(朝日新聞に隔週で連載される「オトナになった女子たちへ)。
タイトルは、「わたしは、ジュリアナ東京へいったことあるか?」。
もうひとつ問題があって、それは
「わたしは、マクドナルドの
フィレオフィッシュバーガーを食べたことあるか?」。
いったのか、たべたのか、自信がないそうだ。
そして、おわりのほうで、
富士山をみる目が、この問題にむかうときの ヒントをおしえてくれる。
ところで。
富士山は圧倒的に富士山なのだそうだ。
「あの山は富士山?」
と、「?」がついたら、もうその山は、富士山じゃないんだそーだ。富士山はただ、ただ、
「あ、富士山・・・!」
となる、のだそうだ。
富士山でおもいだしたのは ダニのはなしだ。
ダニにかまれてかゆいような気がするけど、
これはほんとにダニなのだろうか、とまよったら、
ダニではない、というのをきいたことがある。
もしダニだったとしたら、まよわないぐらい
強烈にかゆいのだそうだ。
おなじように、50肩かな?とおもったら、それは50肩ではない。
もし50肩だったら、「かな?」ぐらいのいたみではすまないから。
名づけて、「まよったら、ちがう」の法則。
世界はシンプルにできていて、「はい・いいえ」のふたつしかない。
中間はない。どっちかなー、とかんがえたら、
それだけですでにこたえがでている。いいえ、なのだ。
といいつつ、優柔不断にまようのはあんがいすきだ。
たとえばお酒をかいにイオンへいったとき、
ジンをかうか、ウィスキーにするか、
1本にするか、2本のほうがいいか、
ビールはどの銘柄にするか、白ワインの値段は、など
たいしたことないことについて、いちいちまよう。
とくにおおきなかいものでないときでも、ちゃんとためらう。
不毛な時間であり、もったいないだけなのに、
ああでもない、こうでもないとかんがえる。
そんなふうにまようのが人生、という気がしている。
ごくささいなことにまよっていると、
自分の人生をいきている手ごたえがある。