新型コロナウイルスの感染者が島根県からも報告される。
そしてきょうは2人目が確認された。
いずれはやってくるにちがいない日ではあったけど、
じっさいに感染者がでると、リアルさがいっきにました。
これまでのさわぎはただのあそびみたいなもので、
これからいよいよ本番がはじまる、というかんじ。
感染者がでたというしらせに、
おもいがけないほどわたしは気がおもくなった。
大都会にくらべたら、2人なんてすくないものだけど、
それでもゼロと2では、まるでうけとめ方がちがう。
まわりにつぎつぎと感染者がでたりしたら、
おちつきをたもてなくなるのもわかる。
きょう業務スーパーへいくと、ほとんどのひとがマスクをつけていた。
感染者がでたことを、おおくのひとがおもくうけとめたのだろう。
先週とまるでちがう光景で、
マスクをつけていないわたしは居心地がわるかった。
けさの朝日新聞で、国民全世帯に布マスクを2枚おくると、
郵送費もふくめて466億円かかるとほうじられていた。
マスクを2枚おくって、なにかの役にたつのか。
なにかの冗談かとおもったけど、どうやら実行するらしい。
外国の感染者と死者の数も、冗談みたいにふえている。
コロナウイルス関係の記事は、どれも冗談におもえる。
コロナにふりまわされ、わたしたちは、
正常な判断をうしないつつあるみたいだ。
エバーノートにこのごろとりこむ記事は、
ほとんどが新型コロナウイルスがらみだ。
そちらに意識がむかうのは当然としても、
ほかに興味をもつできごとが目にとまらない。
わたしがすきなデイリーポータルZも、
これまでとおなじいちにち4本の記事をのせており、
よく健闘しているとはいえ、あまり元気をかんじない。
4月にはいってクリップしたのは、
エイプリルフールの記事だけにとどまっている。
新型コロナウイルスの世界的なひろがりで、
社会のあり方はおおきくかわりつつある。
仕事は家でするようになっているし、
都会に密集してすむ社会構造や、
生産基地を中国だけにおくリスクもあきらかになった。
コンパクトに生きるのになれれば、
なにがほんとうに必要かもみえてきそうだ。
あんがい、いらないものばかりにこだわってきたのかも。
コロナウイルスがおちついたとき、
人類は、これまでとはちがう社会へと舵をきるかもしれない。
コロナがあらわれなければ、できなかったうごきが
つぎつぎと実現しつつある。
よくいうように、ピンチはチャンスと とらえられる。
地球の環境面からみると、こまっているのは人間だけだ。
人間がうごきまわらなければ、
自然はよみがえり、空気はきれいになる。
コロナは最強のリセットボタンだったのかも。