2020年04月10日

島根からもとうとう感染者

新型コロナウイルスの感染者が島根県からも報告される。
そしてきょうは2人目が確認された。
いずれはやってくるにちがいない日ではあったけど、
じっさいに感染者がでると、リアルさがいっきにました。
これまでのさわぎはただのあそびみたいなもので、
これからいよいよ本番がはじまる、というかんじ。
感染者がでたというしらせに、
おもいがけないほどわたしは気がおもくなった。
大都会にくらべたら、2人なんてすくないものだけど、
それでもゼロと2では、まるでうけとめ方がちがう。
まわりにつぎつぎと感染者がでたりしたら、
おちつきをたもてなくなるのもわかる。
きょう業務スーパーへいくと、ほとんどのひとがマスクをつけていた。
感染者がでたことを、おおくのひとがおもくうけとめたのだろう。
先週とまるでちがう光景で、
マスクをつけていないわたしは居心地がわるかった。

けさの朝日新聞で、国民全世帯に布マスクを2枚おくると、
郵送費もふくめて466億円かかるとほうじられていた。
マスクを2枚おくって、なにかの役にたつのか。
なにかの冗談かとおもったけど、どうやら実行するらしい。
外国の感染者と死者の数も、冗談みたいにふえている。
コロナウイルス関係の記事は、どれも冗談におもえる。
コロナにふりまわされ、わたしたちは、
正常な判断をうしないつつあるみたいだ。

エバーノートにこのごろとりこむ記事は、
ほとんどが新型コロナウイルスがらみだ。
そちらに意識がむかうのは当然としても、
ほかに興味をもつできごとが目にとまらない。
わたしがすきなデイリーポータルZも、
これまでとおなじいちにち4本の記事をのせており、
よく健闘しているとはいえ、あまり元気をかんじない。
4月にはいってクリップしたのは、
エイプリルフールの記事だけにとどまっている。

新型コロナウイルスの世界的なひろがりで、
社会のあり方はおおきくかわりつつある。
仕事は家でするようになっているし、
都会に密集してすむ社会構造や、
生産基地を中国だけにおくリスクもあきらかになった。
コンパクトに生きるのになれれば、
なにがほんとうに必要かもみえてきそうだ。
あんがい、いらないものばかりにこだわってきたのかも。
コロナウイルスがおちついたとき、
人類は、これまでとはちがう社会へと舵をきるかもしれない。
コロナがあらわれなければ、できなかったうごきが
つぎつぎと実現しつつある。
よくいうように、ピンチはチャンスと とらえられる。

地球の環境面からみると、こまっているのは人間だけだ。
人間がうごきまわらなければ、
自然はよみがえり、空気はきれいになる。
コロナは最強のリセットボタンだったのかも。

posted by カルピス at 21:13 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする