だいすきなデイリーポータルZにもげんきがない。
わたしだって、ひとのことばかりいってられない。
このごろかく記事のおおくが
新型コロナウイルスがらみになっている。
こんなときだからこそ、
おおくのひとが「こんなときこそ」と
いまをなんとかまえむきな気もちで
のりきる方法を提案している。
あるひとはとことんくだらない映画を。
あるひとは手づくりのおかしを。
わたしにできるのは、こんなときこそどうでもいい記事だ。
きょねんの今ごろ、わたしはなにを
エバーノートにとりこんだかさがしてみる。
たいした「ノート」がみあたらない。
しつこく、そのまたまえの年(2018年)の
4月をチェックする。ようやくみつかった。
そのころデイリーポータルZは
「今こまっていること」の報告をよびかけており、
それにたいし、
思い出すと穴があったら自分を埋めたいくらい気まずいことが脳裏によみがえったときに猫の鳴き真似をしてしまうという奇癖に困っています。
という報告があった。
これが自分でも本当にうまくて近所の野良猫が寄ってきてしまい、人間が鳴いているのを見てびくってしてました。
というからほんとにじょうずなのだろう。
で、オチは編集部の
これ、猫のほうが困ってるやつじゃないですか。
人間じゃん!だまされた!って思ってる。
だ。報告したひとは、奇癖にこまっているけど、
ネコだってこまってる、という指摘。
ものすごくどうでもいいはなしなのが気にいっている。
もうひとつ、いまとなってはどうでもいいはなし。
朝日新聞にときどきのってる
「あの日 あの時」は、
むかしの投稿を紹介する企画だ。
きのうのっていたのは「バスにドア」という投稿で、
満員のバスからふりおとされる客がいて、
このままではたいへんあぶないから、
そこで提案をしたい。市バスにも市電の出入口にあるやうなドアをつけることである。最初は一寸乗客も車掌も不便だらうが、生命にかゝはることなのだから我慢すればやがては慣れて来て、乗客、車掌ともに安心してゐられることにならう。(1941年4月20日)
この時代は、バスにドアがないのがあたりまえだったようだ。
「そこで提案をしたい」と、ドアのとりつけを主張するのだから
よほどおもいきった「提案」だったのだろう。すごくまじめなひとだ。