『ヒート』(マイケル=マン:監督・1995年・アメリカ)
(以下、ネタバレあり)
なんの説明もなく いくつかの場面がたんたんとうつしだされ、
いったいなにがおきているのか さっぱりわからない。
しばらくはなしがすすんでから、
プロの強盗集団と、彼らの犯行をふせごうとする
警察との2軸でえがかれているのがみえてくる。
強盗集団のリーダーがニール(ロバート=デ=ニーロ)で、
捜査する側のトップがビンセント(アル=パチーノ)。
アル=パチーノの演技がよかった、としりあいがいってたけど、
わたしはデ=ニーロに肩いれしながらみていた。
アル=パチーノは仕事中毒の警部補、という設定で、
家庭をかえりみず捜査にいれこみ、
これまでに離婚を3回し、いまもまた
こわれそうな家族関係におちいっている。
デ=ニーロは、いつでもたかとびできるよう、
身のまわりをシンプルにたもっている。
こまかな説明なしに、どんどんはなしをすすめるのは、
ひとつの方針であり、それはそれで効果的に雰囲気をつくる。
パチーノが女性をだいたあと、シャワーをあびていると、
女の子がでてきて「ママ、わたしの髪どめがない」という。
もうすぐやってくるパパと昼ごはんを一緒にたべる、ともいう。
パチーノが「パパ」なのではなさそうだ。
でも、「ママ」との関係は夫婦みたいだし・・・。
説明がないぶん、セリフや観察により、
人間関係を理解していかなければならず、
わたしのように にぶいタイプには不利な作品となる。
みどころがいくつもあるなかで、印象ぶかいのが、
デ=ニーロとパチーノによるカフェでの会話だ。
警察がわずかな手がかりからデ=ニーロの存在をわりだし、
デ=ニーロがのる車を尾行し、とめさせる。
なにをもちかけるのかとおもったら、
パチーノはデ=ニーロをコーヒーにさそった。
カフェでパチーノは、単刀直入に、強盗をやめろともちかけ
デ=ニーロはもちろんそれをことわる。
おたがいのくらしや家族についてたずね、
ふたりの会話は、わりとふつうの世間ばなしなのがおかしい。
腹をわって、自分のくらしがノーマルでないのをうちあけている。
高段者どうしの会話は、禅問答のように、高尚すぎて
いったいなにをはなしているのか つかめないことがおおいのに、
強盗のリーダーと、捜査側のトップのわりには、
ふたりの会話がかみあっている。
おれのような人間をつかまようとするものが、
結婚するのがおかしい、と
強盗が警察に説教し、パチーノはそれを
興味ぶかい意見だ、とみとめている。
もうひとつのみどころは、銀行をおそったあとの銃撃戦だ。
おおぜいの警官にたいし、デ=ニーロ側はたった3人なのに、
つかっている銃の威力はすさまじく、相手をどんどんたおす。
市街地でのうちあいだから、おおくの市民がまきこまれ、
あたり一帯が騒然とした雰囲気となったまま、
銃の音がとぎれることなくつづく。
銃撃戦の迫力はすごいけど、
そもそも警察とのうちあいになれば、
人数からしてかちめはない。
冷静そうなデ=ニーロが、こうした場面では
ゴリゴリとちからずくでおしてしまうのが不思議だった。
ラストでも、ほっておけばいい元仲間をたおしに
より道をして しかえしをはかり、けっきょくは墓穴をほる。
だめになるとしりつつも
感情にしたがってうごいてしまうデ=ニーロを
わたしは、らしくないとおもった。
パチーノが、いつもさいごにたちふさがり、
いい役をひとりじめして 不満がのこる。
なんとかしてデ=ニーロにさいごまでにげのびてほしかった。