2020年05月31日

「鷹の爪団が無料でCM作ります」がすばらしい

ユーチューブをみていたら、
「鷹の爪団が無料でCM作ります」
がのっていた。
全文を紹介する。
https://www.youtube.com/watch?v=2HOxOYG5J60
どうも 鷹の爪団の総統の 小泉鈍一郎です
同じく先頭主任の島根の吉田です
(総統)
こうまで自粛生活が長引くと
頑張っても 励まされても、
限界がありますよね。
そんな皆さんに
私たち悪の秘密結社 鷹の爪団も
何かのお役に立てないか?
吉田くんたちと日々、
考えておりました

(吉田くん)
そこで総統に、
僕らで皆さんのご商売を宣伝したら
どうでしょうかと 提案したんです

(総統)
ああ、そうです、
こんななかでも必死に生きていこうと、
創意工夫をこらしている皆さんのご商売があるでしょう。
そこで僕らが無料でCMを作り
(すいません、今回は3本限定)、
多くはありませんが
登録者数20万人の DLEチャンネルに掲載
さらに僕と総統のツイッターで拡散し、
皆さんのご商売を応援します。(中略)
(総統)
一銭も入らないのに
出て行くばかりの経営状態
(「ガンバッテ下さい。自腹で。」と、
マスクをつけた男が不気味につぶやいている画像あり)。
でもここで踏ん張らねば
家族どころか従業員たちも不幸にしてしまう。
それを考えると眠れない経営者の皆さんも多いことでしょう。

(吉田くん)
苦しい時は誰かに助けを求めてもいいと思います。
でもあなたが持ち堪え再びご商売が盛んになったら、
次はあなたが誰かを助けてください。
特に鷹の爪団を・・・
(だめじゃよそんなこと言ったら、と総統がたしなめる)
(総統)
しかし、経済とは皆さんのご商売の一つ一つの集まりです。
かならず乗り切ってください。

ごおうぼお待ちしております。
(そうとう)

しめきりは5月13日なので、
いまからではもうまにあわないけど、
それにしてもすばらしい提案だ。
わたしの家には きのう給付金の申請書がとどいた。
アベノマスクは1週間まえだった。
10万円は、ないよりもありがたいけど、
おおきく収入がへったひとたちにとって、
10万円だけではどうにもならない。
市町村や民間のがんばりばかりがつたえられるなかで、
政府のうごきは決定的におそい。

posted by カルピス at 08:40 | Comment(0) | 鷹の爪 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月30日

保坂和志さんの「日本人は勝手にやってきた」説と、ベーシックインカムに賛成する

ラジオマンジャックは、しばらくまえから
新作と旧作をまぜての番組編成だ。
DJ.ホットマンもでてくる。
DJ.ホットマンの「とことん暑苦しい音楽」で赤坂さんをしり、
ラジオマンジャックをきくようになったわたしは、
DJ.ホットマンのコーナーだけでもじゅうぶんたのしい。
門司肇さんの「懺悔します」のコーナーも、
まるでヒロシさんの「ヒロシです」みたいでわらえる。
あの手この手で日常をとどけてくれる この番組に感謝したい。
おわりごろにながれた「ミザルー」がめちゃくちゃいいかんじ
(「Pump It / The Black Eyed Peas)。

朝日新聞の土曜日版beに、保坂和志さんが
「日本人は勝手にやってきた」をのせている。
日本人の祖先が大陸から「勝手に」やってきた、
というはなしかとおもったら、
「政府が無能なのにコロナ対策がなぜかうまくいっているのは、
無能なのに、じゃなくて、無能だからこそ、うまくいってるんだ」

という友人の説を紹介している。
「日本の感染が諸外国よりひどくならないのはなぜか」について、
これまでいろいろよんだけど、
保坂さん(の友人)による説はたしかに一理ある。
 日本人は「お上」なんかアテにしないで自分たちで適当に助け合ってなんとかしてきた。日本人の心の中には、国家とか政府とかいう概念がそもそもない。逆に言うと、近代国家に相応しい政府に国民が育ててこなかった。

安倍首相の無能ぶりや、ひとをばかにした態度に
批判があつまっているけど、そんな人物を、
これまで首相にすえていたのは国民なわけで、
本気で首相をかえたかったら それなりのうごきをすればいい。

保坂さんが最後にしめした処方箋がすばらしい。
 それならば、国は何をすればいいのか?これを機に一気にベーシック・インカムにするのがいい。一律10万円の給付を毎月続けるのだ。家計に余裕のある人は寄付なりクラウドファンディングなれするだろう。
「国が自動的にお金をくれたら、働かなくなってギャンブルばかりする」なんて心配はない。そんなことをするのは一部で、大半はマイペースで働き続ける。課された労働ではなく、喜びとしての仕事をそれぞれが見つける。

全面的に賛成する。
保坂和志さんの小説をよんでみたくなった。

posted by カルピス at 17:36 | Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月29日

朝ごはんのとき 新聞をよむのがだいすき

むかしむかし、家のお父さんは、
朝ごはんのとき新聞をよむひとのことだった。
いま、どれくらいの「お父さん」が
この習慣をつづけているのだろう。
あたらしく家のお父さんになったわかい男性は、
朝ごはんのテーブルで、新聞をよんだりするのだろうか。
朝ごはんのとき新聞をよむお父さん像は、
いまやイメージとしてしか のこっていないかもしれない。

だいたい、朝はいそがしいときであり、
ゆっくり新聞をよんでいる時間はあまりない、はず。
でも、わたしは朝ごはんのときの新聞がだいすきで、
朝ごはんをたべながら、お弁当の準備をしながら、
だらだらと1時間ちかくかけて新聞をながめる。
さいごの日本のお父さんは、わたしかもしれない。
きょうは、とくに気をひかれる記事がおおかった。

・連載小説『カード師』(中村文則)
 いよいよおおづめ。いったいどうなるんだ?
・隔週で連載されている伊藤理佐さんのコラム
 「オトナになった女子たちへ」
 きょうは「きみは知っているか」のタイトルで、
 いつもながらよませる。
・ドリフの時代、その音楽
 山本直純さんのはなしに加古隆さんまでくわわってきた。
・ドイツ「ブンデスリーガ」の再開について
 メルケル首相は、経済回復と感染の第2波にどうむきあうか
・手洗いダンスの反響に勇気をもらった、という
 川崎フロンターレの中村憲剛さん
 サッカー選手として、いまの自分になにができるのか、
 自信をうしなっているときに、
 「PPAP」の手洗い編を動画にアップして、手ごたえをえる。
・再考2020「商業主義 弊害しか見えない」(小田嶋隆)
 IOCも日本政府もでたらめばかり。
 コロナでオリンピックの矛盾がはっきりしてきたいま、
 「(米国の4大スポーツなど)お金の取れる競技は入れず、
 マイナーな競技が集まれば、いい大会になる」というもの。
・「明日は別の日にして」(奥田英朗)
 夏の甲子園までうしなった球児たちへ、
 奥田さんがエールをおくる。
・再開した学校 規制が多すぎる(中学生の投稿)
体育の時間にボールは使わず、音楽では歌わない。グループ学習は全教科禁止だ。先生の話を黙って聴き続ける。休み時間のボール遊びも給食の会話も禁止。(中略)「感染のリスクを考えると仕方がない」と、みんなが口をそろえて言うが、本当にそうだろうか。
・豪州 地方紙36紙廃刊 76紙がデジタルのみに
 コロナで広告料収入がへったため

ネットから情報をえるのがあたりまえとなり、
新聞を家までとどけてくれるなんて、
もうじき ありえないサービスになるかもしれない。
日本から新聞がきえる日がきたら、
わたしの日常はかなりつらくなる。
デジタルでよむ新聞には、なかなかなじめそうにない。

posted by カルピス at 20:58 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月28日

熱心だからといって、うまくいくとはかぎらない

サッカーライターの西部謙司さんが、
マンチェスターユナイテッドをめぐる現代史を
不定期で連載している。
4回目は、「ファーガソン後の迷走の理由。
古かったモイーズと細かすぎたファン・ファール」
https://news.yahoo.co.jp/articles/23b57d51587dcab7b6b477cbad6fe2f00eab55f5
27年の長期政権だったファーガソンのあとがまに、
モイーズ氏がマンUにまねかれたものの、
戦術がふるすぎて結果をだせなかった。
1年ももたずに解任され、暫定監督でつないだあと、
オランダ人のファン=ハールが監督ついた。
 ファン・ハールはボールを支配して勝つオランダ方式の典型である。(中略)ファン・ハールがやりたいサッカーは同じで、実現するためのディテールも決まっている。
 もう1つの特徴は非常に熱心だということ。高い目標を掲げ、そのためのロジックが緻密で、なおかつ異常に熱心な監督が来るとチームはどうなるか。合わない、ついていけない選手が必ず出てくる。

・非常に熱心
・高い目標を揚げる
・ロジックが緻密
とくれば、いうことないみたいだけど、
そうはならなかった。
ファン=ファールは期待にこたえきれず、
2シーズンでおわっている。
「非常に熱心」だからといって、
それがかならずしも結果にむすびつかないのがおもしろい。

「合わない、ついていけない選手が必ず出てくる」のは、
おおかれすくなかれ、だれが監督になってもさけられない。
とはいえ、ファン=ファールの場合、彼の流儀にあわない選手は
チームに貢献するのが論理的に不可能なので、すくいがない。
選手も監督も、どちらがわるいわけではなく、「合わない」わけだから
あまりふかくかんがえずに、チームをかわったほうがいいみたいだ。
ファン・ハールの場合は、彼のロジックに忠実な選手でないとチームに貢献できないので、ファン・ハールの流儀に適応できない選手は結果的にプレーできない。
 ユナイテッドで7シーズンプレーしたラファエウは、ファン・ハール監督が就任した次のシーズンにはリヨンへ移籍した。 「僕を好きでないのは知っている。監督交代は僕にとって致命的だった」(ラファエウ)
 ディ・マリアも1シーズンでパリ・サンジェルマンへ去った。「適応するのは無理だった」と話している。

ドイツのブンデスリーガが再開し、2節を消化した。
フランクフルトとバイエルン=ミュンヘンの試合をみる。
試合は無観客でおこなわれ、1チーム30人の関係者しか
スタジアムにはいれないという。
選手は全員がPCR検査をうける、選手交代は5人まで、など、
コロナによる2ヶ月の休止期間と、
今後の過密日程を考慮した対応がとられている。
ピッチにたつ選手・監督はマスクをしていなかったけど、
ベンチにすわる選手はおたがいに間隔をとり、マスクをつける。
点がはいったときは、ヒジをぶつけあって よろこびをあらわしていた。

番組では、実況のアナウンサーが
ひとりで試合のうごきをつたえていた。
ブンデスリーガにくわしいひとのようで、
適切な説明をいれてくれるので、
いつもみたいに「解説者」がいなくても
これでじゅうぶん、という気がした。
遠慮しながら「解説者」からはなしをひきだすよりも、
リーガの情報を過不足なくおしえてくれた。

サッカーがふたたびはじまったドイツ。
過去の名勝負などではなく、いまのサッカーがみたかったので、
ほとんどなにもしらないリーガの試合でもたのしめる。
Jリーグが中止されてから、もう2ヶ月以上がすぎた。
リーグの再開がまちどおしい。
サッカーのない生活は、とてもさみしい。

posted by カルピス at 21:52 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月27日

さつまいもの苗うえ 貴重な食料にならないといいけど

さつまいもの苗を80本うえる。
わたしは自然農法による 野菜つくりをめざしており、
畑はたがやさず、肥料もつかわないで、草をかるだけ。
さつまいもの苗を30センチおきにならべ、
移植ゴテを土にななめにつきさして、苗をそのすきまにつっこむ。
だいじなのは、草かりをした草をうねにしきつめることで、
こうすれば雑草がはえにくいし、雨がふらなくても
土がそんなにひどくはかわかない。
ビニールマルチといって、
ビニールをうねにかぶせるのが一般的だけど、
お金がかかるし、みためにうつくしくない。
草によるマルチでじゅうぶんだ。
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「自然農法」とさきほどかいたけど、
残念ながらわたしがやっているのは
なんちゃって自然農法でしかない。
本物の自然農法は、草かりなんかしないで、
草のなかにさつまいもの苗をうえるだろうし、
そもそも草のことを「雑草」なんて失礼なよびかたをしない。
自然にあるものを、すべてありがたくいただくのが
本物の自然農法だとわたしはおもっている。
おもっているけど、からだがついていかないので、
わたしがやっているのは あくまでも「なんちゃって」のほうだ。
自然農法から自分に都合のいいところだけをいただいており、
めんどくさくてほったらかしているにすぎない。
めんどくさいので、ビニールのマルチなんてはらないし
(そのかわりに草をしきつめる)、
お金をつかいたくないので、肥料はあたえない。
もっとも、さつまいもは肥料がなくてもよくそだつ。
わたしがやっているさつまいもづくりと、
ほかのひとのつくりかたとのちがいは、
土をたがやさないことと、草マルチくらいか。
クワで土をおこすのはたいへんだし、管理機なんてもってないので、
5年まえにはじめたときに、いちどだけたがやして以来、
土はそのままにしている。
さつまいもの場合、苗さえうえておけば、あとは月にいちど
草かりをするぐらいの手間で秋の収穫をむかえられる。

きょねんまでは、豆やら夏野菜やらをつくっていたけど、
家から車で20分のところに畑があり、
めんどくさくてどうしても足がとおのいてしまう。
なんねんか野菜をつくってみて、
けっきょく、わたしみたいなめんどくさがりやは、
さつまいもぐらいしかそだてられないのがよくわかった。
新型コロナウイルスの影響で、
ちかい将来の食糧不足がささやかれており、
すこしでも自分で野菜をつくれば いきのびられるかもしれない。
苗を80本うえたら、40キロくらいのさつまいもができるはず。
貴重な食料としてのさつまいもにならないといいけど。

posted by カルピス at 21:25 | Comment(0) | 農的生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月26日

子ネコをみかけたのに、なにもできない

きのうの夕方、家にかえると、玄関のよこで子ネコをみかけた。
生後1ヶ月ほどのキジトラ。
つぎの日にだす もえるゴミの袋が外にあったので、
たべもののにおいをかぎつけ、袋をやぶいていた。
わたしがちかづくと、すぐににげる。
でも、おなかがすいているようで、袋に未練がありそうだ。
ネコのかんづめをお皿にのせてもっていく。
わたしの姿があるとたべないけど、いなくなるとたべはじめる。
しばらくしてからお皿をみにいくと、ぜんぶたべていた。
夜にかんづめのおかわりをだしておいたら、
朝からっぽになっていた。

子ネコは右目が白くにごっている。
からだつきもやせていて、いかにもおなかをすかせたノラネコだ。
にげなければ、病院へつれていけるし、ご飯もあげられる。
ノラネコのおおくはひとをおそれるけど、
自分で学習した結果、というよりも、
ひとにちかづかないよう親からまなんだのだろう。
日本のネコがひとをおそれるのは、
残念な歴史がやまほどあるのだろう。

もう30年ちかくむかし。
アルジェリアへいこうと、モロッコの首都ラバトにある
アルジェリア大使館へビザの申請にでかけた。
事務官のつくえのうえには、ネコが惰眠をむさぼっていた。
事務官は、めんどくさそうに、ネコを両手でおしやって
事務仕事をするスペースをつくった。
あとでさいとう夫婦の『バックパッカーパラダイス』をよむと、
おなじ体験がかいてあり、まったくかわっていないのがうれしかった。
無事にビザを手にいれ、アルジェリアの西部の町、オランへでかける。
たかいホテルにはいると、フロントのよこに木がうえられていて、
そこの砂にネコがおもいっきりウンコをした。
ホテルのひとはとくにネコをおっぱらわず、
しょうがないなー、というかんじでみていた。
ふたつの例だけで断言はできないけれど、
アルジェリアはネコの天国かもしれない。

ココは2年まえの5月28日に わたしの家にきた。
ノラネコだったココは、おなかがへったからか、
さみしさからか、ブロック塀のむこうでずっとないていた。
それほどわたしをおそれなかったので、
何日かごはんをあげたのち、家につれてかえることができた。
にげなければ、すくわれるネコがいる。
ネコがにげない町は、きっとひともすみやすい町だ。
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posted by カルピス at 21:40 | Comment(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月25日

民族によってちがうコミュニケーションの距離

Web本の雑誌の「作家の読書道」をみていたら、
ずいぶんまえに椎名誠さんが登場していた(2003年5月)。
そのなかで、民族による距離のとりかたのちがいが話題になっている。
http://www.webdoku.jp/rensai/sakka/michi19.html

――この先、椎名さんが取り組んでみたいテーマはありますか?
の質問に、
椎名 : うーん、うまく言えないんですけど、「仕草の文化史」といったらいいのかなぁ。 例えば、歩き方ひとつとっても、日本人はポケットに手を入れて歩く人がいるんだけど、国によってはこれは異なりますよね。民族によって適正なコミュニケーション距離も違って、そうだなぁ、イラクなんかでは60cmくらいで、日本人は2m以上ないとダメなんですよ。 あちこち外国に行くと、それがスゴク気になってきて、そろそろまとめてみたいですね。 でも、またその関連でいろいろな本を読んでいかなくてはならないんだけど(笑)

椎名さんの記事をよむまえは、
ソーシャルディスタンスなんてめんどくさいなー、
とおもっていたけど、
日本は、もともとあいてとの距離をおく文化なのをわすれていた。
ときどき妙にちかくによってきてはなすひとがいて、
そうされると距離のちかさにいごこちがわるくなる。
コロナでソーシャルディスタンスがもとめられるまえから、
日本はソーシャルディスタンスの国だったのだ。

椎名さんがいうように、たしかにアラブのひとは、
たとえ男どうしでも、ぴったりくっつこうとする。
ハグがあたりまえのラテン系はもちろんからだがくっつくし、
ヨーロッパでは握手があいさつの基本だ。
日本とは、ぜんぜんコミュニケーションの距離がちがう。
日本に新型コロナウイルスが外国ほどひろがらないのは、
民族による風習のちがいが、
たまたま日本に有利だったからではないか。

コロナがおちついたら、いろんな事実があきらかになる。
ソーシャルディスタンスは1メートルでよかった、とか、
レジのビニールシートはぜんぜん意味がなかった、とか、
散歩やジョギングのときのマスクは必要なかった、とか。
スキンシップしなければ、だいたい大丈夫、かもしれない。
いまおこなわれている あれやこれやが
じつは意味がなかった、という種あかしを たのしみにしている。
民族によるコミュニケーション距離が鍵をにぎっているかもしれない。

posted by カルピス at 21:49 | Comment(0) | 椎名誠 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月24日

安倍マスクは1世帯に2枚です(ひとりに、ではありません)

安倍マスクがとどいた。
3人家族のわたしの家に、2枚いりが1セット(2枚)。
わたしは、とうぜんひとりに1セットだとおもっていた。
3人なのに1セットは、なにかのまちがいだろう。
配偶者にたずねると、1世帯に1セットなのだそうだ。
これであっていたなんて。
1人に2枚のマスクでも、なにをかんがえているんだと、
不思議におもっていたのだけど、
1世帯に2枚となると、正気の沙汰とはおもえない。
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マスクのはいった袋には、「みなさまへ」として
なんだかんだとかいてある。
「十分な量でないことは承知しておりますが、・・・」とある。
承知しながら1世帯に2枚でおしきった確信犯はだれだ。
100年まえのスペイン風邪のころなら、
もしかしたらありがたがられたかもしれない。
緊急事態宣言が、全国で解除されたいま、
こんなマスクがとどくのはわるい冗談だ。
「不要不急の外出をさけ、人と人との接触を7割から8割削減」し、と
このマスク配布には、おおくの期待がかかっている。
なんどでもいうけど、それだけの役割をはたすに、1世帯で2枚は、
いくらなんでも荷がおもすぎる。
たとえば、5人家族に2枚おくられてきたら、
これでいったいどうしろというんだろう。
5人家族の家に、マスクが2枚とどけられました。
さて、どうやってつかえば効果的でしょう?
とてもむつかしいクイズだ。
国民の英知をかきあつめ、すぐれたつかい道を発表してほしい。

posted by カルピス at 20:11 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月23日

学校給食のかわりに牛乳の消費をふやすには

新型コロナウイルスの影響で学校がやすみとなり、
給食用の牛乳があまっているそうだ。
朝日新聞の土曜日版beに牛乳を消費するよびかけがのっていた。
こまったときはおたがいさまなので、
できるだけ牛乳をつかうのに異存はないけど、
そもそも学校給食に牛乳を提供するのがおかしいと
まえからわたしはおもっている。
パンには牛乳でいいけど、ごはんのときの牛乳には無理がある。
記事には「牛乳有害・危険説への反論」も紹介されている。
Q 牛乳は米飯給食に合わない?
A 個人的な好みやイメージの問題。牛乳なしでは栄養量達成が難しく、献立が固定化しやすい

なんて無理やりな回答だろう。
「個人的な好みやイメージの問題」とはなんのことか。
個人的な好みやイメージの問題だからこそ、
牛乳にかたよった学校給食が問題になっている。
お米でも牛乳がのめる、というひともいるだろうけど、
お米に牛乳はぜんぜんだめ、というひともまたいるはずだ。
牛乳でもOKというひとの意見ばかりきいて、
牛乳はいやだというひとに牛乳を提供しつづけるのはおかしくないか。
また、「牛乳なしでは栄養量達成が難しく」もへんだ。
栄養の専門家が献立をたてるのだから、
牛乳にかわる食品をもってくればいい。
毎日かわらず献立を牛乳にしておいて、
牛乳がなければ「献立が固定化しやすい」も意味がわからない。

映画の「レオン」みたいに、牛乳がだいすきなおとなもいるけど、
マチルダみたいに苦手な子どもだってちゃんといる。
『レオン』では、 レオンがマチルダに牛乳をすすめ、
マチルダは「いらない」という。
レオンは「ノーディスカッション」といって とりあわない。
映画としてはおもしろいけど、
子どもの側からすれば、とんでもないおやじだ。

読売新聞によると(2015年7月1日)、新潟県三条市が
学校給食から牛乳をはずしたと紹介している。
妥当で健全な判断だ。
カルシウムのために、小魚やヨーグルトをとりいれているそうで、
そこでも献立の固定化が問題になるそうだ。
とはいえ、牛乳ばかりを提供するよりも、献立が多様化する。
新潟県三条市教育委員会は30日、計30の市立小中学校全校の給食で牛乳を提供しないことを決めた。
米飯と牛乳は合わないと判断したためで9月から実施する。一方、カルシウム不足を補うメニューが作りにくいなどとして、給食時間以外に牛乳を提供する方針も決めた。
 2008年から完全米飯給食を実施している同市は昨年12月〜今年3月、試験的に献立から牛乳を外した。市教委は期間中の栄養充足率などを検証し、牛乳がなくても栄養面で問題がないと判断した。しかし、牛乳の代用としてカルシウムの多い小魚やヨーグルトなどを給食に使うことで献立が固定化する傾向があったという。

beの記事では、牛乳を大量消費するために、
フライパンで牛乳を煮つめてつくる「蘇(そ)」をとりあげている。
20分ほどで、500ccの牛乳からひとかたまりの
カッテージチーズみたいなのができている。
でも、日常的につくるのはめんどくさそうだ。
牛乳をたくさんつかいたいのなら、ミルクティーをおすすめしたい。
日本では ミルクティーを注文しても、
コーヒー用のフレッシュをだす店がほとんどで、
これではおいしいミルクティーをたのしめない。
ちゃんとたっぷりの牛乳をだすお店がふえたら
日本にもミルクティーの文化が根づくのではないか。

posted by カルピス at 20:43 | Comment(0) | 食事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月22日

サッカーがうつらなかった迷宮グルメでのキューバ

毎週たのしみにしているヒロシの「迷宮グルメ異国の駅前食堂」。
コロナの影響で、このごろは再放送ばかりだ。
せんじつは、キューバをとりあげていた。
いかにも子どもたちがボールをけっていそうな広場でも、
サッカーをやっている場面がうつらなかった。
キューバは野球が有名だけど、そういえば、
サッカーについてはきいたことがない。
アメリカでさえサッカーは人気があるのだから、
キューバは野球だけ、というのはおかしい。
なんでキューバはサッカーでしられていないのだろう。

気になったので、ネットをみると、
キューバでも最近はサッカー人気がすすんでいるらしい。
子どもたちが夢中になるのは、野球よりもサッカー、とある。
https://www.afpbb.com/articles/-/3199001
「迷宮グルメ」にうつらなかっただけで、
ちゃんとサッカーはおこなわれているのだ。
ネットによると キューバのFIFAランキングは
179位となっている。 ものすごくよわい。
名前がしられていないはずだ。
なんでこんなにひくいのだろう。
とはいえ、過去最高は2006年の46位だから、
そこそこつよかった時代もあるのだ。

NHKーBS「世界で一番アツい日」では、
革命記念日をめぐり、キューバにすむ
いろいろな世代にはなしをきいている。
キューバはインフラの整備が決定的におくれ、
ふるい建物や自動車がむかしのままつかわれている。
給料はやすく、くらしていくのがたいへんだけど、
教育と医療はお金がかからない国。
ふるい世代のひとは、革命を肯定的にとらえていたけど、
わかものたちは、さめたみかたをするひともでてきている。
いまは、これまでにためこんできた矛盾がいっぺんに表面化し、
国をどの方向へもっていくかの分岐点にあるようだ。

FIFAランキングは、国のいきおいをあらわすものではないから、
キューバが179位だからといって、
ちからのない国ときめつけられない。
ベネズエラのように、めちゃくちゃな情勢がつたえられても、
日本代表に4-1でかつ国もあるし(2019キリンチャレンジ杯)、
イラクやシリアなど、サッカーをおちついてやれない状況でも、
国際的な大会に参加し、たかいレベルの試合をおこなう国もある。
ただ、キューバのFIFAランキングがひくいままとどまっているのは、
いまのキューバのおくれた面がでているようにおもえる。
迷宮グルメにうつるキューバは、おおくのものがふるく、
世界のながれから 完全にとりのこされている国にみえた。
将来にあかるい希望をえがきにくいし、
快適さをもとめると、すむのはたいへんだろう。
自分の国についてかたる わかものたちのことばをきくと、
これからおおきな変化がキューバにおとずれるような気がする。

posted by カルピス at 23:09 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月21日

コロナでカップルがふえる、という説はほんとうか

コロナにより、職場では朝・昼2回の検温が日課となっている。
検温したあと、シャツのボタンをとめるのを、
ついわすれてしまいがちで、ずいぶんあとから気づくことがある。
そういえば、学生のころ、卒業生の第2ボタンをもらうという
不思議なうごきが まことしやかにおこなわれていた。
おもいをよせるひとの第2ボタンをもつと、
そのひとへのおもいがかなうのだという。
もうひとつの意味として、第2ボタンをはずすのは、
恋人募集ちゅうのサイン、というのもきいたことがある。
検温のあと、ボタンをとめるのをわすれるひとが続出した結果、
むすばれるカップルがふえたらおもしろいのに。

いちにちに2ど、体温をはかると、いくつかの傾向がみえてくる。
まず、さむい日はすこし体温がさがる。
あたりまえみたいだけど、人間は恒温動物のはずだから、
外気の気温にそう左右されないはずなのに、現実は若干ひくくなる。
そして、食後はすこし体温があがりがちだ。
いつもではないけど、日によっては37℃をこえることもある。
つかっている体温計が、そんなに正確でないのかもしれないけど、
なんどかはかりなおしても、すこし体温がたかいのはかわらない。
また、ひとによっても、平熱がたかめのひとと、
ひくめのひとにわかれている。
ひくいより、たかいほうが健康というのをきいたことがある。
37℃をこえても、調子がよければそっちのほうがいいらしい。
反対に、ひくいのは、ひえにつながるし、
いまはやりの免疫力がおちている状態なのかもしれない。

歯医者さんと市の施設へいったときに、
ひたいにあてるタイプの体温計で熱をはかられた。
どちらも35℃代がでて、これはひくすぎるけど、
たかいわけではなさそうだから、ま、いいか、
みたいに判断されて建物にはいるのをみとめられた。
あのタイプの体温計は、あんまりあてにならない気がする。
職場の体温計は、わきの下ではかるタイプで
はかりおえたらいちいち消毒して
つぎのひとにわたすので、かなりめんどくさい。
こうした習慣も、コロナの風物詩としてなつかしくなるのだろうか。
マスクに消毒と手あらい。そして検温の習慣が身についてきた。

posted by カルピス at 22:35 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月20日

PhoneSEがとどく

先週の土曜日にアップルのサイトで予約したiPhoneSEがとどいた。
たった4日で手にはいるとはおもわなかった。
なにかを注文し、とどくのをまつのが
こんなにたのしみだったことはひさしぶりだ。
アンドロイドの新品をかったとしても、
このよろこびはまず無縁のものだろう。
さっそく初期設定をする。
まるでマックのパソコンをひらいているようだ。
なんとか電話番号のひっこしをおえる。
さわっていると、なんだかんだやってみたくなり、
すぐに2時間すぎてしまった。
バイオスマホにあらわれる、
問題が発生したため、プロセス「andoroid.process.acore」を終了します

のメッセージになやまされてきたので、
これからフツーに電話できるのがありがたい。

心配していた4.7インチの画面は まったく気にならない。
うごきのなめらかさも、バイオとはべつものだ。
そもそも、すこしさわったときのたのしさから、
注文へのまよいがきえて すぐにほしくなった。
アンドロイドとの4年間は、準備期間みたいなものだった。
そのあいだ、胸のときめきはすこしもなく、
ただの機械あいてだという、距離感があった。
ようやくiPhoneデビューをはたし、
あるべきスタートラインについた気がする。

posted by カルピス at 22:57 | Comment(0) | スマホ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月19日

江戸時代は、シロアリとどうつきあっていたのだろう

先週の土曜日に、シロアリ駆除を業者さんにおねがいした。
シロアリ駆除は、床下の湿気をとりのぞき、
シロアリ用の薬をまく、というのがおもな方法になっているようだ。
10年以上まえに、湿気をとりのぞくための機械をいれているけど、
6台のうち、まともにうごいているのは1台だけになっていたらしい。
あたらしく、空気のながれをつくる機械を2台、
外に空気をおくりだす機械を2台いれることになった。
1台6万円するので、機械代と薬剤散布で50万円ほどかかる。
それだけでもずっしりおもい金額なのに、
仕事をはじめられてからすぐ、あと2台いれたほうがいい、といわれる。
こうやって、ずるずるとお金がとんでいくのはいやだけど、
そのほうがいい、といわれると、おまかせするしかない。
その追加分で16万円、合計64万円だ。
SDカードの容量じゃないのだから、64万円なんて、
かるがるしくいわれてもこまる。

それにしても、換気と薬剤がおもな対策というのは、
もっともらしいけど、おかしくもある。
シロアリ駆除用の薬がない時代、
たとえば室町時代や江戸時代には、
シロアリがでたらどう対応していたのだろう。
床下の換気なんて、高床式の家にすれば
すぐに解決できるような気がする。
じめじめした日本のような気候の土地に、
湿気がぬけないような床をつくるからいけないのだ。

もうひとつは、シロアリと共存できないか、ということ。
ガンやウイルスを からだの敵としてにくむのではなく、
このごろは共生がとなえられるようになっている。
シロアリもまた、敵ではなく、おなじ地球にすむ「環境」として、
おたがいにあいての領域をおかさないくらしができないものか。
絶滅させるのに64万円もはらうより、
共存するためのほうにお金をつかいたい。

シロアリ駆除では、業者さんが床下にもぐる必要があり、
わたしが本をおいている部屋のかたづけをもとめられた。
その部屋には、全面に1枚のウッドカーペットがしいてあるため、
ぜんぶの本棚をうごかさないと、タタミがはぐれないからだ。
わたしの本棚の大部分は、ブロックと板でコの字にくんである。
本棚の一部をいじると、全体をくみかえなければならないので、
ものすごくたいへんな作業だ。
とてもじゃないけど、そんな移動はやってられないので、
部屋の半分のかたづけだけで勘弁してもらう。
ホームセンターでかった本棚が4つあり、
それをうごかせば、なんとかウッドカーペットをめくれそうだ。

本をうごかしていると、ひっこしのたいへんさが想像できた。
これまでになんどかひっこしをしたことがあるけど、
そのときはまだ本と家具がすくなかった。
たった4つの本棚をうごかすだけでも、
その前後のだんどりをかんがえると、精神的にかなり負担だった。
大量の本を段ボールにつめ、移動し、
また本棚にもどすなんて、もうやりたくない。
シロアリがこようが、地震にあおうが、
もうこの家にすみつづけるしかないとおもった。

posted by カルピス at 21:49 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月18日

ついに「ののちゃん」が時事問題にふみこんだのか

なんにちかまえ、朝日新聞の川柳欄に、
ののちゃんの住んでる所行きたいな…

という句がのっていた。
いしいひさいちさんがかいている「ののちゃん」は、
時事問題をあつかわない。
現実の社会で、どれだけコロナがさわがれていても、
ののちゃんたちは いつもの日常を生きている。
東日本大地震のときも、ちょくせつ地震や
放射能による混乱は話題にならなかった。
しばらくたってから、震災と関係がありそうだと、
ふかよみしてようやくわかるはなしがのったけど、
ストレートに時事問題をださないのが
いしいひさいちさんの流儀だ。

新聞やテレビが、新型コロナのことばかりをいうなかで、
「ののちゃん」がすんでいる町は、
これまでとおなじ日常生活がつづいている。
ひとごみのなかをかいものにでかけるし、
もちろんマスクなんかしてない。
テレビや新聞にあふれている「コロナ」にはうんざりで、
わたしだって、「ののちゃんの住んでる所行きたい」とおもう。

そんな「ののちゃん」なのに、きょうのはなしには、
「時節柄」ということばがでていた。
ののちゃんが「なんか冷たいものないー?」
とおばあさんにたずねると、
おばあさんが「保冷剤。」とこたえている。
時節柄 冷蔵庫の掃除中や。

時節柄って、なんのことだ。
コロナで家にいる時間がながくなり、
断捨離をするひとがおおいというから、
おばあさんも、家のかたづけをしているのかとおもった。
ふつうにかんがえると、そうなる。
でも、ののちゃんのおばあさんは、
コロナだろうが、コロナでなかろうが、
いつも家にいるひとだから、
コロナと関係してのそうじではない可能性がある。
おばあさんのいう「時節柄」とは、
なにをさしているのだろう。
ついに「ののちゃん」が時事問題にふみこんだ、と
「時節柄」発言を重大にとらえたけど、
いしいひさいちさんの真意はべつなところにあるかもしれない。

おばあさんに保冷剤をだされたののちゃんは、
そのあとかいものからかえってきたお母さんにも
「なんか冷たいもの 買ってない?」
とふたたびたずねている。
お母さんのこたえも おばあさんとおなじ「保冷剤。」
あ母さんは、豆腐とバターをかってきたので、
保冷剤をもってかいものにいったのだろうか。
でも、ふつう保冷剤をもってかいものにいったりしない。

かいものからかえったお母さんは、
なんだかさえない表情で「ただいま。」
といっている。
そして、つまらなそうな顔のまま
ののちゃんに保冷剤をさしだしている。
このはなしのわからなさは、
お母さんのさえない表情が鍵をにぎっているのではないか。
なぜお母さんは保冷剤をもってかいものにいったのだろう。

お母さんは、バターや豆腐をかいたかったけど、
おばあさんが冷蔵庫のそうじをしているので、
わざわざ保冷剤をもってかいものにでなければならなかった。
よけいな荷物をもってのかいものだったので、
お母さんはうかない顔つきでかえってきた。
でも、それではやっぱりおかしい。
あのお母さんが、めんどくささを我慢して、
保冷剤もちでかいものにいくわけがない。
はじめから保冷剤などもたずにでかけるか、
保冷剤がいらないかいものをするはずだ。

ののちゃんはお母さんに
「なんか冷たいもの 買ってない?」
とたずねている。
「買ってない?」にたいしてのこたえが
「保冷剤」なのだから、
お母さんは保冷剤をかったのだ。
なぜ保冷剤なんかをかったのか。
それは、豆腐とバターをいい状態にたもつため、
ととらえるのがふつうだけど、
でも、保冷剤は、お店でかっても、
すでにつめたいわけではない。
すでにつめたい保冷剤は、スーパーでは手にはいらない。
はいるとしたら、ケーキなどのおかしをかったときだ。

ここで、わたしが到達した最終的な解釈は、
お母さんは、みんなにだまってケーキをかい、
それに保冷剤がついていた。
うれしそうな顔で家にかえったら、
みんなにケーキのことがばれてしまうので、
あえてしけた表情をつくり、「ただいま」と
ののちゃんのまえにあらわれた。
お母さんはじっと保冷剤をみつめながら
ののちゃんに保冷剤をさしだしている。
なぜ自分が保冷剤をもっているかを
ののちゃんにさとられるわけにはいかない。
しらをきるために、お母さんはポーカーフェイスでおしとおした。
まだちょっとむりがある。

・時節柄の冷蔵庫掃除
・保冷剤
・お母さんのさえない表情

わからない。
きょうの「ののちゃん」は難解だ。

posted by カルピス at 21:38 | Comment(0) | いしいひさいち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月17日

朝日新聞のbeがとりあげた 自宅での「新たな挑戦」

朝日新聞の土曜日版beが、「新たな挑戦」について、
アンケートをとっている。
家にいるようになってはじめたことはなにか。
記事によると、31%のひとがあたらしくなにかをはじめている。
1位と2位は、体操と筋トレで、3位が読書。
39名が「文章を書く」をあげており、8位にはいっている。
「文章を書く」がそのままブログではないにしても、
手がるな公開手段として、ブログをかくひとがふえるのではないか。
上にあげたとりくみは、どれもわたしがまえからやっていることで、
われながら家ですごすのにむいた人間だとおもう。

もっとも、なにかあたらしくはじめられるひとは、
あるていど、めぐまれた環境ともいえる。
仕事がなくなったり、さきゆきに不安があれば、
家であたらしくなにかを、どころではないだろう。
アンケートに「はじめていない」とこたえたうちの98人は、
「そんな気分にならない」を理由にあげている。
収入がへり、お金にこまれば、まえむきにうごくのはむつかしい。
わたしの仕事は障害者介護なので、
これまでとおなじように職場へでかけ、仕事をし、
給料をいただいている。ありがたい。

島根だからなのか、わたしのまわりに
「ステイホーム」をしているひとはいない。
ラジオをきいていると、ほとんど家ですごすようになったと、
これまでとの変化をはなすひとがおおい。
都市部では、ほんとうに「自粛」がおこなわれているようだ。
強制力をもたない「要請」でも、これだけ自粛がすすむのだから、
政府や首相のリーダーシップとは関係なしに、
日本は災害への対応にむいた国なのだろう。
くらしているひとたちのしあわせとは関係なしに、
国としては なんとなくやりくりしてしまう。

緊急事態宣言が解除され、やれやれと一息ついたのだけど、
実質的になにかがかわったわけではない。
休館となっていたプールがつかえるようになるのかと期待したのに、
再開にむけて まだこれから審議やら準備やらをするのだという。
ソーシャルディスタンスや、レジでのビニールカーテンは、
すぐにはなくならず、あたらしいスタイルになるかもしれない。
すこしずつ日常をとりもどしたとき、どんな生活におちつくのだろう。

posted by カルピス at 21:24 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月16日

給付金でiPhoneSE

コロナ給付金の10万円を手にしたら、どうつかうか。
iPhoneをかおう、とまずおもった。
機能としては、いまつかっているバイオ
(アンドロイド)でじゅうぶんなのだけど、
iPhoneでないという一点においてさしさわりがある。
ただ、あたらしく発売されたiPhoneSEは、画面が4.7インチしかなく、
5インチのスマホでさえみづらいわたしには、
さらにせまくなるのはありがたくない。

まよっていたら、バイオに
問題が発生したため、プロセス「andoroid.process.acore」を終了します

のメッセージがでるようになった。
こうなると、電話機能がつかえない。
セーフモードにすれば、電話はできるけど、
ほかのアプリがつかえない。
ネットをみると、アンドロイドの
バージョン5.0.2に特有のトラブルらしく、
根本的にはなおらないみたいだ。
バージョンアップしたスマホにかえるしかないらしい。
これはなにかのおつげだろう。iPhoneをかおう。

「こんにちはー、iPhoneください」、
みたいなかるいのりでソフトバンクをたずねると、
ひどくそっけない対応をうける。
iPhoneを予約しても、いつはいるか
はっきりしたことがいえないらしい。
一週間かもしれないし、一ヶ月かかるかもしれない、なんていう。
わたしの質問に、みくだしたようなはなしかたで、
いちいちイラッとする説明がかえってくる。
さきをつづける気になれなくなり、店をでた。

こんどはドコモにいこうとすると、
コロナの影響で営業日をすくなくしており、おやすみだった。
auにもよってみた。
ここでもソフトバンクとおなじような対応をうける。
スマホショップでは、すんなりコミュニケーションがとれない。
わたしのスマホはSIMフリーなので、どこの店でiPhoneをかっても
SIMをいれかえればいい、とおもっていたけど、
auやドコモでかうと、電話番号のひきつぎがややこしそうだ。
SIMはイオンモバイルでかったものだから、
iPhoneもイオンモバイルできけばスムーズにいくかも、
とおもい、イオンへでかけた。

ここでは、ふつうにわたしのはなしがつうじた。
まず、SIMのおおきさの変更が必要だった。
バイオはマイクロSIMなので、
iPhoneむけにナノSIMへかえる手つづきをする。
それとともに、これまでは2ギガの契約だったけど、
200円しかちがわないので、4ギガにふやす。
バイオからiPhoneへ、データーはどううつせばいいのだろう。
お店のひとにたずねると、
バイオからはあんがいたいへんかも、といわれる。
最悪の場合、電話番号は自分で手入力になるかもしれない。
一瞬このままアンドロイドスマホでいいか、と弱気になりかける。
でも、せっかくiPhoneにきりかえる機会がきたのだから、
そのながれにのっかろう。
イオンモバイルではiPhoneSEをあつかってないので、
このお店でできるのはここまでだ。
家にかえってアップルのサイトからiPhoneSEをもうしこむ。
10日ほどでとどくらしい。
税込5万円弱。
給付金は、はじめのおもいつきどうり、iPhoneにつかうことになった。
まだお金は手にしてないけど。

posted by カルピス at 20:14 | Comment(0) | スマホ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月15日

『本の雑誌 6月号』が無事出版された

『本の雑誌 6月号』を本屋さんでかう。
先月号をかったとき、日常をとどけてくれてありがとう、
みたいなことをかいた。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/474640881.html?1589545714
あれから一ヶ月がたち、状況があまりかわらないなか、
こうしてあたらしく6月号をとどけてくれた
本の雑誌社に感謝する。
一見すると、いつもの『本の雑誌』だけど、
営業の杉江さんのブログをよむと、
職員が交代でひとりずつ会社にいくような体制をとっている。
http://www.webdoku.jp/column/sugie/2020/04/18/175315.html
家での仕事がほとんどでも、ちゃんと本ができるのにおどろく。

家ですごす時間がおおくなったとき、
本のうれゆきはどううごくのだろう。
本がみなおされるきっかけになればいいけど。
コロナまえと、コロナ後では、小説の描写がとうぜんちがってくる。
登場人物はマスクをつけているだろうし、
おたがいにはなれてしゃべるのがエチケットだ。
感染が心配なので、ことばのやりとりは慎重になるはずで、
身元のしっかりしたひとよりも、陰性のおすみつき、
あるいは耐性ができているひとがもてるかもしれない。
小説がかわるのだから、映画もまた影響をうける。
挨拶のとき、握手やハグはなしだし、
よろこびをあらわすときも、うっかりだきしめたりしない。
いまの小説や映画と、ずいぶんちがうものになりそうだ。

『本の雑誌』は連載ものがおおく、
いつもの企画がいつもの場所にのっていると
かわらない日常をたしかめられて安心する。
たのしみにしている宮田珠己さんの「私がロト7に当たるまで」は、
いつまでもあたらないので連載がまだつづいている。
旅行作家なのに、外へでられない宮田さんはたいへんそうだ。
この先もし大恐慌に突入すれば、潰れる銀行も出てくるし、最悪の場合預金封鎖みたいなことが起こるかもしれないというから、尋常ではない。そうなったらいくらロト7で10億円せしめたところで、それが一切引出せなくなったり、一瞬にして1000万円になってしまったりする可能性がある。

マスクが品ぎれしたとき、さきをみこして
たくさんかっておけばよかった、と後悔したけど、
これから状況がどうかわるかを予測して、
必要なものを準備するなんてわたしにはむりだ。
心配してもきりがないとあきらめている。
食料がなくなれば、配偶者の実家へいって野菜をつくる。
そんな生活もまた たのしそうだ。

posted by カルピス at 21:21 | Comment(0) | 本の雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月14日

フランスより、モロッコのバゲットのほうがおいしかった

『アムリタ』(吉本ばなな)をよんでいたら、
バゲットのおいしいパン屋さんがでてきた。
あつかうパンはバゲットのみ。
日本にほんもののフランスパンを、と
フランス人がひらいたお店だ。
レジに立っていると、宵闇のなかをひとり、またひとりと主婦や学生や身なりのいい老人が店を訪れて並びはじめる。(中略)「明日の朝、おいしいパンを食べられる」という静かな喜びだけがそこにある。

やきたてのパンはたしかに魅力的だ。
そのなかでもフランスパンは独特のにおいがする。
そして、「明日の朝」ではなく、
できるだけはやくたべたほうがおいしい。
パンはもともと保存食としてつくられるようになったのだから、
やきたてをありがたがるのはルール違反かもしれない。
でも、そばやうどんが「うちたて」に価値をおくように、
パンもまたやきたてのほうがずっとおいしい。

わたしがこれまでにたべたバゲットのなかでは、
モロッコのものがいちばんおいしかった。
朝はやくお店にいって、やきたてをわけてもらったものは、
パンだけでたべても じゅうぶんおいしかった。
バターをぬれば それだけでごちそうだし、
チーズをはさめば りっぱなサンドイッチだ。
フランスでも もちろんバゲットをたべたけど、
あくまでもおかずといっしょにたべるパンであり、
パンだけをたべても満足、とはならなかった。
最近になって椎名誠さんの本でみかけ、ふかく納得したのは
ワインのつまみにバゲットがぴったり、という発見だ。
ワインというと、なにとあわせるのがいいか、あれこれいわれるけど、
シンプルにフランスパン、というのは、日本人らしい気づきといえる。

インドシナの国々、ベトナム・ラオス・カンボジアは、
フランスの植民地だったことから、いまでもパンがよくうられている。
そして、フランスの文化をうけつぎ、
フランスみたいなパンがたべられる、
とガイドブックにはかかれているけど、
じっさいはそれほどおいしいものではなかった。
やきたてをたべる機会がなかったからかもしれない。
ものすごくおおきな2つの袋にパンをぎっしりつめこみ、
バランスをとりながらバイクではこんでいる場面をよく目にした。
あんなにおおざっぱなあつかいをしていては、
パンの繊細な味はたもてないような気がする。
メンのおいしさにくらべたら、パンの味はぐっとおちる。

いずれにしても、コロナがおさまらなければ
どこの国へも気らくにはいけない。
自由に旅行できるのが、どんなにすてきなことだったかをおもう。

posted by カルピス at 21:47 | Comment(0) | 食事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月13日

「ゴキブリに悪化」ときこえた「5期ぶりに悪化」

ラジオをきいていたら
「ゴキブリに悪化」といっていた。
え、ゴキブリ?
「五期ぶりに悪化」だった。
経済のはなしなのに、完全に「ゴキブリ」ときこえる。
まちがってつたわらないためには、
どういいかえたらいいだろうか。
経済における一期が3ヶ月なら、
「一年3ヶ月ぶりに悪化」としたら
「ゴキブリ」にはならない。
これでは経済のニュースらしくないけど、
ゴキブリにきこえるよりいいとおもうけど。
「ゴキブリに悪化」ときこえるのは、
日本語の問題点なのではなく、
いいかえによって、いくらでもふせげる現象だ。

「クールジャパン」(NHK)で文字をとりあげていた。
スタジオにあつまった外国人ゲストは、
日本語の文字がだいすきなようで、
とくにカタカナは人気がたかかった。
日本語のなかに、漢字・ひらかな・カタカナと、
3種類の文字があるのをどうおもうか
鴻上さんがたずねると、みんな肯定的にとらえている。
漢字には、ふかい意味がこめられていてクールなのだという。
中国人のゲストでさえ、日本の漢字はうつくしいといっていた。
中国語の漢字は、漢字を簡略化しているので、
日本の漢字のほうに魅力をかんじるそうだ。
わたしは漢字をできるだけつかいたくない人間なので、
日本語ならではのうつくしさ、みたいにいわれると おもしろくない。
外国人からみると、漢字はかっこいい模様かもしれないけど、
身につけるのがどれだけたいへんかという体験も はなしてほしかった。
ひらかなとカタカナで100ちかくの文字、さらにそのうえに、
最低でも2000ちかくの漢字をおぼえなければ 本や新聞がよめない。
漢字には、音よみと訓よみがあり、
ひとつの漢字がなんとおりにもよめてしまうのは、
勉強する側にとって さぞかしたいへんだったのでは。
日本語の、クールでない面についても意見をききたかった。
もっとも、番組のテーマは「文字」だったので、
文字の魅力に注目するのは自然なながれだろう。
またべつの機会に日本語の問題点をとりあげてもらいたい。

posted by カルピス at 22:08 | Comment(0) | 表記法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月12日

マスクをつけてのジョギングになじめない

マスクをつけてジョギングなんかできるか!と
一週間まえは あたまから否定していたけど、
どんどん社会的な圧力がましてきて、
マスクをつけてのランがもとめられるようになった。
いまは、みかけるランナーの半分ぐらいのが
マスク(でなければ、それっぽい布)をつけてはしっている。

ランナーにマスクをもとめる心理は、
じっさいの効果がどうこうよりも、気もちの問題だろう。
わたしはマスクをつけたくないけど、気になるひとの気もちはわかる。
コロナについてのいろんな情報がとびかい、
いろんなエチケットがだんだんきびしくなる。
まえは、マスクをつけてのジョギングなんて、
なにかの冗談かとおもってたのに、
いまはあたりまえのエチケットになってきた。
冗談というと、すべてが冗談みたいだ。
なんねんかあとに、いまのソーシャルディスタンスや、
飛沫感染をふせぐためのビニールなどをみたら、
注意がきがなければわからない風景だろう。

大都市で、ひとごみのなかをはしるわけではなく、
人口密度のひくい島根なのに、
マスクをつけてはしるのがエチケットとなるとつらい。
マスクをつけてのさんぽでも息ぐるしいのに、
はしったりできるものか。
なんとか抵抗しようと、3日まえから、はしるコースをかえた。
これまでは、市民ランナーや散歩ちゅうのひとがおおい
宍道湖ぞいが定番のコースだったけど、
マスクを気にしながらはしるのはいやなので、
ひととであいにくい道をつないではしっている。
宍道湖ぞいより風の影響をうけないし、
坂がおおく、足がきたえられそうだ。

とはいえ、なんだかんだいっても、外をはしれるのだから、
島根はまだのんびりしているのだろう。
ずっと家ですごすしているひとは、
なにに好奇心をむけるようになるのか。

いつもデイリーポータルZのことでもうしわけないけど、
大北栄人さんによる「家に眠る40年前のお酒を開ける」
がおもしろかった。
https://dailyportalz.jp/kiji/open-old-liquor
緊急事態宣言が明けない。これはもう家にあるお父さんの洋酒を飲んでいいというメッセージではないだろうか。トロフィーのとなりに置いてあるようなホコリのかぶったあの洋酒の瓶である。そりゃお父さんは大事にしているお酒かもしれない。しかし今や外に出られないのだ。私たちの好奇心は外ではなく内に向かう。

親戚や友だちの家にいくと、
応接間っぽい部屋に、洋酒のビンが何本もおいてあった。
わたしの父は、日本酒しかのまなかったので、
こうしたおしゃれなビンは家になかった。
でも、「お父さんの洋酒」という、権威的なイメージはよくわかる。
「こんなときだから」できるまえむきなこころみが
いろいろなところで紹介されているけど、
わたしはもっとためにならないことを
「こんなときだから」やってみたい。
いま、家をでられなくて、しかたなく家のなかでやっている
「こんなときだから」できたあれやこれやに
デイリーポータルZがちからをいれている。
1年寝かされた酒が入っている。それはすごい。参考価格は18900円だそう。これ持ってスラム街を歩きたくないレベルで高い。
しかもここから41年が経っていて合計62年! 赤ちゃんが年金もらえそうになるほどに熟成されている!

「スラム街を歩きたくないレベルで高い」
「赤ちゃんが年金もらえそうになるほどに熟成されている」
ゆたかな比喩の数々は、うちにこもったくらしの成果にちがいない。

posted by カルピス at 21:52 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする