2020年01月30日

1月が、やたらにながくかんじられるのはなぜだ

いつまでたっても1月がおわらない。
ふつう、1・2・3月は はやくすぎるといわれるのに、
わたしの実感はまったく逆だ。
きのうの「今日のダーリン」に、
糸井さんが「ほんとうに、1月が長い」とかいていた。
1月がながいとかんじるひとも、なかにはいる。

1月は、あたりまえながら「正月」があって、
5日に仕事をスタートした(わたしの場合)。
インフルエンザでねこみ、
沖縄旅行へでかけ、
お風呂のキュートー機がこわれ、
40センチのひもをのみこんだネコのココが5日間くるしみ、
世間ではコロナウィルスのおおさわぎがつづいている。
ついでながら、この4日間はお酒をのんでない(ただほしくなくて)。
これだけたくさんの「スペシャル」があったのに、
まだ1月がおわらない。
きょうとあしたが まだ1月としてのこっている。
いったいどうなってるんだ。

ふつうは、充実した時間をすごしていると、
毎日がはやくすぎていくはずで、
わたしの場合、充実とはちがうけど、
いろんなできごとに翻弄され、あわただしく1月をすごした。
それなのに、いつまでたっても1月なのがしんじられない。
そうおもいながら もう2週間をすごしている。
もっとも、1月をながくかんじるのはことしだけではなく、
まいとしおなじ感想をもっているのだから、
わたしは1月に苦手意識をもっているのかもしれない。
さむさにもよわいので、1月がよけいにながくかんじるのかも。

とはいえ、ことしは暖冬で雪もふらず、いつもの1月とはちがう。
いつもの冬なら さむさと乾燥で 指さきがひびわれてくるのに
ことしはニベアのお世話にならないし、
湯たんぽをつかいたいほどさむい夜もまだこない。
さむさよりも、なにかスペシャルがあると
わたしはよけいにながくかんじるようだ。
なにもない月のほうが、スルスルっとすぎてゆく。
たのしいことをしていたら、すぐに時間がたつのとおなじで、
つらいこと、たとえばインフルエンザやペットの不調があると、
なかなか日がはかどらない。
個人的にも社会的にも さまざまな
負のスペシャルがあったことしの1月は、
いつもよりもさらにながい1月として記憶にのこるだろう。

posted by カルピス at 21:48 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする