2019年11月04日

『知的生産の技術とセンス』梅棹忠夫さんの業績を適切に評価し、発展させる

『知的生産の技術とセンス』
(堀正岳・まつもとあつし・マイナビ新書)

べつの本をさがしていたら、本棚で本書をみかけた。
よんだおぼえがない。
「はじめに」には、梅棹忠夫さんの
『知的生産の技術』のアップデートをこころみた、とある。
すこしよんでみると、すごくおもしろい。
こんないい本をみつけてラッキーだった、とおもったら、
本文には、いくつも線がひいてある。
おわりの章まで線やらかきこみがあり、
どうやらわたしはすでにこの本をよんでいるようだ。
ブログをしらべてみると、2014年のことだ。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/406237128.html
もういちどよんでみると、記憶にないだけあり、
まるで はじめての読書のようにこころにひびいてくる。
たのしみつつも、がっかりしながらの再読となった。

こんかいよんでみて、アウトプットしつづける意味がこころにひびく。
無名の個人がいくらかの記事をかいたところで、
なにもおこらないようにおもえる。
 しかしここで、とることができる戦略があります。注目を受けなくても、反応がなくても、コンスタントにアウトプットをし続ける。アウトプットのログ(記録)を蓄積し続けるという方法です。

ジョナサンというミュージシャンの活動を例にあげ、
アウトプットをやめずに蓄積することで、
1 しだいに彼のアウトプットが彼の個性を開拓していったこと。そして
2 アウトプットに個性が増えるにしたがってそれを求めている人々が彼を発見した、という2点です。

わたしはまいにちブログに記事をかいており、
「個性を開拓していった」という実感はないけれど、
客観的にみれば、まいにちひとつの記事をかきつづける技術を、
いつのまにか身につけられた、とはいえるだろう。

本書は、梅棹さんの業績にいまいちど光をあて、
けして過去のひとではないとしらしめてくれている。
梅棹さんファンとして、こんなにすばらしい本はないのに、
それをよんだことさえすっかりわすれていたなんて。
はじめにこの本をよんだときの興奮が、
ブログをかきつづけるちからとなった、とおもいたい。

本書が指摘するように、梅棹さんが
『知的生産の技術』で世におくりだしたメッセージは、
世界をかえる影響をあたえている。
私たちは自分たちの知的好奇心や驚きや感動を人に伝えることで、世界がほんの少しでも良い方向に変わるのだと信じようではありませんか。

壮大な事業に参加していることを、こころのささえとしたい。

posted by カルピス at 16:53 | Comment(0) | 梅棹忠夫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする