2019年11月27日

まちがってはならない場面こそ盛大なまちがいを

このまえNHK-FMの「キラクラ」をきいていたら、
視聴者からのリクエストをよみあげていた。
そのひとのお父さんが、いまガンの緩和治療をうけており、
これまで父に親孝行らしいことができなかったので、
ぜひ父がすきなベートーベンの交響曲第7番を、という内容だ。
ベートーベンの曲のなかで、わたしは第7番に
いちばんしたしみをおぼえる。
たのしみにまっていると、なんだかしらない曲がかかった。
これはもしかしたら番組側のまちがいで、
ちがう曲をかけてしまったのではないか。
病気にふせる父のためという、
まちがえられない特別な場面でまちがってしまうと、
けっこうとりかえしがつかないかんじだ。
すぐに音楽をとめ、「失礼しました」と
ただしい第7番がはじまるかとおもったら、
ふかわりょうさんはそのまま曲をながしつづける。
どうやらこれが第7番であっているようだ。

このときわたしがおもったのは、
こんなふうに、ラジオではけっこうまちがった曲が
ながされているかもしれない、ということと、
いかにシリアスな依頼にこたえる場面でも、
まちがってはならない、と、
まわりがかたくなるのはやだなー、
ということだった。

ベートーベンの第7番くらい有名な曲なら、
かけるのをまちがえとき、すぐに気づくだろうけど、
超マイナーな曲だったら、まちがったまま
だれも気づかないうち、おしまいまでいき、
それでもなおまちがいとおもわずに番組がおわる、
なんてこともありそうだ。
音楽遊覧飛行のサラーム海上さんは、
世界各地のマイナーな曲をいつもかけるけど、
その曲があってるかどうか、ほとんどのひとにはわからない。
世のなか全体でいえば、名がしられてない曲のほうがじつはおおい、
ということに、いまごろになって気づいた。

この日「キラクラ」でかかったのは、第3楽章だった。
わたしになじみがなく、第7番とわからなかっただけで、
ちゃんとただしい曲がかかっていたのだ。
まちがっていたのは、わたしのほうだった。
でも、いくらシリアスな依頼といえども、
まちがえてしまうことはあるだろう。
まちがえたっていいじゃないか、とおもった。
深刻な雰囲気にのまれて わたしまでかたくなり、
ただしい曲をぜったいにはずせない場面だ、
なんておもうほうがまちがっている。
こんなときこそ盛大にずっこけて、ベッドできくお父さんに
わらいをとどけられたら、それもまたすばらしいではないか。

空気をよみ、あえてはずす、というのを
だれかがかたっていたけど、
「まちがってはよくない」雰囲気にのまれるより、
堂々とまちがえ、なーんちゃって、とわらえたほうがいい。
ベートーベンの第7番をきいていると、
いろんなよけいなことをかんがえてしまう。

posted by カルピス at 21:19 | Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする