「家族」への疑問をなげかける視点をしり、ふかく共感した。
それをかいたひとは、家族ではないひとたちとすごしていて、
とてもいい関係にみえることから
「まるで家族みたい」とよくいわれるそうだ。
そして、それをきくと がっかりするのだという。
ふつうだったら「まるで家族みたい」は ほめ言葉だ。
でも、それは家族のむすびつきこそ
なにものにもかえがたい、という価値観が前提となっている。
家族でなくても「まるで家族みたい」にいい関係もあるし、
家族であってもうまくいってない家もある。
それなのに、いつまでたっても「家族みたい」が
ほめ言葉として、なんのうたがいもなく つかわれている。
ラジオをきいていたら、
「ほんものの家族みたいに食事をするシーンがある」、
と担当者がはなしていた。
家族を肯定的にとらえ、家族ではないけれど、
家族みたいにいい関係をたもっている、という意味だろう。
しかし、このいいかたでは、
「ほんものの家族」こそがただしい、みたいにきこえる。
「ほんものの家族」でなくてもいいじゃないか、
いい関係のあつまりだったら。
ひとりでくらしているひとがいるし、同性のカップルもいる。
家族の多様性がいわれてひさしいのに、
いつまでも血縁関係のある家族こそが、
ほんとうの「家族」だ、という価値観がかわらない。
血縁関係があろうがなかろうが、
ふかくむすばれた関係であれば それが家族だ。
「まるで家族みたい」を、ほめ言葉としてつかわないよう
このごろは注意するようになった。
新型コロナウイルスの影響から、家ですごす時間がふえ、
DVの被害がひろがっている。
DVをめぐっては、国連が4月下旬、世界で外出規制策が半年続いた場合、新たに3100万人の女性たちが暴力の被害を受けかねない、と警告している。(朝日新聞)
いっしょにくらすことで、暴力をうけるリスクがふえるなんて、
家族って、いったいなんなのだ。
「家族」のありようはさまざまで
「まるで家族みたい」はけしてほめ言葉ではない。