ずいぶんまえに椎名誠さんが登場していた(2003年5月)。
そのなかで、民族による距離のとりかたのちがいが話題になっている。
http://www.webdoku.jp/rensai/sakka/michi19.html
――この先、椎名さんが取り組んでみたいテーマはありますか?
の質問に、
椎名 : うーん、うまく言えないんですけど、「仕草の文化史」といったらいいのかなぁ。 例えば、歩き方ひとつとっても、日本人はポケットに手を入れて歩く人がいるんだけど、国によってはこれは異なりますよね。民族によって適正なコミュニケーション距離も違って、そうだなぁ、イラクなんかでは60cmくらいで、日本人は2m以上ないとダメなんですよ。 あちこち外国に行くと、それがスゴク気になってきて、そろそろまとめてみたいですね。 でも、またその関連でいろいろな本を読んでいかなくてはならないんだけど(笑)
椎名さんの記事をよむまえは、
ソーシャルディスタンスなんてめんどくさいなー、
とおもっていたけど、
日本は、もともとあいてとの距離をおく文化なのをわすれていた。
ときどき妙にちかくによってきてはなすひとがいて、
そうされると距離のちかさにいごこちがわるくなる。
コロナでソーシャルディスタンスがもとめられるまえから、
日本はソーシャルディスタンスの国だったのだ。
椎名さんがいうように、たしかにアラブのひとは、
たとえ男どうしでも、ぴったりくっつこうとする。
ハグがあたりまえのラテン系はもちろんからだがくっつくし、
ヨーロッパでは握手があいさつの基本だ。
日本とは、ぜんぜんコミュニケーションの距離がちがう。
日本に新型コロナウイルスが外国ほどひろがらないのは、
民族による風習のちがいが、
たまたま日本に有利だったからではないか。
コロナがおちついたら、いろんな事実があきらかになる。
ソーシャルディスタンスは1メートルでよかった、とか、
レジのビニールシートはぜんぜん意味がなかった、とか、
散歩やジョギングのときのマスクは必要なかった、とか。
スキンシップしなければ、だいたい大丈夫、かもしれない。
いまおこなわれている あれやこれやが
じつは意味がなかった、という種あかしを たのしみにしている。
民族によるコミュニケーション距離が鍵をにぎっているかもしれない。