日記をかいたほうがいい、とすすめている。
https://cyblog.jp/40942
大橋さんが、日記についてのポッドキャストをきき、
共感した内容について 紹介された記事だ。
「日記を書いた方がいい人と書かないほうがいい人がいる」
そうで、
「書かないほうがいいのはヒマな人」
その理由がいくつもならべてあり、
ヒマなひとは、けっきょく、
日記を書こうとしても、特に何もやってないので過去をほじくり返し始める
のがおもな理由のようだ。そうかもしれない。
もうひとつ感心したのは、
「日記は、事実2割:感想8割」という方針だ。
日記は事実だけを書いても面白くないので続かない
・日記というと何時に起きて何を食べて何をした、という出来事を時系列に書きがち
・こういう日記はあとで読み返しても面白くない
・読み返しても面白くない日記を書く=無意味な作業をすることになるので絶対やめたほうがいい
自分が何を思ったのか、どう感じたのかを書く
・主観的な感想
・偏見
・誰かに対する怒り
・すごくうれしかったこと
「時系列に書きがち」は、まさしくわたしのことで、
時系列に、なにをしたかだけをかき、
感想にはほとんどふれていない。
こうしているのは、梅棹忠夫さんからの影響で、
『知的生産の技術』に、
日記というのは、要するに日づけ順の経験の記録のことであって、その経験が内的なものであろうと外的なものであろうと、それは問題ではない。日記に、心のこと、魂のことをかかねばならないという理由は、なにもないのである。
とかかれていたのにすっかり感心したからだ。
そして、業務日誌のような記録ばかりをつけるようになる。
業務日誌のような日記にするか、「事実2割:感想8割」にするかは、
なにを目的として日記をつけるのか、によるちがいだ。
大橋さんが紹介しているのは、
日記をかくのがすきでたまらないひとのやり方だ。
このような日記は、あとからよみかえして、成長を確認したり、
おもったことをすべてかくことで、
こころの整理をするためにつけられている。
日記は自分の内面を見つめる重要な作業 、
というかんがえが、基本にある。
わたしは「ほぼ日手帳」に日記をつけており、
デジタルとしてはscrapboxをつかっている。
ほぼ日手帳のほうには、業務日誌的な内容が中心で、
多少の感想と、おもいつきをかいている。
scrapboxには時系列になにをしたかだけをかく。
もうひとつ、まいにち更新しているこのブログも、
ひとにみせるため、というよりも、
自分のためにかいてる日記みたいなものだ。
感想をここにかいているから、
ほかのところにかく必要をかんじないのかもしれない。
日記をつける目的を、どこにおくかで、
日記はずいぶんちがうものになる。
無意識のように毎日つけているだけで、
その効用についてかんがえたことがなかった。
毎日かくぐらいだから、なにか意味をかんじているのだろう、
なんだかんだいって、わたしも日記をかくのがすきなのかもしれない。