先月号をかったとき、日常をとどけてくれてありがとう、
みたいなことをかいた。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/474640881.html?1589545714
あれから一ヶ月がたち、状況があまりかわらないなか、
こうしてあたらしく6月号をとどけてくれた
本の雑誌社に感謝する。
一見すると、いつもの『本の雑誌』だけど、
営業の杉江さんのブログをよむと、
職員が交代でひとりずつ会社にいくような体制をとっている。
http://www.webdoku.jp/column/sugie/2020/04/18/175315.html
家での仕事がほとんどでも、ちゃんと本ができるのにおどろく。
家ですごす時間がおおくなったとき、
本のうれゆきはどううごくのだろう。
本がみなおされるきっかけになればいいけど。
コロナまえと、コロナ後では、小説の描写がとうぜんちがってくる。
登場人物はマスクをつけているだろうし、
おたがいにはなれてしゃべるのがエチケットだ。
感染が心配なので、ことばのやりとりは慎重になるはずで、
身元のしっかりしたひとよりも、陰性のおすみつき、
あるいは耐性ができているひとがもてるかもしれない。
小説がかわるのだから、映画もまた影響をうける。
挨拶のとき、握手やハグはなしだし、
よろこびをあらわすときも、うっかりだきしめたりしない。
いまの小説や映画と、ずいぶんちがうものになりそうだ。
『本の雑誌』は連載ものがおおく、
いつもの企画がいつもの場所にのっていると
かわらない日常をたしかめられて安心する。
たのしみにしている宮田珠己さんの「私がロト7に当たるまで」は、
いつまでもあたらないので連載がまだつづいている。
旅行作家なのに、外へでられない宮田さんはたいへんそうだ。
この先もし大恐慌に突入すれば、潰れる銀行も出てくるし、最悪の場合預金封鎖みたいなことが起こるかもしれないというから、尋常ではない。そうなったらいくらロト7で10億円せしめたところで、それが一切引出せなくなったり、一瞬にして1000万円になってしまったりする可能性がある。
マスクが品ぎれしたとき、さきをみこして
たくさんかっておけばよかった、と後悔したけど、
これから状況がどうかわるかを予測して、
必要なものを準備するなんてわたしにはむりだ。
心配してもきりがないとあきらめている。
食料がなくなれば、配偶者の実家へいって野菜をつくる。
そんな生活もまた たのしそうだ。