2020年06月10日

夏のマスクはマジでたまらない

きのうは35℃、きょうは32℃と、
真夏なみのあつさがつづいた。
こうなると、マスクをつけるのがとてもくるしい。
ジョギングでは、ためしたことさえないけど、
散歩ですらすぐに息ぐるしくなってくる。
30℃をこえれば、マスクのなかがむれて汗をかく。
わたしにはとても我慢できない不快さだ。

きょうの天声人語(朝日新聞のコラム)が、
夏のマスクをうれいていた。
熱中症予防のため厚生労働省などは、野外で人との距離が2メートル以上あればマスクは外しましょうと呼びかけている。1人で野外を歩く時につけなくていいのは、考えてみれば当たり前だ。わざわざ注意喚起が必要なのは、世の中の着用圧力が強いからだろう。

車にひとりでのっているのに、
マスクをつけているひとがいる。
まわりはだれもいない山のなかにある畑で、
マスクをつけてはたらいている女性がいた。
もうなにをみてもおどろかないぞ。

新型コロナウイルスについて、
たしかなことはなにもいえないので、
わたしはアホらしいとおもっても、
きめるのはひとそれぞれだ。
空中にただよっているウイルスを
すいこまないためのマスクもありかもしれない。
ただ、その用心を、
まわりのひとにまでもとめられると たまらない。

ジョギングしていたら、
スタイル抜群な女性が準備運動をしていて、
そのたたずまいにみとれていたら、
がっちりマスクをしていた。
あなたまでそんな判断をするのかと残念におもう。

仕事でよくとおる道で、散歩ちゅうのおじさんをよくみかける。
背中に「安倍ヒトラー」とかかれたTシャツをきているので、
よほど腹のすわった人物なのだろう。
そんなにつよい批判精神のもちぬしなのに、
このひともまたマスクをつけていて、それがすごく残念だ。

島根のような田舎にすんでいると、
コロナはけっきょく人口密度なんだとおもう。
都道府県別の感染者数をみると、
人口のすくないところはたいてい ふたけただ。
都会にすみ、満員電車にのり、
ひとがたくさんのスーパーでかいものすれば、
そりゃ感染のリスクはたかいだろう。
せっかくひとのすくない島根にいるのだから、
ひとりでの散歩や、ひとりでの運転、
ましてやひとりでの畑仕事くらい
マスクなしですごせばいいのに。
つけなくていいのは、「考えてみれば当たり前」だ。

スーパーでマスクをしてない女性がいて、
さっそうとしてうつくしかった。
マスクがにあう女性もいるけど、
マスクをつけないひとのほうが
芯のつよさをかんじてすきだ。
そういうわたしは圧力にまけ、
スーパーなどのお店にはいるときは、
ポケットからマスクをとりだしてつける。
なんちゃってマスクとしかいいようがなく、
そんなつけ方をしてもウイルスをふせぐ効果はまずないだろう。
いうこととやることが一致しないだらしない人間だ。

posted by カルピス at 22:51 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月09日

Numberの「史上最強チームを語れ。」

Number がつくる特集本はまずかわないのに、
ながらくJリーグがおやすみしているさみしさから
「史上最強チームを語れ。」をかった。
現役Jリーガーと読者がそれぞれ投票し、
Jリーグの最強チームをえらぶという企画だ。
選手と読者とで、えらんだ順位はちがうけど、
おなじようなチームがベスト10にはいっている。

Nーボックスのシステムで有名な
2002年のジュビロ磐田のつよさを、
おおくの選手がくちにしている。
3連覇したときのアントラーズ、
3冠をとった2014年のガンバ、
きょねんのマリノスの評価もたかい。
つよくて点のとれるチームがみんなすきなのだ。

めずらしくNumber の本をかったのは、
オシムさんが指揮をとっていたころの
ジェフユナイテッド千葉がとりあげられていたからだ。
投票によるベスト10いりははたしていないけど、
オシムさんがとりいれたトータルフットボールは、
ジェフだけでなく、日本じゅうのサッカーに影響をあたえており、
今回の特集にも顔をだしたのだろう。
2007年に、オシムさんが脳梗塞でたおれ、
オシムさんのめざした日本らしいサッカーは未完成におわった。
今回の特集では、オシムさんとともにジェフですごした佐藤勇人さんが
コメントをよせている。
ここ数年の海外サッカーを見たときに、オシムさんがそれ以上のことをやっていたのに気づいたからです。前に人数をかけてリスクを冒して攻める。ボールを奪われたらすぐに切り替えて奪い返し、全員が止まることなくボールに関わる。自分たちがしていたことの完成形を今の世界がやっているのがわかったとき、イビチャ・オシムという人はどこまで先を見ていたんだろうと思いました

かえすがえすも、オシムさんが日本代表をひきいての
W杯南アフリカ大会をみたかった。

わたしがサッカーに関心をもつようになったのは、
2002年の日韓W杯からで、ようするに
典型的なミーハーであり、にわかファンだ。
その後、代表選をみるだけの期間がしばらくつづいたあと、
だんだんとJリーグの試合への興味もわいてきた。
オシムさんが代表監督のときに活躍した、
中村憲剛や遠藤ヤットさんがひいきで、
したがって、チームとしてはフロンターレとガンバを応援している。
熱心なサポーターは、生活のおおくを応援するチームにささげており、
その喜怒哀楽のはげしさは、「web本の雑誌」にときどきのる、
杉江さんのブログでほんのすこしだけ 垣間みている。
サッカーで生活にメリハリがつく、などというレベルではなく、
命をかけて声援をおくっているといってもおおげさではない。
わたしは、とてもそこまでの情熱をもちあわせておらず、
ひいきのチームが快勝すれば気分がいい、
という程度のサッカーファンにとどまっている。

Jリーグは、第1節をおえただけで
新型コロナウイルスによる中断期間にはいった。
そして、7月4日からの再開が予定されている。
熱狂的なサポーターでないわたしにとっても
サッカーのない生活は、さみしいものだった。
せんじつから再開したドイツのブンデスリーガの試合をみると、
ながい中断にもかかわらず、選手たちはよくうごいていた。
もちろん本来のスタミナとスピードではないだろうが、
サッカーのできるしあわせを、
おおくの選手がかみしめているのではないか。
Jリーグの試合に、一喜一憂する日常がまちどおしい。

posted by カルピス at 21:48 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月08日

島根県の出生率が全国3位に

島根県の出生率が1.68で、全国3位だったと
6日の朝日新聞島根版にのっていた。
ただ、出生数は4年連続で過去最低というから、
全国3位とはいえ、そんなにおめでたい数字ではない。
ネットをみてみると、出生率の1位は沖縄の1.82で、
全国平均は1.36というからかなりひくい。
4年連続の低下で、2007年以来12年ぶりの低水準だという。

エバーノートにとっておいた記事を検索すると、
2017年は島根が出生率で1.75と2位だった。
生まれた数はすくないものの、出生率についていうと、
島根は上位の常連のようだ。
島根県は、2040年までに出生率を2.07にもっていくことを目標、
とものっている。
2.07は、人口を維持するために必要だといわれる出生率らしい。

「1.57ショック」ということばをおぼえているので、
これまたネットでみてみる。
1.57の、なにがそんなにショックだったのだろう。
1990年に発表された前年度の出生率が
「ひのえうま」だった1966年よりもひくかったことから
「1.57ショック」と、おおきな反響をよんだという。
ふつうの年なのに、「ひのえうま」の年よりもひくい、
というのはありえない事態だったのだ。
ちなみに、「ひのえうま」である1966年に生まれたのが、
のちに『負け犬の遠吠え』を世にだす酒井順子さんだ。

その後、多少の増減はあるものの、
出生率のグラフは右肩さがりにえがかれていく。
負け犬がふえれば出生率はもちろんさがる。
子どもをもってもいい、という状況に日本はないので、
ながい目でみれば、これから負け犬はさらにふえ、
したがって出生率はさがるだろう。
それでは、新型コロナウイルスは、出生率にどう影響するだろうか。
在宅勤務がふえたら出生率もあがりそうだけど、
かえってDVの被害がふえているというし、
マスクをつけ、距離をたもっていては、恋愛もままならない気がする。
出生率を2.07に、と目標をたてたひとたちも、
コロナで世界がこんなにかわるなんて、予想できない。
スキンシップをしにくい世界で、出生率がどううごくのか。
もともとスキンシップのなかった日本は、
さほどコロナの影響をうけず、出生率はゆるやかな右さがりのまま、
とわたしは予想している。

posted by カルピス at 21:42 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月07日

『日の名残り』(カズオ=イシグロ)うつくしい文章のうらに、かくされたわらい

『日の名残り』(カズオ=イシグロ・ハヤカワepi文庫)

イシグロ氏の本は、『わたしを離さないで』につづいて2冊目だ。
わたしにこんなむつかしそうな本がよめるだろうか、
おずおずと手にとると、めちゃくちゃおもしろかった。
由緒あるお屋敷、ダーリントン・ホールが舞台で、
執事のスティーブンスのかたりではなしがすすんでいく。
執事だけあって、とてもていねいなことばえらびがここちよく、
土屋政雄氏の訳にもたすけられ、
執事が名家にかかせなかった時代をぞんぶんにたのしんだ。
スティーブンスのきまじめな人柄は、
じつに執事むきではありながら、現代社会ではいささか大時代だ。
執事は、大英帝国がかがやいていた時代の遺産ともいえ、
いまとなっては、スティーブンスのかたるすべてが
冗談におもえるほど 現実とにずれがある。

スティーブンスのあたらしい主人であるファラディ氏が、
自分のるすのあいだ 自動車旅行にでるよう
スティーブンスにもちかけるところからはなしがはじまる。
スティーブンスは、はじめはためらいながらも、
旅行にでることで、お屋敷の人手不足を解消できるかもしれないと、
ファラディ氏からの提案をうける。
スティーブンスは、旅行でおとずれる場所として、
まえに女中頭だった ミス・ケントンのすむ町をかんがえていた。
彼女がやめたのはもう20年もむかしのことだけど、
仕事がよくできただけに、ふたりはよく衝突しながらも、
おたがいの能力をみとめあい、お屋敷のためにつくしていた。
彼女がふたたびお屋敷ではたらくようになれば、
さまざまな問題はいっぺんに解決するだろう。
スティーブンスは、執事としてすばらしい仕事ぶりをみせるのに、
頭にあるのは主人とお屋敷のことばかりで、
ミス・ケントンが、自分に好意をよせていたのさえ気づかなかった。
ミス・ケントンは、結婚してお屋敷をはなれてからも
スティーブンスに何通か手紙をよこしている。
最近の手紙には、彼女がいまおかれている状況が
けして良好ではないとにおわせていた
(とスティーブンスはうけとめた)。

スティーブンスは、車での旅行をすすめながら、
おなじく執事としてはたらいていた父親のこと、
さきの主人であるダーリントン卿のこと、
その時代のお屋敷が、どれだけたかいレベルにたもたれていたか、
自分がお屋敷のやりくりに、どれだけ貢献できたかをおもいかえす。
偉大な執事とは。
執事における品格とは。
スティーブンスはむかしをおもいかえし、
執事にはなにがもとめられるかをかんがえつづける。
ことばづかいがていねいなものだから、
まともにうけとめると地味でおもしろみのない小説だけど、
慇懃なふるまいのうらに おかしさがみえかくれしている。
そもそも、執事として、すぐれたうでをもちながら、
女ごころにまったくうといのがしんじられないほどだし、
主人のファラディがくりだす冗談に、
自分がどうきりかえしたら適切な対応といえるかを
どこまでも真剣にかんがえたりする。
まじめさが、わらえるレベルにたっしているのがスティーブンスだ。
とはいえ、スティーブンスだって、自分がうでをふるえた時代はさり、
いまはもう、おとろえていくばかりの仕事ぶりだとわかっている。

よみすすめるうちに、スティーブンスがふかくしたっていた
まえの主人であるダーリントン卿は、
第二次世界大戦前後のはたらきぶりが批判をうけ、
残念なさいごをむかえたことがわかってくる。
お屋敷の維持・管理につくしてきた自分の人生とはなんであったか。
私生活においても、ミス・ケントンの気もちにさえ気づけなかった。
スティーブンスは、人生のおわりごろになって
ふかいかなしみと後悔におそわれる。
でも、ものがたりのおわりは意外とさばさばしている。
スティーブンスは、きゅうにジョークの大切さに気づく。
もちろん、私はジョークの技術を開発するために、これまでにも相当な時間を費やしてきておりますが、心のどこかで、もうひとつ熱意が欠けていたのかもしれません。明日ダーリントン・ホールに帰り着きましたら、私は決意を新たにしてジョークの練習に取り組んでみることにいたしましょう。ファラディ様は、まだ一週間はもどられません。まだ多少の練習時間がございます。

どこまでも、まじめなひとなのだ、スティーブンスは。

posted by カルピス at 22:20 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月06日

「まるで家族みたい」を、ほめ言葉としてとらえない

どこでよんだのかわすれたけど、
「家族」への疑問をなげかける視点をしり、ふかく共感した。
それをかいたひとは、家族ではないひとたちとすごしていて、
とてもいい関係にみえることから
「まるで家族みたい」とよくいわれるそうだ。
そして、それをきくと がっかりするのだという。
ふつうだったら「まるで家族みたい」は ほめ言葉だ。
でも、それは家族のむすびつきこそ
なにものにもかえがたい、という価値観が前提となっている。
家族でなくても「まるで家族みたい」にいい関係もあるし、
家族であってもうまくいってない家もある。
それなのに、いつまでたっても「家族みたい」が
ほめ言葉として、なんのうたがいもなく つかわれている。

ラジオをきいていたら、
「ほんものの家族みたいに食事をするシーンがある」、
と担当者がはなしていた。
家族を肯定的にとらえ、家族ではないけれど、
家族みたいにいい関係をたもっている、という意味だろう。
しかし、このいいかたでは、
「ほんものの家族」こそがただしい、みたいにきこえる。
「ほんものの家族」でなくてもいいじゃないか、
いい関係のあつまりだったら。

ひとりでくらしているひとがいるし、同性のカップルもいる。
家族の多様性がいわれてひさしいのに、
いつまでも血縁関係のある家族こそが、
ほんとうの「家族」だ、という価値観がかわらない。
血縁関係があろうがなかろうが、
ふかくむすばれた関係であれば それが家族だ。
「まるで家族みたい」を、ほめ言葉としてつかわないよう
このごろは注意するようになった。

新型コロナウイルスの影響から、家ですごす時間がふえ、
DVの被害がひろがっている。
DVをめぐっては、国連が4月下旬、世界で外出規制策が半年続いた場合、新たに3100万人の女性たちが暴力の被害を受けかねない、と警告している。(朝日新聞)

いっしょにくらすことで、暴力をうけるリスクがふえるなんて、
家族って、いったいなんなのだ。
「家族」のありようはさまざまで
「まるで家族みたい」はけしてほめ言葉ではない。

posted by カルピス at 15:22 | Comment(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月05日

2ヶ月ぶりにプールでおよぐ

2ヶ月ぶりにプールでおよぐ。
4月9日に、島根県でも新型コロナウイルスの感染者がでたため、
その翌日から県立プールは休館となった。
緊急事態宣言が解除されてからも慎重な対応がつづき、
今週になってようやく施設が再開された。
県立プールには、トレーニングジムも併設されており、
いまはプール・ジムともに利用できるようになった。

ただし、「新しい利用方法」がつくられて、
かなりめんどくさい手つづきが必要になっていた。

・マスクをつけていないと施設にはいられない
・利用は2時間まで
・受付で体温・氏名・住所・連絡先をかきこむ
・トレーニングをするひとは、更衣室がつかえず、
 シャワーもあびられない
(更衣室は「密」になりやすいので閉鎖)
・プールにはいるひとは会議室できがえる
 いちどに7名までしか会議室にはいられない
・トレーニングルームをつかうひとには消毒セットがかしだされる
 練習ちゅう、可能なかぎり消毒セットをもちあるき、
 マシンをつかったあとに消毒するようもとめられている

かえるときにトレーニングルームをのぞいたら、
マスクをつけてトレッドミルにのっているひとがいた。
マシンをつかうひとも、半分くらいはマスクをつけている。
更衣室がつかえないので、家できがえてからこなければならず、
これから汗をたっぷりかく季節なのに
トレーニングのあとシャワーもつかえない。
トレーニングちゅうは消毒をこまめにして、
そのうえマスクまでがエチケットになるとたいへんだ。
これからしばらくは、この「新しい利用方法」にそっての
施設利用がもとめられるわけで、
これだけめんどくさいと、わたしはとてもついていけない。
それにしても、島根でさえ「密」をさけるのが
こんなにたいへんなのだから、
都会ではどうやって交通機関や施設を利用しているのだろう。
いまさらながらコロナのやっかいさにうんざりしてくる。

2ヶ月ぶりとなった水泳は、およぐ筋肉がおちただろうから、
どれだけつづけておよげるだろうかと、心配していた。
ゆっくりながら、あんがいたのしく1500メートルおよぐ。
およぐのは、はしるのとまったくちがう自由さがある。
これからまた 感染者がでる日も あるだろうけど、
「新しい利用法」でコロナとの共存をはかり、
プールをひらきつづけてほしい。
プールをでるときはつかれきっており、
わかいころの部活動をおもいだした。

posted by カルピス at 20:53 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月04日

地主恵亮さんによる在宅勤務のコツは「だらだら」と「自分に優しく」

デイリーポータルZに「在宅勤務のプロに聞きました」がのった。
https://event.rakuten.co.jp/earthmall/magazine/article/2020/0525/
たずねているのは編集部の安藤さんで、
インタビューをうけているのは、
フリーライターの地主恵亮さん。
地主さんは、12年の在宅勤務歴をもつベテランだ。
「家が一番落ち着く」地主さんは、在宅勤務にあきるという
ほかのひとの苦労がわからないという。
といっても、すばらしく快適な家にすんでいるわけではなく、
冷蔵庫がなくてもぜんぜんこまらない地主さんなので、
あまりほかのひとの参考にはならないかもしれない。

安藤:家にずっといると仕事と生活との境目がなくなりませんか?切り替えはどうしてます?
地主:無理に切り替えようとせず、ずっとダラダラと仕事しています。

安藤:やっぱりそうなっちゃいますよね。在宅勤務でそれが問題って言う人が僕を含めいると思うんですが、地主さんはそれで12年やってるので人によるんですかね。

地主:集中するまでにどうしても時間がかかるんですよね。なのでダラダラとはじめて、集中してくると一気にはかどる感じです。このへんは人によるのでなんとも言えないですが、あまり厳しくしすぎると続かないので、基本は自分に優しく、でいいと思います。(中略)
冷蔵庫開けてよけいな食べ物が入っているとつい食べちゃうので、在宅勤務の人は冷蔵庫を置かないのもおすすめだと思います。

安藤:これからも在宅勤務が続く人にアドバイスがあれば。
地主:さっきも話しましたが、あまり厳しくしすぎない方が続くと思います。ずっと家にいるんだから仕事なんてやっていればいつか終わるんです。だから気分が乗らないときはだらだらしても大丈夫なんです。

ふつうだったら生活リズムをととのえて、
みたいなアドバイスがおおいとおもうけど、
地主さんは「ダラダラと」とか、
「基本は自分に優しく」とか
ゆるい姿勢を大切にしている。
ずっと家にいるんだから仕事なんてやっていればいつか終わるんです。だから気分が乗らないときはだらだらしても大丈夫なんです。

がすごくこころづよくひびいてくる。
それでいいんだ。

わたしはまえの職場をやめたあと、
2ヶ月ほど完全に仕事からはなれていた。
といっても、失業状態だっただけで、
在宅勤務とはとてもいえない。
10キロはなれた畑まで自転車でいったりしていたから、
時間がありすぎてこまりはしなかった。
2ヶ月たったところで、送迎のアルバイトをたのまれ、
朝・夕に1時間半ずつ自動車の運転をはじめた。
家ですごすのは退屈ではなかったけど、
社会とのかかわりがきれるのは、たしかにこころもとなかった。
送迎のアルバイトを半年つづけたあと、
勤務時間をふやしていまにいたっている。

ステイホームがいわれだした今年の春、
仕事が障害者介護なので、在宅勤務、というわけにはいかず、
いつもとかわらないリズムで仕事をつづけている。
そんなわたしにも「ダラダラと」「基本は自分に優しく」は、
ありがたくて すがりつきたくなるアドバイスだ。

posted by カルピス at 21:31 | Comment(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月03日

2011年サッカー女子W杯決勝、日本対アメリカの感動をふたたび

NHK-BSで、2011年のサッカー女子W杯、
日本対アメリカの決勝戦をやっていた。
延長後半、宮間のあげたコーナーキックに、
澤が伝家の宝刀いあいぎり!をきめたあの試合だ。
前半・後半・延長とPKの3回にわけて、夕ごはんのときにみる。
結果がわかっていても、ハラハラしながらたのしめた。

なんどもみたような気がしていたけど、
あらためてはじめから決勝戦みてみると、
おぼえているのは澤のキックだけで、
あとは記憶がほとんどあてにならない。
日本は得意のパスサッカーでゲームを支配したはずなのに、
じっさいはよくパスをつないでいたのはアメリカのほうで、
日本はたてにいそぎすぎて、ことごとくボールをうばわれていた。
コントロールミスがおおく、せっかくボールをもっても、
すぐに相手にプレゼントしてしまう。
アメリカのぶあついせめは圧倒的で、
日本はあいてのミスや、クロスバーになんどもたすけられていた。
試合の結果をしっていながら、わたしはなんども悲鳴をあげた。
よくこの試合にかてたものだ。
ただ、後半にはいり、宮間のシュートで同点においついてからは、
日本があと一歩というところまで攻勢にでていた。
アメリカは足がとまり、日本のパスまわしについていけない。
あそこで逆転にまでもっていけていたら・・・。

延長戦まえの円陣で、日本の選手たちは笑顔をみせていた。
佐々木監督も、リラックスしたムードを演出している。
おやじギャグがでていたというウワサだ。
かちまけをこえた地点に選手たちはたどりついていた。
延長前半がはじまると、はやく勝負をきめたいアメリカは、
どんどんまえにでてきてゴールにせまる。
前半終了間際にワムバックがヘディングをきめると、
アメリカは勝利を確信したようによろこんでいた。
しかし後半12分、冒頭にかいたとおり、
澤のいあいぎりで日本は同点においつく。
ありえないシュートがゴールにつきささり、
サッカーの神様の存在をしんじたくなった。
その直後、日本は熊谷がレッドカードをうけて退場となる。
全体にアメリカよりの笛がふかれていた。
そのあとのフリーキックをなんとかしのぎ、
2-2のままPK戦へとうつる。

PK戦では海堀がさえていた。
1本目を足ではじきとばしたあと、
2本目は相手のミス、3本目はまた海堀みずからがとめている。
かっこよかったのは日本の1人目をつとめた宮間で、
相手のキーパー(ソロ)がうごくのをまって、
ゆるいボールを反対側にころがして技ありの得点。
日本は4人目の熊谷がきめて初優勝がきまる。

あの試合にでていた選手たちは、いまどうしているだろう。
澤の引退ははなばなしかったけど、あとの選手たちは?
宮間はどうしたんだ。
あんなに冷静なプレーで日本をひっぱっていたのに。
阪口は?わたしは彼女のファンだった。
熊谷は、いまもフランスのリオンでプレーし、
日本代表の主将をととめている。
この試合を再放送するにあたり、
鮫島と熊谷のふたりがネットで参加していた。
日本代表の監督は高倉氏へとかわり、
日本はながい低迷期にあえいでいる。
どのチームとやってもパッとしない試合となり、
いまの日本代表は、残念ながらおそろしくよわい。

posted by カルピス at 21:48 | Comment(0) | 女子サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月02日

ききのがし配信をたのしみつつ、ほんとにこのサービスは必要なのかともおもう

自粛生活の充実を手だすけするためか、
NHK-FMで「ききのがし配信」される番組がふえてきた。
音楽遊覧飛行も4月から「ききのがし」の対象になったし、
ラジオマンジャックまでも、5月30日の放送が
「ききのがし」のリストにあがっていた。

デジタル時代になり、ラジカセをつかっていたころよりも、
意外とむつかしくなったのがラジオ番組の録音だ。
パソコンにそれなりのソフトをいれたら
なんとかなるらしいけど、まあそこまでしなくてもいいや、
というのがラジオとのわたしの距離感だ。
とはいえ、すきな番組をききのがすと残念だし、
仕事できけないこともおおい。
そんなときに、ききのがし配信のサービスは、
ほんとにありがたい。
一週間という期限はあるものの、そのあいだは
いつでも番組をききながらパソコンにむかえる。
「ききのがし」の一覧をみていると、
きいてみたい番組がいくつもでてくる。
時間がいくらでもほしいところだけど、
あたりまえながら、時間だけは自由にならない。
時間を自由にするための「ききのがしサービス」とはいえ、
ラジオをきく時間がふえたりはしない。
時間だけは だれかから かいとることができない。
となると、量よりも密度が大切かもしれない。
「ききのがし」をすきなだけきくよりも、
いまながれている番組に意識を集中する。

すこしまえの「ラジオマンジャック」で、
番組をたのしみにしているという
ファンからのメールが紹介された。
そのかたは、以前から番組をきいているそうで、
番組の時間になると、 畑仕事をおえ、
汗をシャワーでながし、庭に椅子をもちだすという。
そして、山をながめながらビールをのむ。
最近はツバメがまいはじめたらしい。
いい時間なんだろうなー。

こうなってくると、「ききのがし配信」が
ゆたかな時間と直接はむすびつかない気がしてきた。
いつでもきけるとおもうから、
雑な態度できいてしまうかもしれない。
コロナがらみで、「ききのがし」むけのサービスがふえ、
でもけっきょく そんなのは必要ないことがわかる。
必要だとおもっていた あれやこれやが、
なくてもあんがい大丈夫なのがおもしろい。

posted by カルピス at 21:54 | Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月01日

ネコが亡くなり、かなしんでいたおばあさん

いつもいくスーパーでかいものをしていたら、
おばあさんが店員さんにはなしかけていた。
かっていたネコが3日まえに死んでしまい
かなしくてたまらない。
ごはんもたべられない。
ネコは、きゅうにごはんをたべなくなり、
タクシーをたのんで病院につれていったけど、 たすからなかった。
1万7000円もかかったのに、たすからなかった。
もっとはやくつれていけばよかった。
かなしくて、つらくて、さみしそうだ。

わたしはかいものをおえ、レジでお金をはらってから、
おばあさんのところにもどって、はなしかけた。
すこしでもネコのことをはなせば
気がらくになるかとおもって。
しらないひとにはなしかけられて、
おばあさんはとまどったようで、
「どちらさんでしたかいね?」とたずねられた。
とおりすがりのものです、
さっきネコのはなしをきいていました。
おれもネコをかっていて、たいへんさがよくわかります。
残念でしたね。何歳でしたか、ときくと、
まだ3歳だったそうだ。
わかれるのがつらくて、まだいっしょにいる、といわれた。
家にうめるところがありますか、ときくと、
ペットの葬儀にたのむと2万円もかかるので、
市の環境なんとかにもっていくつもりだ、 といわれた。
あそこは、完全にゴミとしてあつかいます。
おれもいったことがあるけど、ネコにかわいそうでした、
とはなす。
そうはいっても、おばあさんはうめるところがないようで
どうしようか こまっておられた。
わたしはなにもしてあげられない。
それじゃあ、とわかれた。
スーパーのいりぐちでうっている、
お花をかってわたせばよかったと、
わかれたあとで気づいた。

posted by カルピス at 19:19 | Comment(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする