毎週いろいろななやみがよせられる。
今週は、20代の女性が、職場での
「エスペラントハラスメント」をうったえている。
男性の元上司(いまもおなじ職場)が、
エスペラントの「布教」に熱心で、
しつこく自分にすすめてくるのでこまる、という内容だ。
エスペラント語は、国際共通語として、
1887年にポーランド人のザメンホフがつくりだしている。
https://www.jei.or.jp/3pundesiru/
いまは英語が世界共通語のようにおもわれているけど、
これでは英語以外をはなすひとたちにとって不公平となる。
エスペラント語が世界じゅうにひろまれば、
英語など、特定のことばをはなすひとだけがとくをしない。
ことばから世界平等をめざす、とても理想主義的なとりくみといえる。
女性がストレスにかんじるくらい、
エスペラントの勉強にしつこくさそうのだから、
布教というより、わかい女性となかよくしたい、
スケべで無神経なおやじにおもえる。
とはいえ、人工言語であるエスペラント語を、
いまもまだ勉強しつづけているひとがいるのにおどろいた。
しかも、そんな非常識ともいえる熱心さで。
英語やフランス語の勉強に、しつこくさそうひとはいないから、
エスペラントのめざす世界平和への夢が、
そうした布教活動にかりたてるのかもしれない。
わたしが30代前半だったころ、梅棹忠夫さんの影響で、
エスペラント語をすこし勉強したことがある。
エキスプレスという初心者むけシリーズのテキストをかい、
いちおう、さいごの課までつづけた。
地元にある大本教の支部にも連絡してみたけど
(大本教は、エスペラント語に熱心だというので)、
その当時は、あまり活発に活動されていないようで、
勉強の手がかりとはならなかった。
英語やフランス語を勉強する場合、
動詞の変化をおぼえるのがやっかいだけど、
エスペラント語には、いっさい例外がなく、
たとえば現在形はかならず語尾が「as」となり、
過去形では「is」がくる。
この、例外がない、というのが、エスペラント語では徹底されており、
それがどれくらい学習者をらくにするか はかりしれない。
それに、英語やフランス語を勉強するときは、
どうしても こころのどこかかたすみに、屈折した感情がわいてくる。
言語帝国主義に加担するようで、すんなりした気もちでとりくめない。
すぐれた理想をかかげたエスペラント語を、
熱心に布教するひとが現実にいて、
それが新聞の相談コーナーにのるなんて、
すこしだけでもエスペラント語をかじったわたしには、
なつかしさをかんじてしまった。
エスペラントの精神と、あいての気もちをかんがえない
しつこい布教は ほんらい あいいれない。
相談をよんだ読者が、エスペラント語について、
わるい印象をもたなければいいけど。
もしエスペラント語が世界じゅうにひろまれば、
英語を勉強する必要なんてなくなる、
すばらしい世界がまっているのに。
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