『ボヘミアン・ラプソディー』
(ブライアン=シンガー:監督・2018年・イギリス)
いまさらながらの『ボヘミアン・ラプソディー』。
「いまさら」なことしかかけないし、
なにをかいても「いまさら」なので、
安心して素朴な感想がかける。
「クイーン」をしらないわたしでも、映画作品としてたのしめた。
まだわたしが高校生だったころ、スウェーデンの音楽グループ
「アバ」をとりあげた映画をみたら、これがぜんぜんつまらなかった。
コンサートのようすをつないだだけで、
ストーリーはほとんどないようなものだ。
音楽映画にこれでこりてしまい、
『ボヘミアン・ラプソディー』が公開されたときも
どうせコンサート映画でしょ、と警戒してみにいかなかった。
この作品は、もちろん「クイーン」の映画だけど、
よくできたネコ映画でもある。
画面になんどもネコがでてくるし、
フレディは家をひっこしても、
ちゃんとネコの部屋を用意するくらいネコずきだ。
なによりもネコがひかったのは、
ライブエイドの日、コンサートにでかけるまえに
鏡にむかってノドの調子をたしかめるフレディを、
ネコたちが不思議そうな表情でながめる場面。
どうやってあのポカーンとした顔を撮影できたのだろう。
ゆたかな知性をかんじさせるネコたちが、
映画の奥ゆきをふかめている(意味不明)。
映画としてたのしめた、とかいたけど、
フレディの口元が気になってしかたなかった。
エンドロールには、フレディ本人がうたう場面があり、
ほんもののフレディは、そんなにでっ歯じゃないのに、
なんであんなに口元を強調したのだろう。
フレディの、ザラリとした声が魅力的だった。
グループが有名になり、とりまきがたくさんでき、
なかにはいかれたやつもいて、グループにヒビがはいり、と
よくあるはなしであり、さきがみえてしまうつくりだ。
そこにリアリティをもちこんだのが
フレディをえんじたラミ=マレックで、
ほんもののフレディのうごきをよく研究している。
デビューしたてのころ、まわりのいうことに耳をかたむけず、
めちゃくちゃとんがっているフレディがいいかんじだった。
すべてにおいて しっかりロックしており、好感がもてる。
はじめてクイーンにふれるわたしみたいな観客でも
スッとひきこまれたのは、クイーンの誕生から、
有名になっていく過程を、丁寧におさえていたからだろう。
ライブエイド コンサートのようすも圧巻だった。
あれだけのひとがあつまったら、
トイレ問題をどうしていたのか心配になる。
コンサートでうたった「レディオ・ガ・ガ」がいい。
「いまラジオからながれてるのは
まるで意味のない音
くだらない音楽ばかり」
いまの日本が、まさにそうだ。