2020年02月09日

新型コロナウイルスとインフルエンザをどうしてもくらべてしまう

中国を中心とした新型コロナウイルスがさわがれているなか、
アメリカ合衆国ではインフルエンザがはやっているそうだ。
米疫病対策センター(CDC)は7日、最新の推計値を発表。2019〜20年のシーズンで患者数は2200万人に上ったとし、さらに拡大する恐れが指摘されている。
 CDCの推計値では、1日までの1週間で患者数は300万人増加し、昨年10月以降の累計で2200万人となった。インフルエンザのために21万人が入院し、死者数は1万2千人に達したとしている。(産経新聞)

中国ではやっている新型コロナウイルスは
2月7日午後5時の段階で、中国の感染者が3万1161人。
死亡者は636人だ。
アメリカのインフルエンザよりも、
数からいえばぜんぜんすくないのに、
なんで新型肺炎ばかりが、
すごくさわがれているのかわからなくなってきた。
中国からの映像をみると、医療関係者が、
放射線防護服みたいなかっこうで仕事にあたっている。
インフルエンザよりも致死率はひくいのに、
これほど重大な危機ととらえられているのはなぜか。
なぜ武漢(と湖北省)で感染者がおおくでるのかも不思議だ。

ネットをみると、新型コロナウイルスとインフルエンザを
簡単にくらべてはならないようだ。
新型コロナウイルスは、まだどんな病気なのか全容があきらかでなく、
これからどう姿をかえていくのか、予測できないからだという。
感染力がましたり、重度の症状となるひとがふえるのかもしれない。
アメリカのインフルエンザは、もうどんな病気かわかっているので、
これからどう推移するかも予想がつく。
毎年さむい季節になると、インフルエンザがはやりだし、
1万人をこえるひとがなくなるのは想定内だ。
新型コロナウイルスの場合、このさきのうごきがまだわからない。
いまをピークに、もうすぐしたらおちつくのか、
100万人、あるいは1億人をこす感染までひろがるのか。

それにしても、今シーズンのアメリカで、インフルエンザにより
1万2000人もなくなっているとはしらなかった。
しかもそれが今年だけの現象ではなく、
毎年すくなくともそれだけなくなっているというからすごい。
日本では、インフルエンザでなくなるひとが
おおい年(2005年)で1818人だそうで、
人口比からいってもアメリカのインフルエンザはおそろしい病気だ。
新型コロナウイルスにおおさわぎしておいて、
インフルエンザで毎年1万2000人なくなるのはしかたない、
という感覚がわたしにはわからない。
これはやはり新型コロナウイルスという名前が
いかにもこわそうだからではないか。
インフルエンザH型、とでも よび方をかえれば、
「ああ、あたらしいインフルエンザね」ぐらい、
カジュアルにつきあえるかもしれない。

posted by カルピス at 20:46 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月08日

夜の読書をたすけてくれるホーザンメガネルーペ

ホーザンメガネルーペをかった。
デイリーポータルZの「ライターの買ってよかったもの」で
とりあげられていた。
https://dailyportalz.jp/kiji/katte_yokatta2019
ねるまえに本をよむとき、いつもつかっている老眼鏡では
用をはたさなくなっており、
なにかいいメガネはないかとさがしていた。

ハズキルーペがこの手のメガネとしてよくしられているけど、
1万円前後と値段がたかい。
じっさいに、眼鏡屋さんでつかわせてもらったら、
いまひとつ しっくりこなかった。
値段にビビったのかもしれない。
ハズキルーペは虫眼鏡のように、拡大するためのもの、
とお店の方から説明をうける。
はなしをきくだけではよくわからなかったけど、
ハズキルーペをかけてみると、いわれていることがよくわかった。
老眼鏡は、個人の目にピントをあわせているので、
老眼鏡でこまかい文字がよめるのなら、
そっちのほうがいいでしょう、ともいわれる。
このときは、けっきょくハズキルーペをかわずに店をでた。

老後にすごす読書三昧の日々をわたしはたのしみにしており、
気にいった本を本棚にならべ、その日がくるのをまっている。
ただ、むかしの本、とくに文庫本は、
活字がちいさくて、いつもつかっている老眼鏡ではよめない。
老眼鏡を2つかさねると、なんとかよめるものの、
あまり快適ではないので、読書用のメガネをさがしていた。

ホーザンメガネルーペは、ちいさな活字でもよめる。
「ルーペ」だから、手もとにある文字を拡大してくれるけど、
たとえば棚においてある時計をみようとすると、ぼやけてしまう。
そんなときのために、ホーザンメガネは
レンズをうえにはねあげられる。
ただ、いちいちレンズをはねあげるのは面倒なので、
ホーザンメガネをつけていると、読書に集中しやすくなった。
老眼鏡のときは、本をよんでいる気になっていても、
じっさいはなんどもよそみをして
読書を中断させているのかがよくわかる。
ホーザンメガネルーペは3000円と、ハズキルーペよりやすく、
わたしも「買ってよかった」に一票をいれたいほど気にいっている。

posted by カルピス at 21:30 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月07日

障害者グループホームの「新規立ち上げセミナー」に参加する

「ゼロから始める障がい者GH(グループホーム)
 新規立ち上げセミナー」に参加する。
建築会社が主催するセミナーで、
グループホームを経営するときに、
どうやれば利益をだせるかのはなしがある。

障害者のグループホームは、老人のものとちがい、
日中はべつの事業所で仕事をし、
夜になるとグループホームにかえってきて、
必要なケアをうけつつ生活をする。
重度の障害者と、軽度の障害者では、
ちがうタイプのグループホームとなり、
サービス単価もちがってくるけど、
いずれにしても、親元をはなれ、
自立した生活をおくりたい障害者にとって、
とても重要な場所となる。
本人だけでなく、保護者にとってもニーズはたかい。
自分たちが年をとれば、いつまでも子どもの世話はできない。
グループホームでしっかりしたケアがうけられたら安心だ。
それなのに、いまの段階では、
まだじゅうぶんな数のグループホームが提供されていない。

わたしがつとめる事業所でも、
グループホームの必要性はよくわかりながら、
これまでふんぎりをつけられずにきた。
2003年に事業をはじめたので、
そのときは保護者もまだわかく、
グループホームは切実な要望ではなかったけれど、
開設から17年がたち、利用者である障害者も、
保護者の方たちも だんだんと年をとった。
自分たちが生涯にわたってわが子の世話をするのではなく、
日中の活動の場だけでなく、夜に生活する場もまた
提供してもらいたいという希望を よくきくようになった。

わたしたちの事業所が、なぜこれまで
グループホームを経営しなかったかというと、
しっかりしたサービスを提供しつづける責任に
たじろいていたからだ。
サービスを提供すれば、それにみあった報酬を
国から得られるのはわかっているけど、
いまいる職員で人的配置をまわそうとした場合、
夜のとまりなど、負担がおおきすぎ、実施にうつれなかった。
リタイヤした元介護職員や、パートの職員をつのり、
べつ事業としてグループホームを経営すればいいのに、
べつの職員集団にまかした場合、
サービスの質がおちるようで、ためらっていた。

いまおもえば、いまの仕事をしている職員たちで、
グループホームもまたやろうとするのはむりにきまっている。
完全に別事業としてグループホームにとりくむしかない。
サービス管理責任者がしっかりケア方針をたて、
サービスをつづけられるよう、必要なパート職員を配置する。
そこらへんが整理されないまま、グループホームは無理、
という雰囲気のままずるずると10年がすぎてしまった。
ようするに、どうしてもグループホームをやろうというだけの
覚悟がきまらなかったし、手をあげる人間もいなかった。

もうひとつネックになるのが、お金の問題だ。
スプリンクラーの設置などの基準をクリアーするには、
ふるい借家よりも、あたらしく家をたてたほうがいいらしい。
グループホームをはじめるにあたり、新築の家をたてれば
すくなからぬお金をかりる必要があり、
重度の方が利用するグループホームの場合、
どうしても1億円以上の借金となる。
オーナーに家をたててもらい、
月々でお金をかえしていくやり方もあるけど、
できれば自分たちで家をたて、
オーナーの顔色をうかがわずに経営したい。

きょういただいたレジュメは、グループホームについて
わかりやすく整理されており、やる気さえあれば、
黒字経営ができるしくみなのがわかった。
ただ、いかにいい資料があっても、
その資料を判断材料にグループホームをはじめるわけではない。
まずもとめられるのは、
どうしてもグループホームをやるという気もちであり、
覚悟であり、決心である。
できない理由はいくらでもつくれる。
問題は、やりたいか、やりたくないか。
気もちさえさえあれば、道はどこかにかならずある。

posted by カルピス at 21:27 | Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月06日

うもれた記事も、そのうちいい味をだすエバーノート

エバーノートにつくった記事が1万をこえた。
はじめのころは記事を分類して、
40以上のノートブックにわりふっていたけど、
3年くらいまえからinboxにいれっぱなしとなり、
雑多な記事がごちゃまぜなままほってある。
エバーノートは、保存した情報を活用しにくいといわれ、
たしかにわたしのようなずぼらな人間がつかうと、
ノートをためこむだけになりやすい。
わたしがつくったふるいノートは、陽の光があたらない空間で
さぞかし さみしいおもいをしているのだろう。

このまえ、たまたまノートブックの一覧をみていたら、
こんな名前で分類してたんだと、
記憶にないノートブックがいくつもあった。
よんでみると、記憶にないだけあって、
はじめてよむようにかんじ、どれもおもしろい。
おもわせぶりなタイトルで気をひいておきながら、
中身がからぽの記事をネットではよくみかける。
そんなのにくらべると、エバーノートにうもれていた記事は、
いちどわたしが「おもしろい」と判断し、
保存した実績があるだけに、はずれがない。
つまらないテレビ番組をみるより、
レンタルDVDをかりてみたほうがまし、とよくにている
(ような気がする)。

意外となげっぱなしになりやすいのが、
集中的にあつめたノートブックだ。
「村上さんのところ」は、2ヶ月ほどで2000記事をためこんだし、
ほぼ日の「観たぞ」も、オリンピック開催期間ちゅうに
200のノートができていた。
こういうのは、つくることで満足してしまい、
そのあとの活用にはつながりにくいようだ。
時間をかけて、ほそぼそとあつめた記事のほうが、
あとでよむとあじわいぶかい。

と、かいておきながら、ひさしぶりに「観たぞ」よむとわらえた。
肩車のカップルは基本、
結婚しちゃえ!な感じでしょうか
(けい)
(永田)あ、むしろ逆ですね。
肩車は「なんなら肩車できちゃう関係」ってだけです。
ほんとの「しちゃえ!」な二人は
なんとなく寄り添って歩いてる。
もうひとり連れて三人組に見えるくらいの感じで。

なんて、永田さんのするどい観察に感心する。

デイリーポータルZだって、分類しただけでも363の記事がある。
そのうちのおおくをわすれているから、
あらためてよみかえすと、じゅうぶんたのしめる。
ためたノートから、ベスト10をつくろうかとおもったけど、
さすがにめんどくさくなってやめた。
363は、それぐらいながいリストになる。
こうなってくると、10年かけ
1万以上の記事をためこんだエバーノートはひと財産だ。
なにかの単語を検索すると、
いくつかの記事がたいていひっかかり、
ブログをかく手だすけをしてくれる。
積極的な活用とはいえないものの、
ためこんでおけば、あとで役にたってくれ、
エバーノートに保存してよかっと、なんどもありがたくおもっている。

posted by カルピス at 22:49 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月05日

「勝手に食べ放題」しても、意外と量はたべられない

デイリーポータルZの名物企画に「勝手に食べ放題」がある。
食べ放題メニューのない店で、文字どおり、
「勝手に食べ放題」をして、ライターが記事にする。
いちおうのきまりとしては
・好きな店で
・好きなだけ食べる
・無理して食べる必要はない
という方針のもとでの「食べ放題」だ。
けしておおぐいが目的の企画ではない。
こんかいは江ノ島さんが、餃子の王将にでかけた。
https://dailyportalz.jp/kiji/the-hottest-gyoza-in-ohshow
なにしろ「チャーハンなら無限にたべられる」
と豪語する江ノ島さんである。
あの江ノ島さんが「食べ放題」をしたら、
いったいどれだけの量と金額になるのだろう。

おどろいたことに、金額は3426円。
注文したおもな料理は
・餃子2人前(計12個)
・麻婆豆腐
・エビのチリソース
・極王炒飯
・ミニかに玉
(ほかにデザートを3品)

江ノ島さんが、餃子をたったの2人前なんてしんじられない。
20人前のまちがえではないのか。
餃子だけなら100個でもたべられそうなのに、
いろんな品を注文すると、ふつうのおおぐいのひとなら
たべられそうな量におさまってしまった。
くりかえし強調するけど、
チャーハンなら1.5キロ、ステーキは1キロをたべた実績のある
あの江ノ島さんが、3426円で満腹なんて。
3426円といえば、3〜4人分の金額なので、
客観的にはじゅうぶんたくさんたべたといえる。
とはいえ、この日の江ノ島さんは、
自分でも意外にたべられない、とおどろいている。
恋人との別れと満腹は突然やってくる。あんまり食べないなと思った人もいるだろう。
ちがうんですよ。自分だってこんなに食えないなんて驚いているんですよ。チャーハン3杯食べて、餃子を食い尽くして「すみません、今日は餃子が終わってしまったので閉店です...」と店員さんに謝られて終わる予定だったが、普通の量でお腹いっぱいになった。

江ノ島さんの「餃子の王将」のほか、
3つの「食べ放題」を デイリーポータルZの編集部がまとめている。
https://dailyportalz.jp/kiji/katte-ni-tabehodai-2020-matome

・食べ放題のない店で制限なく(しかし無理せず)食べまくると、かかる代金はふしぎとだいたい3000円〜4000円
・食べ放題のない店で制限なく(しかし無理せず)食べまくろうとしても、思ったようには量は食べられない。

「勝手に食べ放題」は、意外とたべられない企画なのだ。
そういや居酒屋でやる飲み会っていってみれば勝手に食べ放題みたいなものだよね? という気づいてはいけない事実に気づかされた。

たしかに。デイリーポータルZの指摘をまつまでもなく、
わたしたちは、のみ会でいつも「勝手に食べ放題」をやっている。
金額も、居酒屋ならだいたい3000円〜4000円でおさまり、
デイリーポータルZの編集部のまとめと一致している。
「勝手に食べ放題」とは、居酒屋での のみ会のことだった。

わかいころのわたしは、ひそかにおおぐいを自慢していたけど、
中年になってから、量をたべようとはおもわなくなった。
すぐにおなかがいっぱいになるし、
おなかがいっぱいになると、すごくくるしい。
わたしが餃子の王将で「勝手に食べ放題」をしたら、
餃子と半チャンラーメンだけでじゅうぶんだ。
わかい胃袋でなければ、「勝手に食べ放題」企画はなりたたない。

posted by カルピス at 21:47 | Comment(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月04日

ベッドにはいるのが毎晩おそくなってこまる

お風呂やらストレッチをおえ、
ベッドにたどりついた時間を記録するようにしたら、
みごとに23時50分前後がならんだ。
0時はすぎないけど、かといって23時半ではない。
できるだけはやくベッドにたどりつきたいのに、
なんではかったようにいつもおなじ時間になってしまうのか。

夕ごはんを19時半にたべはじめる。
テレビをみながらゆっくりすごし、1時間で台所をはなれる。
すぐにブログにむかえたらいいけど、お腹がいっぱいだと
頭がまわらないので、30分ほどネットをみてくつろく。
そのあと30分でざっとブログをかき、30分で手なおしをする。
このあとはもうねるまえのルーティンとなる。
床そうじと筋肉体操(うでたてふせとスクワット)にとりくみ、
風呂にはいり、ストレッチをしてから洗濯ものをほすと、
いつもきまって23時50分だ。
まるでアリ地獄にまねかれるように、
まいにちおなじ時間になるのが不思議でならない。

床そうじなんて、ほうきでごみをとったあと、
ざっと棒ぞうきんをかけるだけだから、
実感としては10分ほどなのだけど、
時間をはかるとじっさいは20分かかっていた。
筋肉体操は5分を2種類なのだから あわせて10分。
歯みがきやストレッチ、洗濯ほしなど、
ひとつひとつはすこしの時間しかからないから、
ゼロみたいな気でいるのに、ぜんぶこなすと30分がすぎている。
床そうじをはじめてから、ベッドにたどりつくまでに、
なんだかんだで1時間半かけている。しんじられないけど。
はやくねようとしていながら、いつもおそくなってしまうと、
本をよむ時間がへるし、睡眠時間もみじかくなり、ほんとうにこまる。
神さまにのろわれているのかと時計をうらみ、
あしたこそはやくベッドにはいろうと、寝酒のワインをすする。

とはいえ、いずれの活動も、やめたり時間をへらす気はないわけで、
けっきょくまいにちおなじように時間がすぎて、
ベッドにはいるのも おなじようにおそくなる。
おなじ失敗をくりかえすにきまっているのに、
まいにちおなじながれをまもり、結果として
おなじ失敗をまいばんくりかえしている。
でもまさか、まいばん23時50分とはおもわなかった。
こういうのって、記録をつけないとわからない。
つけたからといって、どうするわけでもないけど。

posted by カルピス at 21:41 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月03日

『闇という名の娘』退職を宣告されたフルダが さいごの調査にのりだす

『闇という名の娘』(ラグナル=ヨナソン・小学館文庫)

アイスランドの警察につとめる
64歳の女性警部フルダが主人公。
もうすぐ定年なのはさみしいけど、
まだあと数ヶ月はあるとおもっていたのに、
いきなり上司によびつけられ、
退職までのこりはあと2週間、といいわたされる。
後任としてやってくる40代の男性に
部屋と仕事をあけわたすためで、
今日じゅうにやめてもらってもかまわない、とまでいわれる。
いまフルダがうけもっている仕事は、
ぜんぶべつの人間にわりふりをおえたので、
あなたがやるとしたら、未解決事件の調査ぐらい、
とつめたくあしらわれる。
いくらなんでも はなしがきゅうすぎる。
仕事をちゅうしんに生きてきたフルダは、
いま仕事をとりあげられたりしたら たえられない。
気になっていた未解決事件をしらべなおすことで、
なんとか気もちをふるいたたせようとする。
(以下、ネタバレあり)

本文は326ページと、そうながくない本で、
ひとつの章もみじかく、すらすらよめる。
ただ、退職をまえにしたフルダのあせりといかり、そして
アイスランドの寒々とした風景がしばしば顔をだすせいか、
けしてあかるい気もちでの読書ではなかった。
フルダを中心にものがたりがすすんでいくけど、
平行して、べつに2つのはなしもかたられていく。
いつ、だれがはなしているのか、あきらかにされない。
おわりにちかづいたところで ようやく
だれがなにをかたっていたのかがあかされる。

そもそも、仕事なしの生活にたえられないという
フルダにわたしは共感できない。
これまで精一杯はたらいてきたのだから、
ごほうびとして、これからは生活をたのしんだらいいのに。
自分の能力を正当に評価されなかった不満から、
フルダはけして上司や同僚がつきあいやすい人間ではない。
しだいにあかされていくフルダの過去もまた、
非常に特殊な事情を背景にひめている。
フルダがこのようにそだち、いまの気質を身につけたのも
彼女の経歴からすると、当然のようにもおもえる。
ひとつのすくいは男友達のピエートゥルの存在で、
彼といっしょなとき、フルダはリラックスでき、
仕事をやめたらピエートゥルといっしょになって、
ゆっくりすごすのもわるくない、とおもうようになる。

おおくのミステリーは、卓越した能力をもつ
警部なり探偵なりが主人公だけど、
フルダの場合、等身大小説といおうか、
問題をおおくかかえた人間(フルダ)が、
いい点もわるい点もごちゃまぜにして、
人間くさく調査をすすめていく。
そのなまなましさが、よんでいて新鮮だった。
さいごにはいいところまでいきながら、
犯人にうまくさきをこされてしまい、
フルダにとって残念すぎるラストとなる。
警部としてはたらくさいごの数時間、
というころまできていたのに。
あまりにもあっけない幕ぎれで、これではフルダがむくわれない。
本書は、フルダを主人公にしたシリーズの3作目ということで、
50代のフルダがえがかれている 2作目をよみたくなった。

posted by カルピス at 21:50 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月02日

新型コロナウイルスの感染者数がすごい右肩あがりでふえている

仕事で鳥取県境港にある「水木しげるロード」へ。
いきはバス、かえりは電車をつかった。
新型コロナウイルスの影響で、
マスクをしているひとばかりかとおもってたけど、
いつもとおなじ、つまり半分くらいだった。
観光客で駅前はにぎわっていた。

かえりの電車では、反対側のボックスに、
中国語をはなす男性2人がすわった。
写真をとりあって、たのしそうだ。
彼らもマスクはしていなかった。
セキやくしゃみもなし。
とはいえ、もうすこしはなれた席へいってくれないかと、
ついおもってしまった。われながら いやらしい反応だ。
そんなことをおもった自分がはずかしくなる。
男性2人の外国人旅行者はめずらしい。
おおいのは、男女がまじって5,6人というグループで、
そうでなければ男女のカップルか。
わたしには、中国語と台湾語をききわけられないので、
どこの国からきた観光客かはわからない。

新型コロナウイルスをめぐる状況は
1月下旬から、一気に深刻さをました。
中国からひとがでいりしないよう、
いろんなかたちで移動が制限されているけど、
武漢市だけで1100万人という人口や、
中国からいちにちに数万人が外国へ移動していた状況をかんがえると、
新型ウイルスをふせぐのはかんたんではない。
ほんの10日まえまでは、数十人ていどの感染者だったのが、
その後、ものすごい右肩あがりの曲線で人数がふえている。
きょうのニュースでは、感染者が1万4380人といっていた。
前日より2590人もふえており、あすは2万、あさっては3万と、
これからさらに数字はいきおいをますだろう。
突貫工事で武漢市にたてている病院は1000床というから、
できあがったころには すでに患者をうけいれられない。
いくら病院をふやしても、おいつかない状況がうまれている。

島根の田舎にすんでいたら、
新型ウイルスなんて関係ないような気がしてたけど、
ちょっとおでかけしただけで、
きょうみたいに外国人とふれあう機会がいくらでもでてくる。
空港から町にはいってくる旅行者は、日本人・外国人ともすごい数で、
ひととの接触は おおかれすくなかれ さけられない。
いまの社会は、地球規模でひととものがはげしくうごく。
こうした社会は、あたらしい病気にたいしてこんなにもよわかった。
ひとの移動を制限するむつかしが問題の根本にある。
ネットをみると、ゾンビ映画みたいに、
自衛と称して差別がうまれている。
ひとびとのこころまでうしなわれつつあるのがこわい。
マスクと手あらいしか いまのところ有効な手段はないのだから、
できることをして、あまりでかけずにくらすしかいない。
ほんのすこしまえまで、とおい国での 関係ない事件だったのが、
ふえつづける感染者数に ひとごとでなくなってきた。

posted by カルピス at 22:07 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月01日

「エピソード」をききだす風潮がきらい

ラジオ番組をきいていると、
ゲストへの質問やリクエストのコーナーで、
制作秘話や特別なエピソードをしりたがるひと
(リスナーというのか)がいる。
そんなはなしは、どこかしずかな場所で、
ふたりきりになったときたずねることだとおもってたけど、
いまはずいぶんおてがるにききだそうとする。
そんなこときいてどうするんだとおもう。
なかには、司会者(パーソナリティーというのか)みずから
「制作秘話もご紹介します」と
番組の紹介をしてるのもあるから、
いまは「制作秘話やエピソード」が
ふつうの話題になっているのかもしれない。
エピソードをたずねられたひとが、
めんどくさがらずに「うーん」と頭をかかえると
気のどくになってくる。
「ふふ」とわらって かるくながせばいいのに。

テレビや雑誌のおしらせでは、
「いまだからいえる」
をよく目にする。
みる側の興味をかきたてたいのだろうけど、
「いまだからいえる」たいていのはなしは、
いまさらきいてもどうってことない。
わたしがテレビのバラエティー番組になじめないのは、
「いまだからいえる」と「エピソード」がおおいからかも。

デイリーポータルZの林雄司さんが、
web記事のかきかたについて
「事実なんて書くな」とテクニックを披露している。
先日、大学生にウェブ記事の書きかたを教える機会がありました。事実なんて書くな、タイトルは情報でも自分の話を無理やり入れろ、工作が失敗したら落胆を描いてエッセイにしろ、などのテクニックを伝授してきました。
あとから聞いたのですが、その前の講師と言ったことが真逆だったらしいです。

「いまだからいえる」や「エピソード」より
ずっとはなしが身ぢかになっておもしろそうだ。

posted by カルピス at 17:51 | Comment(0) | 林雄司 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする