4月から事業所の編成がいくらかかわり、
送迎コースもまえよりみじかくなった。
まえとおなじ時間に利用者をおくると、
おうちにはやくつきすぎてしまう。
クッキーづくりをおえ、終礼をしても、
送迎にでかけるまで、まだ30分あった。
いごこちよくすごせるひとはいいけど、
たいくつなひともいるわけで、
時間をもてあましているひとをさそい、散歩にでかけた。
そのひとは体力があり、はやくあることもできる。
荷物をもたないで、ただはやあるきするのはとても気もちがいい。
コースをよくばりすぎて、予定していた時間にもどれなくなり、
とちゅうからはしりだした。
競争のようになり、みぢかい距離だけど、ダッシュもする。
それまでのはやあるきが いいウォーミングアップだったようで、
いつになくかろやかに足がでる。
仕事をおえてからのジョギングでは、
足がからまりそうなほど、ヨレヨレのはしりなのに、
きょうは20歳わかがえったようにからだがうごく。
かろやかにはしるって、こんなに気もちがいいものなのか。
童話『わすれられないおくりもの』にでてくるアナグマは、
http://parupisupipi.seesaa.net/article/474198723.html
仲間の動物たちがかけっこするのをみて、
自分もいっしょにはしりたいけど、
もういまのからだでは あんなふうにはしれない、
とすこしさびしくおもう。
わたしもまた、どんなに練習しても、
もうまえみたいには はしれないと、
残念なジョギングをくりかえしている。
それが、きょうだけは なんだかちがった。
こんなにかるくはしれたのは、何年ぶりだろう。
ある晩アナグマは、不思議な夢をみる。
ながいトンネルのなかを自由にはしっている。
はしるほどにからだがかるくなり、
やがて足が地面をはなれ、空をとんでいた。
「死」は、こんなかんじでおとずれるのだろう。
トンネルのなかをはしり、むこうについたときは、
それがあっち側の世界だ。
わたしがきょうかろやかにはしれたのは、
死をあらかじめ体験させてもらったのだろうか。
これからアナグマとおなじように、
トンネルのなかを自由にはしり、とんで、
むこうの世界へたどりつくのだろうか。
予定してたのより、ちょっとはやいおむかえだけど、
死ぬときは、こんなかんじで、
自由なからだをふたたび味わってからがいい。
さいごにいいおもいをさせてもらった。