『闇という名の娘』(ラグナル=ヨナソン・小学館文庫)
アイスランドの警察につとめる
64歳の女性警部フルダが主人公。
もうすぐ定年なのはさみしいけど、
まだあと数ヶ月はあるとおもっていたのに、
いきなり上司によびつけられ、
退職までのこりはあと2週間、といいわたされる。
後任としてやってくる40代の男性に
部屋と仕事をあけわたすためで、
今日じゅうにやめてもらってもかまわない、とまでいわれる。
いまフルダがうけもっている仕事は、
ぜんぶべつの人間にわりふりをおえたので、
あなたがやるとしたら、未解決事件の調査ぐらい、
とつめたくあしらわれる。
いくらなんでも はなしがきゅうすぎる。
仕事をちゅうしんに生きてきたフルダは、
いま仕事をとりあげられたりしたら たえられない。
気になっていた未解決事件をしらべなおすことで、
なんとか気もちをふるいたたせようとする。
(以下、ネタバレあり)
本文は326ページと、そうながくない本で、
ひとつの章もみじかく、すらすらよめる。
ただ、退職をまえにしたフルダのあせりといかり、そして
アイスランドの寒々とした風景がしばしば顔をだすせいか、
けしてあかるい気もちでの読書ではなかった。
フルダを中心にものがたりがすすんでいくけど、
平行して、べつに2つのはなしもかたられていく。
いつ、だれがはなしているのか、あきらかにされない。
おわりにちかづいたところで ようやく
だれがなにをかたっていたのかがあかされる。
そもそも、仕事なしの生活にたえられないという
フルダにわたしは共感できない。
これまで精一杯はたらいてきたのだから、
ごほうびとして、これからは生活をたのしんだらいいのに。
自分の能力を正当に評価されなかった不満から、
フルダはけして上司や同僚がつきあいやすい人間ではない。
しだいにあかされていくフルダの過去もまた、
非常に特殊な事情を背景にひめている。
フルダがこのようにそだち、いまの気質を身につけたのも
彼女の経歴からすると、当然のようにもおもえる。
ひとつのすくいは男友達のピエートゥルの存在で、
彼といっしょなとき、フルダはリラックスでき、
仕事をやめたらピエートゥルといっしょになって、
ゆっくりすごすのもわるくない、とおもうようになる。
おおくのミステリーは、卓越した能力をもつ
警部なり探偵なりが主人公だけど、
フルダの場合、等身大小説といおうか、
問題をおおくかかえた人間(フルダ)が、
いい点もわるい点もごちゃまぜにして、
人間くさく調査をすすめていく。
そのなまなましさが、よんでいて新鮮だった。
さいごにはいいところまでいきながら、
犯人にうまくさきをこされてしまい、
フルダにとって残念すぎるラストとなる。
警部としてはたらくさいごの数時間、
というころまできていたのに。
あまりにもあっけない幕ぎれで、これではフルダがむくわれない。
本書は、フルダを主人公にしたシリーズの3作目ということで、
50代のフルダがえがかれている 2作目をよみたくなった。