毎日チェックしていたブログが、
きょねんの11月23日以来、更新されなくなった。
そのサイトをひらくと、
いまはうえのスペースが広告につかわれている。
60日間投稿がない場合に広告がのるという。
以前は、月に10回以上更新されていたブログで、
日課として毎日チェックしていた。よめないのはすこしさみしい。
クラスメイトがある日をさがいに、学校にこなくなったような。
まえにもながい間のおやすみがあったけど、
60日以上更新がないのは はじめてだ。
もうすこしたてばまたはじまるのだろうか。
ひとつのブログのおわりにたちあったのかもしれない。
ながくつづいているブログも、こんなふうに
更新が突然とだえ、それっきりになるのか。
わかいひとの場合、かくことがないとか、
PVがのびず、やる気をうしなった、
などがブログをやめる理由になりそうだけど、
高齢者になると、問題はもっと肉体的で、切実なのではないか。
たとえば自分が入院したとか、
家族の介護でブログどこれではなくなった、とか。
家族の介護でいそがしくても、それをネタにすればいいのだから、
いそがしさはやめる理由にならない気がするけど、
ほんとうにへとへとにつかれたら、
ブログどころではない気もちになるのもわかる。
自分の身になにかおきて、入院しても、
かく気さえあれば、いまはなんらかの方法でつづけられる。
それができないとしたら、深刻な状況だ。
からだだけでなく、気もちがよわくなると つづかない。
定期的なブログの更新は、なによりも無事なたよりだ。
ブログをつづけるだけのげんきがあれば大丈夫。
きゅうに更新がとだえたら、
なにかのサインなので心配したほうがいい。
いまかいているこのブログみたいに、
のらりくらりとつづく 意味不明なブログは、
だれも管理者の健康なんか気にしてないだろうけど。
ブログをつづけると、いいことばかり、
みたいにいわれるけど、じっさいは
そんなにありがたいはなしだけではなく、
なげだすほうが普通ともいえる。
自信をもっていえるけど、ただブログをつづけだけでは
なにかが身についたり、かしこくなったりしない。
わたしの場合、よまれなくてもまあしかたがないと、
ひらきなおっており、進歩もないし、PVはふえない。
それでも、かく場があるのはありがたく、
将来の自分がよめば、なにかおもうことがあるだろうと、
日記みたいな内容を、きょうもほそぼそとかきつづける。