分のことを棚あげするひとたちが、
ひとの罪を追求するなんてできない。
国のトップが道にはずれたことをして、
ちからづくで もみけそうとすれば、
ものすごくわるいお手本となり、
ひろくふかく社会に影響をおよぼす。

posted by カルピス at 20:59 | Comment(0) | 農的生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月21日

ボジョレー ヌーボーの配達に、地味仮装でのぞむ

きょうは11月の第3木曜日。ボジョレー ヌーボーか解禁される日だ。
わたしがつとめる介護事業所は、この日にあわせて
お世話になった方々へ、ボジョレー ヌーボーをプレゼントする行事が、
10年以上まえからつづいている。
問題は、ボジョレーをとどけるにあたり、職員が仮装することで、
2名でペアをくんだ職員が、自分たちでアイデアをだした仮装でまわる。
はじめのころは、100均でかった
サンタの格好をするぐらいでよかったのに、
ハロウィンの影響もあってか、だんだんはでな仮装になってきた。
デイリーポータルZの「地味仮装」がすきなわたしは、
どこにでもいそうな、
町でよくみかけるひとへの仮装をこころがけている。

ことし、わたしたちのペアは、スターバックスの店員に仮装した。
ほんものそっくりなエプロンを、手芸雑貨の店でぬってもらい、
しろいシャツをきると、すごくもっともらしい姿になる。
ただ仮装するだけではおもしろくないので、
なにか必然性のあるストーリーがほしいところだ。
こんかいかんがえた筋書きは、
「これまでまいとしボジョレーをおとどけしてきましたが、
 事業所が貧乏になり、ことしはボジョレーを
 プレゼントできなくなりました。
 かわりにスターバックスの出張販売にたのみ、
 番茶と白湯をぞんぶんにめしあがっていただきます」
みたいな内容だ。
そして、紙コップに番茶と白湯をつぎ、のんでもらう。
そのあと用意したボジョレーのセット
(鶏肉のグリルと、事業所の製品)を
なーんちゃって、とわたすわけだけど、
もうひとひねりして、イソップ童話の金の斧、銀の斧をとりいれる。
「きのうあなたがわすれた袋は、古新聞がつまった紙の袋ですか、
 それともいかにもおめでたそうな、こちらのおおきな袋ですか?」
とお客さんにたずねる。
袋なんかわすれてない、というひとには、
どちらかというと、どちらをわすれられましたか?
としつこくきく。
地味な袋をえらんだひとには、正直ものとして、
はでな袋をえらんだひとには、あまり正直ではないひととして、
けっきょくどちらにも、用意してきたボジョレーセットをわたす、
というながれだ。
どれだけのお客さんが、わたしたちのストーリーに
ついてきてくれるか心配したけど、
あんがいみなさんすんなりと うけいれてくれた。

ふりわけられた12軒への配達をおえ、事業所にもどると、
さきにかえっていたペアが、仮装したまま まっていた。
ことしは、「もののけ姫」・「魔女の宅急便」・「トトロ」
「トムとジェリー」・「スパイダーマン」と、
アニメがらみの仮装がおおかった。
ラグビーW杯の「オールブラックス」を仮装したペアが
最優秀賞にえらばれている。
地味仮装は、わたしたちのペアだけだった。
-y3teAqjI51ceCVdmWz-XFJpk--PfeSXY7KaOZ230h_r1Q73BotvY1NtwO7NUirr6bTPn8ELk50dekk81h3zlrPo9quUejE5il1VNZBfU9lwA-koBQL3rLjJaRMUva8478nCZjSV-TqoG-7HuTG5OcMVeAus6hV874S_pcKJXeV5KdWySUKuln9k3_1RadSOY2-QKbNIKcJfFdtOOxGBJSDE.jpg
まいとし、よくこんなおさわがせ企画をつづけてきたものだ。
理事長は、ことしもぶじにボジョレーをおとどけできるのが、
ほんとうにうれしくて、この企画をつづけている。
事業所が、ことしいちねん、健全な経営をたもち、
質のたかいサービスで、利用する方々によろこんでもらえている。
その感謝の気もちを、理事長はボジョレーの配達にこめている。
まいとし仮装のアイデアをねるのはたいへんだけど、
ことしもかわりなくボジョレーをとどけられるのは、
職員としても、名誉であり、ありがたいことと、
よろこばなくてはならないだろう。
つつがなく、ことしもなんとかボジョレーの配達をおえた。
ほっとしながらも、はやくも来年の仮装がプレッシャーだ。
タグ:地味仮装

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2019年11月20日

高野秀行さんに背中をおされ、SF古典がよみたくなった

『本の雑誌』11月号から、高野秀行さんの連載がはじまっている。
タイトルは、「SF音痴が行くSF古典宇宙の旅」。
SFはにがて、とおもいこみ、
これまでさけてきた高野さんが
『三体』をきっかけとして、SFへの意識がかわった。
 どうやら私は今までSFに対して何かネガティブな固定観念に縛られていたらしい。「難解」「過度に科学哲学的」「ひとりよがり」「メカ好きのオタクやマニアの読み物」というような。

高野さんは、SFがすごくおもしろい世界だと気づき、
「今こそ最後の秘境、SF古典宇宙の旅へ漕ぎだそう!」
とSFの古典をよみすすめていく。
1回目の11月号では『星を継ぐもの』(ホーガン)、
2回目の12月号では『夏への扉』(ハインライン)と
『幼年期の終わり』(クラーク)がとりあげられている。

わたしもSFがにがてで、古典といわれる上記の作品を
ひとつもよんでいない。
なんとなくSFを敬遠してきた高野さんの気もちがよくわかる。
よめばそれなりにたのしめる本がおおいけど、
よみだすまでのしきいが やたらとたかい。
理科や物理がさっぱり理解できなかったトラウマかもしれない。
例外は、フレドリック=ブラウンのSFで、
ブラウンは、ミステリーとSFの両方をかく作家だったため、
ブラウンのかいた本をすべておさえたかったわたしは、
ミステリーだけでなく、SFの本にも手をだした。
SFにもいろんなジャンルがありそうで、
ハードなSFだとわたしにはついていけなくても、
ブラウンのSFは わかりやすく、わたしでもたのしめた。

こんかいの企画で、高野さんがタイトルをあげて紹介するSFは、
どれもきいたことがあり、評判をしりながらよんでこなかった。
いつかはよもうと、古本屋さんでみかけたときにかい、
本棚にならべている本もある。
よみたい気もちがありつつ、なんとなく敬遠してしまう
わたしのようなSF初心者には、
高野さんの連載のように、背中をおしてくれるひとことが必要だ。
(『夏への扉』を)読んでみた感想は、「これ、ビートルズじゃん!」。ビートルズはロックだが、いまやロックが全然好きでない人もふつうに聴いて楽しんでいる。世の中にはこういうジャンルを超越したアーティストや作品が存在する。『夏への扉』がまさに典型で、SFに全く興味がなくてもこれは面白いはずだ。恋愛、冒険、時間旅行、痛快な逆転劇、そして猫。そう、本書は猫好きにもたぶんこたえられないだろう。

すごくおもしろそう。わたしの背中をしっかりおしてくれた。
こんな作品をほっておく手はない(ほっておいたのだけど)。

老後には、すきな本の再読をたのしみにしている。
しかし、あたらしい本がどんどんでるし、
よんでないおもしろそうな本もたくさんある。
わたしの本棚だけでも、手にとられるのをまつ
まだよんでいない本がごっそりならんでいる。
いま把握している本だけでも、
わたしは老後を退屈せずにすごせそうだし、
そのうえに、こうしてSFのふかい森へ、
あたらしくふみだすたのしみができた。
「老後」は、定年退職によってスタートとする
まったくあたらしいくらしではなく、50をこえたあたりから、
すこしずつ老後にからだをならしたほうがいいとかんがえている。
SF古典にも、いまのうちから手をつけておこう。
まずは『星を継ぐもの』と『夏への扉』にとりついてみたい。

posted by カルピス at 21:53 | Comment(0) | 高野秀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月19日

国際親善試合、日本対ベネズエラ 1−4の大敗も、いい教訓となる

国際親善試合、日本対ベネズエラ
1−4でベネズエラ

ベネズエラについて、国内経済がめちゃくちゃな状態におちいり、
貧富の差がいちじるしく、スラム街がふくらみつづけ、
じゅうぶんな食料や薬がでまわらなくなっている国として、
このごろしばしば新聞で目にする。
そうした状況の国が、どのように代表チームを組織したり、
サッカーリーグを運営できるのかがすごく不思議だ。
ベネズエラは、試合の10日まえに日本にはいり、
この試合にむけ、からだをならしてきたという。
だれがそういう冷静な準備をすすめるのだろう。

親善試合だし、あまり期待しないでみていたら、
そのベネズエラが、前半8分というはやい時間に先取点をきめる。
まあ、ゆるく試合にはいると、気もちがおちつかないまま
あっけなく点をいれられるのは、サッカーでよくありがちな展開だ。
そのあとリズムをとりもどせば、
すぐにおいつき、逆転もしてくれるだろう。
楽観してみていたら、前半の中盤では
たしかに日本がリズムよくボールをまわし、
なんどもゴールにせまる場面がうまれた。
点がはいるのは、時間の問題だとおもっていたら、
逆にベネズエラが2点目、さらに3点目をきめる。
きめたのはぜんぶロンドン選手。ハットトリックだ。
前半終了間際には、おまけの4点目までさしだしてしまう。
日本は中島と浅野まで自陣にもどってまもりにくわわる。
中島までもどるのは、日本のくるしさをあらわしているだろう。
ベネズエラの選手は、技術と連携にすぐれ、
日本のパスをかんたんにうばい、攻撃へとつなげていく。
前半で0−4。ここまでくると、
後半を、どうたてなおすのかがたのしみになってきた。
このさき、さらに点差をつけられるわけにはいかない。
日本は必死に点をとるしかない。
それができるチームかどうか。

きょうのディフェンスには、センターバックが植田と畠中 
サイドバックに室屋と佐々木がはいる。
前線は、鈴木武蔵に浅野、そのしたに中島と原口がいるし、
ボランチは橋本と柴崎なので、攻撃陣はなんとかなるだろう。
心配なのはディフェンスの連携がとれるかどうか。
その心配が現実となる。

日本は後半から2トップをやめ、浅野のワントップと、
そのしたに、原口・中島・古橋がならぶ。いつもの4-2-3-1だ。
後半がはじまると、日本はすぐにあいてのゴールまえにせまる。
点にはむすびつかなかったものの、
そのあともなんどもゴールをおびやかした。
20分には永井(浅野)と山口(橋本)がはいる。
いきおいがまし、ちがうチームになった日本。

後半24分、山口のミドルシュートが
相手ディフェンスの足にあたりゴールへ。
ようやく1点をかえす。
そのあとも日本がせめつづける。ボールをうばわれても、
たかい位置からプレッシャーをかけてうばいかえす。
ベネズエラはリズムをうしない、
日本がおしこんだまま試合をすすめる。
永井と原口のプレッシャーがすごい。
ほかの選手も、かれらにのせられるように、
連携したプレッシャーがとれるようになる。
古橋は、いいところに顔をだし、攻撃のリズムをつくった。
ヴィッセル神戸で大物すけっと
(ビジャ・イニエスタ・ポドルスキ)とプレーし、
たかい技術でうりだしちゅうの、古橋の名をつよく印象づける。

前半に4点をうしなえば、さすがに試合はきまっている。
それでも日本は後半なんとかもりかえし、攻撃の形をつくった。
つよいチームをあいてに、ゆるく試合にはいるとどうなるか、
いまさらながらの よい教訓となったのではないか。
そんな状況をどうたてなおすかは、なかなかできない体験だ。
W杯アジア2次予選を全勝でおえ、楽観ムードがたかまっていたけど、
わるいときの日本は、まだまだこの程度の実力なのだとおもいしる。

posted by カルピス at 21:36 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月18日

沖縄旅行をおもいつく

この2年ほど、年末年始にタイへでかけており、
そのまえの年は、2月から3月にかけて
フィリピンのセブ島へいった。
年末年始は、たとえタイでもうごきにくいので、
つぎの旅行はすこし時期をずらし、
成人の日をからめた9日間をばくぜんとかんがえていた。
だけど、なんとなく気もちがうごかない。
タイへいきたくない、というわけではないけど、
みじかい旅行をくりかえすのに、
新鮮な気もちをたもてなくなった。
どうせタイをまわるなら、もうすこし日数をかけ、
やりたいこと、いきたいところをおさえたい。

タイへの旅行をきめかねていたとき、
なんとなく沖縄ゆきをおもいついた。
タイへくりかえしでかけながら、日本人として、
まだ沖縄にいったことがないのはいかがなものか。
『宝島』(真藤順丈)・『居るのはつらいよ』(東畑開人)と、
沖縄が舞台の本をことしになってよんだせいもあるし、
記録映画『標的の村』にでてきたヤンバルの森もみてみたい。

とはいえ、沖縄となると、
ひとりでいくよりも、ふたりのほうがずっとまわりやすい。
3泊4日のツアーに、1人ではもうしこみにくいし、
個人旅行をするにしても、レンタカーが便利だときいている。
ひとりでレンタカーをかりるよりも、
ここはだれかツレがほしいところだ。
てっとりばやいツレとして、配偶者にたずねると、
意外にも「いける」、という。
沖縄ゆきが、これで決定的となった。

HISのサイトをひらいて沖縄ゆきをもうしこもうとすると、
ホテルをきめるのには、おおまかなコースを設定したほうがいい。
本屋さんでガイドブックをかってきて、ざっと情報をしいれる。
おもっていたより沖縄はちいさくて、
半日あれば、那覇からはじっこまでいけそうだ。
ウィキペディアをみると、
島根の1/3の面積(6708km2/2280km2)に
2倍のひとがすんでいる(67万人/145万人)。

ツアーをもうしこもうとすると、
全体の計画やら、出発の時間など、
こまかなことをいろいろきめなくてはならない。
旅行とは、めんどくさいものだという
宮田珠己さんのことばをおもいだす。
旅立つときはいつもそうだが、もう全面的に面倒くさい。毎回、もっと気力充実してから出発したいと思うけれども、そうやって待っていても気力はとくに充実しないのであって、まだそのときじゃないのかな、と思ったときが実は潮時である。
(中略)それよりとにかく何でもいいから出発してしまって、それから決心を固めていくほうが早い。
(『スットコランド日記』・幻冬社)

「なんのために、なんて考えていると、旅はいつまでたっても始まらない。意味を考える前に計画を立て、結論が出る前に出発してしまう。これが大切である。
(『だいたい四国八十八カ所』・本の雑誌社)

でもまあ、とにかく予約をすませた。
はじめての沖縄旅行。
よくかんがえずに 沖縄へいく、ときめてから、
わりとすんなり日程と とまる場所までえらべた。
いったことがないのだから、いろいろかんがえてもしかたない。
宮田さんがいうように、とにかくでかけることが大切となる。
それに、外国へいくよりも、国内旅行は圧倒的に気がらくだ。
パスポートの準備とか、保険をかけたりも必要ない。
服だって、沖縄といえども島根とおなじ冬服で大丈夫だろう。

配偶者とふたりでの旅行は、25年まえの新婚旅行以来だ。
老後にふたりでどんなおでかけができるかをうらなう、
あんがい重要なテストとなるかもしれない。
いまさら決定的になかがわるくはならないとおもうけど、
できればつづきがやりたくなるような旅行にしたい。

posted by カルピス at 20:46 | Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月17日

結婚としあわせとは関係ない

きのうの朝日新聞に、探検家の角幡唯介さんが
「パートナーに求めるものは?」というタイトルで
婚活についてかいている。
「結婚とは選択ではなく事態」
というはなしをあちこちでしていたら、
婚活本についてろんじてほしい、という依頼がきたという。
ひとは、結婚を選択したとおもっているけど、
じつは選択ではなく、状況の変化により
いつのまにか そうした「事態」におちいっているだけ、
という角幡さんの説は一理あるようにおもえる。

角幡さんは、『日本婚活思想史序説』(佐藤信)をよみ、
婚活の実態におどろいている。
婚活者たちはとにかく幸せになりたい、今より生活をグレードアップさせたいと希い、その手段として結婚を考えている。あの人と結婚したほうが有利、との損得勘定で動いているわけで、世間一般では結婚とは事態ではなく選択なのだ。(中略)それにしても、なぜ結婚と幸せが結びつくのか、どうしてそんな倒錯が生じるのか、それが不可解だ。

たしかに。損得勘定で、しあわせになろうとするから、
もうすこしマシな相手があらわれるのをまちつづけ、
結婚する気にならないのではないか。
結婚としあわせは、関係ないにきまっている。

NHK-FMの「トーキング ウィズ松尾堂」をきいていたら、
さいきん結婚した春風亭昇太さんと、
『妻のトリセツ』の著者である
黒川伊保子さんがゲストによばれていた。
春風亭昇太さんはまだ新婚なので、
いまのところ奥さんと なかよくやっているようすだ。
結婚にあこがれはもたなかったけれど、
未知の世界にとびこみたくなって結婚したという。
黒川さんは、男と女で脳の機能に差はないものの、
そのつかいかたにちがいがあると、とうとうとはなされる。
本をよまなくても、わかったような気になった。
黒川さんと、その夫である男性は、
いまでこそ いい関係に おちついてきたとはいえ、
これまでの道のりは けしてたいらではなかったそうだ。
35年かけてここまできた、と、なんどもくちにされている。
わたしの配偶者が、さいきんいいかんじなのは、
あんがいすでに『夫のトリセツ』をよみ、
夫であるわたしの操縦法にヒントをえたのかもしれない。

posted by カルピス at 21:38 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月16日

ことばの話題を3つ「やさしい日本語」「ひらがなでもわからない歩行者」「英語の濫用」

きょうの朝日新聞に、ことばがらみの話題がいくつかのっていた。

・英語じゃなくて やさしい日本語
・「ほこうしゃ」ひらがなでも分からない
・英語の濫用(1927年の投稿)

「英語じゃなくて やさしい日本語」は、
社内公用語として、英語ではなく
「やさしい日本語」にするうごきを紹介している。
メルカリのオフィスでは、日本人4人とドイツ人1人による
エンジニアのチームがあつまって、
日本人社員むけの「やさしい日本語」講座がひらかれていた。
以前お知らせさせていただいたXの件なんですけど、締め切りはまだだったと思うんですが、お手数おかかしてしまいますが、今週中までとさせていただけたら助かるなーと思っています

ではつたわりにくいけど、
お願いがあります。Xの件ですが、締め切りの日を変えたいです。◯月◯日までと言いましたが、新しいい締め切りの日は◯月◯日です。予定が変わってすみません。でもちょっと急ぎたいです

とすればわかりやすい。
「一つの文を短く、はっきり最後まで言う。
 あいまいな表現や敬語は使わない。
 擬態語や擬音語もわかりにくい」
今年7月には「やさしい英語」の講座もはじまったそうで、
「ネイティブも言い回しを工夫して歩み寄れたら、
 コミュニケーションしやすくなる」
メルカリでは英語を社内公用語にする予定はない。「目的は社内コミュニケーションの質を上げることであり、言語の習得ではない」(LETマネージャーのマーク・アンダーソンさん)。全員が意見を言いやすい環境をつくるために、英語だけ、日本語だけでの会議は推奨していないという。

2つめの
「『ほこうしゃ』ひらがなでも分からない」は、
「街のB級言葉図鑑」という連載にのっていた。
町をあるいていて、ちょっと気になったことばづかいを
毎週とりあげて紹介する欄だ。
かいているのは国語辞典編纂者の飯野浩明さん。
建設現場の看板に
「はいっちゃだめ」とおおきくかいてあったそうで、
「立入禁止」よりも、子どもに理解しやすい表現、
と評価している。
その横には「じてんしゃ 自転車」「ほこうしゃ 歩行者」とあり、
それぞれX印がついており、
「じてんしゃ」は漢字のよめない子どもにもわかるけど、
「ほこうしゃ」は、たとえひらがなでも、わからない。
「はいっちゃだめ ひとも じてんしゃも」としてはどうかな

というのが飯野さんの提案だ。
こうした「やさしい日本語」をつかうと
子どもだけでなく、英語がつかえない外国人にもわかりく、
災害時にも おおくのひとに理解されやすい、
と「やさしい日本語」のとりくみを紹介している。
「歩行者」ということばは、
日本語能力試験のN1(最もハイレベル)にもでてこないそうで、
そういえば、日常会話のなかで「歩行者」なんてつかわない。
「歩行者」とよぶのは、テレビのニュースぐらいかもしれない。
飯野さんは、「表現を変えた方がよさそうですね」としているけど、
どんないいかたをしたら つうじやすいだろう。
「あるくひと」よりも「ひと」のほうがすっきりするかもしれない。

3つめの
「英語の濫用」は、過去の投稿を紹介する
「あの日 あの時」の欄にのっていた。
1927年の投稿というから、92年まえによせられた意見だ。
英語の学校でも何でもない一般人の講堂に、W・Cと書いた掲示をかける人の心持(こころもち)がわからない。先日赤十字病院の講堂に行って見ると、やはりさういう掲示板があった。赤十字と英語との関係如何。あの建物にはこのふ号のわからぬ人は来まいといふ自信でもあるのか。(中略)西洋風建築だから英語といふのならやはりまちがつて居る。W・Cを書かせた人々の説明をこふ。

100%賛成だ。

posted by カルピス at 20:21 | Comment(0) | 表記法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月15日

読書感想文のかきかた(「自由ポータルZ」)がおもしろかった

デイリーポータルZでは、毎週金曜日に、
読者がかいた記事を「自由ポータルZ」として紹介している。
専属ライターによる記事ではなく、
デイリーポータルZに記事を発表したいひとは、
まずこの「自由ポータルZ」に投稿してください、という位置づけだ。
投稿コーナーではありますが、ライター登用の窓口も兼ねています。
ライター希望のかたもまずは投稿を。
素晴らしい作品をコンスタントに送ってくれる方にはこちらから連絡して即青田買いです。

投稿すれば なんでものせてもらえるわけではもちろんなく、
わたしは何年かまえに、種まきから収穫まで、
自然農法によるコメづくりの体験を記事としてまとめ、
投稿したけど だめだった。

今週の「自由ポータルZ」にのった
「読書感想文『あらすじだけ読んで書く』VS『ちゃんと本を読んで書く』
どっちが早いか比べてみた」(なべとびすこ)がおもしろかった。
https://crazystudy.info/arasuji-reading
夏やすみの宿題に読書感想文はつきもので、
小学生のときはかきかたがわからずこまったものだ。
中学生になると、北杜夫の本がすきになり、
小説にたいするコンプレックスがなくなくなった。
読書感想文なんて、どうでもいいことを
テキトーにかいても大丈夫だとわかってきた。
いまでは、よんだ本について、おおくをブログにかいており、
これも一種の読書感想文といえるだろう。
ちなみに、あらすじだけのデーターから、本をよんだような顔をして、
ブログの記事にしたてたことはいちどもない。
ただ、本のタイトルから内容を想像して、記事をかいたことがある。
もちろんそのときは、まだよんでいない「事情」を
ちゃんと説明したうえで記事にした。

読書感想文についての記事をかいた なべとびすこさんは、
課題図書から一冊をえらび、
まず、課題図書一覧にのっていた
「あらすじ」と「見どころ」だけを手がかりに、
読書感想文をかいてみる。
情報がかぎられているので、想像にたよるしかない。
それでもなんとか文字をうめていくところは、
ブログをかくのとよくにている。
日本の島国体質という、もはや本の内容から全く関係ない話をはじめていますが、あらすじしか読んでいないので自分の知っている話を膨らますしかないのです。

つぎに、おなじ本を、こんどはじっさいによんでから感想文をかく。
こちらは、さきほどの「あらすじ」だけでかくより
ずっとおもしろそうだ。
なべとびすこさんは 宿題であることをわすれ、
夢中になってかいている。
自分の意見をのべられるたのしさをかんじるくらいだから、
なべとびすこさんは、もともとかくのがすきなひとなのだろう。

けっきょく、読書感想文をかくのに必要だった時間は、
「あらすじ」と「見どころ」だけでかいても、
ちゃんと本をよんでかいても、どちらも30分だった。
とはいえ、書きやすさ的にはぜったい「ちゃんと本を読んで書く」のが良いです!!(中略)
いろいろな知識があるならばあらすじだけでも読書感想文を書けるかもしれませんが、なかなか難しいです。
「あらすじだけ読んで書く」のは、楽をしているようで、じつはイバラの道なのかもしれません。

読書感想文は、ちゃんと本を読んで書こう!!!!

が、なべとびすこさんの結論だ。
結論はあたりまえだけど、
そこにいたる実験をていねいにすすめている。
わらいをとろうとか、おおげさな表現がなく、好感がもてる。
とはいえ、読書感想文がにが手なひとは、
たとえこの記事をよんでも教訓とはせず、
「あらすじだけ」で でっちあげるのではないか。
どうしたら読書感想文をすらすらかけるようになるのか。

ひとつの方法は、ひらきなおって、
デイリーポータルZが開発した
「読書感想文ジェネレーター」にたより、
自動的に文章をかいてもらう。
https://dailyportalz.jp/kiji/kansoubun-generator
そのままではさすがにひどいから、
自分なりにすこし表現をやわらげたら、学校に提出できるのでは。
でも、「すこし表現をやわらげる」のは、
「あらすじだけ」をよんでかくのと、おなじような手間かもしれない。
けっきょく、読書感想文にかぎらず、
文章をかくのは そうかんたんではない。
だから「読書感想文ジェネレーター」がうまれたわけだけど。

posted by カルピス at 22:14 | Comment(0) | 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月14日

金曜日をおまけの日と とらえるのもわるくない

NHK-FMの「音楽遊覧船」は、月曜日から木曜日まで放送され、
4人の担当者が週ごとにかわりながら番組をうけもつ。
金曜日は番組をながさない。
この、月曜日から木曜日をひとつの単位とするかんがえ方は、
あんがい、というかすごくいいような気がしてきた。
土日はもちろん週末として存在し、月から木は仕事をする期間だ。
ちゅうぶらりんの金曜日はなにをする日かというと、
ウィークデーとウィークエンドをつなぐ役わりをになう。
仕事をする日から おやすみの日に、いきなり突入すると、
からだと頭がついていけず、たいへんだ。
週末へのからだならしとして、金曜日は、
ほとんど仕事をせずに、週末にむけ あそぶ準備にあてる。
からだは職場にあるけど、意識は週末へと とんでいる。
それをわるいこととしてではなく、肯定的にとらえたい。
なんなら週休3日でもいいわけだけど、
日本のおおくの職場は、週休2日でうごいており、
いきなり3日やすみましょう、とはなかなかならない。
週に5日職場へいくけど、はたらくのは実質4日で、
金曜日はできればなにもしない おまけとして位置づける。
それぐらいがちょうどいい、というのが
週5日はたらいているものの、
実質的な内容は4日分でしかない、わたしの実感だ。
「働き方改革」というほどおおげさなものではないけど、
からだと頭をらくにする ささやかなとりくみとして提案したい。

先日の朝日新聞に、
「職業は胸を張っての『無職』」という投稿がのった。
60歳で定年をむかえ、そのご雇用延長や再就職はせず、
「夢にまで見た無職」をたのしんでおられるようすだ。
この方は、筋金いりの「働きたくない」ひとで、
学生の頃「働きたくないので、一生面倒をみてくれ」と父親に言いたかったのだが、さすがに言い出せずに就職した。

という。
ようやく手にいれた「無職」であり、いわば主体的な無職だ。
仕事をしたくてもみつからない「無職」とはちがう。
投稿でも、職業をかく欄が「無職」となっている。

からだがうごくうちははたらきたい、はたらこう、
という趣旨の意見をよく耳にするけど、
この方のように、はたらくのがきらいなひとだって
すくなからず存在するはずで、
それもまたひとつのかんがえ方だ。
おおくのひとは、からだがうごけば
たとえお金にこまっていなくても、ついはたらいてしまうけど、
このかたは、ようやく手にいれた
たらかなくてもいい立場をだいじにされている。
はたらきたいひとは、仕事をつづければいいけど、
はたらきたくないひとは、自分の時間をたいせつにする。
こうした選択もまた、尊重される世のなかであってほしい。

posted by カルピス at 22:14 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月13日

「鷹の爪」アニメ「松江城VS富田城 頂上決戦」で ひさしぶりに吉田くんと総統をみる

朝日新聞島根版に、
「鷹の爪」アニメ「松江城VS富田城 頂上決戦」が紹介されていた。
吉田くんが松江城を、総統が富田(とだ)城をおし、
それぞれの魅力をだしあって、勝負をきめようという企画だ。
ひさしぶりの「鷹の爪」ネタになりそうなので、
さっそくユーチューブをひらく。
https://www.youtube.com/watch?v=7iWieM6_bU4
このブログは、「鷹の爪」をタイトルにかかげ、
鷹の爪に特化した内容と うちだしていながら、
新聞におくれをとったのはかっこわるかった。
ここは、もっともらしいコメントで
専門家としてのちからをみせつけたいところだ。

じっさいにアニメをみてみると、
吉田くんと総統がそれぞれの城について、
歴史やら、かかわりのふかい人物を紹介する内容で、
とくにわたしがつけくわえることも、つっこむところもない。
鷹の爪ファンとしては、ひさしぶりにきくふたりの声がなつかしく、
家族で夕ごはんをたべながら、
熱心に(わたしだけだけど)「鷹の爪」をみていた時期があったと、
むすこがちいさかったころのわがやをおもいだし、なつかしかった。

富田城は、いまでは城跡しかのこされていないのにたいし、
松江城は国宝にも指定され、風格にくわえ知名度もたかい。
富田城にかちめはないとおもわれるたたかいを
総統はどうくみたてていくのだろうか。

総統は、実戦につかわれたことのない松江城なんて、と
富田城の実績をもちだしてくる。
「ほんとうに実戦をくぐりぬけ、難攻不落の城として
 戦国屈指の要害といわれた富田城の敵ではない」
一理ある指摘にたいし、たじろぐ吉田くんは、
「いまは石垣しかのこってないだろうが」
とやりかえす。
総統は、富田城は安来市にあり、
安来といえば安来節に、日本庭園で有名な足立美術館、と
城からはなれ、場外戦にもちこもうとする。
そして、さいごに判定をくだすのは、アルマジロのジロちゃん。
ジロちゃんがかかげたパネルには、
はたして どちらの城がしめされていたか。

松江城は、じっさいに天守閣までのぼることができるし、
城をかこんではりめぐされた堀川や、城をとりまく松のみどりなど、
城のたつ 山ぜんたいがひとつの風景としてうつくしい。
ほかの町にあるお城も、松江城のような姿かとおもっていたのに、
まえに広島市にある広島城をたずねたら、
やすっぽいコンクリート製で、ぜんぜんおはなしにならなかった。
松江城は、全国的にみても、いい状態で保存されている城ではないか。
松江城VS富田城。総統にはわるいけど、
魅力的なのは、松江城にきまっている。

posted by カルピス at 15:03 | Comment(0) | 鷹の爪 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月12日

『ヒート』どうしてもデ=ニーロに肩いれしてしまう

『ヒート』(マイケル=マン:監督・1995年・アメリカ)

(以下、ネタバレあり)
なんの説明もなく いくつかの場面がたんたんとうつしだされ、
いったいなにがおきているのか さっぱりわからない。
しばらくはなしがすすんでから、
プロの強盗集団と、彼らの犯行をふせごうとする
警察との2軸でえがかれているのがみえてくる。
強盗集団のリーダーがニール(ロバート=デ=ニーロ)で、
捜査する側のトップがビンセント(アル=パチーノ)。
アル=パチーノの演技がよかった、としりあいがいってたけど、
わたしはデ=ニーロに肩いれしながらみていた。
アル=パチーノは仕事中毒の警部補、という設定で、
家庭をかえりみず捜査にいれこみ、
これまでに離婚を3回し、いまもまた
こわれそうな家族関係におちいっている。
デ=ニーロは、いつでもたかとびできるよう、
身のまわりをシンプルにたもっている。

こまかな説明なしに、どんどんはなしをすすめるのは、
ひとつの方針であり、それはそれで効果的に雰囲気をつくる。
パチーノが女性をだいたあと、シャワーをあびていると、
女の子がでてきて「ママ、わたしの髪どめがない」という。
もうすぐやってくるパパと昼ごはんを一緒にたべる、ともいう。
パチーノが「パパ」なのではなさそうだ。
でも、「ママ」との関係は夫婦みたいだし・・・。
説明がないぶん、セリフや観察により、
人間関係を理解していかなければならず、
わたしのように にぶいタイプには不利な作品となる。

みどころがいくつもあるなかで、印象ぶかいのが、
デ=ニーロとパチーノによるカフェでの会話だ。
警察がわずかな手がかりからデ=ニーロの存在をわりだし、
デ=ニーロがのる車を尾行し、とめさせる。
なにをもちかけるのかとおもったら、
パチーノはデ=ニーロをコーヒーにさそった。
カフェでパチーノは、単刀直入に、強盗をやめろともちかけ
デ=ニーロはもちろんそれをことわる。
おたがいのくらしや家族についてたずね、
ふたりの会話は、わりとふつうの世間ばなしなのがおかしい。
腹をわって、自分のくらしがノーマルでないのをうちあけている。
高段者どうしの会話は、禅問答のように、高尚すぎて
いったいなにをはなしているのか つかめないことがおおいのに、
強盗のリーダーと、捜査側のトップのわりには、
ふたりの会話がかみあっている。
おれのような人間をつかまようとするものが、
結婚するのがおかしい、と
強盗が警察に説教し、パチーノはそれを
興味ぶかい意見だ、とみとめている。

もうひとつのみどころは、銀行をおそったあとの銃撃戦だ。
おおぜいの警官にたいし、デ=ニーロ側はたった3人なのに、
つかっている銃の威力はすさまじく、相手をどんどんたおす。
市街地でのうちあいだから、おおくの市民がまきこまれ、
あたり一帯が騒然とした雰囲気となったまま、
銃の音がとぎれることなくつづく。
銃撃戦の迫力はすごいけど、
そもそも警察とのうちあいになれば、
人数からしてかちめはない。
冷静そうなデ=ニーロが、こうした場面では
ゴリゴリとちからずくでおしてしまうのが不思議だった。

ラストでも、ほっておけばいい元仲間をたおしに
より道をして しかえしをはかり、けっきょくは墓穴をほる。
だめになるとしりつつも
感情にしたがってうごいてしまうデ=ニーロを
わたしは、らしくないとおもった。
パチーノが、いつもさいごにたちふさがり、
いい役をひとりじめして 不満がのこる。
なんとかしてデ=ニーロにさいごまでにげのびてほしかった。

posted by カルピス at 22:35 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月11日

ラグビーW杯がおわり、なんとなくさみしい

ラグビーW杯がおわってしまい、なんとなくさみしい。
なんとかロス、ということばがよく口にされるけど、
それほどおおげさではないにせよ、
ラグビーの試合をテレビでみられないのが ものたりない。
Jリーグをみても、まえほどおもしろみをかんじなくなった。
まったくちがうスポーツなのだから、くれべてもしょうがないに、
ファールをしておいて、やってないとか、
ファールされてないのに はでにころぶとか、
なんだかなー、という気がしてくる。
レフェリーへのリスペクトもまるでちがうし。

朝日新聞の川柳に
「石鹸が滑って思わず『ノックオン』」
というのがのり わらってしまった。
にわかファンらしい調子のよさというか、
ひとのよさがあらわれていて、好感がもてる。
「ノックオン」は、ことしの流行語にえらばれるのでは。

サンドイッチマンの漫才に、ラグビーネタがある。
ふたりとも高校生のときラグビーをしていたそうで、
はなしのなかにW杯もでてきた。
前回のイングランド大会のときのネタらしく、
次回のW杯は日本でがひらかれる、と紹介したあと、
ラグビーのルールがむつかしい、という話題にうつる。

富沢さんが、
「3年間やってたけど、ルールおぼえてないですからね」、といい
「でも、逆にいえば、こんなやつでもできるのがラグビー」
と伊藤さんがいい、
「でも、逆の逆にいえば、
 やってるひとでもわからないぐらいむつかしいスポーツ」
と富沢さんがまぜかえす。

にわかファンのわたしも、にわかだけに、わからないことだらけだ。
ルールがわからないだけでなく、
戦術やフォーメーションなど、きっとすごく複雑なんだろう。
11人でやるサッカーでも どんどんややこしくなっているのだから、
15人のラグビーは、それ以上に約束ごとがたくさんあるにちがいない。
そこらへんをぜんぶすっとばして、
「ラグビーおもしろい」とにわかにおもわせてくれたのだから、
W杯が日本でおこなわれ、目のまえで
ラグビーならではの魅力をしらしめた功績はおおきい。

全力でぶつかりあう迫力や、自分をすて、
チームのためにはしりまわる泥くささ、
相手をリスペクトするノーサイドの精神など、
これまでしらなかったラグビーならではの魅力が、
おおくのにわかファンをうみだした。
あれだけごついからだがぶつかりあい、
そのプレーについてレフェリーがしめす判定に、
全員がすんなりしたがうのもすばらしい。
サッカーではありえないようにおもえるけど、
女子サッカーの日本代表は、2011年のW杯ドイツ大会で、
レフェリーに異議をもうしたてず、
ファールもきわめてすくないプレースタイルを披露して、
みるもののこころをとらえている。
ラグビーからサッカーがまなぶことはおおいし、
女子サッカーのほうが、男子より
はるかにフェアプレーへの意識がたかい。
男子サッカーは、
お金がおおきくうごきすぎるのが よくないのだろうか。

posted by カルピス at 21:56 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする