あまりスマホをつかわないわたしなので、
iPhoneだろうがアンドロイドだろうが、
たいしてちがいはないのでは、とおもっていた。
でも、さわってみると ぜんぜんちがう。
パソコンはずっとアップルをつかっているわたしにとって、
ものごとがあるべきところおちついたかんじだ。
iPhoneにしてよかったのは、あんまりつかわないので、
3日にいちどしか充電しなくてもいい。
わたしに用があるひとはきわめてすくないので、
こわれているのかとおもうぐらい、着信音がしない。
逆説的にいうと、こんなにつかわないのに、
それでもiPhoneがいいとおもえるのが
iPhoneのよさなのだろう。
高野秀行さんのブログをよんでいたら、
「電話不携帯のやめられない快適さ」
のはなしがおかしかった。
https://aisa.ne.jp/mbembe/archives/3508
携帯電話が壊れたままだ。でもあまり積極的に修理する気にならない。 というのは、二ヵ月のタイ旅行で、誰とも電話をしない生活に慣れきってしまい、必要性を感じなくなってしまったからだ。(中略) 必要なことはメールで十分である。iPhoneがあるから、急ぎの話もメールでほぼ解決する。
(註:これを読んだ人はきっと「iPhoneで電話すりゃいいじゃん!」と突っ込むだろうが、私はいろいろな間違った事情からiPhone電話を使用していない。使い方もよくわからないし、友人知人の電話番号も登録されていない。名刺にもメールにもその番号は載せていないから(私自身、昨日まで自分の番号を知らなかった)、誰もかけてきようがない−-という体たらくなのです)
iPhoneをもっているのに、電話としてのつかい方がわからないし、
自分の番号もしらないという「間違い方」がさすがに高野さんだ。
たしかに、かかってきてうれしい電話なんて、まずない。
たいてい仕事がらみで、業務連絡にすぎない。
iPhoneにしただけでうかれてしまった自分がはずかしい。