2019年11月25日

「喜びを共有してもらっている」ことの大切さ

きのうのほぼ日に、赤ちゃんのぐずり期は、
あるきまった時期におとずれる、というはなしがのっていた
(糸井重里さんの「今日のダーリン」)。
「メンタルリープ」というらしい。
糸井さんは、「メンタルリープ研究所」のツイートを紹介し、
「喜びを共有してもらっている」ことの大切さにふれている。

まだ言葉や態度で思いを表現できない赤ちゃんでも、
おもしろいものを見つけたときには
「独特の声」を出します。
それに気づいたら、キスしたり、抱きしめたり、
ほめてあげましょう。
すると、ママパパが自分のことを理解してくれていて、
自分と喜びを共有しているのだということが、 伝わります。
(メンタルリープ研究所)

糸井さんはふかく共感し、以下のようにつづけている。
「自分のことを理解してくれる」人がいるということ、
 そして「喜びを共有してもらっている」ということ、
 人間は、一生、それが欲しくて生きて活動してると思う 。

そのよろこびは、赤ちゃんだけでなく、
おとなだっておなじだという。
そして、ネコだって、そうだ。

ネコのココといっしょにあそんでいると、
「喜びを共有」した手ごたえをかんじるときがある。
ココは全力でわたしの手にたたかいをいどむ。
すぐに興奮し、フーッとあらい息をはく。
といっても、本気でかんだりひっかいたりしたら、
わたしの手などは すぐにひどいことになる。
興奮したように 自分でもあそびをもりあげながら、
ちゃんと手かげんして あまがみにとどめている。
そんなふうに、安心しきっててあそんでいるのは、
まさに「喜びを共有」しているわけで、
ココとわたしは気もちがかよいあっている。
ココは、わたしが「自分と喜びを共有している」ことをよろこび、
わたしにからだをくっつけてあそぶ。
このまえココが右目をいためたとき、獣医さんへ2どかよった。
目薬をさしたり、薬をのませるのは、
ココにとっておおきなストレスなのに、
わたしをさけるようになるわけではなく、
ますますきずながふかまったようにおもう。

「自分のことを理解してくれる」人がいるということ。
「喜びを共有してもらっている」ということ。
生きるよろこびのまんなかにあるものは、ものすごくシンプルだ。

posted by カルピス at 21:35 | Comment(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする