『未来少年コナン』がやっていた。
デジタルリマスター版、とある。
毎週月曜日の朝(深夜)0:10に放送しているようだ。
なんでこんな時間にコナンをやってるんだ?
「デジタルリマスター」とは、
ふるい映像をきれいにしたものらしいけど、
『未来少年コナン』は40年以上まえの作品なので、
いくらきれいにしたといっても、ふるさはかくせない。
ただ、わたしにとって、コナンは特別な作品であり、
ただただなつかしかった。
はじめてコナンをみたとき、わたしは高校生だった。
コナンのおもしろさにぶっとんで、
最終回をみたあとは、しばらくなにも手につかなかった。
コナンにより宮崎駿監督の存在をしり、
宮崎さんがはなす一言ひとことに影響をうけた。
『未来少年コナン』は、コナンがラナをつよくおもうものがたりだ。
コナンは、ラナのために生きようとおもった。
それがストレートにだされた映像をみて、
わたしはどんなにかコナンとラナの関係を、うらやんだことだろう。
ゆうべみたのは第2話の「旅立ち」だ。
ラナをファルコからすくいだすのに失敗したコナンは、
へとへとになってのこされ島にたどりつく。
そうだ、おじいがたいへんだったんだ、と
ロケット小屋にかけこむと、おじいはベッドによこたわっていた。
そこから、おじいの回想がはじまり、そしておじいの死。
どうしようもないかなしみを、コナンは岩をなげることにぶつける。
岩はだんだんおおきくなり、さいごには、もちあげられっこない
巨大な岩にコナンはとりかかり、渾身のちからで海へなげこむ。
かなしさを、なみだであらわすのではなく、
自分の全力をぶつけずにはいられない ふかいいきどおり。
それにしても、わずか30分のあいだに
こんなにたくさんの内容がもりこまれていたとは。
ファルコでのたたかい、海へおちるコナン。
おじいの回想、死、おおきな岩へかなしみをぶつける。
いっぽう、モンスリーは、バラクーダ号をみつけ、
こわれたファルコを修理する。
ファルコのなかでラナはアジサシたちとはなしをかわし、
おじいとコナンの無事をいのる。
コナンは、おじいがさいごにいいのこしたように、
のこされ島をでて、仲間をみつける旅にでようときめる。
船をつくり、帆をぬって、オールとなる木をナイフでけずる。
おじいのお墓にわかれをつげ、ひとりで海にのりだしていくコナン。
テンポよく場面がかわり、みているものをどんどんひきこんでいく。
とても40年以上まえにつくられた作品とはおもえない。
コナンをみたことで、わたしのすべてがはじまった。
タグ:未来少年コナン