2020年02月25日

「弁当を3年間作って」うまくなった安藤昌教さんと、うまくならないわたしとのちがい

デイリーポータルZに、安藤昌教さんの
「弁当を3年間作ってわかったこと」がのった。
https://dailyportalz.jp/kiji/my-three-year-history-of-bento
安藤さんのお子さんが中学生になり、
その学校は給食がなかったので、
どうしても お弁当をもたせる必要がでてきた。
それ以来、3年ちかくお弁当をつくっているという。
奥さんも安藤さんも料理をするので、
どちらがお弁当をつくってもよかったけど、
なんとなく安藤さんがなのりでたそうだ。

安藤さんがつくったお弁当の写真が何枚ものっている。
お子さんもたべる弁当なので、量・みばえ・栄養のバランスが
よくかんがえられていて、どれもすごくおいしそうだ。
安藤さんによると、半年まではなかなかたいへんだったけど、
それからはお弁当づくりのスキルがあがったのか、
まったく苦労せずにつくれるようになったという。

わたしも自分のお弁当を、なんねんもつくっているけど、
まいにちおなじようなおかずがならんでいる。
なにもかんがえずにつくると、なんねんたっても進歩はない。
たまごやきと、鶏モモのグリル、
それとスペースをうめるための野菜いため。
ぶあついチーズはかかさない。ご飯のうえに梅ぼしをすこしちらす。
参考までに、写真をのせようともおもったけど、
あまりにもみすぼらしいのでやめた。
もしこのお弁当を、むすこにまいにちもたせたら、
きっと苦情があがってくるだろう。
自分がたべる弁当だから、たのしみがなくても平気だ。
よりおいしく、とか、よりみばえよく、なんておもわない。
料理をするたのしみとか、お弁当をつくりあげた達成感はない。
あるていど満腹感があじわえ、昼ごはんとしてのカロリーを、
確実にとりこめたらそれでいいという弁当だ。

デイリーポータルZのべつの記事で、
編集担当の古賀及子さんが
わたしの作る弁当はいつも手抜きだ。

とことわったうえで、自分のお弁当づくりをあきらかにしている。
https://dailyportalz.jp/kiji/180424202693
・炊けたご飯を弁当箱につめて塩昆布をふる
・冷凍庫にあるなんらかのおかずをレンジで解凍して弁当箱につめる
・冷蔵庫にある昨晩ののこりを弁当箱につめる
・プチトマトを詰める
これが私の弁当作りの全貌である(大声)。
こんなにも明らかになって意味のない「全貌」がかつてあっただろうかという全貌だが、事実なので胸をはって大声で言った。

わたしのお弁当づくりも、こころがまえは古賀さんといっしょだ。
みばえのためにプチトマト、という発想はないので、
ぜんたいに黄色っぽい、地味なお弁当をまいにちもっていく。
手間をかけるつもりはないし、まいにちおなじメニューでもいい。
お弁当箱が、なにかでうまっていればだいたいOKだ。

安藤さんとわたしのお弁当は、なんでこんなにちがうのか。
ひとにたべさすかどうかが、ひとつのポイントだろう。
わたしも、もしむすこがたべるお弁当なら、
もうすこしなんとか工夫したとおもう。
そのつみかさねで、しだいにうでをあげ、
3年たてばそれなりのテクニックを身につけたのでは。
ただ、わたしはひと手間かけるのがきらいで、
そのうえ料理のレシピをまもれないから、
おのずと限界がすぐにおとずれ、
けっきょくはいまとたいしてちがわない
トホホ弁当においついていたと予想する。
お弁当なんて、それでじゅうぶんだとわたしはおもう。
タグ:お弁当

posted by カルピス at 20:38 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする