NHK-FM「歌謡スクランブル」をときどきつける。
この番組は、演歌のながれる確率がきわめてたかく、
演歌の専門番組みたいにおもわれているけど(わたしだ)、
ときどきそうでない曲の特集もくまれる。
きのうがそうだった。
フォーク・ミュージック作品集として、
1960年代から70年代にかけての曲をかけるという。
「結婚しようよ」「私は泣いています」「戦争を知らない子供たち」
など、ふるくて、きいたことのある曲がながれてきた。
「私は泣いています」は、歌詞をひろってみると、
フォークにのせた演歌であり、けっきょく男にあわせようとする
女のうたなのかと、がっかりする。
わたしは「フランシーヌの場合」がかかるのをまっていた。
「フランシーヌの場合」。
しずかなメロディと、「おばかさん」という
なにか かなしそうな歌詞が印象にのこっている。
わたしがすきな『熱気球イカロス5号』(梅棹エリオ)にも、
「フランシーヌの場合」の歌詞を
「イカロス昇天の場合は あまりにもおばかさん」
にかえてうたった、とある。
日本ではじめて熱気球をとばそうという
梅棹エリオさんたちの「イカロス昇天グループ」は
まわりからみると、あるいは ほんにんたちにとってさえ、
「おばかさん」なとりくみにおもえ ぴったりだったのだろう。
1970年に出版されたこの本にのっているぐらいだから、
「1960年代から70年代にかけて」という
「歌謡スクランブル」の特集にあっている気がするけど、
けっきょく きのう「フランシーヌの場合」はかからなかった。
ウィキペディアをみると
1969年3月30日の日曜日、パリの路上でフランシーヌ・ルコント(当時30歳の女性)が、ビアフラの飢餓に抗議して焼身自殺した[2]。3月31の朝日新聞夕刊が小さなスペースでこの外電(AFP)を載せた。
とある。プロテストソングだったのだ。
フランスのうたを日本語に訳してうたったのかとおもっていたら、
作詞・作曲とも日本人による日本製の曲だった。
「フランシーヌの場合」
いまいずみあきら:作詞 郷伍郎:作曲
フランシーヌの場合は
あまりにもおばかさん
フランシーヌの場合は
あまりにもさびしい
三月三十日の日曜日
パリの朝に燃えたいのちひとつ
フランシーヌ
ユーチューブで新谷のり子さんによる「フランシーヌの場合」をきく。
わかい女性の焼身自殺をしずかにうたわれると、すごくものがなしい。
「私は泣いています」のひとりよがりな歌詞とちがい、
こちらのほうが よほどわたしのむねにせまってくる。