2019年12月31日

大晦日を「年越しラジオマンジャック」でゆるくすごす

おおみそか。
ゆるくすごそうと、午前のうちにジョギングをおえ、
午後1時からはじまる「年越しラジオマンジャック」にそなえる。
あすの午前1時まで、12時間つづけての放送というので、
どんな内容なのかたのしみにしていた。
何週間かまえに番組のおしらせとして
ことしも12時間の年越し企画があると発表し、
時東ぁみさんが
ちゃんとなかだるみもありますからねー、
みたいなことをいっていた。
そりゃそーだろーなー、12時間もやるんだから、
とおもってききはじめると、ほんとにすごい。
NHK-FMがはじまって50周年ということもあり、
いろんな番組の担当者があいさつをし、
おすすめの曲をかける。それだけ。
「ラジオマンジャック 」との関係にはまったくふれず、
ただ自分の番組の紹介をし、自分のいちねんをふりかえり、
おすすめの曲をかける。
まだあと10時間あるのだから、これからの展開に期待したい。

きのう「シゴタノ!」で大橋悦夫さんが
「2019年に読んで『しびれた』13冊」として
https://cyblog.jp/38843
『世界のエリートは大事にしないが、普通の人にはそこそこ役立つビジネス書』(林雄司)
を紹介していた。さっそくキンドル版をとりよせる。
どうもすでによんだことのある本だ。
でも、よみかえしてもじゅうぶんおもしろい。
「書きたいことを書くと外しても恥ずかしくない」
「両親に説明するように書く」
「知識でおびきよせてエピソードで引きずり込む」
など、ブログにいかせるテクニックもおおい。
この本を参考にしたら、すぐにPVがふえそうだけど、
いちどよんだのに すっかりわすれているくらいだから、
またすぐもとにもどるのだろう。

冬やすみは前半の5日がおわり、後半にはいっている。
これまでいいかんじですごせた。
からだをうごかし、本をよみDVDをみる。
さいきん気づいたけど、
夕ごはんをはやめにとると、いちにちのリズムをつくりやすい 。
たとえば夕方6時半に夕ごはんをたべはじめると、
テレビをみてゆっくりすごしても8時にはきりあげられる。
それからパソコンにむかい、体操をし、風呂にはいっても10時だ。
12時まで本をよみ、はやめにベッドへはいる。
はやめにねたら、はやく目をさませる・・・。
はやおきからリズムをつくるのではなく、
はやめの夕ごはんがいいリズムのコツなのでは。
あたりまえなことを、ぬけぬけとかけるのは、
さきほどあげた林雄司さんの本をよんだおかげだ。
やすみの日だから はやめに夕ごはんがとれるわけで、
平日は、はやく夕ごはんにとりかかれないからこまるのだけど。

posted by カルピス at 15:44 | Comment(0) | 林雄司 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月30日

性格はキリギリスでも、アリのように備蓄がすき

年末年始はスーパーがやすみだったり
営業時間がみじかかったり、
あつかう商品がすくなかったりするので
きょうのうちに食料のかいだしをする。
ほんとうにかいものがむつかしくなるのは、
大晦日と元旦ぐらいだけど、
いつもかえるものがないと残念なので。

かってるうちに、これはわたしがすきな備蓄なのだと気づいた。
めんどくさいかいものも、備蓄だとおもえばたのしい。
小学生のころ、『ロビンソン漂流記』をよんだときから、
わたしはなにかをためこむことがすきだとさとる。
ロビンソンが、難破した船から食料や日用品を島にはこんだり、
島での生活が軌道にのり、小麦やヤギの飼育をはじめると、
たくわえをふやしていく場面がだいすきだった。
成田空港の建設に反対するひとたちが、
基地をつくってたてこもるニュースにもわくわくしていた。
どれだけの食料と武器をためこんでいたのかに興味があった。

きょうのかいものとしては、お正月難民にならないため、
日常的に消費する食品をもうすこし冷蔵庫にいれておきたい。
野菜といえばキャベツなので、
もういくらかはかってあるのに、さらに1個カゴにいれる。
タマゴも1ケースあるけど、用心のためもう1ケース。
サバみそ缶も念をいれてもうひとつ。
お正月らしいところでは、30個いりのおもち。
お酒は、いつものんでるワイン2本と芋焼酎を1本。
なくなってるとおもいバナナもかったけど、
家にかえったら、ちゃんと1フサあった。

ほかには、ホームセンターで
トイレ(ネコ用)の砂とトイレットペーパーを確保する。
ツタヤでも4作品かり、本屋さんで新書を1冊かう。
これだけあれば、年末年始にそれほどこまらないだろう。

「ものがないひとが貧乏なのではなく、
 もっとほしがるひとが貧乏」
みたいなことが、なにかにかいてあった。

ビンボーな性格だとおもう。

posted by カルピス at 15:50 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月29日

かんたんそうでむつかしい「約束」

きのう・おとといと、2日つづけて約束がうまくいかなかった。
どちらも仕事ではなく プライベートで、あいては別のひとだ。
きのうは1時間、おとといは1日まちがえていたという。
あとから事情をきくと、両方とも単純なかんちがいだった。
どちらの約束も、10日ほどまえにとりきめており、
すこしさきのはなしだったから、
前日にでも、再確認すればたしかだったかもしれない。
とはいえ、約束って、こんなにふたしかなものかと
いまさらながら「約束」にうたがいをもつようになった。

子どものころから いまにいたるまで、
かぞえきれないくらい「約束」をしてきたわけで、
これまでにもうまくいかなかったことや
ドタキャンをなんどか経験している。
うまくいかなかった約束は、いったいなにがよくなかったのか。
おおくの場合、単純なかんちがいか、うっかりわすれていたかで、
わるぎはなく、そのひとの人格とは関係ない。

どうすれば「約束」をたしかなものにできるだろう。
かんがえられるのは、当日のまえに確認することだけど、
プライベートな用事で再確認するのは あまりうつくしくない。
仕事じゃないんだから、かるいのりでうけいれ、
でもちゃんと約束はまもる、というふうでありたい。
ひとつのやり方は、直前に約束することだ。
10日もさきではなく、きょう、あるいはつぎの日の約束をすれば、
いちいち再確認の必要などない。
ただ、日本では、きょうやあすのことを約束するのは、
あまりにも余裕がないとして、このまれない。
そんな急なことをいわれても、みたいな反応がかえってくる。

約束にあまりとらわれすぎると、
うまくいかなかったときの気もちのきりかえがむつかしい。
約束はなかなかうまくいかないものとわりきり、
あまり重大にかんがえないほうがいいかもしれない。
約束はうまくいかない、というリスクを承知したうえで約束する。
うまくいかなくても、さっとわすれてしまう。
うまくいかないのが人生なのだとうけいれる。
自分のふところのひろさをためされ、
感情のコントロールの練習だとうけとめる。
自分のちいささを、しっかりおしえられる体験となった。

posted by カルピス at 20:43 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月28日

ひるねもいいけど 二度寝こそ 冬やすみのだいごみ

いつものように朝5時半ごろ ココがわたしをおこしにくる。
ごはんがほしい、というよりも、外からかえってきたあいさつで、
「おかえりー」とはげしくナデナデすればじきにおちつく。
問題なのは、そのあとのすごし方だ。
いつもなら、もういちどねたいのは やまやまながら、
ねるには危険な時間になっている。
しかたなく、ふとんにはいるものの、
目はつむらないで 頭がおきるのをまつ。
でも、いまは二度寝ができる冬やすみだ。
ためらいなくふとんにもぐりこみ、しばらくの惰眠をたのしむ。

「デイリーポータルZ」の林雄司さんによると、
記事のかき方ワークショップをするとき、
カードのなかに「二度寝」をいれたら、
参加者のうち、2〜3人、おおいときは1/4が
二度寝をえらぶのだという。
http://yaginome.jp/?p=1623
これはもう世間の総意なのではないか。二度寝は最高。
最高の二度寝を提供するニドネーランドを作ったら大流行するかもしれない。ふかふかの布団とひんやりした部屋。炭水化物の多い朝食(二度寝するための朝ごはんだ)。
ニドネーマウスというキャラクターも作りたい。
週刊二度寝という分冊百科もいい。創刊号はバインダー付きだ。

と、林さんの提案、というか妄想がふかまる。
だれもが二度寝にあこがれている。
その二度寝を、しばらくたのしめるこの冬やすみ。
二度寝のために冬やすみはあるのではないか。

posted by カルピス at 08:59 | Comment(0) | 林雄司 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月27日

『天使にラブ・ソングを・・・』は、『セーラー服と機関銃』とおもわせて『フラガール』

『天使にラブ・ソングを・・・』
(エミール=アルドリーノ:監督・1992年・アメリカ)

シリーズとして有名だし、
全部をとおしてはみてないまでも
だいたいの筋はしってる気がしていた。
でも、ほんとうはどんな内容なのだろう。
このごろゴスペルに興味がでていたので、
まあこの作品もおさえておくかと、
いまさらながらだけど かりてみた。

クラブ歌手のデロリアが、殺人現場を目撃したために、
修道院のシスターになって身をかくすはめになる。
ここまでは『セーラー服と機関銃』とおなじ、
異質な素材のくみあわせであり、
とくにめずらしいはなしではない。
修道院でのくらしを窮屈がって、
デロリアがいちいちおおげさにさわぐので、
すんなり映画に気もちがむかない。

でも、彼女が聖歌隊にくわわってからは、
ものがたりがいきいきとうごきだす。
厳格な院長との対立から理解へ、また、
シスターたちにうけいれられる過程は、
よくありがちとはいえ、たのしくまとめている。
『セーラー服と機関銃』とおもわせて、
内容は『フラガール』だった。

ネバダ州一帯をしきるマフィアのボス、
というのがハーベイ=カイテルえんじるヴィンスで、
わたしのすきな役者さんなのに、
うすっぺらな悪役なのが気のどくだった。
彼の手下である2人のチンピラは、
デロリアをしまつするようにいわれても
シスターには手をだせない、としりごみしたり、
デロリアといっしょに神へいのったりがおかしい。

修道院の司教が安倍首相に にているのを発見した。
にている、といっても、もちろん顔つきだけで、
デロリアの歌に理解をしめす 進歩的な人格者なところは、
さいわい、というべきだろう、安倍首相とはぜんぜんちがう。
このひとがいなかったら、修道院でのデロリアの存在は、
かなりくるしいものがあったはずだけど、
彼の理解により、すべてがうまくながれだす。
なんだかんだで、うまくつくられた作品であり、
続編もまたみたくなった。

posted by カルピス at 16:53 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月26日

冬ごもりの準備がととのう

デイリーポータルZの大北栄人さんが、
「もう年末年始に読む本を買ってすぐ読み始めている」
とツイートしていた。
その気もち、すごくよくわかる。

『本の雑誌 1月号』にのったことしのベスト10と、
『おすすめ文庫王国』を参考に、本屋さんをあるき、

『その雪と血を』(ジョー=ネスボ・ハヤカワ文庫)
『アイル・ビー・ゴーン』(エイドリアン=マッキンティ・ハヤカワ文庫)
『ひとり旅立つ少年よ』(ポストン=テラン・文春文庫)
『闇という名の娘』(ラグナル=ヨナソン・小学館文庫)
『わが母なるロージー』(ピエール=ルメートル・文春文庫)
『カリ・モーラ』(トマス=ハリス・新潮文庫)

をもとめた。
ぜんぶ文庫本なのがなかせる。

図書館では
『極夜行』(角幡唯介・文藝春秋)
『憲法九条を世界遺産に』(太田光/中沢新一・集英社新書)

ツタヤで
『バッド・ジーニアス』
(わたしがすきなブログですすめてあった)
http://globalhead.hatenadiary.com/entry/2018/12/27/113949
『天使にラブソングを・・・』
(しってるような気になってるけど、
とおしてみたことがまだない作品)

図書館とツタヤで2作品ずつ、
という選択にリアリティがあり、
わたしのひそかなやる気がうかがえる。
冬眠まえのクマみたいに、
冬ごもりの準備がばっちりできた。
きょうはたまたま有給がとれ、
あすからの年末年始やすみをふくめると、
おもいがけない10連休を手にいれた。
とくにやらなければならない仕事はなく、
10日間をまるまる自分のことにつかえる。
年末年始はあまりお天気がよくなさそうで、
家にこもって本と映画にひたるのに
いつのまにか いい条件がととのった。

posted by カルピス at 21:08 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月25日

『アンダーリポート/ブルー』(佐藤正午・小学館文庫)

『アンダーリポート/ブルー』
(佐藤正午・小学館文庫)


むかし、おなじマンションにすんでいた女の子が、
地方都市にすむ「私」をたずねてきた。
あれから15年がすぎ、当時4歳だった少女は大学生となり、
いまは東京でくらしている。
彼女は、15年まえに母親とでかけたはずのディズニーランドへ、
ほんとうはいってないのではないか、と「私」にはなしだす。
なぜ母親は、自分にうそをついてまで、
ディズニーランドへでかけたといいはるのか。
ディズニーランドへいくかわりに、
自分たちがどこでなにをしたかを、
少女はうっすらとおぼえている。
その旅行からもどって1ヶ月たったころ、
父親がころされる事件がおきた。
ディズニーランドではなかった いつわりの旅行が、
事件となにか関係があるのではと 彼女はかんじはじめていた。
(以下、ネタバレあり)

少女の訪問をきっかけに、「私」は事件をおもいだそうと
おしいれから ふるい日記をひっぱりだす。
職場が検察庁なので、リスクをおかし、
事件ついてかかれた公式な書類までしらべる。
そうしてうかんできたのが、交換殺人の可能性で、
事実を確認するために、「私」は東京へでかけ、
事件に関係する女性をたずねる。

文章はよみやすいけど、構造がかなり複雑にいりくんでおり、
なにがおきたのかを確認するために、
なんどもまえのページをよみかえした。
おもえば、佐藤正午さんの本は、
いつも時間とできごとがシャッフルされており、
すらすらよめるようにはかいてない。
本書のような いりくんだ構造を、
かきすすめていく力量があったからこそ、
さらにややこしい『鳩の撃退法』を
佐藤さんは自由自在にかきあげられたのだ。

本書には、いくつかの伏線がはられている。
ひとつが「匂い」。
もうひとつが母親の人生観。
注意してまわりを見れば、いまあなたがやろうとしているあやまちを戒めて、阻もうとしる力がはたらいていることがわかる。その戒めの力は必ずはたらく。もしそれがどこにもなければ、いまあなたがやろうとしていることは、あやまちではない。

そしてもうひとつ重要なのが、
「セックスのあとすぐ寝てしまうような男」
への警告。
交換殺人が現実に起きたなどというニュースはかつて流れたためしはない。それは要するに、現実には誰もやったことがないか、現実には誰も失敗したことがないかのどちらかを意味している。

という指摘が興味ぶかい。
タグ:佐藤正午

posted by カルピス at 22:18 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月24日

ラジオ番組が、日にちの設定をまちがえないのに感心する

ラジオをきいていると、
とりためした収録をながしているはずなのに、
「きのうおはなししたように」とか、
「きのうにひきつづき○○さんにおこしいただきました」など、
意識をしっかりきりかえているのにおどろいている。
わたしだったら、ついうっかり、
「さきほどはなしたように」とやらかしそうなのに、
ちゃんと頭をきりかえて、「きのう」あるいは「前回」と、
時間がたったことを、ことばでしっかりおさえている。
たとえおなじ日の収録でも、番組的な時間のながれとしては
「つぎの日」あるいは「先週」であというたてまえを、
だれもがしっかりまもれるのはなぜだろう。

ひとりの担当者が4日間おなじ番組をうけもつ
NHK-FM「音楽遊覧船」は、40分の番組なので、
いちにちに1回分だけを収録ではなく、
おそらくいちどに4回分、
すくなくとも2回分をとっているはずなのに、
担当者のみなさんは、みごとに時系列をあわせている。
ほんとはおなじ日に収録していても、
「きのう約束していたように」なんて、
きょうときのうを ちゃんといいかえるので感心している。
わたしだったら、頭が混乱して、
きょうはいつのはずなのか、すぐわからなくなりそうだ。
いちにちたっている、という設定のところを
「さきほどおはなししたように」、なんて、
ついうっかりはなしてウソがばれるだろう。

だれもまちがえずに、すらすらと
ほんとうにいちにちたったかのようにはなせるのは、
日にちの感覚をまちがえなくきりかえる、
よほどすぐれたノウハウがあるにちがいない。
その日2どめの収録をするまえに、関係者全員があつまって、
「これから『つぎの日』の収録です」を、
10回となえましょう、とうちあわせをやっているか、
スタジオにいるだれかが「きょうは『つぎの日』」
とかかれたおおきな看板をもっているはずだ。
ほんとはおなじ日にとってるんですけど、といわずに、
歯をくいしばっても、時間の経過があったようにみせるのは、
子どもたちにサンタクロースの存在をしんじさせようとする
大人たちの苦労につうじるものがある。

というわけで、むりやりながら、
やっとはなしがクリスマスにつながり安心した。
よいクリスマスを。

posted by カルピス at 22:13 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月23日

緊急車両は、サイレンをならしながらの運転をどうやって練習するのか

仕事ちゅう、市内を車ではしっていたら、
救急車がサイレンをならしながらとおりすぎた。
もちろん、それだけならめずらしいできごとではない。
でも、しばらくしてから、おそらくおなじ救急車が、
わたしたちのまえをまた横ぎっていった。
道順からして、はじめにあったときとは、
ありえない方向をめざしている。迷走しているのではないか。
そういえば、消防車や救急車、それにパトカーは、
サイレンをならしての緊急走行を、 どうやって練習するのだろう。
練習しないとあぶないし、 かといって、
サイレンをならしながら しょっちゅう練習されたら、
いくら必要な体験とはいえ、一般市民として迷惑だ。

しりあいが病院へはこばれるとき、つきそいとして救急車にのった。
若手の隊員が運転し、助手席にすわる先輩隊員が、
車のスピートや、マイクで注意をよびかけるやり方を
わりとこまかく指示していた。
「それじゃ あぶないだろ、もっとスピードをおとして」
「はい!」
みたいなやりとりをおぼえている。
この体験からは、救急車の運転は、
実践においてみがかれている、といえるけど、
もっと初期の段階では、練習のための「本番」が
あんがいまじっているようにおもえてきた。
サイレンをならしてはしる緊急車両には、
本番をよそおいながら、じつは練習中の車がいる。
わたしたちは、その秘密の練習を目撃したのにちがいない。

べつの日に、運動公園とよばれるひろい公園をとおったとき、
駐車場に消防自動車や救急車がたくさんあつまっていた。
消防関係のイベントなのだろうか。
ずらっとならぶ消防車は、みごたえのある景色だったけど、
あんなにたくさん消防自動車が 一ヶ所にあつまっていたら、
もしどこかとおくでほんものの火事がおきたとき、
どうやって対応するのか心配になってきた。
119番に電話しても、だれもでなかったりして。

夜、わたしがあるいて踏切をわたったところで、
うしろの車が、そのまたうしろにいたパトカーから
左にまがってとまるよう、指示をうけていた。
その車は、ちゃんと一時停止していたのに、
なぜパトカーからとがめられたのか。
おそらく「ながらスマホ」がみつかったのだろう。
まっくらなのに、スマホはあかるくひかるのでわかる。
みつかったほうとしては、まさか夜に
「ながらスマホ」をとりしまわれると おもわなかったのでは。
パトカーにとめられた運転手の、
それはないでしょ、がきこえてきそうだった。

posted by カルピス at 22:01 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月22日

「マスク亡国論」に賛成 マスクよりハトマスクを

朝日新聞の投稿欄に「マスク亡国論」がのった。
 冬になると、マスクをかけるのがどうやら常識となつたらしい。病人や老人ばかりでなく、血気盛んな青少年までも皆挙って異様な鼻かくしを耳から吊って得々としてゐる。色彩からいつても黒、白、茶、赤、形からいつても大きな絆創膏をはつたやうなのや、鴉のくちばしのやうなのや、二枚貝に口をはさまれたやうなのや、実に多種多様である。

我が意を得たり、とひざをたたきたくなったけど、
この投稿がのったのは、1938年の12月だ。81年まえ。
むかしの投稿を紹介する
「あの日 あの時」と名づけられたコーナーにのっていた。

こんな投稿をひっぱりだすぐらいだから、
わたしも投稿氏とおなじようにマスクがきらいだ。
男はどうでもいいとして、きれいそうな女性が、
マスクでがっちりガードしていると、
ギョッとするし、残念でもある。
でもまあ、きらいなことを きらいだとかきつらねても
あかるい気もちにはならない。
ここはひとつ、マスクはマスクでも、
ハトマスクやデカ顔マスクをとりあげたい。
どちらもデイリーポータルZの林雄司さんがつくったもので、
ハトマスクは、文字どおり、ハトの顔をしたマスク(仮面)だ。
https://dailyportalz.jp/kiji/130226159740
ひとりがかぶっていても、おもしろいけど、
集団でハトマスクをかぶると、すごくインパクトがある。
林さんは、ハトマスクをかぶった集団で
はとバスをかりきるツアーをやってみたいという。
「どこからどう見てもハトバス」であり、
ぜんぜんもののやくにはたたないけど、
絶対にやる価値があると、だれもが納得する企画だ。

デカ顔マスクは、ほんらいペーパークラフトで
おおきな顔をつくるのだけど、
けっこう手間がかかるので、もっとかんたんに、
ただ顔がおおきくみえる箱で代用されている。
https://dailyportalz.jp/kiji/160825197264
日本だけでなく、どこの国でためしても
まちがいなくうけるらしい。
こういうマスクなら、わたしもつけてみたい。
タグ:ハトマスク

posted by カルピス at 21:23 | Comment(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月21日

『気狂いピエロ』わからないわりにはたのしめた

『気狂いピエロ』
(ジャン=リュック=ゴダール:監督・1965年・フランス)

NHKラジオの「すっぴん」をきいていたら、
高橋源一郎さんが最近なくなった女優の
アンナ=カリーナさんについてふれていた。
彼女が出演した代表作のひとつとして、
ゴダール監督の『気狂いピエロ』をあげ、
高校生のころなかまといっしょにみて、
みんなないたのだという。
かなしい映画ではないのに、ないたのは、
年をとってからこの作品をみたら、
わかいころをおもってきっとせつなくなるのを、
みんなが予感したからではないか、
というふうなことをはなしていた。

このまえよんだばかりの『月の満ち欠け』(佐藤正午)にも、
アンナ=カリーナさんの名前がでてくる。
なにかと映画の知識をひけらかすバイトさきの先輩が、
ショートカットの女性はみんなジーン=セバーグで、
ショートカット以外の髪型だと
みんなアンナ=カリーナにしてしまう、
というはなしがおかしかった。
ゴダール監督の作品も、アンナ=カリーナさんも
わたしはみたことがない。
さっそくツタヤでDVDをかりてきた。

ストーリーがあってないような内容で、
いかにもヌーヴェルバーグ、といったかんじ。
主人公のふたりが突拍子のない行動をとるのに
わたしはまったくついていけなかった。
フランス製のちいさな自動車がかわいい。
映画の雰囲気は、『旧ルパン三世』(の前半)をおもいだした。
『69』(村上龍)にもゴダール作品をぜんぜんみてないのに、
主人公の「ケン」がしったかぶりする場面がある。
わたしがゴダールという名前からかけるのは、
もっている情報を総動員してもこのていどだ。

「『罪と罰』を読まない」という本を、
このまえほんのすこしだけよんだ。
超有名な『罪と罰』(ドストエフスキー)を
まだよんでいない4人があつまって アイデアをだしあい、
どれだけじっさいの内容にせまれるか、
という座談会がおこなわれる。
よんでいない、といっても、はなしあう4人は
岸本佐知子・三浦しおん・吉田篤弘・吉田浩美という
本についての専門家なので、
あたらずといえどもとおからずの推理により、
じわじわと本編にせまっていく。
『ターヘル=アナトミア』を翻訳した
杉田玄白たちのはなしあいも、きっとこんなかんじだったのでは。

『気狂いピエロ』についてのわたしの理解は、
「『罪と罰』を読まない」よりもおとっている。
とはいえ、ぜんぜんわからなかったわりには、
つぎつぎにかわる場面をあんがいたのしんでみていた。

posted by カルピス at 19:34 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月20日

納豆に糸ひきをもとめるのは、たんなるおもいこみ

ラジオをきいていたら、納豆をテーマにはなしていた。
納豆に、タレとからしをかけてから かきまぜるのはゆるせない、
という つよい意見がよせられていた。
番組側も予想していたこだわりらしく、
やっぱりでましたね、という反応だった。
タレをかけてまぜると、 糸をひきにくくなるらしく、
糸ひきが納豆の命とかんがえているひとは、
それがたまらなくいや、ということらしい。
ちいさなことにこだわるのは、
個人的なあそびとしてたのしいかもしれないけど、
まわりのひとにも 自分のこのみをもとめたりすると
いっきにめんどくさくなる。

高野秀行さんの『謎のアジア納豆』をよむと、
納豆が日本独特の食品ではなく、世界各地でたべられており、
日本は むしろおくれている地域としてとらえられている。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/439220603.html
糸ひきにこだわるのは日本人ぐらいだそうで、
たんなるおもいこみにすぎない。
むかしの日本人は、納豆をごはんにまぜるより、
おおくの場合、汁にいれてたべていた、というから、
ねばりこそが納豆のよさ、なんて、ますますどうでもよさそうだ。
どうでもいい、とかんがえるわたしより、
糸ひきにこだわるひとのほうが
食をたのしんでいるのかもしれないけど、
そうしたどうでもいいことであそぶのが
このごろつくずくめんどくさくなってきた。
こだわりなく、なんでもおいしくいただきたい。

けさの朝日新聞で、東畑開人さんの『居るのはつらいよ』が
大佛次郎賞にえらばれたとほうじられている。
わたしがこの本をしったのは、東畑さんと高野さんの対談を、
「週刊読書人」で目にしたことがきっかけだ。
高野さんがすすめるのなら、とよんでみると、
ほんとにおもしろかった。
辺境作家の高野さんは、だれもいかないところへいき、
だれもしないことをかくのが仕事であり、
読書においても、ひとがあまりよまない本にまで
目をくばり、紹介してくれる。
このみの本にであうには、こんなふうに、
自分のすきな作家のおすすめが とても参考になる。

posted by カルピス at 21:35 | Comment(0) | 高野秀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月19日

『本の雑誌 1月号』のベスト10と、わたしの10冊

『本の雑誌 1月号』に、ことしのベスト10が発表されている。
このベスト10との相性が、わたしはあまりよくなく、
参考にするのは海外ミステリー、しかも文庫本だけになっている。
ミステリーは、国内・海外がいっしょにあつかわれており、
ことしは3位に『ひとり旅立つ少年よ』、
4位に『彼女のかけら』がはいっている。
『ひとり旅立つ少年よ』は、
12歳の少年が主人公のロードノベルでおもしろそうだ。
しかも訳したのが田口俊樹さんなので信用できる。
『彼女のかけら』は
カリン・スローターの力をまざまざと見せつける驚異の傑作

とすすめてあるので、よんでみたくなる。

「わたしの10冊」をあげてみる。
ことしよんだ、という意味のわたしの10冊であり
出版されたのはどれも何年かまえの本だ。
ジャンルがバラバラなので、順位はつけられない。

『居るのはつらいよ』(東畑開人・医学書院)
http://parupisupipi.seesaa.net/article/468871566.html
『サピエンス全史(上)』(ユヴァル=ハラリ・河出書房新社)
『行商人に憧れてロバとモロッコを1000km歩いた男の冒険』
http://parupisupipi.seesaa.net/article/463693725.html
 (春間豪太郎・KKベストセラーズ)
『月の満ち欠け』(佐藤正午・岩波文庫的)
http://parupisupipi.seesaa.net/article/471867712.html
『ケイトが恐れるすべて』(ピーター=スワンソン・創元推理文庫)
http://parupisupipi.seesaa.net/article/470268898.html
『燃えるアッシュ・ロード』(サウスオール・偕成社文庫)
http://parupisupipi.seesaa.net/article/468115027.html
『誰がために鐘をならす』(山本幸久・角川文庫)
http://parupisupipi.seesaa.net/article/465434761.html
『ギリギリ』(原田ひ香・角川文庫)
http://parupisupipi.seesaa.net/article/465057334.html
『辺境メシ』(高野秀行・文藝春秋)
http://parupisupipi.seesaa.net/article/469017298.html
『野の医者は笑う(心の治療とは何か?)』
 (東畑開人・誠信書房)
http://parupisupipi.seesaa.net/article/469635052.html

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2019年12月18日

東アジア E-1選手権 日本対韓国 0−1で韓国に完敗

東アジアE-1選手権というと、
優勝してもたいしてよろこびがないわりに、
中国がはでなラフプレーで試合をめちゃくちゃにする
でるだけ損の、罰ゲームみたいな大会、という印象がある。
こんかいの中国がそうだった、という意味ではなく、
ずっとまえからこの大会での中国はめちゃくちゃだ。
そのくせレフェリーのふえはあまく、ラフプレーが横行する。
ケガをするために出場するようなものだから、
日本はエントリーしなければいいのに、とまでおもっていた。
こんかいは、来年の東京オリンピックをみすえ、
チームづくりをすすめるうえで
意味のある大会と位置づけられているようだ。
オリンピック世代を中心に選手がえらばれ、
これまでのA代表から、いっきにチームがわかがえった。

中国戦に2−1でかち、香港とは5−0と圧勝。
でも、今夜の韓国戦は、ずっとおしこまれたまま
0−1でまけてしまった。
試合開始から、韓国はすごいいきおいでボールにからんでくる。
豊富な運動量で、まよいなくまえへ、まえへとすすむ。
日本はつよいプレッシャーに圧倒され、
なんどもあぶない場面をつくられる。
ポストに2どすくわれたものの、
韓国の猛攻にさらされつづけ、防戦一方となる。
こりゃ時間の問題だな、とおもっていた前半28分に、
とうとう先取点をきめられる。
後半になると、韓国につかれがみえ、
日本がすこしはボールがもてるようになったものの、
くずしきるまではいかず、単純なクロスをあげては、
かんたんにはじきかえされ、カウンターにつなげられる。

香港戦でよかった大島と田中のボランチだったのに、
韓国戦では井手口と田中がスタメンとしてえらばれた。
井手口のからだのつよさが韓国むけ、という判断だろうか。
井手口は、わたしのすきな選手だけど、
前半の日本は、連動したプレーがみられず、
個人のしかけにとどまっていた。
ボールをキープできず、ずっとおしこまれたままで、
パスがつながらず、うきあしだったプレーが目につく。
もっとも、韓国の攻撃は、それだけ迫力があった。
後半15分というはやいタイミングで、
井手口にかわり大島がはいってくると、
いいパスがではじめたものの、得点はうばえない。
たのしみにしていた韓国戦だったけど、
きょうの試合は日本にいいところがなく、
0−1の完敗で大会をおえる。
つぎにつながる試合とならなかったことが気がかりだ。

posted by カルピス at 22:14 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月17日

「七味、五悦、三会」風に、ことし一年をふりかえる

きょねんよんだ鴻上尚史さんの記事に、
「七味、五悦、三会」が紹介されていた。
江戸時代には、除夜の鐘をききながら、
この3つを家族ではなしあったのだという。
七味は、はじめてたべたおいしいものを7つ、
五悦はたのしかったことを5つ、
三会は、あたらしくであったひとを3人。

はじめてよんだときに、いいはなしだとおもい、
対象となりそうな体験をScrapboxにかきこむようにしてきた。
でも、はじめのころこそ、
「ココ(ネコ)がひざのうえにのってくれた」
なんてかいていたけど、すぐに意識がうすれ、
さいごにかきこんだのがことしの2月3日で、
しかもまたネコがらみの
「ココがふとんのなかにはいってきてくれた」。
かなしみがないかわりに、よろこびもまた
たいしたことのない一年だったようだ。
おいしいもの、あたらしいであいも、
記録してないのでわすれてしまった。
Scrapboxにたよらずに、ほぼ日へのメモと頭にのこった記憶から、
ことし一年をふりかえってみたい。

・トレーニング
 月に20回を目標に、はしったりおよいだりにとりくんだ。
 調子がいいときにはしる、なんていってたら、
 はしる日がほとんどなくなってしまう。
 はしらないという選択をなくし、
 夕ごはんの用意をしなくていい日は、とにかくはしる。
 足を故障した月をのぞき、毎月20回前後からだをうごかした。
 「みんなで筋肉体操」にもよくとりくみ、
 とくに6月からは、いちにちもやすまずにつづけている。

・映画
 映画をみる本数が、ずいぶんすくなっていたので、
 毎週1本はみようと、8月からツタヤでDVDをかりるようにした。
 11月上旬まで、なんとか週1のペースで映画をみていたけど、 
 それ以降はいそがしさを理由にDVDをかりなくなった。

・田んぼと畑
 自然農法による5年目のコメつくりは、ことしもまた失敗だった。
 芽がでなかったため、収量はゼロ。
 5年契約で田んぼをかりていたので、
 いいくぎりとして、ことしで田んぼをもちぬしにかえす。
 1年目に18キロの収穫があっただけで、
 あとの4年はほぼゼロという残念なコメつくりだった。
 畑は、こまかい管理が必要な野菜だと、
 世話がおいつかないと わかってきた。
 ほったらかしておいてもそだつような
 豆・じゃがいも・サツマイモにしぼる。
 じゃがいもは、せっかくとれたものを、
 ちゃんとかわかさなかったため くさらせてしまい、
 野菜をつくる資格がないヤツと、自己嫌悪におちいる。
 サツマイモは、20キロほどとれ、いまも毎日たべている。
 
 そのほかには、ブログをかきつづけており、
 11月に3000記事をこえた。
 ブログをかくために、夜のつきあいはできるだけことわり、
 深酒にも気をつけ、禁欲的なくらしとなっている。
 淡々と、地味に生きたこの一年と、きっぱりまとめたい。

posted by カルピス at 22:05 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月16日

『北の果ての小さな村で』グリーンランドの村でのくらし

『北の果ての小さな村で』
(サミュエル=コラルデ:監督・2017年・フランス)

グリーンランド東部のちいさな村(人口80人)に、
デンマーク本国から28歳の青年アンダースが
小学校の先生としてやってくる。
もっとおおきな町でもはたらけたのに、
アンダースは自分からちいさな村での仕事を希望する。

あたらしい環境でのくらしに、アンダースは胸をふくらませる。
しかし、都会の価値観をもちこむアンダースに、
村のひとびとや 子どもたちはうちとけてくれない。
授業をしても、子どもたちはあそんでばかりで、
まともにアンダースのはなしをきく気がない。
そもそも、子どもたちは勉強しに 学校へきているわけではなく、
親たちもまた、学校教育に期待などしていない。
伝統をまもって生きるひとたちと、
都会からきた人間とが すんなりなじめないのは、
よくありがちな 設定なわけだけど、
村のひとたちもまた、狩猟をつづけられないなど、
自分たちの文化がおびやかされつつある現実にとまどっている。

すこしずつ村でのくらしになれてきたアンダースが、
元猟師の老人を授業にまねき、
子どもたちへ猟のはなしをしてもらう。
子どもたちは、老人のはなしに耳をかたむけ、
つぎつぎに手をあげて質問ぜめにする。
はじめてシロクマをしとめたときのよろこびを
ふと老人がかたる。
ものすごく興奮し、からだじゅうの血がさわいだ体験を、
当時の自分をおもいだしながら、ぽつりぽつりとはなす。
自分たちがたべる獲物を自分でしとめるくらしは、
本能をかきたて、根源的な生きるよろこびと直接むすびつく。
グリーンランドのきびしい自然とともに、
狩猟をしながら生きててきた村人たちは、
町でのくらしとはまったくちがう価値体系をもつと、
アンダースはしだいに理解していく。

アンダースは、仲間たちと、犬ぞりの旅も経験する。
この村では、いまでも犬ぞりが現役の交通手段だ。
アンダースたちが、3台の犬ソリでパーティーをくみ、
雪のなかをすすんでいく場面は、
この作品のなかでとくにうつくしい。
犬たちはたえずほえながら、懸命にソリをひきつづける。
急に吹雪がおそいかかってくると、
仲間たちがたくみにイーグルをつくる。
ようやく風をよけられる空間を確保し、
人間はひといきつけたけど、
犬たちは吹雪のなか、外でまるくなってねむるしかない。
ほんのちょっとした気のゆるみもゆるしてくれない
猛々しい自然は、きびしい姿をみせながらも、
おだやかな時には 息をのむほどのうつくしい景色を形づくる。
アンダースは、けっきょく本国にかえるのをやめ、
いまもまた、このちいさな村でくらしていると、
エンディングがつたえている。

posted by カルピス at 21:40 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月15日

村上ラジオによせられた相談に、村上さんがどうこたえたか

夜7時からの「村上ラジオ」をたのしみにしていたのに、
仕事がずれて ほんのちょっとしかきけなかった。
仕事にじゃまされるなんて、わたしらしくない。すごく残念。
でも、ネットをみると、
番組の内容すべてが、そっくりそのままサイトにあがっている。
https://www.tfm.co.jp/murakamiradio/
今回の「村上ラジオ」は、音楽だけでなく、
メールでよせられたいくつかの質問に 村上さんがこたえている。
なんねんかまえに、「村上さんのところ」というサイトがひらかれ、
村上さんへの質問をうけつけ、
それに村上さんがこたえる企画があった。
こんかいは、「村上ラジオ」版の「村上さんのところ」だ。

かるい質問にまじり、どきっとするようなメールがよまれた。
16年一緒に暮らしている妻がいるのですが、先日来、口をきいてくれなくなり、メールで「私のことは放っておいて欲しい。 あなたと積極的に一緒にいる理由はもうない」と言われました。これは別れて欲しいということなんでしょうか。ホントに困っています。

お気の毒ですが、それはやはり「別れて欲しい」ということだと思います。ただし、黙ってすっと出て行かないで、そのようなメッセージをわざわざあなたのところに送ってくるというのは、まだ多少見込みがあるということです。 だから、なんでもいいからぺこぺこ謝るのがいいと思います。理屈をこねないで、とにかく誠意を込めてひたすら謝る。言葉の限りを尽くして詫びる。これしかありません。それが人生です。気合いを入れてがんばってください。

あんまり「お気の毒」とおもってないかんじで、
深刻がらずに村上さんがこうこたえている。
だいたいにおいて村上さんは、この手の質問にたいし、
わるいのは男です、というのが基本路線だ。
いつも女性の側にたち、無神経な男たちに
なんでもいいから とにかくあやまるようアドバイスする。
「理屈をこねないで」「ぺこぺこ謝る」のがポイントだ。

こんなふうに配偶者が口をきいてくれなかったら、
わたしだってこまってしまう。
メールで「放っておいて」というぐらいだから、
なぜ口をきかないのか、たずねても無駄だろう。
でも、理由がわからなければ
「誠意を込めてひたすら謝る」のはむつかしくないか。
とにかくあやまればいいとおもってるんでしょう、と
逆ギレされるような気がするけど。
でもまあ、経験豊富な村上さんが、
そこまでいうのだから、きっとただしいのだろう。
それが人生だといいきかせ、
「気合いを入れてがんば」るしかない。
こんな目にあったのが、わたしじゃなくてほんとうによかった。
タグ:村上ラジオ

posted by カルピス at 21:35 | Comment(0) | 村上春樹 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月14日

12月のおたのしみ、『おすすめ文庫王国』を手にいれる

まいとし12月のおたのしみ、
『おすすめ文庫王国』を手にいれる。
いまさらだけど、『おすすめ文庫王国』は、
2019年に出版された文庫本を対象とし、
ジャンルごとのベスト10が特集されている。
単行本はたかくてなかなかかえないので、
すぐれた文庫本をおしえてくれる
『おすすめ文庫王国』はありがたいガイドブックだ。

1位にえらばれた『戦場のアリス』をかおうとすると、
本屋さんにおいてなかった。
この本屋では、出版元の「ハーバーbooks」を
あつかっていないのかもしれない。
かわりにえらんだ4位の『その雪と血を』(ハヤカワリ文庫)は、
わずか207ページしかないのに税ぬき800円もする。
ほかのジャンルはとくにあつさをもとめないけど、
ミステリーは、ながい小説のほうが、
どっぷりとその世界にひたれてたのしい。
207ページでは、よむまえからものたりない。

わたしが関心をもつのは、
現代文学・海外ミステリー・ノンフィクションのジャンルだけで、
時代小説とSF、国内ミステリーにはまったく手をださない。
恋愛小説は、担当者がうまく紹介してあれば、
かうときがあるくらいだ。
海外ミステリー1位の『休日はコーヒーショップで謎解きを』も
本屋さんにおいてなかった。
本がうれないといわれるけど、なければかえない。
不本意ながら アマゾンに注文することになってしまう。
2位の『アイル・ビー・ゴーン』はダフィ警部シリーズの2作目で、
これまでの2冊がおもしろかったのでもとめる。
4位の『わが母なるロージー』は、
『その女アレックス』のピエール=ルメートルによるもので、
カミーユ警部シリーズの番外編とある。たのしみだ。

『おすすめ文庫王国』全体では、
たくさんの本の名前があがっているのに、
わたしがよんだ本は1冊もなかった。
だからガイドブックとしてたすかるともいえるけど、
わずかな時間ながら まいにち本をよんでいるのに、
1冊もかすらないのは、すこし残念だ。

ジャンル別ベスト10だけでなく、『おすすめ文庫王国』の名物企画、
「文庫Bリーグ」の発表も、まいとしたのしみにしている。
これは、出版社をサッカーのJリーグにたとえて順位をきめるもので、
サッカーずきのわたしに すごくつきささる。
それなりのコメントがどのチームにもつき、
ちゃんとB2リーグへの降格もいいわたされる。
B2リーグでは、参入プレーオフも設定されるなど、
めちゃくちゃこまかいところまで目がいきとどいている。
ベスト10をきめる座談会より、
よほどエネルギーがかけられているのではないか。
もう何年もつづいている企画で、ぜんぶよめば、
出版社のこの一年を総括できるしくみだ。
ほかにも よませる記事がたくさんあり、
一冊の雑誌として、すみずみまでたのしめるので、
『おすすめ文庫王国』は利用価値がとてもたかい。

posted by カルピス at 22:06 | Comment(0) | 本の雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月13日

RCサクセションとサザンにとどめをさす

田んぼの小屋においてあった足踏脱穀機を
配偶者の実家へもっていく。
米つくりをやめたので、脱穀機の必要がなくなったからだ。
配偶者の実家は、50キロはなれたとなり町にあり、
信号がすくない いなか道は、音楽をきくのにちょうどいい。
たまたま配偶者からコピーをたのまれていた
ビートルズの『サージェント・ペパーズ・
ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』、
それに、サザンのベストをききながらのドライブとなった。

サザンの曲をきいていたら、ずいぶんまえの記憶で、
日本の音楽におおきな影響をあたえたのは、
RCサクセションとサザン、と
なにかの記事にかいてあったのをおもいだした。
ずいぶんざっくりしたきめつけで、
どの時代、そしてどんな音楽を対象に
こんな大胆なまとめ方をしてあったのかはわすれた。
そんなにかんたんに いいきれるのかとおどろき、
でもまあそうなのだろうなー、と
すんなり納得したのをおぼえている。
こういう主観をつよくうちだした文章がわたしはすきだ。
まったくはずれていたらすくいようがないけど、
そのひとが、本気でそうおもっていれば、
まわりがどうこういいようがない。
B'zはどうなるんだ、とか、
安室奈美恵やユーミンがいるじゃないか、
という意見も当然でてきそうだけど、
「反論はうけつけません」でしりぞければいい。
「RCサクセションとサザン」のふたつにしぼる選択は、
たしかにありだとわたしもおもう。

梅棹忠夫さんが、いろいろおいしいワインがあるなかで、
「けっきょくのところ、ボルドーとブルゴーニュにとどめをさす」、
みたいなことを、どこかにかいていた。
これもまた、「RCサクセションとサザン」とおなじで、
客観性にはとぼしいけれど、そのひとのかんがえ方がつたわってくる。
ひとつにしぼるよりも、ふたつ候補をあげるのがポイントだ。
ひとつだけでは、たんなるおもいこみにすぎず、
せまくて あさいみかたにおもえる。
といって、3つだと、ごちゃごちゃしすぎてよわくなる。
ふたつの名をあげることで、よりそのひとの方向性がみえてくる。
鍋は水炊がいちばん、というよりも、
水炊とちゃんこにとどめをさす、
のほうが説得力をもつ、ような気がする。

posted by カルピス at 20:57 | Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月12日

「深めずに『浅めたら』どうでしょう」という糸井さんの提案

「今日のダーリン」(ほぼ日)に、糸井重里さんが、
「『浅めたら』どうでしょうね、深めずに」
とかいている。
もともとは、永田農法の永田先生にいわれたことばだという。
永田先生の言う「まちがった農法」は、
根を深く伸ばそうとしているやり方だった。
正しいのは、根を浅く細かくふわっと生えさせること。
細かい根が浅いところに綿のように広がるのがいいのだ。
先生は、とにかく繰りかえし言っていた
「頭のいい連中は、なんでも深く深く掘ろうとする。
それがいちばんだめなんですよ」と。
農業の方法ばかりでなく、なんでもそうだと言っていた。

わたしも、根はふかくはるのがいいとおもいこんでいた。
自然農法をこころみて、田んぼにモミをまき、
はえてきた稲をひっぱると、かるいちからでぬけた。
根があさく、いかにもたよりない根のはりかただった。
でも、よくないのは、ひろがりのないはり方であり、
あささではなかったのだ。

糸井さんは、永田さんのことばに影響をうけ、
その問題、深く深く掘っていくと、
切りもなくわけわからないところに行きそうなので、
「浅めたら」どうでしょうね、深めずに

といえるようになっている。
「浅めたら」なんて、いままできいたことがないことばだ。
常識だとおもっていたことが、じつは逆だった、
というのはよくあるけど、
まさか、ふかくはった根まで、まちがっていたとは。

わたしは、永田農法について、まったくしらなかった。
ウィキペディアをみると、
「必要最小限の水と肥料で作物を育てることが特色」
とある。
有機肥料ではなく、化学肥料をつかうというから、
それだけですでに有機農法ではない。
農業は土づくりが大切、とよくいわれるし、
肥料には堆肥などの有機肥料がすすめられるのに、
永田農法はずいぶんかわっている。
やせた土のほうが おいしい作物にそだつというのだから、
ふつうにいわれているのと逆だ。

わたしは、ふかくさぐっていくのがにが手なくせに、
ただしいのは、ふかめることだとおもっていた。
よこに、よこに「浅めて」いくのがいいのなら、
わたしにできることがなにかありそうだ。
「深く掘ろうとする」のがだめ、なんて、
ことしいちばんのカルチャーショックだった。
タグ:永田農法

posted by カルピス at 22:47 | Comment(0) | ほぼ日 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする