2020年03月31日

『オシムの言葉』リスクをおかすサッカーのほうがうつくしいとおもいませんか

『オシムの言葉』
(木村元彦・集英社インターナショナル)

先日の記事にオシムさんのことをすこしかいたら、
たまたまその夜の「サンデースポーツ」で
『オシムの言葉』をとりあげていた。

2006年のサッカーW杯ドイツ大会は、
代表史上最強といわれていた日本なのに、
いいところなしのまま、グループリーグで敗退してしまった。
ジーコのあとに代表監督となったのがオシムさんで、
それまではジェフユナイテッド市原の監督を3年つとめていた。
弱小チームをナビスコ杯優勝へとみちびいたオシムさんの手腕は、
サッカー関係者の注目をあつめていたそうだけど、
代表戦ばかりみていたわたしはもちろんしらなかった。
そのオシムさんが代表監督にきまり、
それにともないうれだしたのが『オシムの言葉』だ。

番組では、著者の木村元彦さんと、
オシムさんの指導をうけた巻誠一郎さんが、
オシムさんのひととなりをかたっている。
木村さんは、ユーゴスラビア紛争の体験により、
あすどうなるかわからない人生において、
どれだけ前むきに人生を生きていけるかが彼の哲学にある。

とオシムさんのスタイルを表現している。
サッカーでいえば、ひいてまもってカウンター、ではなく、
リスクをおかして何かをかちとろうとするサッカーのほうが、
うつくしいでしょ、という価値観だ。

巻さんは、だれかのためにプレーすることを
オシムさんが評価してくれたとはなす。
サッカー選手を引退し、つぎのステージをかんがえたときに、
だれかのためにアクションをおこすのが 自分のスタイルだと、
障害者の就労の手だすけを 巻さんは はじめた。
信念をもって活動できているのは、
オシムさんのおしえがあったからという。
サッカーだけにとどまらず、生きかたにまで影響をあたえるのが
オシムさんのプレースタイルだ。

番組の映像では、ジェフの選手たちをおしえる
15年まえのオシムさんがうつしだされる。
試合で納得のいかないプレーを目にすると、
ペットボトルを地面にたたきつけていかりをぶつける。
ナビスコ杯をかちとると、テレかくしに、
茶化すような表情でシャーレを手にする。
選手たちがどうあげしようとオシムさんにちかづくと、
もっともらしい顔をして、かたくなにこばむ姿がおかしかった。
表情をゆたかにかえ、おちゃめに感情をあらわす姿がなつかしい。

本書のこまかい内容はわすれてしまったけど、
この本により、わたしはいっぺんでオシムさんのファンになった。
そして、オシムさんがすすめるサッカーも
おおくのひとのこころをとらえた。
オシムさんは2007年の11月に脳梗塞でたおれ、
代表監督としての仕事からはなれてしまった。
オシムさんがつくる日本代表の完成形をみれなかったのが
かえすがえすも残念でならない。

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2020年03月30日

「きらクラ!」最終回

先週の記事にかいたとおり、
「きらクラ!」(NHK-FM)はきょうが最終回だった(再放送)。
これまでたのしみにきいていた、おおくのファンから
愛にみちたメールがよせられている。
きょうがさいごの放送なのは、残念でならないけど、
8年間、たのしい番組をありがとうと、
だれもが感謝とお礼の気もちを
遠藤真理さんと ふかわりょうさんに つたえようとしている。

きょうのBGM選手権は、卒業制作として、
「わすれられないおくりもの」(スーザン=バーレイ:作)を
8ブロックにわけ、それぞれにクラシック音楽をあてて
ふかわさんがいっきょに朗読した。
よみあげたあと、真里さんもふかわさんも、
感無量となり、ことばがでてこない。
担当者がここでないちゃだめだろう、とおもいながらも
わたしまで胸があつくなってきた。
最終回にぴったりな絵本を、だれがみつけてきたのだろう。

絵本では、あなぐまが友だちたちにのこしてくれた
さまざまなおもいでのひとつひとつが、
「わすれられないおくりもの」だったことにみんなが気づく。
あなぐまが、そっとよりそってくれるだけで、
みんなどれだけたのしいおもいをしてきたことか。
「きらクラ!」も、おおくのひとにとって、
まさに「わすれられないおくりもの」となる番組でした、
とメールがよみあげられる。

おふたりが、交互にすきな曲をかけていたコーナーは、
番組のテーマ曲、エルガーの「愛のあいさつ」が
「ありがとう、きらクラ!バージョン」としてながれる。
演奏は、真里さんのチェロとふかわさんのピアノ。
「きらクラ!」が、とうとうおわってしまった。

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2020年03月29日

お弁当箱にはタッパー型の容器がぴったり

お弁当箱のふたがこわれた。
左右のとめ具でふたをするタイプのもので、
そのとめ具がわれてしまった。
まえにもおなじことがあり、そのときは
瞬間接着剤でとめ、なんとかつかってきたけど、
またおなじところがわれてしまった。
くっつけても、すぐにまたこわれそうだから、
ホームセンターであたらしいお弁当箱をさがす。

そもそも、いまつかっているお弁当箱には不満があった。
構造的にとめ具がこわれやすいことと、
汁もれをふせぐゴムパッキンが、
つかっているうちにどうしてもよごれてくる。
パッキンだけでなく、ふたの溝にもよごれがつく。
パッキンも溝も、すごくあらいにくい。
とめ具とゴムパッキンは、おおくのお弁当箱がとりいれている。
こわれやすく、あらいにくいなんて、いいところがないのに、
なんでどれもおなじつくりなのだろう。

ホームセンターの棚には、とめ具とパッキンという、
おなじようなタイプのお弁当箱しかなかった。
2段がさねのお弁当は、わたしのこのみではないし。
あきらめてかえろうとしたとき、
お弁当箱にこだわらなくてもいいのでは、とおもいついた。
ジップロックをお弁当箱に、という記事をおもいだしたのだ。
https://note.com/eatmorecakes/n/n3c28383f6738
わざわざ買うような、弁当箱としての弁当箱は不要なのではと心のどこかで思っていた、食べ物が安全に運べさえすればそれでいいという、その気持ちとジップロックのコンテナが合致したのだ。「これでいい」で完璧にしっくりくる。(古賀及子・こがちかこ)

そのときは、ジップロックって、どんなものかしらなかった。
ネットをみると、ごはんやおかずをいれるプラスチックの箱らしい。
たしかに、これならいろんなサイズがうってるし、
つくりがシンプルなだけにあつかいやすいだろう。
お弁当箱うり場ではなく、タッパーうり場をさがすと、
いいおおきさの箱がみつかった。
タッパーは商品名なので、タッパー型容器、というべきかもしれない
(レシートには「フードケース」としてあった)。
税こみで350円。
お弁当箱よりずっとやすいし、わたしがほしかったサイズだ。
これまでつかっていたお弁当箱より、すこしたかさがあるので、
容量は100mlふえてるのに、みた目はコンパクトだ。
パッキンはつかってないし、しきりもついてないけど、
汁のおおいおかずなんて、そんなにいれないので、
ふつうのふたでじゅうぶんだろう。
しきりも、じつはなくてもぜんぜんこまらない。
あらう手間がはぶけるので、このごろはつかわなくなっていた。

ためしてみると、タッパー型お弁当箱はわたしにぴったりだった。
容量は問題ないし、パッキンがないので あらいやすい。
とめ具がないので、こわれるところがなく、
もしこわれても、350円でかえる。
ちいさそうにみえて、まえよりおかずをつめこめる。
ながらく いいお弁当箱をさがしてきたのに、
こたえがこんなにちかくにあったとは。
こうなると、ふつうのお弁当箱が、なぜつかわれているのか、
かえって不思議になってきた。
こわれやすく、あらいにくく、サイズがえらびにくい。
パッキンが必要だとは、ぜんぜんおもわないけど。

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2020年03月28日

デイリーポータルZによる「コタツ記事だけの日」という提案

新コロナウイルスのひろがりにより、
2週間の隔離や、家からできるだけでない生活が
いよいよ現実味をおびてきた。
デイリーポータルZでは、「コタツ記事」として
家からでないでかいた記事の特集をくんでいる。
https://dailyportalz.jp/dpq/kotatsukiji_day2020
まえからあたためていた企画だそうで、
分析からポエジーに振り切ったものまで、……えーと、わりといつもどおりのラインナップになっております。

がおかしい。
わたしも、「コタツ記事だけの日」といわれるまで、
いつもとちがう方針でつくられているとは気づかなかった。

なかでもよかったのはSatoruさんによる
「ボスニア・ヘルツェゴビナの地図帳を読む」。
https://dailyportalz.jp/kiji/atlas_of_Bosnia-and-Herzegovina
サラエボの露天商でかった地図帳をひろげ、
おもいうかんだことがかかれている。
わからないことばがあっても、Satoruさんはあえてしらべない。
仮説をたて、推理をたのしむ。
なにしろ
七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家

といわれた旧ユーゴスラビアにあるボスニアなので、
ひとつの国のなかにも複数の民族がすみ、
それぞれにややこしい状況をかかえている。
知識をもったひとが地図帳をみれば、
いろんな推測をたのしめるようだ。

たとえば、イスラム教徒のおおいボスニアなのに、
特産品に豚があげられている地域がある。

 私がふと思い出したのは、スルプスカ共和国の存在だ。それは独自の大統領と政府を擁する「国家内国家」で、正教徒のセルビア人が多数を占める。だから豚と暮らすのも問題ないのではあるまいか…?
これはあくまで仮説にすぎない。その正否もとくに真剣に追求しない。そうしたことには構わない場所で、酒でも飲みながら地図の世界にふける。時間がするすると流れてゆく。
(さらに仔細に読み込むと、この本には自国の民族・宗教に関する記述がないことに気づく。私はそこに引っかかりを感じる。紛争の影をそこに感じる。あらゆる出版物には人間の意思が入り込むのだ)

元日本代表の監督をつとめたオシムさんがボスニア出身だ。
ユーゴスラビアの紛争についてしりたくて、
木村元彦さんの本を何冊かよんだけど、
民族と宗教が複雑にからまり、わたしにはよくわからない。

Satoruさんは、地図帳のもともちぬしの無事をいのり、
下記のようにむすんでいる。
奥付によれば、本書は1998年にサラエボで出版された。紛争の終結からほどなく作られたのだ。
この本を最初に使った人が、もし6年2組のチェハジックさんであれば、彼女(または彼)は私と同世代ということになる。
いまこの瞬間に、チェハジックさんは、世界のどこにいるのだろうか。
生きていてくれ、と私は思った。

posted by カルピス at 20:58 | Comment(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月27日

ハラリ氏の「今こそグローバルな信頼と団結を」に共感する

『サピエンス全史』でしられるハラリ氏が、
アメリカTIME誌へ寄稿した
「『人類はコロナウイルスといかに闘うべきか』
今こそグローバルな信頼と団結を」
を、Web河出が全文公開した。
http://web.kawade.co.jp/bungei/3455/
新型コロナウイルスがひろがるのは、
グローバル化がすすみ、以前より圧倒的におおくのひとびとが
国境をこえてゆききするようになったのが要因、
とおもっていたけど、どうやらちがうみたいだ。
ハラリ氏は、分離ではなく協力が必要、とよびかけている。
いわれてみればもっともで、すんなり納得する。
はじしらずの大量引用で、ハラリ氏の寄稿を紹介したい。
感染症を封じ込めるのに短期の隔離は不可欠だとはいえ、長期の孤立主義政策は経済の崩壊につながるだけで、真の感染症対策にはならない。むしろ、その正反対だ。感染症の大流行への本当の対抗手段は、分離ではなく協力なのだ。

国境の恒久的な閉鎖によって自分を守るのは不可能であることを、歴史は示している。グローバル化時代のはるか以前の中世においてさえ、感染症は急速に広まったことを思い出してほしい。だから、たとえ国際的なつながりを1348年のイングランドの水準まで減らしたとしてもなお、不十分だろう。隔離によって本当に自分を守りたければ、中世にさかのぼってもうまくいかない。

真の安全確保は、信頼のおける科学的情報の共有と、グローバルな団結によって達成される。

今日、人類が深刻な危機に直面しているのは、新型コロナウイルスのせいばかりではなく、人間どうしの信頼の欠如のせいでもある。感染症を打ち負かすためには、人々は科学の専門家を信頼し、国民は公的機関を信頼し、各国は互いを信頼する必要がある。

信頼とグローバルな団結抜きでは、新型コロナウイルスの大流行は止められないし、将来、この種の大流行に繰り返し見舞われる可能性が高い。だが、あらゆる危機は好機でもある。目下の大流行が、グローバルな不和によってもたらされた深刻な危機に人類が気づく助けとなることを願いたい。

もしこの感染症の大流行が人間の間の不和と不信を募らせるなら、それはこのウイルスにとって最大の勝利となるだろう。人間どうしが争えば、ウイルスは倍増する。対照的に、もしこの大流行からより緊密な国際協力が生じれば、それは新型コロナウイルスに対する勝利だけではなく、将来現れるあらゆる病原体に対しての勝利ともなることだろう。

ハラリ氏は、いつもこういうふうに、
歴史を正確に分析し、論理をつみあげていく。
その結果、おのずと新型コロナウイルスへの方針があきらかになる。
だれでもできそうな思考のくみたてなのに、ハラリ氏しかできない。

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2020年03月26日

鉄道とまったく関係のない向谷実さんの「ミュージックエキスプレス」がたのしい

向谷実さんが担当する週の
「音楽遊覧飛行」(NHK-FM)をきいていたら、
「向谷さんはパーソナルトレー二ングをされているそうで、
その後いかがですか?」というメールがよみあげられた。
向谷さんは「ミュージックエキスプレス」と題して、
鉄道と音楽にまつわる番組をうけもっているけど、
鉄道はほとんどからまない内容がほとんどだ。
このまえは、3月だからといって「マーチ」にちなんだ曲を、
そのつぎの日は、3月だから春をイメージする曲と、
鉄道はまったく関係ない曲ばかりだった。
むしろラジオをきいているひとのほうが気をつかい、
「鉄道」のしばりを意識して リクエストされている。
メールやはがきをおくってくるひとたちの年齢層はたかく、
男女ともたいてい50歳以上だ。
年齢からして、まじめな社会人がおおいから、
律儀に鉄道に関連した内容をメールされるのかもしれない。
鉄道とは関係なくても、向谷さんがえらぶ曲はすてきだし、
向谷さんのおしゃべりからは、
たのしくてしかたないようすがつたわってくる。
じっさい、ご機嫌に生きているひとなのだろう。
きいているわたしまでいい気分になる ありがたい番組だ。

メールでたずねられたパーソナルトレーニングとは、
去年の放送で、向谷さんが近況としてはなされたものだ。
これからトレーニングをして、ムキムキのからだになると、
例によって超楽天的にこれから自分のからだが
改造されるであろう道すじをかたられる。
そんなにうまくいくかいな、とわたしはおもっていたけど、
きょうの番組で、とても順調だと報告された。
体格指数(BMI)は2さがったそうで、「筋肉質」にランクされ、
中性脂肪は80、ほかの数値もぜんぶ問題なくなったそうだ。
パーソナルトレーニングはすごくたのしいので、
メールをくれたひとにもぜひやってください、とすすめていた。
それだけ効果がでているのだから、週に2回以上のトレーニングを
着実にこなされてきたのだろう。
いやいやではなく、うまく自分をのせ、
たのしくトレーニングされていると想像する。

そういえば、と、
向谷さんをみならい、まったく関係ない話にうつすと、
このまえむこうから自転車にのってくるわかい男性が、
かた手だけ2本指をたて、忍者がよくやる手のかたちをつくっていた。
なにかのトレーニングなのか、おまじないなのかわからない。
ほんものの忍者だったのだろうか。
もうひとつ関係ないことをかくと、
サザンオールスターズの「鎌倉物語」をきいていたら、
日本語だけで歌詞がかかれているのに気づいた。
やさしくて、うつくしいことばがえらばれている。
原由子さんがうたっているから特別なのだろうか。
いい歌詞だし、いい曲だ。
まえにスピッツがうたう曲のおおくは、
注意ぶかく日本語がつかわれていると 記事にかいた。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/361526112.html
耳できいたときに、意味がわかる歌詞はすばらしい。
音楽遊覧飛行とはまったく関係ないけど。

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2020年03月25日

はやく感染して免疫をもつ、という若者たちのかんがえ方

サッカーライターの西部謙司さんが、
Jリーグの新型コロナウイルス対策について、
「弱者を守る"護送船団方式"の正義」と名づけている。
https://article.auone.jp/detail/1/6/11/93_11_r_20200323_1584959411668437
興味ぶかいのは、「新型コロナウイルスは弱い」というとらえ方だ。
ウイルスが、よわいなりに、かしこくいきのころうとするから、
対応がやっかいになる。
ウイルスの側からみれば、やどったさきの人間を
あまり重症化させると仲間がひろがっていかない。
毒性がよわく、症状がでないひとがおおければ、
げんきな感染者が、どんどんウイルスをまいちらかしてくれる。
今回の新型コロナウイルスは弱い。ショッカーの戦闘員みたいに弱い。罹患しても、8割は重症化しないと言われている。感染しても無症状の人が多い。しかし、それだけに非常に厄介でもある。次から次へと湧いて出てくる。無症状の人々を媒介して、油断すると爆発的に増殖する。

 結局のところ、国民の8割方が感染しないと感染は収束しないそうだ。英国政府は今年の冬に流行ると厄介なので、ピークを早めにして夏には収束させてしまうという作戦らしい。(中略)
欧米の一部の若者が主張しているように、とっとと感染してしまおうという方針なら、ウイルスは確かに早く収束するのだろう。主に老人が犠牲になるが、一部のウイルス弱者のために経済を破綻させるのはバカげているというわけだ。
 だが、近代社会はその考え方に同意しない。たとえ不合理でも、センチメンタルでも、1人の命を疎かにしないところに立脚している。(中略)一部の人からはバカげていると思えても、それが正義というものなのではないか。

そういうことか、と納得した。
若者は、たいした症状がでない例がおおいので、
隔離や予防につとめるより、はやく感染して免疫をもってしまいたい。
景気がひえきり国全体がめちゃくちゃになるより、
老人や基礎疾患のあるひとを あるていど犠牲にしても
感染をはやくおわらせたほうがとくだ、というかんがえ方。
どんな命もとおとい、という大前提のもと、
わたしたちの社会はいとなまれているけど、
それとはちがう価値観をもつひともいる。
Jリーグは、弱者をまもろうと、今季は「降格なし」をうちだした。
「それが正義というもの」だから。

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2020年03月24日

「2週間の隔離」をどうすごすか

2週間の隔離、なんて 新コロナウイルス関係のニュースでは、
かんたんそうにいうけど、じっさいには、
いったいどうやって2週間すごせばいいのだろう。
旅行していても、2週間は かなりながい期間なのに、
それを家でずっとすごすとなればたいへんそうだ。
できるだけ退屈することなく、充実、とまではいかなくても、
ヘトヘトにつかれきることなくすごしたい。

家族にうつってはいけないので、自分だけが家にのこり、
家族はどこかべつなところで2週間すごすケースをかんがえてみる。
いろんな状況が想定されるけど、
わりあいかるい、あるいは無症状、という設定だ。
カゼみたいな症状、というから、
本をよんだり、録画をみたりはできるだろう。
ネットがない時代にくらべたら、情報はかんたんに手にはいる。
必要な日用品は、だれかがとどけてくれるものとする。

症状にもよるけど、からだをうごかさないと、
頭がさきにいってしまいそうだから、
家のなかでもできる運動をする。
筋トレは、「みんなで筋肉体操」をやればいいけど、
有酸素運動をどうこなすか。
なわとびとか、サーキットトレーニングがよさそうだ。
自転車のローラー台という手もあるけど、
隔離生活のためにわざわざかうのは ちょっとめんどうくさい。

よむ本は、家にたくさんある。
よみかえしたい本や、まだよんでいない本。
隔離されているという心理状態は、
どんな本をもとめるだろうか。
かるいエッセイよりも、わりとおもい本がいいような気がする。
『カラマーゾフの兄弟』なんかをよみかえしたら、
2週間でもたりないかもしれない。

せっかくだから、映画もいちにちに1本をノルマとする。
2週間のうちに、どれをみるかリストアップして、
スケジュール表をつくらなくては。
DVDは配偶者にかりてきてもらおう。
このさいだから、配信サービスにはいったほうがいいかもしれない。

ひとりっきりのさみしさは、ネコのココがなぐさめてくれるはずだ。
ネコにコロナはうつらないのだから、
おもいっきり濃厚な接触で2週間をすごしたい。

おおくのひとが、2週間以上の隔離を体験しているので、
すごし方について、すでにいろんなアイデアが蓄積されているだろう。
わたしもまた、自分がすごすいちにち いちにちを、
そのままブログにかけばいいから、ブログのねたにはこまらない。
いまのうちに、いつもたべている食品をすこしずつためこみ、
やがてくるかもしれない2週間にそなえておこう。

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2020年03月23日

「きらクラ!」が来週でおわってしまう

毎週月曜日の朝は、「きらクラ!」(NHK-FM)の
再放送をたのしみにきいている。
3月は、いくつかの番組がうちきられる おちつかない時期で、
「きらクラ!」もまた、3月いっぱいでおわってしまう。
きょうをふくめ、あと2回の放送でおしまいだ。
きょうは、BGM選手権の特集で、
これまでにながされた 印象にのこる曲がリクエストされた。

小川未明の詩に、バレエ音楽をあてた回がとりあげられた。
ちいさな子どもふたりが、
おにいさんにつめたいメロンをとどけるという、
しあわせそうなシチュエーションなのに、
そのBGMをあてられると、まるでスリラーみたいに
ひしひしと恐怖がせまってくる。
司会のふかわりょうさんが、
「あまりにもしあわせと恐怖が表裏一体」と表現していた。
そうかもしれない。ほんらいしあわせは、
恐怖のちかくにあるのだ。

最終回である、来週のBGM選手権に用意された「お題」、
『わすれられないおくりもの』をふかわさんが朗読する。
もうすぐ死をむかえるアナグマと、
その仲間たちのものがたりで、
「月におやすみをいってカーテンをひきました」
というかたりに ピンときた。
これは すてきなはなしにまちがいない。

ねむりについたアナグマは、その夜、不思議な夢をみる。
ながいトンネルをはしっていて、
はしるほどにからだがかるくなっていく。
ツエなんてつかわなくてもはしれるし、
トンネルをすすむうちに、やがてからだが地面をはなれ、
自由に空をとんでいた。

死ぬって、そんなかんじなのかも。
もういぜんのようには いうことをきかないからだ。
それが夢のなかでは むかしのようにかろやかにうごく。
トンネルをどんどんすすむと、むこうの世界へ到着するのだ。
来週の「きらクラ!」は、この童話を8つのパートにわけ、
それぞれにBGMをあてるという。
それが、最終回をかざる さいごの作品づくりとなる。

「きらクラ!」のあと9時20分からは、「音楽遊覧飛行」がはじまる。
今週は向谷実さんが担当する「ミュージックエクスプレス」だ。
アメリカでコンサートをひらいたとき、
「アー・ユー・レディ?」
「ノー!.アイ・アム・ア・マン!」
とやったらドンびきされたそうだ。
ばかばかしくて、こういうのだいすき。
向谷さんは、ひきつづき来年度も番組を担当するようだ。
まずは めでたい。

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2020年03月22日

「買ってよかったもの」に「家」は一理あるかも

デイリーポータルZの人気企画
「買ってよかったもの」に
ずばり「家」があげられていた。
https://dailyportalz.jp/dpq/katteyokatta-2020-03-21
家賃払わなくて良くて便利です。

ということだ。

たしかに家賃は はらわなくてもいいけど、
かりたお金を かえさないといけないのでは。
わたしは家をかったことがなく、
ほんのすこしひとりぐらしたときをのぞき、
基本的に、ずっと親がたてた家でくらしてきた。
パラサイトといわれても、しかたのないときもあったし、
いまは親の面倒をみていると いいわけできる気がする。

親がたてた家は、たしかに家賃をはらわなくてもいいけど、
家は築50年をすぎ、じわじわと老朽化がすすんでいる。
あとどれくらい、この家にすめるのかは わからない。
今年だけでも、キュートーキがこわれたし、
蛇口がいうことをきかなくなったし、
管がつまって、排水がながれなくなった。
それぞれ、3万円ずつ修理費がかかっている。
すこしまえは、トイレの便座をかえたし、
2階とトイレの床がたわむようになっており、
ちかい将来に、板をはりかえる必要がある。
家は、手をいれないと、だんだんいたんでくる。

おなじ職場の同僚は、なんにんかが家をかっている。
新築だったり、中古だったりするものの、
おおくの借金をせおう覚悟に感心する。
貧乏性のわたしにはとてもできない。
わたしは、借金をかかえたら、
仕事がいやになったときにやめられないので、
家や新車をかわずにすませてきた。
とはいえ、借金は、はたらく覚悟がきまるので、
わるいことばかりではないかもしれない。
家賃をはらうくらいなら、かったほうがいい、
というひともいるし、家はかりてすむものだ、
というかんがえも一理ある気がする。
プールでおよぐとき、まとめて回数券をかうか、
1回ずつはらうかの ちがいみたいなものだろうか。

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2020年03月21日

『なないろペダル』(青木摩耶)土地とつながって生きたい

『なないろペダル』(青木摩耶・出版社ジグ)

わかい女性による北米・南米での自転車旅行記。
よくありがちな本にならなかったのは、
著者の青木さんは、伝統文化への関心がふかく、
土地と自分にあったくらしを、
さがしながらの旅となっているからだ。
わかものの自分さがしなんて、
それこそあたりまえにおもえるけど、
青木さんがもとめる「なにか」は筋金いりだ。
むかしながらのくらしをつづけている村や、
あたらしいスタイルをきずきつつあるコミュニティを
あの手この手でさがし、たずねている。
コミュニティの紹介が目的におもえるほど、
とちゅうまではちっとも自転車旅行記らしくない。

青木さんは、日本で大学を卒業したのち、
企業の本社(しかも銀座)でOLをしていたのに、
このままではよくないのでは、と1年でやめている。
農体験や子どもたちのキャンプなどにとりくむ
NPOに仕事をかえ、田舎ぐらしをはじめた。
狩猟免許をとり、獲物のさばき方もこのときにおぼえている。
(わなをしかけ)朝の見回りに行くと、小さな子ジカがそこにいた。愛らしい目でこっちをみては逃げようと必死に暴れている。ようやく獲物がかかったことの喜びと、自分の手で命を奪う罪悪感との狭間で心は大きく揺れた。

肉をたべておきながら、自分では動物をさばけないわたしとちがい、
このひとのとりくみはほんものだとおもった。
こっちをじっとみる子ジカに、とどめをさすなんて、
軟弱なわたしにはぜったいできない。

本書の構成は、
・カナダ・アメリカ編
・アンデス編
・パタゴニア編
・キューバ・メキシコ編
となっている。
どこをはしっても、ツアーに参加してまで
その土地ならではの生活や、手づくり品に青木さんは目をむける。
いろんなところに、自分にあった生活をきずいているひとたちがいる。
ネットやしりあいのしりあいの紹介などで、
青木さんはいろんな場所とひとをたずねる。

バンクーバーからフェリーで3時間のソルトスプリング島では、
ハリーさんがひらくコミュニティで
おとな14人・子ども5人と動物たちがくらしていた。
ハリーさんがいっしょにくらすひとにもとめるのは尊敬とおもいやり。
おたがいが、あいてに敬意をはらい、おもいやりをもってくらせたら、
居心地のいいコミュニティになるだろう。
簡単そうでいて、なかなかできないことだけど。
まえにみたことがあるウッドストックコンサートを記録した番組では、
50万人のわかものが、だれもに親切なすばらしい空間をつくっていた。
北米には、むかしからそうした運動に関心をむける下地があるようだ。
このごろの、自分の国ばかりをだいじにする風潮とちがい、
友愛にみちた関係をのぞむひとたちが たしかにいる。

南米のチリでは、車も草刈機もなしで、
土地にあったくらしをいとなむ ポールさんを紹介している。
手で(草を)刈ると、その土地の地形は細かいことによく気がつくんだよ。それにカエルだって逃げる時間があるだろう。みんな早く目的地にたどり着こうとするけど、その”過程”の方が大事なんだよ。

この本は、大陸の縦断や横断が目的ではないし、
はしった距離が特別なわけでもない。
それなのに、これまでによんだ自転車本とちがう魅力が
この本にはみちている。
おなじ「自分さがし」の旅であっても、
青木さんはひとと自然との調和をもとめているからかもしれない。
自分さがしだけでなく、ちゃんと自転車にものっている。
あれた道やつよい風ではげしくころび、
2回も脳震盪をおこしている。
いっしょにはしっていた仲間や、
偶然とおりがかったひとにたすけられているけど、
そうして幸運にめぐまれていなかったら、
何回かは死んでいてもおかしくないハードな旅だ。
その旅をつづけるだけのガッツが青木さんにはあった。

ひとことでいうと、青木さんはいい旅をした。
日本にかえってからは、日本のことをもっとしりたいと、
自転車で31都道府県をはしっている。
 誰かが田んぼの光景を「日本のウユニ湖」と称していたけれど、比較するまでもなく、この国には美しいものがたくさんあるのだ。
 そんな美しいもの、そしてそれを受け継ぎ、次の世代へとつないでいく素敵な人たちにもっと出会いたい。こうしてわたしはまた次なる旅に出る。

posted by カルピス at 17:32 | Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月20日

伊藤理佐さんの「いいことみっけ」がすてき

新型コロナウイルスにより、
いつもとちがう「日常」になっているいま、
休校になって、1個だけ、いいことがあった。

と伊藤理佐さんが「オトナになった女子たちへ」
(朝日新聞)にかいている。
タイトルは、「いいことみっけ」。
となりにすむ5年生の女の子が、
むすめさんをあそびにさそってくれたのだという。
ピンポーン、と、鳴らしてくれた。ならしてもらって気づいたけど、とても鳴らしてほしかった。毎朝、学校には一緒にいくけど、遊ばない関係の2人。

伊藤さんは、むかいの家で、高校生の男の子が、
玄関を本格的に掃除していたのもみかけた。
(男の子がいたのは)知っていたんだけど、こんな長身だったとは。おばちゃん、つい、声かける。「掃除?」
「はい。休校で暇だから」(中略)
いいこと1個だけじゃないじゃん。なんか、いっぱいあった。

ほかにも、2階の窓から子どもたちにむけ、
クイズをだしてくれたおばさんもいたそうだ。

こんなときだから、いつもはできないことをする。
いつもとちがうことに気づく。
どんな状況になっても、生活していくことにかわりはない。
できないことをためかないで、いまだからできることをためしたい。
「いいことみっけ」って、すてきなとらえ方だ。
いつものくらしが、「いいこと」だというのは、もうわかっている。
なんでもない日こそありがとう、は、震災のときにみんなが気づいた。
どこかへいかなくても、いつもの生活でじゅうぶんだ。
そのなかで、「いいこと」をみつけられるかどうか。

いまの状況はどこか、大雪がふったときに 似ていないか。
雪が20センチでもつもれば、「いつもとおなじ」ではいられない。
かといって、身の危険が、すぐちかくにせまっているわけでもない。
学校はやすみだったり、下校がはやかったり。
雪かきをして、家のまわりをととのえる。
近所のひとと、いつもはしないあいさつをかわす。
大雪は、不自由をするけど、「いいことみっけ」のときでもある。
ちがうのは、いつまでこの状況がつづくのか、
はっきりとしたみとおしが もてないことだろうか。
だからこそ、いつもとちがうくらしのなかで
「いいこと」に気づきたい。

posted by カルピス at 21:21 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月19日

感染者がでていないのは、さすが島根

すこしまえの記事に、
島根の県立高校と、出雲市・松江市が、
国からの要請にしたがわず、学校をやすみにしなかったとかいた。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/473862495.html
県内からひとりでも感染者がでれば、
状況はかわったかもしれないけど、
さいわいこれまでのところ、島根では感染者がでていない。
おとなりの鳥取もまた感染からまぬがれており、
知名度がひくい島根と鳥取が、
ともに感染者をださずに息をあわせている。
いろんな幸運にたすけられているのにくわえ、
なんといっても人口密度のひくさが要因ではないか。
都会にすむひとたちが、満員電車を利用しなければ
通勤・通学できないのにひきかえ、
島根は自家用車がおもな通勤手段だ。
密閉された空間で、おおぜいがすごす機会だって、
都会にくらべたらそんなにおおくない。

『サピエンス全史』(ユヴァル=ハラリ)では、
農耕がはじまると、おおきな集団でひとびとがくらすようになり、
伝染病がはやりやすい条件ができたと指摘している。
(初期の農耕民は)永続的な定住地が感染症の温床と化すだろうことも理解していなかった。

ひとがたくさんあつまってくらすのは、
リスクのたかい生活様式なのだ。

島根に感染者がでていないのは、あくまで「いまのところ」にすぎず、
いずれはほかの県とおなじ状況になるだろう。
それでも、スカスカの人口密度であり、
おおきな集団ができにくい地の利は
感染をおさえるのに、有力なアドバンテージとなるだろう。
老化がすすんでいる島根で 新型コロナウイルスがはやれば、
いっきに感染がひろがるかもしれず、予断をゆるさないけれど、
いけてない県の代表格である島根と鳥取が、
感染者のでていない、のこり9県にはいっているのがけなげだ。

posted by カルピス at 22:45 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月18日

環境問題から新型コロナウイルスをみると

新型コロナウイルスのひろがりによって、
中国とイタリアの大気汚染が改善されつつあるという。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200318-00010004-newsweek-int
人間からみれば、新型コロナウイルスはおそろしい伝染病だけど、
地球全体でかんがえると、環境がよくなるのだから皮肉なものだ。
人間の活動が、いかに環境をいためているかがよくわかる。
いま、おおくの国が入国制限にふみきっており、
国内の移動についても、でもできるだけ外出をひかえるよう、
それぞれの政府がもとめている。
とうぜん飛行機はでばんをうしなうわけで、
飛行機がとばなければ、空気をよごさないですむ。
地球にとって、人間こそが最大のやっかいものだ。
ヒューマニズムでは、ひとのいのちはなによりもとおとい。
ヒューマニズムは、人間だけを特別あつかいしすぎた。
ニューマニズムなんてしったことかのウイルスにとって、
ひろがるチャンスがあれば、国境など関係なく、
できるだけ仲間をふやそうとする。
新型コロナウイルスのひろがりによってはじめて、
世界は入国・出国に規制をかけた。
ひとの移動を制限し、活動をおさえるのは、
自由主義の国では不可能だったのに、
新型コロナウイルスがこれを実現した。
新型コロナウイルスがつくりだした状況が、
あらたなしくみをうみだすだろうか。
感染がおさまったとき、人間はなにをまなんでいるだろうか。

『風の谷のナウシカ』では、おそろしい毒をだす腐海は、
じつは人間が汚染した大地をよみがえらせていた。
人間は腐海をおそれながら、ほそぼそと生きている存在だ。
ナウシカの世界は、ヒューマニズムが意味をもたない。

posted by カルピス at 21:44 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月17日

いまさらながら「死闘の果てに 日本VS.スコットランド」に興奮する

いまさらながらNHK特集
「死闘の果てに 日本VS.スコットランド」をみる。
夕ごはんのとき、録画しておいた番組をみながら
食事をするのがわたしのすきな時間だけど、適当な録画がない。
これも新コロナウイルスの影響なのだろうか。
ずっとほっておいたスコットランド戦についての番組をえらぶ。
試合のハイライトをあつめた番組だとおもっていたら、
両チームの選手・コーチへのインタビューをまじえ、
「こういうのがみたかった」というすぐれた内容だった。

スコットランド戦は、しばらくまえの試合なので、
日本がかったのはおぼえているけど、
その内容はすっかりわすれてしまった。
番組をみるうちに、だんだんとおもいだす。
台風で開催があやぶまれていたあの試合、
スコットランドがグループリーグでかちのこるには、
勝利が絶対条件だった。
そんななか、スコットランドの関係者が、
台風だろうがなんだろうが試合をするべきだと、
むちゃくちゃな発言をしており、
にわかのわたしはイラっときていた。
試合がやりたいのは日本代表だっておなじだけど、
むりに試合をひらき、けが人がでるようではよくないと、
慎重な姿勢で試合の日をまっていた。
自分たちののぞみだけを主張するスコットランドと、
わたしたちの代表は次元がちがうのだ。

結果的には日本が28−21でスコットランドをやぶったこの試合、
最初のトライこそスコットランドにゆるすものの、
そのあとたてつつけに3トライを日本がきめる。
後半にはいっても、福岡選手がかんたんに
(そうみえた)4トライ目をうばっている。
日本の活躍に、ただおおよろこびしていたわたしだったけど、
両チームの選手たちは、トライのうらでおきていた、
日本の守備陣のほころびに気づいていた。
4トライ目となる 後半そうそうの 福岡選手のトライは、
あいての攻撃をひきだしてしまったプレイらしい。
日本は気もちがゆるくなり、スコットランドは
もううしなうものがないので、それまでの作戦から
サイドをひろくつかった攻撃にきりかえる。
日本は前半に猛攻をしかけつづていたので、
体力がつづくわけがない、と観察しており、そのよみは的中する。

福岡選手のトライのあと、
スコットランドはたてつづけに3トライをきめ、
逆転が射程距離にはいってきた。
のこり時間は25分。
日本のディフェンスコーチによると、
日本はいつものこり25分まではいい試合をするのに、
それからくずれることがおおいのだという。
前回のワールド杯でも、日本はスコットランドに逆転をゆるしたし、
去年の3月におこなったイングランドとの試合でも、
スコットランドは後半から驚異的なちからをみせて逆転した。
後半を得意とするこの危険なチームと、日本代表はどうたたかったか。

守備が崩壊したかにおもえた日本にちからをあたえたのは、
福岡選手がおこなったすて身のタックルだ。
まにあいそうもないタイミングでボールにとびつき、
みかたの選手たちに、自分たちがするべきプレーをおもいださせた。
ここから日本のねばりづよい守備が復活する。
自分たちをしんじるちからを、もういちどとりもどした。
両チームの選手たちは、のこり25分をとてもたのしんだという。
かち・まけの次元をこえ、ラグビーをするよろこびにひたっていた。
まけるかもしれないのに、もっと試合をつづけたいとねがった。
人生をかえる試合はそうないけど、スコットランド戦こそが
それに値する試合だったと福岡選手がふりかえっている。
スコットランドの選手たちもまた、この試合にかたなければ
グループリーグでの敗退がきまるプレッシャーのなかで、
この25分はラグビーにおける特別な体験となった。
スタジアムもまた、異様な雰囲気につつまれていた。
サポーターと日本代表が一体となった貴重な瞬間を、
両チームの選手たちがかんじとっている。
それだけこの試合はおおくのひとを勇気づけ、
ちからをあたる特別なプレーにみちていた。
にわかファンには気づかなかったプレーの意味を、
ていねいに説明してくれるありがたい番組で、
ひさしぶりにワールド杯の興奮をおもいだした。

posted by カルピス at 21:53 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月16日

『アイル・ビー・ゴーン』

『アイル・ビー・ゴーン』
(エイドリアン=マッキンティ・ハヤカワ文庫)

ダフィ刑事シリーズの3作目。
IRAの活動家、ダーモットの居場所をMI-5がさぐっている。
ダーモットはダフィの同級生だったことから、
ダフィのもとにMI-5のスタッフがたずねてきた。
そのころのダフィは、はめられて警察の仕事をうばわれ、
年金ぐらしにおいやられていた。
MI-5は、ダーモットの捜査をダフィにもちかける。
ひきうけるなら、名誉を回復し、仕事ももとにもどすという。

ダフィがダーモットの元妻、アニーをたずねると、
彼女の妹が不審な死をとげたとしらされる。
彼女の家族は、まだその死をうけいれられず、
とくに母親は、ジニーの死が事故であるとは
どうしてもしんじられない。
もしダフィが事件をしらべなおし、犯人がわかったら、
彼女はダーモットの居場所をおしえるという。

というながれで、直接ダーモットをさがすのではなく、
ジニーの死をあきらかにするためにダフィはうごく。
ジニーの死体は、いわゆる「密室」で発見されており、
ふつうにかんがえると殺人事件ではなく、
事故死であるようにしかみえない。
ダフィはなんども現場をおとずれ、
関係者からもはなしをききだし、
しだいにかくされていた事実をつかむ。

わたしは「密室」ものにたいして関心がなく、
ダフィが必死になって謎をとこうとするのに
いまひとつはいりこめない。
そこらへんはさらっとながしていいから、
もっとうごきのあるストーリーのほうがすきだ。
とうとう謎をあきらかにしたダフィは、
犯人をまえに自分の発見を得意そうに披露する。
アリバイ工作をみやぶったダフィの捜査はみごとだったけど、
密室のトリックをめぐるはなしはしつこすぎた。

「解説」には、ミステリー作家の島田荘司氏が、
ながながと自作とマッキンティ氏の著作との関係をかいている。
それによると、マッキンティ氏が密室をあつかった理由について
アイルランドの新聞にたずねられたとき、
島田荘司氏の著作をよんだ体験にふれているという。
かんじんの本作についての説明はなく、
「解説」というよりも、自作の宣伝としかおもえない。

マッキンティ氏の本は、邦訳された
『コールド・コールド・グラウンド』、
『サイレンズ・イン・ザ・ストリート』、
そして本書の『アイル・ビー・ゴーン』とも、
タイトルをみても、なんのことだかまるでわからない。
『アイル・ビー・ゴーン』は、
ある歌詞からとったことばなのだけど、
それだけをだされても日本の読者には不親切だ。
適切なタイトルをもとめたい。

posted by カルピス at 21:58 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月15日

死ぬまえの3日間をどうすごすか

またまた『セント・オブ・ウーマン』について。
中佐は死ぬまえにゴージャスなおもいをしようと、
ニューヨークへゆき、服をあたらしくしたて、
高級娼婦をだき、フェラーリにのった。
残念ながら、豪遊をたのしむだけの教養がわたしにはなく、
高級ホテルや高級レストランでは緊張してしまう。
わたしだったら、どんな3日間をすごすだろう。

中佐みたいに家をはなれて さいごをむかえようとするのは、
映画ならではの発想かもしれない。
死ぬときは、みなれた風景のなかのほうが
おちつけるような気がする。
派手にあそんでくいをのこさないように、は
たのしそうで 自分もやってみたくなるけど、
じっさいの人生においてあまり参考にならない。
『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』
(村上春樹)では、
人生のおわりがちかづいてきたとき、
女性とイタリア料理店へゆき、彼女の家にとまり、
つぎの日は缶ビールをもって公園にでかけている。
はでさはないけど、手ごたえのある時間のすごし方だ。
ひとつの理想形として 頭にとどめておきたい。

中佐のように、自殺とまではいかなくても、
胃ろうや延命処置をことわるのも
死を覚悟しての濃密な時間とむきあいそうだ。
死をむかえるまでの3日間、と似た状況は、
あんがいおおくのひとが体験するのではないか。
そして、ほんとうに死をまぢかにしないと、
リアルなアイデアはうかんでこないかもしれない。
からだが自由にうごかなくなっていたら、
3日間のすごし方はおのずとかぎられてくる。
そのときのからだの状態によって、条件がかわってくる。
死ぬまえは、どうせほかにやることはないのだから、
朝おきたときに、いまのうちにできることの
リストづくりなり、確認なりをして、最後にそなえたい。

「終活」ということばをよく耳にするけど、
最後の3日間をどうすごすか、という項目があるだろうか。
死ぬまでにやっておきたい10のこと、は
似てるようだけど、ちがう。
死ぬまでの3ヶ月、でも、こたえがちがってくる。
「おわりよければすべてよし」かもしれないので、
さいごのすごし方は大切にしたい。
3日間という設定は、いいところをついている。

posted by カルピス at 21:49 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月14日

しつこく『セント・オブ・ウーマン』

先日の『セント・オブ・ウーマン』がしみじみとよかったので、
もういちどじっくりみかえす。
簡単にあらすじをまとめると(ネタバレあり)、
アル=パチーノ演じる盲目の退役軍人(中佐)が、
おもいのこすことなく死ねるよう、
ゴージャスな数日をニューヨークですごすはなしだ。
エリート高校生のチャーリーがかかえてしまった
やっかいな なやみが平行してえがかれる。
チャーリーは、休暇があけると、
全校生徒のまえでひらかれる懲戒委員会で
仲間のなまえをつげぐちするか、
ハーバードへの推薦をとりけされるかの
むつかしい立場にたたされている。
ラストでは、中佐がこの懲戒委員会にのりだして、
みごとな演説により、チャーリーの窮地をすくう。

先日の記事にかいたとおり、
http://parupisupipi.seesaa.net/article/473941396.html?seesaa_related=category
この作品は名場面がいくつもあり、そのどれもが印象にのこる。
なんといっても、中佐によるラストの演説に迫力があり、
映画をみながらメモしていたら、ぜんぶかくしかなくなって
とちゅうであきらめた。
レストランでおどるタンゴの場面もすばらしく、
どうしてもアル=パチーノの名演に目をむけがちだけど、
チャーリーという、やさしい男子生徒の設定が
この作品の、ひとつのポイントになっている。

チャーリーは、クラスメイトと
あたりさわりのないつきあいをしているものの、
仲間たちとちがい、裕福なそだちではないため、
お金をかけたあそびはできず、すこしひいてしまう。
仲間はずれにされるとか、差別されるとかではないけど、
彼らとおなじようには能天気にふるまえない。

チャーリーは、アメリカ人高校生からイメージするような、
かるくて、女の子とあそぶことばかりの若者ではない。
はっきりしないところがあるけど、あたたかみがあり、
仲間のなまえをつげぐちしたりしない。
こういう人物が、映画の主役にえらばれるのは、
アメリカも、こういうひととなりが
評価される社会なのだろうか。
アメリカ人というと、おしがつよく、
自分の意見をつよく主張するタイプをおもいえがくけど、
チャーリーは、自分ひとりが罪をかぶっても
しかたないとうけいれようとする。

誠実でやさしく、あたたかいチャーリーだからこそ、
気むずかしい中佐を手つだう役割がなんとかつとまる。
彼はしだいに中佐のユーモアやつよい信念をみとめるようになり、
さいごには、友人のような関係をきずく。
チャーリーが、これまでのべたような性格だから、
この作品がなりたっているわけで、
もしチャーリーが仲間のなまえをだしても
なんともおもわないような人間だったら
別の映画になってしまう。
もちろんアル=パチーノの熱演もあるとはいえ、
チャーリーのやさしくて、芯のとおった性格が
この作品を名作にしあげるのに、かかせない設定だった。

posted by カルピス at 20:04 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月13日

ネコ映画としての『ボヘミアン・ラプソディー』

『ボヘミアン・ラプソディー』
(ブライアン=シンガー:監督・2018年・イギリス)

いまさらながらの『ボヘミアン・ラプソディー』。
「いまさら」なことしかかけないし、
なにをかいても「いまさら」なので、
安心して素朴な感想がかける。

「クイーン」をしらないわたしでも、映画作品としてたのしめた。
まだわたしが高校生だったころ、スウェーデンの音楽グループ
「アバ」をとりあげた映画をみたら、これがぜんぜんつまらなかった。
コンサートのようすをつないだだけで、
ストーリーはほとんどないようなものだ。
音楽映画にこれでこりてしまい、
『ボヘミアン・ラプソディー』が公開されたときも
どうせコンサート映画でしょ、と警戒してみにいかなかった。

この作品は、もちろん「クイーン」の映画だけど、
よくできたネコ映画でもある。
画面になんどもネコがでてくるし、
フレディは家をひっこしても、
ちゃんとネコの部屋を用意するくらいネコずきだ。
なによりもネコがひかったのは、
ライブエイドの日、コンサートにでかけるまえに
鏡にむかってノドの調子をたしかめるフレディを、
ネコたちが不思議そうな表情でながめる場面。
どうやってあのポカーンとした顔を撮影できたのだろう。
ゆたかな知性をかんじさせるネコたちが、
映画の奥ゆきをふかめている(意味不明)。

映画としてたのしめた、とかいたけど、
フレディの口元が気になってしかたなかった。
エンドロールには、フレディ本人がうたう場面があり、
ほんもののフレディは、そんなにでっ歯じゃないのに、
なんであんなに口元を強調したのだろう。
フレディの、ザラリとした声が魅力的だった。

グループが有名になり、とりまきがたくさんでき、
なかにはいかれたやつもいて、グループにヒビがはいり、と
よくあるはなしであり、さきがみえてしまうつくりだ。
そこにリアリティをもちこんだのが
フレディをえんじたラミ=マレックで、
ほんもののフレディのうごきをよく研究している。
デビューしたてのころ、まわりのいうことに耳をかたむけず、
めちゃくちゃとんがっているフレディがいいかんじだった。
すべてにおいて しっかりロックしており、好感がもてる。
はじめてクイーンにふれるわたしみたいな観客でも
スッとひきこまれたのは、クイーンの誕生から、
有名になっていく過程を、丁寧におさえていたからだろう。

ライブエイド コンサートのようすも圧巻だった。
あれだけのひとがあつまったら、
トイレ問題をどうしていたのか心配になる。
コンサートでうたった「レディオ・ガ・ガ」がいい。
「いまラジオからながれてるのは
 まるで意味のない音
 くだらない音楽ばかり」
いまの日本が、まさにそうだ。

posted by カルピス at 21:01 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月12日

あるブログのおわりにたちあう

毎日チェックしていたブログが、
きょねんの11月23日以来、更新されなくなった。
そのサイトをひらくと、
いまはうえのスペースが広告につかわれている。
60日間投稿がない場合に広告がのるという。
以前は、月に10回以上更新されていたブログで、
日課として毎日チェックしていた。よめないのはすこしさみしい。
クラスメイトがある日をさがいに、学校にこなくなったような。
まえにもながい間のおやすみがあったけど、
60日以上更新がないのは はじめてだ。
もうすこしたてばまたはじまるのだろうか。
ひとつのブログのおわりにたちあったのかもしれない。
ながくつづいているブログも、こんなふうに
更新が突然とだえ、それっきりになるのか。

わかいひとの場合、かくことがないとか、
PVがのびず、やる気をうしなった、
などがブログをやめる理由になりそうだけど、
高齢者になると、問題はもっと肉体的で、切実なのではないか。
たとえば自分が入院したとか、
家族の介護でブログどこれではなくなった、とか。
家族の介護でいそがしくても、それをネタにすればいいのだから、
いそがしさはやめる理由にならない気がするけど、
ほんとうにへとへとにつかれたら、
ブログどころではない気もちになるのもわかる。
自分の身になにかおきて、入院しても、
かく気さえあれば、いまはなんらかの方法でつづけられる。
それができないとしたら、深刻な状況だ。
からだだけでなく、気もちがよわくなると つづかない。
定期的なブログの更新は、なによりも無事なたよりだ。
ブログをつづけるだけのげんきがあれば大丈夫。
きゅうに更新がとだえたら、
なにかのサインなので心配したほうがいい。
いまかいているこのブログみたいに、
のらりくらりとつづく 意味不明なブログは、
だれも管理者の健康なんか気にしてないだろうけど。

ブログをつづけると、いいことばかり、
みたいにいわれるけど、じっさいは
そんなにありがたいはなしだけではなく、
なげだすほうが普通ともいえる。
自信をもっていえるけど、ただブログをつづけだけでは
なにかが身についたり、かしこくなったりしない。
わたしの場合、よまれなくてもまあしかたがないと、
ひらきなおっており、進歩もないし、PVはふえない。
それでも、かく場があるのはありがたく、
将来の自分がよめば、なにかおもうことがあるだろうと、
日記みたいな内容を、きょうもほそぼそとかきつづける。

posted by カルピス at 21:53 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする