「バリローチェのファン・カルロス・モリーナ」
という短編がはいっている。
表題をみただけで、なんのことかわかるひとは
あまりいないだろう。
いったい、どこできってよめばいいのか。
ファン・カルロス・モリーナは、
主人公の鳥海早智子が目をつけた
アルゼンチン人のフィギュアスケートの選手だ。
顔が「ものすごく濃ゆかった」から鳥海は気になったのだそうで、
それ以来、なんとなくほっておけずにファンとなる。
「バリローチェ」は、アルゼンチンで有名なリゾートなんだという。
ファン・カルロス・モリーナは、バリローチェに自宅があり、
練習は自宅の裏の池でおこなっている。
だから「バリローチェのファン・カルロス・モリーナ」。
あまり有名でないアルゼンチン人のスケート選手と、
その選手がすむ町の名前がそのままタイトルなのだから、
きいただけではほとんどのひとがわからないだろう。
すこしのひとしかわかなくてもかまわない、という
確信にみちた不親切なタイトルが 津村さんの真骨頂だ。
鳥海は、気になる選手ができたと、職場の同僚である浄之内さんに
ファン・カルロス・モリーナのことをはなしたくてたまらない。
でも、浄之内さんには不思議なちからがあり、
彼女が応援する選手やチームは、
成績をおとしたり、中心選手が移籍したりする。
毎年毎年、浄之内さんの好きな選手のうちの誰か一人は骨折している。
しかし、鳥海が浄之内さんにはなすまでもなく、
浄之内さんはモリーナにかんする情報はなんでも、
外国語の記事をふくめ、こまかくおいかけていた。
浄之内さんは、正月を山中湖の旅館ですごしたという。
わかさぎつりをするためで、
「なんとなく氷結した湖の上を歩いてみたかったから」
というけど、よくきいてみると、
「バリローチェが暖冬になるらしいから」
という。
モリーナが池で練習しているとき、氷がわれたらたいへんだ、
と心配しながらのわかさぎつりだ。
浄之内さんは、氷がわれたときの対応についてもしらべている。
氷が割れて水の中に落ちてしまったら、まずは落ち着いて、自分が歩いてきた側に体を向けるんだって、と浄之内さんはとうとうと語った。その後、ひじを使って上体を氷の上にもたせかけて、持っていれば鍵とか、クシとか、先の尖ったものを氷に突き立て、体を引っ張り、上半身を氷の上にもっていく。
氷がわれて水におちたときにどうしたらいいか、
なんてことまでおしえてくれる小説はあまりないだろう。
こういうディテールにこだわるのが津村さんはとてもうまい。
そして、当然ながらあとでこの伏線は回収される。
小説のなかで、偶然はありえない。
かいてあることはすべて必然で、のちに回収されるのをまっている。
伏線は、どこまでもトホホなはなしなのが津村さんの特徴だ。
津村さんの小説は、
こまかなはなしをあちこちにちりばめ、
読者におもねることなく、どんどんさきへすすむ。
マイナーなはなしになればなるほど、
よんでいてしみじみとたのしい。
『とにかくうちに帰ります』におさめられた短編は、
どれも津村さんらしい魅力にあふれている。