2020年05月11日

『未来少年コナン』のデジタルリマスター版再放送に気づく

ゆうべねるまえになにげなくテレビをつけると、
『未来少年コナン』がやっていた。
デジタルリマスター版、とある。
毎週月曜日の朝(深夜)0:10に放送しているようだ。
なんでこんな時間にコナンをやってるんだ?

「デジタルリマスター」とは、
ふるい映像をきれいにしたものらしいけど、
『未来少年コナン』は40年以上まえの作品なので、
いくらきれいにしたといっても、ふるさはかくせない。
ただ、わたしにとって、コナンは特別な作品であり、
ただただなつかしかった。
はじめてコナンをみたとき、わたしは高校生だった。
コナンのおもしろさにぶっとんで、
最終回をみたあとは、しばらくなにも手につかなかった。
コナンにより宮崎駿監督の存在をしり、
宮崎さんがはなす一言ひとことに影響をうけた。
『未来少年コナン』は、コナンがラナをつよくおもうものがたりだ。
コナンは、ラナのために生きようとおもった。
それがストレートにだされた映像をみて、
わたしはどんなにかコナンとラナの関係を、うらやんだことだろう。

ゆうべみたのは第2話の「旅立ち」だ。
ラナをファルコからすくいだすのに失敗したコナンは、
へとへとになってのこされ島にたどりつく。
そうだ、おじいがたいへんだったんだ、と
ロケット小屋にかけこむと、おじいはベッドによこたわっていた。
そこから、おじいの回想がはじまり、そしておじいの死。
どうしようもないかなしみを、コナンは岩をなげることにぶつける。
岩はだんだんおおきくなり、さいごには、もちあげられっこない
巨大な岩にコナンはとりかかり、渾身のちからで海へなげこむ。
かなしさを、なみだであらわすのではなく、
自分の全力をぶつけずにはいられない ふかいいきどおり。

それにしても、わずか30分のあいだに
こんなにたくさんの内容がもりこまれていたとは。
ファルコでのたたかい、海へおちるコナン。
おじいの回想、死、おおきな岩へかなしみをぶつける。
いっぽう、モンスリーは、バラクーダ号をみつけ、
こわれたファルコを修理する。
ファルコのなかでラナはアジサシたちとはなしをかわし、
おじいとコナンの無事をいのる。
コナンは、おじいがさいごにいいのこしたように、
のこされ島をでて、仲間をみつける旅にでようときめる。
船をつくり、帆をぬって、オールとなる木をナイフでけずる。
おじいのお墓にわかれをつげ、ひとりで海にのりだしていくコナン。
テンポよく場面がかわり、みているものをどんどんひきこんでいく。
とても40年以上まえにつくられた作品とはおもえない。
コナンをみたことで、わたしのすべてがはじまった。

posted by カルピス at 21:48 | Comment(0) | 宮ア駿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月10日

ネコ映画としての『ゴッドファーザー』

『ゴッドファーザー』
(フランシス=フォード=コッポラ:監督・1972年・アメリカ)

BSプレミアムで放送されていた。
もうなんどもみてるけど、
「こういうときだからこそ」と
あんまりよくわからない理由をつけて録画する。
何回かにわけてみた。

オープニングで印象にのこるのは、
ドン=コルレオーネがひざにだいているネコだ。
子ネコというほどちいさくはないけれど、
性格はまだ赤ちゃんで、ドンの手にずっとじゃれついている。
葬儀屋のボナセーラがドンにおねがいしている最中、
ドンはひざにだいたネコをずっといじっている。
ただネコをなでるのなら、そうむつかしくないだろうけど、
あそぶのに夢中になっているネコを、
いいかげんにあやす手つきがすばらしかった。
ネコの出演は、まえから予定されていたものではなく、
マーロン=ブランドがたまたまネコをスタジオでみつけ、
撮影につれてきた、といわれている(ウィキペディア)。
ボナセーラの陳情のなまなましさと、
むじゃきにあそぶネコとのギャップが、
作品にリアリティをあたえている。

パート1の一週間後、こんどはパート2が放映された。
パート2のすぐあとに、旅番組「世界ふれあい街歩き」が
シチリアのパレルモをとりあげていた。
ゴッドファーザーのあとでパレルモ。
ただの偶然なのか、意図的な配置なのか。
「世界ふれあい街歩き」では、ほかの文化にたいして寛容で、
とてもくらしやすい町としてパレルモを紹介している。
一見すると、こぎれいで、いごこちのいい町にみえる。
ただ、番組でナレーターをつとめる女性のはなし方が、
かわいらしくふるまいすぎ、鼻についた。
たのしくて、たのしくて、みたいな案内ではなく、
目にはいったものを、淡々と紹介するだけでじゅうぶんなのに。

パレルモといえば、「ゴッドファーザー」により、
マフィアの町としての印象がつよい。
そして、村上春樹さんも『遠い太鼓』のなかで、
パレルモのことをかなりわるくかいている。
まずとにかく街が汚い。すべてがうらぶれて、色褪せて、うす汚れている。街を構成する建物のおおかたは一言でいえば醜悪である。そして街を行く人々の顔は無表情で、どことなく暗い。車が多すぎて、騒音がひどく、都市機能は見るからに貧弱である。そしてこれはあとでわかったことだが、街には暴力犯罪があふれ、人々は猜疑心が強く、よそ者に対してひどく冷たい。

『遠い太鼓』が出版されたのは1990年だから、
30年のあいだに、画期的な改革がおこなわれた可能性もあるけど、
これだけひどくかかれると、
うえつけられたイメージはなかなかかわらない。
ただ、レストランとアイスクリームだけは村上さんもほめていた。

家族を土地のマフィアにころされたビトーは、
アメリカでちからをつけたのち、ふたたびシシリーをおとずれる。
たとえあいてがヨボヨボの老人であっても、きっちり復讐をはたす。
どんなにむかしのことでも
わすれないでおとしまえをつける風習は、
そうかんたんにかわらないのではないか。
パレルモの素顔をしるには、自分がいってみるしかないけど、
村上さんの記述の印象がつよく、
たずねたい気がぜんぜんおこらない。

posted by カルピス at 21:43 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月09日

シロアリにたいして小市民的な対応しかできなかった

なんにちかまえ、ジョギングのあとでシャワーをあびようとすると、
風呂場の壁にたくさんの羽蟻がいた。ギョッとするぐらいたくさん。
シャワーのお湯をかけるとすぐに壁からおちて、
排水溝にすいこまれていく。
そのあと、もういちどそんな日があった。
さすがに気もちがわるくなり、ネットでしらべると、
シロアリにまちがいなさそうだ。
連休ちゅうだったで、やすみがあけてから
どこかの業者へ相談することにした。

ネットをみると、24時間いつでも電話OK、という会社があった。
1つの事務所がすべての電話をいつでもうけつけ、
お客のすんでいるところをたずねてから、
ちかくの事業所に依頼をまわす、というやり方のようだ。
しばらくしてから となりの町にある会社から連絡があった。
さっそく家にきてもらい、床下の状態をみてもらう。
シロアリがどうこうより、湿気がひどくカビだらけなのだそうだ。
シロアリの駆除だけでなく、換気をよくするための機械が必要で、
消毒代と換気扇をあわせて50万円弱かかるとみつもられた。

シロアリがでたからといって、すぐに駆除をかんがえるのは、
たとえば健康診断でガンがみつかり、
あわてて手術をしてきりとろうとするのとおなじだ。
ガンがうまれたのは、それなりの理由があったのだから、
敵対視するのではなく、生活をみなおすことも必要だろう。
シロアリを悪ときめつけ、家の敵として排除するのはいかがなものか。
シロアリもまたひとつの環境なのだから、
シロアリとの共存をはかるのが、ほんとうは筋だろう。

演出家の宮崎駿さんと、SF作家のカレンバックさんとの対談で、
宮崎さんが
きのう家内から仕事場に電話がありましてね。庭に枯れた丸太があるんですが、そこから羽蟻がいっぱい出てきて、いま飛び立とうとしているというんです。これは燃やすべきかどうか。僕は燃やすなっていったんです。家内は、近所とか自分の家に飛んできて土台を食い荒らすっていうんですよ。僕は家はつぶれたっていいじゃないかっていったんですけど、家に帰ったら、女房が「燃やしたわよ」って(笑)。

とはなしている。
30年まえに、この対談をよんだとき、
環境にたいする宮崎さんのこの態度にすっかり感心したのだけど、
じっさいに自分の家でシロアリをみてしまったら、
「家はつぶれたっていいじゃないか」
とはとてもおもえなかった。
自分のことになると、すぐに冷淡な独裁者になってしまう。
宮崎さんの世界観は腐海の森を生みだし、
単純なわたしは業者さんまかせの対応しかできない。

家にきてくれた業者の方はとてもいい対応をしてくれた。
50万円、といわれても、納得できる説明だったし、
調査のあいだにココ(うちのネコ)が顔をだしたら、
自分の家にもネコが何匹もいて・・・、とはなしてくれた。
こわがりのココがいつになく気をゆるし、
そのひとのところへいってからだをさわらせる。
ココのおかげで業者さんを信頼でき、
すっきりした気もちで施工の日をきめる。
シロアリのみなさんにはもうしわけないけど。

posted by カルピス at 18:05 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月08日

『アムリタ』(吉本ばなな)

ゆうべ九州のしりあいから電話があった。
このひとは、清志郎の命日、つまり5月2日に、
毎年わたしに連絡をくれる。
そして、近況をたずねあったり、
清志郎のおもいでをはなしたりするのがお約束だ。
今年は5月5日に、そういえば、
清志郎の命日をわすれていたことに気づく。
そのしりあいもまた、わすれていたのだそうだ。
だから、2日ではなく、7日に電話がかかってきた。
清志郎がなくなって11年がたち、油断していたこともあるけど、
コロナさわぎでふたりとも余裕をなくしていたのだろう。
世間はコロナでばたばたしているけど、
わたしはいつもとかわらず 淡々と生きているつもりだったのに。

いま吉本ばななさんの『アムリタ』をよんでおり、
この小説にでてくるひとたちの
浮世ばなれしていることといったらすごい。
いろんな本や映画が、「こんなときだからこそ」と
とりあげられているけど、
わたしがおすすめする「こんなときだからこそ」小説は
『アムリタ』できまりだ。
この時期にこの本とであえたのは、
からだと頭が「つかみどころのなさ」を
もとめたからにちがいない。
というのはウソで、
「Web本の雑誌」に連載されているの「作家の読者道」で
青山七恵さんが『アムリタ』の魅力をはなしていた。
http://www.webdoku.jp/rensai/sakka/michi216_aoyama/20200328_3.html
『アムリタ』では、誰も魔法を使わないし、木も虫も喋らないし、アルファベット順に人が死んだりもしません。そのかわりに、主人公の女性が頭を打って記憶をなくしたり、弟が急に超能力に目覚めたり、死んだ妹の恋人と仲良くなったりする。実際にはいろんなことは起こってはいるんですが、それまで読んでいたものと比べると、この本では何も起こっていないように見えて、愕然としちゃったんです。でも、直感的に、これはこれまで好きで読んでいた別世界の話じゃない、これは自分にも何か関係のある話だ、というふうに思いました。そして読み進めていくうち、こういうものこそが「小説」と呼ばれるものなんじゃないかと感じ始めて、なんだか、「あれれっ」と思っちゃったんですよね。

ストーリーはあってないようなもので、
はなしがあっちこっちにとんでいくし、
ひとりひとりはふつうそうなひとなのに、
自分のことをはなしはじめると、
なげやりなのか真剣なのかわからない。
それは、『アムリタ』にかぎったことではなく、
ばななさんの小説はどれも不思議な世界観をもっていて、
自分が生きている世界とは、ちがうところへつれていってくれる。
この小説にかかれていることにくらべたら、
自分のなやみ・心配なんてぜんぜん平気、という気になれる本だ。
ばななさんというカードを1枚しこんでいるのといないのとでは、
生きやすさがだいぶちがってくる。

posted by カルピス at 21:09 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月07日

ココが自由にではいりできるようになり、鍵をかける習慣だけがのこった

5月にはいってあつくなる日がふえてきた。
かっているネコ(ココ)が、そとにでないよう、
ずっと戸をしめてきたけど、
このあつさでは、網戸にしないと我慢できなくなった。
ネコがやぶらないよう、網戸には、
ふつうよりも頑丈なアミをはっている。
でも、おとなになったココが、ちょっとちからをかけておせば、
かんたにアミがはずれてしまう。
もう、ココが外にでるのをふせぐのはあきらめた。
冬のあいだ、知恵くらべのように、
ココの外出をふせいできたけれど、もうお手あげだ
敗北宣言をして、ココに自由なではいりをゆるした。

自由にではいりできるようになったココは、
自由にではいりできることにまだなれないようで、
外にでると、すぐもどってきて、
そしてまたすぐにでていってしまう。
なにをやってるのか、自分で理解しているのだろうか。
夕ごはんの時間になると、ココもテーブルのうえにあがり
「みんなといっしょ」の時間をすごそうとする。
いつもなら、お皿にのったおかずをねらうのだけど、
きょうはなにかをうったえてハナをならしていた。
人間とおなじように、ネコも自由すぎると とまどうのだろうか。
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かまってもらえずさみしがっているのかと、
あそびにさそっても、どこかうわのそらでおちつかない。
外へでられないときは、不満そうにいらついていたくせに、
いくらでも外にでられるようになると、
こんどはなんだか さみしさをかんじているようにみえる。
ネコの真意をくみとるのはむつかしい。
もうすこししたら、おたがいになれてくるだろう。

玄関は、あいかわらずココが外にでないよう鍵をしている。
島根では、ドロボウにはいられるなんて、あまり心配しないので、
それまでは、ひるのあいだ、ずっと鍵をかけていなかった。
もう玄関をふせがなくても、ココはどこからでも外にでられるから、
鍵をしなくてもいいわけだけど、せっかくなれてきたので、
玄関の鍵だけは、これからもかけるようにする。
ココのおかげで、鍵をかける習慣がやっと身についた。

posted by カルピス at 21:44 | Comment(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月06日

「ばかばかしい記事100連発」の最終日

とうとう「ばかばかしい記事100連発」の最終日。
[5/6] ゴールデンウイーク「ばかばかしい記事100連発」は今日が最終日。最後の日は企画が始まってから入稿された記事がまざってます。ばかばかしいうえにギリギリだった筋金入りの記事です。千秋楽も20時まで1時間に2本ずつなんだこれは!?みたいな記事を投入していくので覚悟しておいてください(林)https://dailyportalz.jp/

花火大会のさいごの10分みたいに、
きょうは気あいのはいった記事がならびそうだ。

デイリーポータルZのライターのみなさんが、
いつも奇抜なアイデアをだしてくるのは
よく承知しているけど、
「ばかばかしい記事100連発」の企画は
ほんとうにおどろかされた。
どれも、わたしにはおもいつかない記事ばかりだ。

「手持ちの漫画、背表紙の数字ぜんぶ足す」(北向ハナウタ)
https://dailyportalz.jp/kiji/add_up_all_numbers_on_comics
数字をたしたところで もちろんなんの意味もない。
なんどもおなじことをいってしまうけど、
よくこんなことをおもいつくものだ。

「袋入りのスナック菓子を1つだけ食べて我慢する」(スズキナオ)
https://dailyportalz.jp/kiji/snack-hitotsu-gaman
スナック菓子を1個だけたべても、
あまりにもかすかな感触なので、味がよくわからない。
「美味しいのは『1個めと2個めの間』なのでは?」の発見がある。
でも、カールは1個目からちゃんとおいしかったそうだ。

「オムライスを内側から見る」(いまいずみひとし)
https://dailyportalz.jp/kiji/from-inside-the-omu_rice
卵に包まれたチキンライスはさぞ幸せだろう。一度でいいからチキンライス側の視点からオムライスを見てみたい。
を、いまいずみさんは実現してしまった。

「萩の月の空き箱に弁当を詰める」(松本圭司)
https://dailyportalz.jp/kiji/hagi_no_tsuki-box-bento
には、オームの幼虫が「萩の月」といっしょにうつっている。
でも、説明はない。
おおきさの基準としておいてあるわけでもない。
この、意味不明なところがまたおもしろい。

「ネクタイを大量に巻く!!」(ヨシダプロ)
https://dailyportalz.jp/kiji/so-many-necktie
最近つかってないから不憫だといって、
家にあったネクタイをどんどんまいていく(20本も!)
最後には、口もかくれるので、マスクのかわりになるかも、
とあらたな希望の光をみいだしている。

「歯磨き粉の人になる」(林雄司)
https://dailyportalz.jp/kiji/wanna_be_toothpaste_man
となると、いよいよわけがわからない。
でも、すごい。林さんの底ぢからをみるおもいだ。

「ムシューダの『おわり』を思う」(北向ハナウタ)
https://dailyportalz.jp/kiji/end_of_mushuda
100本目、さいごをかざった記事は
北向さんによる ムシューダについてのもの。
さいごだとおもうからか、ふかい余韻をかんじる記事だ。
そして、わたしの連休もまた、きょうでおわりとなった。

posted by カルピス at 20:19 | Comment(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月05日

『バーナード嬢曰く。5』マスクをしてる神林さんと町田さわ子がみられます

『バーナード嬢曰く。5』
(施川ユウキ)

4巻目をよんでから、ずいぶん日がたった。
あの世界がなつかしくなり5巻をダウンロードする。
おわりのほうにあるコラム{二十周年}によると、
作者の施川さんが『バーナード嬢曰く。』
をかきはじめたのが2011年だから、そろそろ10年がたつ。
1巻をひっぱりだしてみると、さすがにいまとは絵がちがう。
神林さんは、いつもイライラして、
町田さわ子にそのはけぐちをむけていたのに、
5巻ではすっかりなかのいい友だち同士だ。
そもそも町田さわ子は、
本をよまずによんだふうをよそおいたいひと、だったのに、
だんだんキャラがかわってきた。
5巻では、それなりに本をよみ、
彼女なりの感想をもつようになっている。
5巻でおもしろかったのは、もっともらしそうにきこえるけど、
じつはふつうのことしかいってない、というはなし。

町田さわ子が(彼女だけは敬称略のほうがしっくりくる)
『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』
をいちどよみだしながら、またとじてしまった。
なにかいいたそうなので、神林さんが
「で どう合わなかったのか言わないのか?」
とうながす。
「良い本だと思うよ」
と町田さわ子はいちおう評価しつつも、
たまにツイッターとかでバズってる
深いようでよく考えたら普通のこと言ってるだけの
ちょっといい話風の文章・・・あるでしょ?
アレを思い出すっていうか

と、もっともらしいことをいう。
町田さわ子は、さらにはなしをつづける。
人生に必要な知恵はすべて
人生そのものの中にある
だから
私たちは日々
学び続けなければいけないんだ
今日も!明日も!明後日も!

・・・それ
深いようで
無茶苦茶
普通のこと言ってますよ

と、長谷川さんがつっこんだ。
そうなんだよね。
本って、活字って、
ふかいようでけっこうふつうのことって、よくある。

電子書籍だけあって、「あとがき」がかかれたのは
2020年の4月6日となまなましい。
コロナにもふれてある。
5巻には、マスクをしている神林さんと町田さわ子がでてくるけど、
こちらはインフルエンザがはやっていたころの話題だから。
これからの漫画には、マスクがかならずえがかれるのだろうか。

posted by カルピス at 21:09 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月04日

デイリーポータルZの男気がうれしい「ばかばかしい記事100連発」

デイリーポータルZがやってくれた。
ライター総勢37名がばかばかに!
今年のGW企画は「ばかばかしい記事100連発」

https://dailyportalz.jp/dpq/gw2020-bakabaka
5月1日に、「企画趣旨説明」が発表された。
こんにちは。編集部の古賀です。
手探りの2020年のゴールデンウィーク、デイリーポータルZは5月2日から6日の5日間、とくべつ進行でおおくりします。
題して「ばかばかしい記事100連発」!
通常の11時と16時の更新枠をとりはらい、11時から20時のあいだ毎時2本ずつ一瞬で読める短くてばかばかな記事をライター総勢37名で更新していきます。

• 11:00 蚊取り線香をまっすぐにする
• 11:00 アイロンでトーストを焼く
• 12:00 自分のイニシャルが描かれた服を着る
• 12:00 「盛りこぼし」でコーンポタージュを飲む
• 13:00 ミレニアム・ファルコンをナンで作る
• 13:00 炭酸飲料の炭酸を抜いてから飲む
• 14:00 リモート会議で居留守をする
• 14:00 「蛍の光」を作業BGMにする
• 15:00 朝イチに辞書を開いて真っ先に見たワードを「ラッキーワード」とする
• 15:00 めちゃくちゃきれいにしてから靴をなめる
• 16:00 わざわざ凍らせたレモンでレモン水を作る
• 16:00 窓から車に乗る
• 17:00 コンビニおにぎりの海苔とおにぎりを別に食べる
• 17:00 餃子の皮でシウマイの皮を包む
• 18:00 役所の書類記入サンプルの氏名を調べる
• 18:00 品川であそぶ
• 19:00 読んでない本にふせんを貼って読んだことにする
• 19:00 折り紙の魚を煮え立つ鍋で泳がせる
• 20:00 シルバニアファミリーコンピューターを作る
• 20:00 モナカアイスに好きなものを挟んでよいことにする

すごいなー、うれしーなー、 やってくれるなー。
どれもそれぞれ「ばかばか」な企画だ。
コロナなんて、ひとことも口にしないで、
全力でわたしたちをたのしませてくれるデイリーポータルZ。
たのもしい。この矜持になける。
コロナでげんきがなくなってる、なんてかいて
すまなかったデイリーポータルZ。

posted by カルピス at 08:48 | Comment(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月03日

『あまからカルテット』(柚木麻子)

『あまからカルテット』(柚木麻子・文春文庫)

中学の同級生だった4人をめぐる連作短編集。
たべものをきりくちに謎をといていく、
柚木さんおとくいのスタイルだ。
おもしろくよめるけど、この路線はもういいや、と
途中でやめそうになっていたけど、
おしまいの短編である「おせちでカルテット」
がすばらしかった。

料理があまりできない薫子のもとに、
元旦をめがけ、鹿児島から姑がやってくることに。
りっぱなおせちを用意して、姑をみかえそうと、
3人の仲間に相談し、それぞれが一段ずつ、
おせちを分担してもってくるよう手はずをととのえる。
大晦日の夜にあつまって、元旦にぴったりまにあうはずだったけど、
そううまくものごとはながれない。
大晦日の夜からふりはじめた大雪のため、
3人はそれぞれの事情で薫子のマンションへむかえなくなる。

4人とも、いったんは絶体絶命のピンチにみまわれた。
薫子は、雪をみこしてはやく上京してきた姑にいびられる。
スタジオにいた料理研究家の由香子は、
テレビ番組用のおせちづくりを、あと5時間で、とたのまれる。
化粧品販売のチーフをつとめる満理子は、
きゅうな残業がこじれて倉庫にとじこめられる。
雪でうごけなくなった咲子は、車でとおりがかった元彼にひろわれて、
いっしょに旅館のひとへやですごすことに。
このバタバタした状態を、どう回収するんだろう。
なげだしかけていた この本への興味がつながった。

アクシデントがおとずれないまでも、
4人とも自分がおかれた状況に、いきづまりをかんじていた。
全力で難問にたちむかった体験をえて、
そのもやもやが、みごとに解決され、
全員が「めでたしめでたし」のハッピーエンドをむかえる。
それぞれのピンチをきれいに解決し、
まえよりもいい状況へもっていけたのは、
彼女たちが全力をかけたからだけど、
すべてをアレンジしたのは、
もっとおおきな「神の手」ようにおもえる。
ものごとは、とりつくろうと、ジタバタあがいたところで、
けっきょくのところ、おちつくべきところにおちつく。

酒井順子さんの解説がまたすばらしい。
女子校そだちの酒井さんは、
女ともだちのありがたさとむつかしさをよくしっている。
 女の友情には、恋愛と同様に、山と谷があります。「あまからカルテット」の四人組のように学生時代からの仲良しでも、時には友情に波風が立つことがある。(中略)
 しかし女性の友情というのは、非常に柔軟性が高いのです。様々な経験を積むうちに、仲良しグループの一人が色ボケ状態とか社畜状態になっても、他のメンバーは「ま、一時的なことでしょう。しばらくしたらこっちに戻ってくるに違いない」と、余裕をもって構えることができるようになってくる。

 友情を通じて様々な問題を乗り越えていく彼女達ですが、しかし四人の友情ストーリーは、これで終わりではないのだと私は思います。長い女の人生を考えると、四人の場合やっと第一楽章が終わったくらいのところではないか。
 なぜなら、女の友情ストーリーが最も激しい転調を迎えるのは、これからだから。(中略)
 四人にも、まもなく共にカルテットを奏でることが不可能になる時が来ることでしょう。しかしカルテットというのは、一人一人がソロとしても活躍できるほどの個性を持つ人の集まりだからこそ、成立するもの。たとえ友情の中断期間があっても、四人はその間にまた、一人ずつ異なる成長を遂げることでしょう。
タグ:柚木麻子

posted by カルピス at 10:36 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月02日

連休恒例のウォーキングに出発

連休恒例の、ながあるきにでる。
きょねんは、出雲大社から松江までの42キロをあるいた。
ことしは松江市の郊外にコースをくみたて、
レース仲間とふたりで24キロあるく。
気温が27℃まであがり、長ズボンではあついくらいだ。
とちゅう、ジョギングちゅうのランナーをなんにんかみかける。
ほとんどのひとがマスクをつけてはしっていた。
いまでは、ランナーにもマスクがもとめられる
社会的な圧力があるのか。
マスクをつけるなんて、呼吸制限のトレーニングじゃあるまいし、
たのしくはしれない。これだけはなじめそうにないコロナ対策だ。
都会とちがい、ひとがとおらない道をはしっているのだから、
マスクをつける意味はないだろう。
いまやマスクはパンツとおなじで、つけなければ
精神的にはずかしいものになってしまった。
口元をみせるのはふしだらだという社会になりつつある。

玉造温泉が中継地点だった。
旅館がならぶながい一直線に、車とひとをみかけない。
連休ちゅうなのに、シーンとしたとおりが異次元の世界をおもわせる。
観光業界が、どれだけダメージをうけているのかがうかがえる。
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{ポツンとうつっているのはつれのレースなかま}

わたしがすきなタイのことをおもった。
タイは観光の国で、たくさんの外国人がおとずれる。
バックパッカーむけの「カオサン」どおりなどは、
外国人旅行者のほうがタイ人よりもおおいくらいだ。
タイマッサージの店は、タイじゅうのいたるところにある。
国内需要もあるとはいえ、観光客をあてにしてる
マッサージやツアー、レストランはたいへんだろう。
いちどは店をたたんでも、再開するだけの体力があればいいけど。

きょねん42キロをあるいたのだから、
20キロちょっとなんて、散歩みたいなものだ、
となめてかかっていたら、けっこう足がはげしくつかれる。
とちゅうでたべたのは、ちいさなおにぎり3個と菓子パン1つ。
5時間で3万2000歩の、おてがるな遠足をたのしんだ。
家にかえったらビールで乾杯、とおもってたけど、
おやつにハンバーガーをたべたらねむってしまった。

posted by カルピス at 18:25 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月01日

新型コロナウイルスがひろがると、桶屋はどうなるか

ハーブショップへアルバイトへ。
新型コロナウイルスの影響で、
おおくのひとは、ハーブどころじゃないのでは、
とおもってたら、ちがった。
いつもの倍ほどの注文があり、
4人がかりで苗の発送にとりくむ。
これまでの経験では、地震や台風の被害がでると、
ひとは おちついてハーブにむかう心境ではなくなるようで、
苗のうりあげが目にみえておちていた。
でも、コロナはこれまでの例におさまらない。
外にでないで、なるべく家ですごしましょう、
ともとめられているご時世なので、
ハーブをそだてるのは、いい息ぬきになるのかもしれない。
新聞にも、野菜の苗がよくうれていると紹介されていた。

このお店は、苗だけでなく、ハーブにむいた土や、
初心者むけの鉢うえセットもあつかっている。
コロナでうりあげがふえたのは、
苗よりも、むしろ土と鉢うえセットらしい。
都会にすむひとは、ホームセンターへ
土をかいにいくのもたいへんなので、
ネット販売をつかうほうがたすかるという。
おもたい土を配達する宅配便のひとたちはたいへんだ。

このハーブショップには、
きょねんからツバメがやってくるようになった。
きょねんは2羽、ことしは4羽。     
つまり、つがいが2組だ。
あたらしくきたカップルは、巣をつくる場所をさがしている。
でも、わたしたちがざわざわと仕事をしているので、
安心できる場所かどうかわからず、
いまひとつきめかねているようだ。
壁にしがみついて、わたしたちがどくのをまっている。
新型コロナウイルスがはやならければ、
わたしたちの仕事は もうすこしのんびりしたものとなり、
ツバメは安心して巣をつくれただろうに。
コロナがおよぼす影響の、なんとひろいことだろう。
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このお店には、わたしが介護事業所でつくっている
クッキーもおかせてもらっている。
クッキーのうりあげは、このところさっぱりだ。
店にくるお客さんは、こころがざわついて、
ゆっくりかいものをする気もちになれないみたい、
とお店のひとがはなしていた。
ハーブのうりあげ増に便乗して
クッキーもたくさんうれたらありがたいけど、
こういうところでひとがしめす反応は、
ほかの災害のときといっしょだ。
気もちに余裕がなければクッキーはうれのこる。

posted by カルピス at 20:28 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする