2020年04月20日

『わすれられないおくりもの』のアナグマみたいに はやくはしれたのはなぜだ

4月から事業所の編成がいくらかかわり、
送迎コースもまえよりみじかくなった。
まえとおなじ時間に利用者をおくると、
おうちにはやくつきすぎてしまう。
クッキーづくりをおえ、終礼をしても、
送迎にでかけるまで、まだ30分あった。
いごこちよくすごせるひとはいいけど、
たいくつなひともいるわけで、
時間をもてあましているひとをさそい、散歩にでかけた。
そのひとは体力があり、はやくあることもできる。
荷物をもたないで、ただはやあるきするのはとても気もちがいい。
コースをよくばりすぎて、予定していた時間にもどれなくなり、
とちゅうからはしりだした。
競争のようになり、みぢかい距離だけど、ダッシュもする。
それまでのはやあるきが いいウォーミングアップだったようで、
いつになくかろやかに足がでる。
仕事をおえてからのジョギングでは、
足がからまりそうなほど、ヨレヨレのはしりなのに、
きょうは20歳わかがえったようにからだがうごく。
かろやかにはしるって、こんなに気もちがいいものなのか。

童話『わすれられないおくりもの』にでてくるアナグマは、
http://parupisupipi.seesaa.net/article/474198723.html
仲間の動物たちがかけっこするのをみて、
自分もいっしょにはしりたいけど、
もういまのからだでは あんなふうにはしれない、
とすこしさびしくおもう。
わたしもまた、どんなに練習しても、
もうまえみたいには はしれないと、
残念なジョギングをくりかえしている。
それが、きょうだけは なんだかちがった。
こんなにかるくはしれたのは、何年ぶりだろう。

ある晩アナグマは、不思議な夢をみる。
ながいトンネルのなかを自由にはしっている。
はしるほどにからだがかるくなり、
やがて足が地面をはなれ、空をとんでいた。
「死」は、こんなかんじでおとずれるのだろう。
トンネルのなかをはしり、むこうについたときは、
それがあっち側の世界だ。
わたしがきょうかろやかにはしれたのは、
死をあらかじめ体験させてもらったのだろうか。
これからアナグマとおなじように、
トンネルのなかを自由にはしり、とんで、
むこうの世界へたどりつくのだろうか。
予定してたのより、ちょっとはやいおむかえだけど、
死ぬときは、こんなかんじで、
自由なからだをふたたび味わってからがいい。
さいごにいいおもいをさせてもらった。

posted by カルピス at 21:45 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする