2020年04月30日

あたらしいクッキー工房ができました。名前は「KUKO」

第2クッキー工房となるお店ができあがった。
まだ必要な機材がそろっていないし、
そもそも新型コロナウイルスの影響で、
いまはお客さんをもてなせない。
コロナの状況がおちついてくれば、
クッキーをやいたりコーヒーをだしたりできる
居心地のいいお店になるだろう。

お店の名前は「KUKO」。
英語やフランス語をつかいたくなかったので、
エスペラント語をあたってみたら、
やいたおかしやケーキを「KUKO」というらしい。
クッキーとか、おかしとかの意味のエスペラント語は
ほかにもあり、ふつうはそっちがつかわれているそうだ。
でも、つづりと発音がなじみにくかったので、
かんたんな「KUKO」にした。
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いまクッキーをつくっている「クッキー工房」は、
となりの部屋を休憩室としてつかっている。
もともとはそこをお店にして、
クッキーや雑貨をあつかうはなしがあった。
となりの部屋なので、店の名前は「となりのお店」。
いい名前だと気にいっていたけど、
ここをお店にすると、休憩をする部屋がなくなるので、
けっきょく実現しなかった。
「KUKO」は、実質的にはあたらしい「となりのお店」である。

「KUKO」という名前を案としてだしたとき、
「となりのお店」という いい名前があるのを
すっかりわすれていた。
「KUKO」だけではさみしいので、
「となりのお店 KUKO」、あるいは
「Tonari no Omise KUKO」にすればよかったと
あとになって気づき、残念がる。
いつも肝心なことはあとからおもいだす。

posted by カルピス at 22:05 | Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月29日

『とにかくうちに帰ります』におさめられているインフルエンザのはなし

しつこく津村記久子さんの短編集、
『とにかくうちに帰ります』について。
この本のなかに、「小規模なパンデミック」
というはなしがおさめられている。
主人公がつとめる会社に、
インフルエンザがしだいにひろがっていく。
さんざんウイルスをまきちらかす社員がいて、
でも予防についてのまわりの反応はにぶく、
消毒やマスクはエチケットになっていない。

インフルエンザはカゼの一種みたいにおもわれがちで、
すこしぐらい症状がでていても、
ガッツで仕事をつづけるのがえらい、と
とくにふるいタイプの人間はおもっている。
わたしは、自動車学校で大型免許をとるとき、
インフルエンザでもやすまかなった、と
得意そうにはなす教官にならった。
どんなにセキがひどくても職場にでつづけて、
なおったころにはアバラ骨が2本おれていた、
というのがこのひとの自慢だった。
新型コロナウイルスにより、
インフルエンザもまたウイルスの病気であり、
感染がうたがわれたらやすむのが、
社会全体の共通認識になるだろうか。

主人公の鳥海早智子がインフルエンザにかかり、
一週間やすんで会社にでてみると、
何人かは休んでいるんじゃないかという予想を裏切って、全員が出社していうrことに少し驚いた。(中略)田上さんは、うーんと唸って、大人はけっこう見た目だけじゃしんどうかどうか判断できないからなあ、と困ったように天井を見上げた。(中略)外のコンビニなどに昼ごはんを買いに出て手も洗わない人、げっほんげっほん咳をしながら、それでもマスクをせずに喋り続ける人、体がだるいけれども忙しいんで来なくちゃー、と病気自慢をする人など、誰一人として、自分の問題として気にしていそうな人はいない。そういう社風なのである。

 次の日に出社すると、前日の昼休みに咳をしていた江田さんが休んでいた。(中略)おれの友達でマスクを調達できる奴がいるから安く売ろうか?と営業の山崎さんが誰かにはなしかけているのをいらいらと耳にする。山崎さんは今日も、あーだりー、だりーだけどすっげー忙しいし、と誰彼かまわずアピールしている。だるいという自己申告の上、軽い咳まで始めたが、マスクをしたり手を消毒する気配はない。(中略)
 帰りにドラッグストアに寄ると、マスクが売り切れていた。

 次の日に出社すると、社長が休んでいた。(中略)社内での予防はこれで、それぞれの良心にますます依存することになってしまった。

 次の日に出社すると、営業の河谷君が休んでいた。(中略)
 そのうち河谷君もおかしくなるだろう、と私が予想できていたのは、河谷君の席が山崎さんの隣だったからだ。(中略)
 午前中には常内常務のアレンジによるものかどうかはわからないけれども、社員は互いに離れて仕事をするように、という通達もあった。

 土日を挟んで出社すると、休みかと見間違うほど、社員がいなくなっていた。(中略)
 社内の全フロアを見に行ったが、会社にきているのは、私と浄之内さんと山崎さんだけのようだった。

そういえば浄之内さんはほんとになんともないみたいだね、と言うと、浄之内さんは、やっぱり自転車通勤だからじゃないですか、人ごみにいなから感染のリスクが低いんですよ、と事も無げに答えた。

コロナのあとにはやるのは、自転車通勤ではないか。

posted by カルピス at 17:17 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月28日

新型コロナウイルスは、恋愛もじゃまをする

新型コロナウイルスによる混乱が病院でおさまると、
つぎにくる困難は 満員の産婦人科、というジョークがある。
DVがふえて、家庭が安心できない場になっている、
という報告もあるので、楽観はできないけど、
あんがいほんとうにベビーブームがくるかもしれない。
でも、そのあとは、しばらく出産率がさがるだろう。
なぜなら、感染をおそれる心理からは、
恋愛感情がうまれにくく、したがって、
交際にまでいたるカップルは これからすくなくなり、
その結果、子どもはうまれない。
自分のまわりにいるひとが、
ウイルスをもってるかもしれないと、
つねに心配しているひとは、
しらないひとと恋愛する気もちにならない。
15分ほどおしゃべりするだけで濃厚接触といわれれば、
そのさきにくるはずの、正真正銘の濃厚接触なんて
おっかなくてできない。
ソーシャルディスタンスをたもったまま、
ひとは恋愛感情がわいてくるものだろうか。
ネットでであうことはできても、
ひとがあつまったり、ちかい距離ではなせなくなると、
どうすればはじめての相手となかよくなれるのか。
これからの合コンは、どんな形をとるのだろう。
新型コロナウイルスは、人間社会をかえる、とよくいわれるけど、
コミュニケーションや恋愛も、
これまでとはちがった形をとることがわかってきた。
しみじみとやっかいな病気だ。

posted by カルピス at 21:56 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月27日

「バリローチェのファン・カルロス・モリーナ」って、なんのことだ?

『とにかくうちに帰ります』(津村記久子)のなかに
「バリローチェのファン・カルロス・モリーナ」
という短編がはいっている。
表題をみただけで、なんのことかわかるひとは
あまりいないだろう。
いったい、どこできってよめばいいのか。

ファン・カルロス・モリーナは、
主人公の鳥海早智子が目をつけた
アルゼンチン人のフィギュアスケートの選手だ。
顔が「ものすごく濃ゆかった」から鳥海は気になったのだそうで、
それ以来、なんとなくほっておけずにファンとなる。
「バリローチェ」は、アルゼンチンで有名なリゾートなんだという。
ファン・カルロス・モリーナは、バリローチェに自宅があり、
練習は自宅の裏の池でおこなっている。
だから「バリローチェのファン・カルロス・モリーナ」。
あまり有名でないアルゼンチン人のスケート選手と、
その選手がすむ町の名前がそのままタイトルなのだから、
きいただけではほとんどのひとがわからないだろう。
すこしのひとしかわかなくてもかまわない、という
確信にみちた不親切なタイトルが 津村さんの真骨頂だ。

鳥海は、気になる選手ができたと、職場の同僚である浄之内さんに
ファン・カルロス・モリーナのことをはなしたくてたまらない。
でも、浄之内さんには不思議なちからがあり、
彼女が応援する選手やチームは、
成績をおとしたり、中心選手が移籍したりする。
毎年毎年、浄之内さんの好きな選手のうちの誰か一人は骨折している。

しかし、鳥海が浄之内さんにはなすまでもなく、
浄之内さんはモリーナにかんする情報はなんでも、
外国語の記事をふくめ、こまかくおいかけていた。

浄之内さんは、正月を山中湖の旅館ですごしたという。
わかさぎつりをするためで、
「なんとなく氷結した湖の上を歩いてみたかったから」
というけど、よくきいてみると、
「バリローチェが暖冬になるらしいから」
という。
モリーナが池で練習しているとき、氷がわれたらたいへんだ、
と心配しながらのわかさぎつりだ。
浄之内さんは、氷がわれたときの対応についてもしらべている。
 氷が割れて水の中に落ちてしまったら、まずは落ち着いて、自分が歩いてきた側に体を向けるんだって、と浄之内さんはとうとうと語った。その後、ひじを使って上体を氷の上にもたせかけて、持っていれば鍵とか、クシとか、先の尖ったものを氷に突き立て、体を引っ張り、上半身を氷の上にもっていく。

氷がわれて水におちたときにどうしたらいいか、
なんてことまでおしえてくれる小説はあまりないだろう。
こういうディテールにこだわるのが津村さんはとてもうまい。
そして、当然ながらあとでこの伏線は回収される。
小説のなかで、偶然はありえない。
かいてあることはすべて必然で、のちに回収されるのをまっている。
伏線は、どこまでもトホホなはなしなのが津村さんの特徴だ。

津村さんの小説は、
こまかなはなしをあちこちにちりばめ、
読者におもねることなく、どんどんさきへすすむ。
マイナーなはなしになればなるほど、
よんでいてしみじみとたのしい。
『とにかくうちに帰ります』におさめられた短編は、
どれも津村さんらしい魅力にあふれている。

posted by カルピス at 22:03 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月26日

なつかしい顔ぶれがならぶ 14年まえの優勝決定戦、レッズ対ガンバ

2006年のJリーグ最終節、ガンバ対レッズの試合を
「Jリーグ名作選」として放送していた。
優勝の可能性があるのは1位のレッズと2位のガンバ。
両者の直接対決で優勝がきまる。
ただ、ガンバが優勝するには、
3点以上の差でレッズにかたなければらなず、
優位なのは圧倒的にレッズだ。
埼玉スタジアムに6万人のサポーターがつめかけ、
レッズ名物の真っ赤な波がゆれている。
こんな大集団は、いまや再放送でしかみられない。

前半21分にガンバが先制する。
このいきおいでいけば、とかすかにのぞみがでてきた。
でも、その6分後にレッズに同点とされ、
前半終了間際にさらに追加点をきめられ、逆転となる。
後半だけで3点以上の差をつけてかつのは、
さすがのガンバでもむつかしい。
それでもガンバはせめつづけ、2点目をあげたけど、
試合は2-3でレッズのものとなった。
レッズは初優勝を勝利でかざる。

試合内容はともかく、
出場選手たちの顔ぶれをみているだけでたのしい。
2006年といえば、14年もまえになる。
この年のドイツワールド杯で 日本はグループリーグ敗退となり、
代表監督はジーコさんからオシムさんにかわった。
ガンバには二川・橋本・加地・宮本がいる。
いまは川崎にいる家長もでていた。
フォワードは播戸。
シーズンの後半に肝炎でやすんでいた遠藤が、
後半のとちゅうからピッチにたつ。
14年まえから中心選手だ。
監督は西野さん。

レッズでなつかしい顔は、長谷部・鈴木啓太・闘莉王・三都主。
みんなオシムさんが日本代表にえらんだ選手だ。
終了間際に岡野がはいってきたし、ひかえに小野伸二がいた。
あれから14年たつのに、長谷部はまだドイツでがんばっているし、
小野だって現役Jリーガーだ(FC琉球)。
闘莉王はきょねんまでプレーしており、
京都サンガF.C.をさいごに引退した。

試合の解説は早野宏史さんだった。
14年もまえから解説をしていたとは。
この試合、ダジャレは確認できなかった。

posted by カルピス at 21:14 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月25日

ラジオマンジャックの「なんちゃって新作」を歓迎する

毎週土曜日にたのしんでいる「ラジオマンジャック」。
2週つづけて再放送だったけど、
きょうはパーソナルブースをつかって
赤坂さんが録音したものの放送だ。
それと、時東ぁみさんがえらんだ
過去に放送した名作の再放送。
全体的には「なんちゃって新作」なのだそうだ。
赤坂さんがなんでもありの精神で
いろんなはなしをきかせてくれる。
これはこれでおもしろい。
いろいろと工夫して「新作」をとどけてくれた
番組担当者の方々に感謝する。

デイリーポータルZだってがんばっている。
先週は「記事倍ウイーク」として、
いつもの倍の記事をのせてくれた。
デイリーポータルZ は4/20〜24の5日間、記事の本数を倍にします。
記事倍ウイーク!
マクドナルドが夜になると肉が2枚になるように、記事が倍!
いつもの11時と16時に加えて、19時にも記事を2本投入。合計で6本になります。

4本が6本になっただけで、なんで「倍」なのかわからないし、
よみごたえのある内容かどうかはともかく、
こんなときだからこそ記事をふやすという、こころいきがうれしい。

きょうは、記事倍ウィークがおわった、というおしらせがのっている。
[4/25] 記事倍ウイークは終了しました。5日間で30本の記事を載せることができました。今日の11時は記事が1本です。このバランスの悪さ!ムリ・ムダ・ムラという人間の煩悩を体現しているサイトとなっています。(林)

がんばって倍にしたあと、そのつかれの反動がきて、
記事が半分になるなんて、このテキトーさもすきだ。

会社に出勤しないで仕事をするために、
オンライン会議とかテレワークとか
はじめて挑戦したひとがおおいそうだ。
ゴールデンウィークはオンライン帰省を、
なんて政府がいいだして、
ネットができない老人たちはどうなるんだ、
なんて批判されていた。
わたしだって、オンライン会議はやったことない。
介護業界も、これからオンラインでのサービスがふえるのだろうか。

posted by カルピス at 16:57 | Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月24日

『とにかくうちに帰ります』(津村記久子)

『とにかくうちに帰ります』(津村記久子・新潮文庫)

津村記久子さんの『ボースケ』がおもしろかったので、
つづいて『とにかくうちに帰ります』をよみだす。
この本は、3つの短編からなり、
そのまたひとつは4作からなる連作短編で、と、
本の構成がややこしい。
『ポースケ』は、ひろい意味での「お仕事小説」だったけど、
こちらは会社での仕事をえがいた 筋金いりお仕事小説だ。
だいたいにおいて、津村さんという小説家は、
わかりやすさはよこにおいといて、
いきなりこまかなはなしを説明なしにはじめる。
つまらなければ、むりしてつきあわずに、
なげだせばいいのだけど、
津村さんは興味をひくわざにたけているで、
どうしてもそのままよみつづけることになる。
よみ手は、すこしずつ状況をつかんでいく。
一般的でない話題を、状況をしらせずにスタートさせ、
どんどんさきへいってしまうので、読者は気をぬけない。

「職場の作法」という短編におさめられている、
「ブラックボックス」という章は、
田上さんという女性の仕事ぶりからはじまる。
彼女がどんな仕事をしているかの説明はなく、
だんだんと、営業部の男性職員から
資料をまとめるよう、依頼される役、というのがわかってくる。
田上さんは、期限ギリギリに資料をとどけるか、
余裕をもってわたすかを、相手によってかえている。

田上さんはとてもよく仕事ができるに、
男性社員たちはそれをしらない。
ふだんはそこにいないひとのようにあつかうくせに、
たのみたい仕事があるときだけ、田上さんをあてにする。
しかも、雑に仕事をたのむ。
田上さんが、もちこまれた仕事をしあげるのはかんたんだ。
でも、彼女はすんなりとはそれをわたさない。
雑にたのんできたひとにたいしては、しめきりギリギリに、
ていねいにたのんできた相手には、余裕をもってとどける。

田上さんは、依頼のしめきりより、はるかまえに書類をしあげ、
もとはせんべいがはいっていた黒い箱に いったんいれる。
表題の「ブラックボックス」とは、この箱のことをいう。
田上さんがときどき、怖いほど生真面目な目付きで眺めている、何の変哲もないタイトルなしのノートには、社内の人間の成績表が書いてあるのではないか、と私は疑っている。業務に関する成績ではなく、人間的な部分での成績表である。その成績の如何によって、田上さんは仕事の仕上げ時刻を決めるのだ。ちゃんとした人にはできるだけ早めに、普通の人には妥当な時刻に、くそったれには冷や汗がにじむほどスリリングな時間に。

そのノートになにがかかれていたか、さいごにあかされる。
・どんな扱いを受けても自尊心は失わないこと。またそれを保ってると自分が納得できるように振舞うこと。
・不誠実さには適度な不誠実さで応えてもいいけれど、誠実さに対しては全力を尽くすこと。

社員としてのわたしの仕事ぶりは、
田上さんからみたらどううつるのか、気になってくる小説だ。

posted by カルピス at 20:47 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月23日

旅行ちゅうに、ためさなかったものへの未練

デイリーポータルZに
「不思議!水で割ると色が変わるお酒たち」がのった。
https://dailyportalz.jp/kiji/raki-absente
白くにごることで有名な、ギリシャのウーゾかとおもったら、
トルコのラクというお酒だった。
アニスの油分のせいで白くなるらしい。
イスラム圏のトルコで、そんなつよい酒をつくっている、
というのもなんだか不思議だ。

しったようなことをかいたけど、
わたしはラクも、ウーゾものんだことがない。
わたしがギリシャを旅行したとき、
どこのカフェにもウーゾのビンがおいてあり、
いったいどんな味なのだろうとおもいながら、
けっきょくためすことなく旅行をおえてしまった。
気になりながら 手をださずにおわることが わたしにはよくある。
タイを旅行したときは、雑貨屋さんで透明な酒に気づいた。
メコンウィスキーのとなりにおいてある。
コメからつくったつよい酒だというので、焼酎だろうか。
焼酎よりもビールがほしかったし、そんなにやすくない。
ゲストハウスにもってかえっても、
もてあましたらあつかいがめんどうなので、
けっきょくかわなかった。

タイのブラジュアップキーリーカンでとまたったホテルは、
安宿なのに なかなかよくできたところで、
毎日2本のあたらしいペットボトルと、
かんたんな喫茶セットが部屋にとどけられる。
インスタントコーヒーのスティックと、
重量感のあるビスケット、という内容だった。
ほかにも、トイレットペーパーと、あたらしいせっけんが2つ。
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ここまで「おもてなし」をしてくれるホテルに、
いっぺんで好感をもった。
すごくビスケットにひかれながら、それなのに、
なぜだかたべずに2日間の滞在をおえる。
そのすぐあとから、ずっと気になっているのが、あのビスケットだ。
かってもそんなにたかくないビスケットのために、
もういちどあのホテルへいって、
ビスケットのリベンジ(自分がたべなかっただけだけど)
をはたしたいとまでおもう。
そんなことなら、そのときにさっさとたべればいいのに。

自分でわざとこうしたこころのこりをつくるのは、
もしかしたらもういちどその場所をたずねる口実にしたいと、
無意識におもっているのかもしれない。

新型コロナウイルスのひろがりにより
バックパッカーが気がるに旅行できる状況ではなくなった。
3月に世界的な感染のひろがりがあきらかになったとき、
だんだんといきさきがかぎられるなか、
旅行者たちはどううごいただろうか。
しばらくのあいだは(どれだけだ?)旅行はできないだろう。
いまはしかたない。でも、状況がおちつけば、また旅行にでかけよう。
ギリシャのウーゾ、そしてタイの焼酎とビスケットへの未練は、
コロナあけをのぞむ、つよいモチベーションになりそうだ。
自作自演の未練だけど、まずはタイをおとずれて、
ビスケットと焼酎との再会をはたしたい。
あまいビスケットを焼酎でながしこみ、
平和がおとずれたよろこびにひたるのだ。

posted by カルピス at 17:19 | Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月22日

1996年のウィンブルドン女子準決勝で 伊達がみせた驚異的なねばり

1996年のウィンブルドン女子準決勝、
グラフと伊達の試合が「伝説の名勝負」として放映された。

このごろはあたらしい番組をつくれないせいか、
再放送とか、むかしの名試合がおおい。
伝説の名勝負というからには、伊達がいい試合をしたのだろう。
たのしみにみはじめたけど、
でも、1セット目は、グラフのつよさを徹底的にみせつけられた。
伊達がむつかしいボールになんとかおいついても、
さらにそれをうわまわるスーパーショットでとどめをさす。
伊達がひろってもひろっても、得点をあげるのはグラフだ。
2人とも、もちろんうまいのだけど、
たとえばフォルトのボールをどうさばくかなど、
ゲームと関係ないところにあらわれるふたりの達人ぶりがかっこいい。

2セット目にはいっても、あいかわらずグラフのペースだ。
ただ、だんだん伊達のうごきがつながるようになる。
1、2ゲームはうしなったものの、
そのあとつづけて6ゲームを伊達がとる。
試合のくみたてがうまく、グラフを左右にふっておいて、
重心がうつったのと逆の方向にボールをうちこむ。
グラフのサーブは驚異的なスピードだけど、
この日はなかなか第1サーブがきまらない。
反対に、伊達のフォアへのふかいリターンが効果的だった。
グラフのいらいらがまし、
うまくいかないなーという表情がみてとれる。

試合のとちゅうで観客席から
「グラフ、ぼくと結婚して!」と声がかかる。
場内にわらいがわきおこり、グラフもほほえみをうかべ、
「お金はいくらもってるの?」とかえす。
これでまたわらいがおこったのだけど、
伊達はこのとき「わたしじゃだめ?」
といおうとおもっていた、とネットにでていた。
シャイなので、くちにできなかったそうだ。
試合ちゅうの静寂にたいし「サンキュー」と
アナウンスがあるテニスにおいて、
こんな場面がうまれるのだから、
さすがはウィンブルドン、というかんじ。

2セットがおわったところで日没順延となり、
3セット目は翌日にもちこす。
この日のグラフはサーブがさえ、かんたんにキープする。
おたがいに2つずつゲームをキープしたあと、
グラフはブレイクをはさみ3ゲームつづけてとる。
1ど目のマッチポイントはだてがキープしてのがれたものの、
つぎのゲームはあっけなくおとし、6−3でやぶれた。
2セット目でみせたねばりが この日は再現できなかった。
「伝説の名勝負」だったのは2セット目だけで、
のこりはずっとグラフが主導権をにぎっていた試合だ。
それだけに、伊達のいきおいを3セット目にもちこせなかった
日没順延のあつかいが残念だった。

24年まえのこの試合を、わたしはまったくおぼえていない。
新型コロナウイルスの影響で、
テレビとラジオの番組づくりがむつかしくなっており、
そのおかげでグラフと伊達のつよさがよくあらわれた
「伝説の名勝負」をたのしめた。
伊達選手がえんじた2セット目の驚異的なねばりは
「伝説の名勝負」の名にあたいする。

posted by カルピス at 21:49 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月21日

マッスルスーツをつけると、ほんとにからだがかるくなるらしい

散歩ではやあるきしたら、
それがいいウォーミングアップになり、
かるがるとはしれるようになった、と
きのうの記事にかいた。
きのうは、夕ごはんをつくる当番だったので
仕事のあと、ジョギングにでられなかった。
あらためて、きょうの夕方はしってみる。

だめだった。
当然ながら、はやあるきの効果はすでにうせ、
いつものようなベタベタなはしりしかできない。
ほぼすべてのランナーにぬかれながらのジョギングとなった。
きのうのかるさは、なにかの夢をかんちがいしていたのか。
おもたくて不自由なからだを なんとかできないものか。

そうおもっていたら、きょうのデイリーポータルZに、
「マッスルスーツを着てゴリラのマネをすると笑ってしまう」
がのった。
https://dailyportalz.jp/kiji/muscle-suit_make_me_laugh
もともとマッスルスーツは、
介護や農作業をらくにするための器具であり、
なにも労働をしないでただきてみると、
その力はただ身体を軽くかんじさせてくれるのだ。たぶん。

あんまりからだがかるくなるので、
ゴリラのまねをしてウホウホやるとわらいがとまらなくなる。
ゴリラは、たのしいからついウホウホと あのうごきをするのだ、
という発見もあったようだ。

ただ、マッスルスーツをつけているときはいいけど、
はずしたときにかんじるからだのおもさも「一興」とある。
はずしたときにずっしりおもくなるのなら、
日常的につけるのではなく、本来の目的である
介護や農作業にかぎったほうがいいかもしれない。
わらってしまうくらい からだをかるくかんじるのは、
わたしがあの世へ旅だつときの夢までおあずけみたいだ。

posted by カルピス at 21:14 | Comment(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月20日

『わすれられないおくりもの』のアナグマみたいに はやくはしれたのはなぜだ

4月から事業所の編成がいくらかかわり、
送迎コースもまえよりみじかくなった。
まえとおなじ時間に利用者をおくると、
おうちにはやくつきすぎてしまう。
クッキーづくりをおえ、終礼をしても、
送迎にでかけるまで、まだ30分あった。
いごこちよくすごせるひとはいいけど、
たいくつなひともいるわけで、
時間をもてあましているひとをさそい、散歩にでかけた。
そのひとは体力があり、はやくあることもできる。
荷物をもたないで、ただはやあるきするのはとても気もちがいい。
コースをよくばりすぎて、予定していた時間にもどれなくなり、
とちゅうからはしりだした。
競争のようになり、みぢかい距離だけど、ダッシュもする。
それまでのはやあるきが いいウォーミングアップだったようで、
いつになくかろやかに足がでる。
仕事をおえてからのジョギングでは、
足がからまりそうなほど、ヨレヨレのはしりなのに、
きょうは20歳わかがえったようにからだがうごく。
かろやかにはしるって、こんなに気もちがいいものなのか。

童話『わすれられないおくりもの』にでてくるアナグマは、
http://parupisupipi.seesaa.net/article/474198723.html
仲間の動物たちがかけっこするのをみて、
自分もいっしょにはしりたいけど、
もういまのからだでは あんなふうにはしれない、
とすこしさびしくおもう。
わたしもまた、どんなに練習しても、
もうまえみたいには はしれないと、
残念なジョギングをくりかえしている。
それが、きょうだけは なんだかちがった。
こんなにかるくはしれたのは、何年ぶりだろう。

ある晩アナグマは、不思議な夢をみる。
ながいトンネルのなかを自由にはしっている。
はしるほどにからだがかるくなり、
やがて足が地面をはなれ、空をとんでいた。
「死」は、こんなかんじでおとずれるのだろう。
トンネルのなかをはしり、むこうについたときは、
それがあっち側の世界だ。
わたしがきょうかろやかにはしれたのは、
死をあらかじめ体験させてもらったのだろうか。
これからアナグマとおなじように、
トンネルのなかを自由にはしり、とんで、
むこうの世界へたどりつくのだろうか。
予定してたのより、ちょっとはやいおむかえだけど、
死ぬときは、こんなかんじで、
自由なからだをふたたび味わってからがいい。
さいごにいいおもいをさせてもらった。

posted by カルピス at 21:45 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月19日

猫の鳴き真似がうますぎて、近所の野良猫をあつめるひと

テレビとラジオに再放送がおおいし、
だいすきなデイリーポータルZにもげんきがない。
わたしだって、ひとのことばかりいってられない。
このごろかく記事のおおくが
新型コロナウイルスがらみになっている。
こんなときだからこそ、
おおくのひとが「こんなときこそ」と
いまをなんとかまえむきな気もちで
のりきる方法を提案している。
あるひとはとことんくだらない映画を。
あるひとは手づくりのおかしを。

わたしにできるのは、こんなときこそどうでもいい記事だ。
きょねんの今ごろ、わたしはなにを
エバーノートにとりこんだかさがしてみる。
たいした「ノート」がみあたらない。
しつこく、そのまたまえの年(2018年)の
4月をチェックする。ようやくみつかった。
そのころデイリーポータルZは
「今こまっていること」の報告をよびかけており、
それにたいし、
思い出すと穴があったら自分を埋めたいくらい気まずいことが脳裏によみがえったときに猫の鳴き真似をしてしまうという奇癖に困っています。

という報告があった。
これが自分でも本当にうまくて近所の野良猫が寄ってきてしまい、人間が鳴いているのを見てびくってしてました。

というからほんとにじょうずなのだろう。
で、オチは編集部の
これ、猫のほうが困ってるやつじゃないですか。
人間じゃん!だまされた!って思ってる。

だ。報告したひとは、奇癖にこまっているけど、
ネコだってこまってる、という指摘。
ものすごくどうでもいいはなしなのが気にいっている。

もうひとつ、いまとなってはどうでもいいはなし。
朝日新聞にときどきのってる
「あの日 あの時」は、
むかしの投稿を紹介する企画だ。
きのうのっていたのは「バスにドア」という投稿で、
満員のバスからふりおとされる客がいて、
このままではたいへんあぶないから、
 そこで提案をしたい。市バスにも市電の出入口にあるやうなドアをつけることである。最初は一寸乗客も車掌も不便だらうが、生命にかゝはることなのだから我慢すればやがては慣れて来て、乗客、車掌ともに安心してゐられることにならう。(1941年4月20日)

この時代は、バスにドアがないのがあたりまえだったようだ。
「そこで提案をしたい」と、ドアのとりつけを主張するのだから
よほどおもいきった「提案」だったのだろう。すごくまじめなひとだ。

posted by カルピス at 21:03 | Comment(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月18日

日常をとどけてくれた『本の雑誌』に感謝する

『本の雑誌 5月号』をいつもの本屋さんでかう。
いつもの本屋さんで、いつもの『本の雑誌』をかうしあわせ。
いつもとおなじように、充実した紙面をとどけてくれた
「本の雑誌社」スタッフに感謝する。
毎月14日をすぎると『本の雑誌』をかい、
いつもの曜日にいつもの番組をきいたりみたり。
あたりまえの日常がどれだけありがたいか。
ただ、「本の雑誌社」営業の杉江さんのブログをよむと、
http://www.webdoku.jp/column/sugie/2020/04/18/175315.html
状況はそうとうきびしそうだ。

毎週土曜日の「ラジオマンジャック」(NHK-FM)は、
先週から再放送になっている。
4月4日の放送をおえるとき、
「どうかみなさん、お元気でいてください」
ということばで赤坂さんはしめくくった。
その日は無事に放送できたけど、
次回の番組がどうかわるかは わからない。
赤坂さんの、その危機感が現実になった。
ひとがあつまって番組をつくるのが、
ラジオでさえむつかしくなっている。

『本の雑誌 5月号』の特集は、「薄い文庫を狙え!」。
いまはぶあつい本のたのもしさがすきだけど、
中高生のころは、よみやすそうなうすい本をさがしていた。
ただ、うすい本がほんとによみやすいかというと、
あんがいむつかしくて とちゅうでなげだしたりする。
うすくて印象的なのは、なんといってもカミュの『異邦人』だ。
年譜をいれても146ページしかない。
それでいて、よみごたえがあり、
ほかの小説のなかにとりあげられたりするから、
ねらうべき「薄い文庫」としておすすめしたい。

最近よんだうすい文庫としては
『その雪と血を』(ジョー=ネスボ・207ページ)、
http://parupisupipi.seesaa.net/article/473561831.html
『わが母なるロージー』(ピエール=ルメートル・220ページ)
http://parupisupipi.seesaa.net/article/473733826.html
がおもしろかった。
村上春樹さんの本でいうと、
もっている文庫でいちばんうすいのが
『ランゲルハンス島の午後』で110ページ。
わたしがすきな短編集
『蛍・納屋を焼く・その他の短編』が189ページで、
デビュー作の『風の歌を聴け』は155ページ。

本棚をさがしてみると、うすい文庫がいくつもある。
『変身』(カフカ)は92ページしかない。
ほかにも『脂肪の塊・テリエ館』(モーパッサン・128ページ)
がみつかった。
「薄い文庫」は、たしかにおもしろいきりくちだ。

posted by カルピス at 17:56 | Comment(0) | 本の雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月17日

6人全員がながいきの姉妹におどろく

きょうの朝日新聞に、
「LINEでつながる長寿姉妹」という投稿がのった。
老人がスマホデビューするはなしか、と
いいかげんによんでいると、スマホより、
6人全員がながいきという 姉妹のはなしにおどろいた。
投稿の内容は、92歳の長女がスマホデビューをはたし、
5人がLINEでつながった、というもの
(次女は老人施設にいるためスマホをもてないという)。
かいたのは、6人姉妹の末の妹で81歳。
6人全員が女性というのもすごいけど、
そのまた全員がご存命で、認知症にも無縁という。
お母さんは101歳でなくなった、というから、
筋金いりの長寿家系だ。
6人全員がながいきなのは、偶然ではないだろう。
どんな要因があるのか、ながいき研究にいかしてほしい。

わたしの母(88歳)も、投稿よりはスケールがおちるものの、
3人姉妹で、3人ともながいきしている。
といっても、女性の平均寿命は87歳だから、
次女である母が、ようやく平均をうわまわったところだ。
長寿姉妹となのるのは、もうすこしあとにしたほうがいいかも。

めちゃくちゃなこじつけだけど、
映画『プライベート・ライアン』は、
4兄弟のうち3人が戦死した家族のはなしだった。
4人全員が死んでしまっては、母親がどれだけかなしむだろう。
陸軍参謀総長のマーシャルが、ライアン家の末っ子である
ジェームズ=ライアンをさがしだすよう命令をくだす。
この任務についたミラー大尉(トムハンクス)は、
6名の部下とともに、ライアン二等兵をさがしに、
ドイツ軍が支配する町へと出発する。

なにかのサイトでみかけたけど、
平均寿命をさげるのは、喫煙と戦争、とあった。
女性の平均寿命がながいのは、
たばこをすわないひとがおおく、戦争にいかないためらしい。
その意味からも『プライベート・ライアン』は
史実に忠実な作品である。

posted by カルピス at 20:51 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月16日

「みんなで筋肉体操」は、家でする筋トレのさきがけだった

家からできるだけでない生活、ということで、
家でもできるトレーニングがネットで発信されている。
体感をきたえたり、腹筋がバキバキになるようなことが
アピールされているけど、どれもなかなかたいへんそうだ。
いくら効果があっても、たのしくなければながくつづかない。
「筋肉はうらぎらない」で有名になった
「みんなで筋肉体操」は、いまおもえば、
家でする筋トレのさきがけだったといえる。
そして、わたしとの相性がとてもよかった。
最高にがんばって、やっとできる、という
ギリギリの線をついてくるので、
ついのせられてがんばってしまう。
お風呂のまえにとりくむことがおおく、
夕ごはんがおわり、パソコンにむかっていると、
からだはもううごきたがらない。
つかれてるから、きょうはやめようと、なんどおもったことか。
でも、筋肉体操をあきらめて歯みがきをはじめると、
そのうちからだと頭がすっきりしてきて、
「今夜の筋肉体操」をする気になってくる。
わたしの場合、歯みがきは、トレーニングのスイッチになっている。

もともとわたしは家にいるのがすきなほうで、
おなじリズムをまもって一週間をすごしてきた。
新型コロナウイルスにより、できなくなったのは、
図書館の利用と水泳で、休館になったのだから我慢するしかない。
あとは、食料品のかいものと、本屋さんへのおでかけぐらいだ。
野外ですきなのはジョギングと自転車だから、いまでもできる。
ただ、社会の雰囲気がおもたくなり、
感染への不安から、ときどき気もちがゆれることがある。
いまは、仕事にかよっているから 正気をたもちやすいけど、
強制的に家だけの生活になれば、かなりつらいだろう。
家のそとで、だれかとおしゃべりすることが、
どれだけ気をやわらげるか、はかりしれない。

このまえ「目の前のことに全力で」とかいた。
筋肉体操をしてるときは、まさに
「目の前のことに全力で」とりくんでいる。
筋肉体操が5分間だから、ではなく、
トレーニングとは、そもそも
「目の前のことに全力で」とりくむものだ。
ただ、リラックスしてすごす時間は、シングルタスクより、
マルチタスクのほうがたのしい。
おしゃべりや雑談は、なにかの目的があってするものではなく、
そのことじたいが目的になっている。
お酒もまた、シングルタスクよりもマルチタスクのほうがいい。
「目の前のことに全力で」お酒にのぞむのもありとはいえ、
ふつうお酒は、たべながら、音楽をききながら、本をよみながら、
だれかとおしゃべりをしながらたのしむ。
シングルタスクでないところにお酒のよさがある。

posted by カルピス at 22:30 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月15日

『ポースケ』(津村記久子)

『ポースケ』(津村記久子・中公文庫)

カフェ「ハタナカ」を舞台にした連作短編集。
連作短編集にみせた長編ともいえる。
店主・店員・客など7名が、章ごとにいれかわり主人公になる。
ハタナカには、だれもが本をもちよれる棚があり、
「売ったりあげたりはしたくないけど
 手元に置いておくほどよくは読まない本」
がおかれている。
そのなかに『ニューエクスプレス ノルウェー語』がある。
パート店員の竹井さんがおいていった本で、
彼女はいまエスペラントを勉強ちゅうだ。
以前つとめていた会社で、ろくでもない役員に目をつけられ、
竹井さんはこころをやんでしまった。
母親の紹介で、いまは家から2分の「ハタナカ」ではたらいている。
午後になると、つよいねむけにあたまがボーッとしてくる。
仕事がおわり家にむかうと、2分しかない距離なのに、
我慢できずとちゅうでねむりこむことがある。

彼女は外国語の入門編の勉強を 日課にとりいれている。
ノルウェー語のテキストも、竹井さんが勉強した本だ。
午後はうごけなくなるし、いまは電車にものれない。
でも、ノルウェーにいきたくて、エスペラントを勉強し、
おなじくエスペラントをはなすひとの家に
ホームステイできたらと、うっすら ねがっている。
タイトルの「ポースケ」とは、
ノルウェーでおこなわれているお祭りのことらしい。

むすこのために、英語の問題集をひらいているお客さんが
こまっているようすだったので、竹井さんは声をかける。
「何かお困りですか?」(中略)
「意味わかる?とらい・ざっと・おん・ふぉー・さいず。辞書にでてこなくて」
「はあ。『それをやってみなさい』じゃないですか」(中略)
「try じゃなくて size のほうで辞書を引いたら出てくるかもしれません・・・」

ひいてみた。
「Don't forget to try it on for size」
(サイズが合うかどうか、かならず試着しなさい)
でのっていた。
なかの会話をたしかめたくて、辞書をひくのはひさしぶりだ。
そうしたくなる魅力が津村さんの小説にはある。
そのすこしあと、おなじ女性が竹井さんにアドバイスをもとめる。
「あの問題集の最後の長文解読が、NASAの研究員の男女の会話で、男のほうが、この研究が成功したらディナーに行こう、って女の子を口説くんやけど、女の子は、それはない、って言うのよ。その理由が、あなたは研究の結果よりも、プレデターの結果と結婚しているから、ちなみにわたしはペンギンのちょっとしたファンなの、みたいなことを言うのね」(中略)
「その男子は、仕事の結果よりナッシュビル・プレデターズのリザルトに執着してるから、女子は、ないわ、って言うんだと思います。それで女子は、ピッツバーグ・ペンギンズの軽いファンです。アイスホッケーの話をしてるんですよ」
「何それ、中学生にわかるわけないやろ!」
「同感です・・・」

こういう、ものすごく具体的で、
でもなんでもない会話が津村さんはうまい。

わたしは、「ニューエクスプレス」シリーズの、
ノルウェー語とエスペラント語をもっている。
その両方がでてくる小説なんてそうないだろう。
「ハタナカ」では、コーヒーもあつかっているけど、
はなしのなかに紅茶の描写がよくでてくる。
これもまたわたしのこのみとあっており、
自分にちかいはなしだと興味をもちやすい。
それに、登場人物が特別な人間ではなく、
どこにでもいそうなかんじがすること。
それぞれが、自分のスタイルにあわせ、
ていねいに生きているのがいいかんじだ。
斜めがけにしたショルダーバッグから黄色の財布を出す。風水にあやかっている。(中略)デザインを犠牲にしてでも黄色い財布を持っている女は意外と多い。

津村さんの小説は、こんな情報や、女性の心理もおしえてくれる。
タグ:津村記久子

posted by カルピス at 21:09 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月14日

新型コロナウイルスにもつうじる「状況を受け入れろ。無駄にややこしくするな。偶然を信じるな」

ゼロだった島根県の感染者数が、
1人目がでてから6日で10人になった。
職場での話題は、コロナのことばかりになり、
仕事をとりまく状況もきゅうくつになってきた。
障害者介護の事業所であるわたしの職場は、
いくつかのグループにわかれて活動しており、
わたしはいまクッキーをつくる事業所にいる。
利用者といっしょにクッキーをつくり、
いろんなところにでかけてうるわけだけど、
その販売活動がのきなみ中止になっている。
県や市の施設は、休館になったところがおおく、
そうでないまでも、販売にたずねにくい雰囲気だ。
利用者の方が、外部のひとと接触する機会がないよう、
販売は職員だけでやっていたけど、
それさえもみなおしとなり、すべて中止になった。

うごかないことがだいじになってくると、
日々の活動がずいぶん制限される。
うる機会がなければクッキーづくりをおさえなければならない。
利用者がクッキー工房にきても、
仕事ができない、かいものにもでかけられない、となると、
うけいれる側としてはうごきをつけにくい。
きのうは、新聞紙をつかって紙袋をつくった。
7月からビニール袋が有料となるため、
紙袋にきりかえなければならず、いい仕事になった。
散歩にはいけるので、きょうは近所にある公園へでかけ、
30分ほどぶらぶらあるいた。

おおくの会社が、うりあげをおとしてこまっているなか、
クッキーの仕事はあまりコロナの影響をうけずにここまできた。
それが、県内に感染者がでたことで、
一気にきびしい状況へとかわった。
できないことをかぞえてもしょがないのだから、
できることをみつけていくしかない。
いまはまだ、状況の変化に対応できてない段階だ。
まえによんだミステリーの名作
『許されざる者』(レイフ=GW=ペーション)でかたられていた、
「状況を受け入れろ。無駄にややこしくするな。偶然を信じるな」
がいまのわたしに いいアドバイスとなる。

posted by カルピス at 21:51 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月13日

ココの誕生日

4月8日は、ココの誕生日だった(推定)。
まえにいたピピが、2年まえの この日に亡くなり、
その6週間後にココを我が家へつれてかえった。
生後6週間ぐらいのからだつきだったので、
便宜的に、ピピが死んだ日に ココが生まれたことにする。

ココが家にくるまでの6週間は、
ネコがいない日をすごさなければならなかった。
ネコのからだをなでたり、なき声をきくこともない。
さみしくて、つまらない日があたりまえになったころ、
わたしの通勤路で、子ネコがなき声をあげていた。
ブロック塀のうら側にかくれ、なかなか姿をみせない。
1週間は、たべものをあげるだけにして、ようすをみた。
1週間たっても、どこへもいかないでないているし、
母ネコがちかくにいるようすもない。
これもご縁だろうと、家につれてかえった。

ココは2歳になる。
ネコは半年で大人になるというのに、
いまだに子イヌみたいにじゃれてあそぶのがすきだ。
糸井重里さんが「今日のダーリン」で、
ブイコがあらあらしくあそぶのを「あばれタイム」と名づけていた。
いちにちに、なんどかこの
「あばれタイム」でエネルギーを発散しないと
おちつかないので、ちょっとたいへんなのだそうだ。
ココもまだ「あそびタイム」がある。
家じゅうをかけずりまわり、わたしの手にかぶりついて、
ネコキックをあびせ、とさんざんあばれると、すっとおとなしくなる。

かわいいね、すてきなニャンコだね、おりこーだね、
といってかわいがっているうちに、
ほんとうにすてきなニャンコにそだった。
あそびにさそってくれるし、あまえた声をだして、
だっこをもとめてくるし、たまらない寝顔をみせてくれる。
2歳になるのにまだ赤ちゃんの性格で、すごくいいやつだ。
うちにきてくれてありがとうと いつもつたえている。
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posted by カルピス at 21:12 | Comment(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月12日

「いずれにいたしましても」の自粛をもとめた富山県議会

朝日新聞の土曜日に連載されている「ことば/サプリ」が
「いずれにいたしましても」をとりあげていた。
答える側には使い勝手がよいかもしれませんが、聞く方は耳障り
(『公務員の議会答弁術』の著者、森下寿さん)

なことばだという。
 最後に結論を言うときの枕ことばですが、確信をぼかす、かわす言葉としての印象も強いです。(中略)富山県議会では約10年前に答弁の際に「いずれにいたしましても」の言い回しを自粛するよう県執行部に求め、要請の前後で使用頻度を10分の1に減らす効果を上げています。

いわれるまで、問題のあることばだとおもわなかった。
議会をきく機会がほとんどなく、気にさわるほど
わたしの耳にはいっていなかったのかもしれない。
「ことば/サプリ」が
「いずれにいたしましても」をとりあげたのは、
このみの問題ではなく、実害というか、
つかわないほうがこのましいからだ。
自粛をもとめるほど腹にすえかねたのだから、
いったいどれだけ多用するひとがいたのだろう。
もちろん富山県議会だけでなく、
国会でもよくつかわれることばだという。
首相別の発言回数でいうと、1位は安倍首相
(在職日数でわった使用頻度では6位)だと紹介されている。
ちなみに、小泉元首相はゼロというから、
つかう、つかわないが、ひとにより はっきりわかれたことばだ。

ことばに すき・きらいをいいだすと、きりがない。
きりがないとわかっていても、この話題がわたしはすきだ。
わたしは「ほっこり」と「つむぐ」がきらいで、
ずるいことばというイメージがある。
どちらのことばも、くちにしたものがちで、
「ほっこり」「つむぐ」といいさえすれば、
こころやさしい善良な人間とみられることを、
おてがるにもとめているような気がする。

「なんか」といわれるのもいやだ。
ラジオをきいていると、わかい女性におおいけど、
「なんか」を連発するひとがいて、
おしゃべりのなかで、あまりにも「なんか」がでてくると
イライラしてしまう。

わたしがすきなデイリーポータルZ(の編集部)は、
すきなようにかいてるようでいて、
気になることばはつかってない。
ことばではでにあそびながら、方向性ははずしていない。
「今日のダーリン」をかく糸井重里さんも、
ことばづかいがうまく、いつも感心している。
自由自在にことばをあやつる達人だ。
うますぎて、一般人には参考にならないけど。

posted by カルピス at 20:22 | Comment(0) | 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月11日

「いま目の前にあることを本気で」おこなえるかどうか

佐々木正悟さんがシゴタノ!にかかれた
「すべての割り込みタスクに対して優先度を『最高』にする」
をよむ。
https://cyblog.jp/39788
「シゴタノ!」の記事を書いている最中に、新座に住む父親から電話がかかってきました。
A:「いま目の前にあることを本気で行う」

B:「他の人から依頼されたことは、原則として即座に本気で行う」(中略)
シゴタノ!を目の前において本気で書いていました。
電話が鳴りました。原則として即座に本気で電話に対応します。
ここで感情的になったり、シゴタノ!のことを心配したりしてはいけないのです。
以前の私は心配していました。心配しなくなったのは「グッドバイブス」の影響を受けています。

「グッドバイブス」をわたしはよくしらないけど、
「本気を発揮して『与えるすごさ』を実感する」
をよむとすごく奥ぶかいとらえ方だ。
https://goodvibes.work/2019/12/17/vibes270/
仕事を効率的にすすめるのが目的ではなく、
即座に本気で役割を果たすのは、私たちに普遍の役割として「目の前の人の恐れと不安を取り除くこと」

というから、なんだかすごい。

Aの、「いま目の前にあることを本気で行う」
だけでもなかなかできない。できないけどすてきだ。
わたしだったら、どうしてもかきかけの原稿に気をむけたまま、
電話の対応をしてしまう。
もしいつも目の前にあることを本気でできたら、
ただそれだけで、ていねいに生きる、
ひとあじちがった人間になれそうだ。
たとえば だれかとはなしをするとき、
あたりさわりのない話題をさがし、
その場をのがれようとしがちだけど、
本気でそのひととむきあえば、またちがう会話ができるだろう。
「目の前のことを本気で」は、あらゆる場面にいかされる。

まえによんだカニグズバーグさんの『13歳の沈黙』に、
いちどにひとつのことしかしない家政婦さんがでてきた。
そこからにじみでるおちつきが、依頼主にこのまれている人物だ。
このひとも、目の前のことを本気でしている。
かんたんなこと、なんどもやってきて、なれてることは、
本気でむかわず、いいかげんになりやすい。
そんなときにも「目の前のことを本気で」とりくめるかどうか。

posted by カルピス at 21:12 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする