2020年07月31日

脱プラスチック運動にとりくむメラティさん

きのうの朝日新聞に、
脱プラスチック運動をすすめるメラティさんが紹介されていた。
メラティさんは、バリ島にすむ19歳の女性で、
12歳のころからレジ袋やプラスチック製の容器を
なんとかしたいとおもいはじめたという。
日本でも7月からレジ袋が有料になり、
プラスティック製品について、わずかとはいえ
わたしたちは意識するようになった。
有料化になれば、レジ袋を自分で用意するようになる。
なれの問題であり、無料のレジ袋がなくてもぜんぜん問題ない。
とはいえ、脱プラスチックをかんがえるとき、
レジ袋がプラスティック製品にしめる割合はそうおおくない。
メラティさんを紹介する記事のひとつうえには、
「日本でも廃プラの年間排出量のうち、レジ袋の割合は2%ほど。」
とのっていた。

メラティさんは、コロナ後の「ニューノーマル」(新たな日常)には、
どんな期待を?とい質問にたいし、
その言葉を使いたくありません。コロナだけでなく、豪州では森林火災、ジャカルタでは洪水が深刻です。もはや平穏な「日常」なんて存在せず、経済や社会に「新しい仕組み」をどう生み出せるかのほうが大事だとおもいます

とこたえている。
「もはや平穏な『日常』なんて存在」しない、
というとらえ方にリアリティがある。
そういってるのが、10代のわかものであるのがすごい。
いまは新型コロナウイルスに世界じゅうの目がそそがれているけど、
そのほかにも いくつもの深刻な問題が
それぞれに「新しい仕組み」を必要としている。
コロナで在宅での仕事がすすんだように、
おいこまれ、どうしようもなくなると、
ようやく対応するための工夫がうまれてくる。
脱プラスヒックは、わたしたちの生活を
ちょくせつにはおびやかさないので、
運動をすすめるにはつよい気もちが必要だろう。

プラスティックや電力をなるべくつかわないくらし。
やればいいことはたくさんあるのに、具体的な一歩をふみだせない。
スーパーで材料をかい、いちど夕ごはんをつくるだけで、
たくさんのプラスティック容器やビニールにより、
ゴミ袋がすぐにふくらんでゆく。
お弁当を用意するときは、なんども電子レンジでおかずをあたため、
電力の浪費にひとやくかっている。
新型コロナウイルスがこれだけ世界をかえたのだから、
やりかたにより、世界がかわるのはあきらかだ。
それなのに、だらしのないわたしは、
世界がかわらないときめこんでいた。
グレタさんやメラティさんのように、10代のわかものが、
自分やなかまをしんじて運動にとりくむすがたがまぶしい。

posted by カルピス at 21:53 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月30日

べつやく れいさんの「ノンオイルにオイルを足してやりました」がすてき

デイリーポータルZにのった
べつやく れいさんの
「ノンオイルにオイルを足してやりました」
がおかしかった。
https://dailyportalz.jp/kiji/nonoil_ni_oil_wo_plus
ノンオイルの青じそドレッシングがすきで、
「何にかけてもうまいし、ノンオイルだからカロリーも気にならない」
といっておきながら、べつやくさんがおもいついたのは、
ノンオイル、オイルなしでもうまいのにそこにオイルを入れたら・・・。

だった。
さらにそのあと「塩分控えめ」に塩を足したり、
「甘さ控えめ」に砂糖をたしたりもためしている。
オイルや塩をたせば、ノンオイル、
そして塩分ひかえめをかった意味がないのに、
そっちのほうがおいしいのでは、と
あえてオイルや塩をくわえる発想がすばらしい。
べつやくさんの発見は、ヘルシーがうりのサラダチキンに
オリーブオイルをたっぷりかける、というもの。
脂質をできるかぎりとりのぞくことで、
商品の特徴をアピールしようとした製品開発部のひとたちは
べつやくさんのこころみに、がっくりヒザをおるのではないか。

ビールみたいにおいしいといわれているノンアルコールビールに
ふつうのビールをいれたら、さらにおいしくなりそうだ。
糖質オフのパンがそこそこの味なら、
たっぷりジャムをぬったら、すごくおいしくなるはず。
べつやくさんのこの記事は、
「ひかえめ」をありがたがる消費者の目をさましてくれる。
ヘルシーとか、カロリーオフとかにまどわされず、
自分の舌をしんじ、どんどんオイルや塩をたしてみたくなった。
ひかえるより、我慢しないでくわえるほうがたのしそうだ。

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2020年07月29日

高見浩さんによる新訳『老人と海』に期待する

きのうの朝日新聞で、
『老人と海』(ヘミングウェイ)の新訳がとりあげられていた。
『老人と海』は、福田恆存氏による訳がよくしられ、記事によると、
「新潮文庫の海外作品として、トップの発行部数を誇る。」
という。
 新訳は、70編以上のヘミングウェイ作品を訳してきた高見浩さんが手がけた。担当編集者の大島有美子次長は「半世紀前の翻訳は、今よりも格段に情報量の少ないなかで行われた。どんな名訳であっても、時代が進むと、必然的に内容が古く感じられてしまう」と説明する。

そのとおりだろう。
翻訳には賞味期限がある、と村上春樹さんもどこかでかいていた。
わたしはまだ『老人と海』をよんだことがなく、
福田さんによる訳がどんなテイストなのかしらないけど、
今回の高見さんの新訳では、
「脱・マッチョ」路線がとられているらしい。
わたしは、高見さんの訳に、絶対の信頼をおいており、
今回の新訳をきっかけに、『老人と海』をよんでみる気になった。
マッチョぶりを警戒して『老人と海』に手をださなかった、
というのはウソだけど、よわさをこころえた主人公のほうが
わたしのこのみにあいそうだ。

高見浩さんによる訳を意識するようになったのは、
ピート=ハミルの『愛しい女』をよんでからだ。
あんまりすらすらおもしろくよめるので、
ほかのひとの感想もしりたいと、なにかの書評をよんだら、
原作よりも翻訳のほうがうまい、みたいな
ほめかたがしてあった。
英語と日本語ができるひとが、それぞれのことばでよんでの感想だ。
ひとりの感想をもちだして、だからすごい、
というのはいただけない方法だけど、
原作よりうまい、というのは、最大級のほめことばであり、
そのときから高見さんの訳にいちもくおくようになった。

高見さんは、トマス=ハリスのレクターシリーズも訳している。
ただ1冊、『羊たちの沈黙』だけは、菊池光さんがうけもっており、
おおげさな日本語にいらついていたけど、
これも数年まえに高見さんによる新訳がでた。
だれが訳すかで、作品の雰囲気はおおきくかわる。
高見浩さんによる新訳『老人と海』を、夏だけに、
夏やすみの必読書としてたのしみたい。

posted by カルピス at 21:11 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月28日

子ネコがきてから1週間

子ネコを家につれてかえってから1週間がたった。
みつけたときは、自分でかうつもりはなく、
すぐしりあいに電話して、
子ネコをかってくれない?とおねがいした。
そのひとの家でもネコをかっていたけど、
2年まえに急な発作でなくしている。
とくに夫のほうがつよいペットロスになり、
もうネコはいい、という気もちなのだという。
それでもいちおう 夫にはなしをもちかけてくれたけど、
やっぱりいい、ということだった。
ほかにも保護ネコの譲渡会という手があるけど、
家に子ネコをつれてかえり、しばらくいっしょにいると、
わたしのほうが、いまさらひとの手にわたせなくなっていた。
先住ネコであるココもかわいがってくれ、
まるで母ネコのようにお世話をしてくれる。
子ネコがうごくところに自分もついていって、
つねに自分の目がとどくよう気をくばっている。
子ネコはココのお腹に頭をつっこんでおっぱいをさがしている。
オスネコのココは、いやがらずにやさしくなめている。
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3日たってから、しりあいが
「やっぱりつれてかえろうかな」
といってきた。
お孫さんがあそびにきたときネコのはなしをしたら
「ネコちゃんにさわりたい」
といわれたのがこころをうごかしたらしい。
でも、わたしがココと子ネコの動画をみせると、
こんなに子ネコをかわいがっているのにはなしてしまったら、
ココちゃんがかわいそう、といって
子ネコをつれてかえるのはあきらめてくれた。
もちろん、わたしがかさねておねがいしたら、
かってくれただろうけど、
そのときには、わたしの気もちのほうが
もう子ネコとわかれられなくなっていた。
3日まえは、こちらからネコをひきとって、
とおねがいしているのに、
3日たつと、立場が反対になって、
むこうがおねがいするのをわたしがことわる形となった。
ひとの気もちはややこしいものだ。

子ネコはげんきいっぱいにあそびまわるものの、
食がほそく、あまり真剣にごはんをたべない。
げんきだから、まあいいか、とおもい、
せっかくの連休に、病院へつれていかなかった。
体重は900グラムから1050グラムと、
1週間で150グラムしかふえていない。
あいかわらずやせっぽちで、手足がすごくながくみえる。
あまりたべないのは、性格のひとつとしてうけとめ、
ながい目で成長につきそっていこう。

子ネコをかうと、そのもうれつなあそびっぷりに、
あいてをする側がつかれはてるのだけど、
いまはココが世話をぜんぶひきうけてくれており、
わたしはただごはんとトイレのめんどうをみるだけだ。
こんなに楽をして、親子みたいにふれあう
子ネコとココを目にできるのは、すごくラッキーにちがいない。

posted by カルピス at 21:44 | Comment(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月27日

「今週の記事まるっと3行まとめ」(デイリーポータルZ)に感心する

デイリーポータルZにのった
「せめて美しくおめおめと帰りたい」は
大北栄人さんらしいすばらしい記事だ。
https://dailyportalz.jp/kiji/fathers-shameful-return-home
ただ、斬新なだけに、いまひとつ理解しにくい内容でもある。
こういうときには、週末のデイリーポータルZの企画、
「今週の記事まるっと3行まとめ」
がわたしの理解をたすけてくれる。
このコーナーでは、その週に発表されたすべての記事を、
たった3行で解説している。
どんなにながい記事でも ここではひとしく3行となる。
こちらの記事では、デイリーポータルZで7/16〜22に公開した全記事をそれぞれ3行でざっくり解説します。
こんなときだからこそ少しでもとんちを! 遠慮なく3行で分かっちゃってください。

こんなふうに、どれだけボリュームがある文章でも、
3行でまとめてしまうのって、すきだ。
すべての記事を、3行にまとめていくうちに、
担当者はものごとの本質をつかむ技を身につけるのではないか。

大北さんの「せめて美しくおめおめと帰りたい」は、
• 小5の娘とデートしてたら「飽きた」と言われた
• おめおめと帰りおおせたわけだが、「おめおめ」ってどんな動きだ?
• 身体表現のプロである舞踏家に指導してもらったところ暗黒舞踏的な「おめおめ帰る」を習得しました

よく、このままおめおめとかえれるか!、みたいに
意地をはってでも、その場にいつづけるとき
「おめおめ」はつかわれるけど、
そういえば、「おめおめ」って、どんな状態なのか。
大北さんは、おめおめでもいいから、
せめてうつくしくかえりたいという。
大北さんのむすめさんは、おとうさんが
「おめおめ」とかえるところをみたら
うつくしさに胸をうたれるだろうか。
成長していくむすめにたいし、
大北さんはこのさき どうせっしていくのだろうか。

posted by カルピス at 21:17 | Comment(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月26日

理由なんて、ない(わからない)

・なぜトラネコのひたいには(M)の文字がうかびあがっているのか
・サッカーはなぜみるひとのこころをはげしくとらえるのか
・ビールはなぜうまいか
・なぜ川崎フロンターレは6連勝してるのか

わかるわけない。理由なんてわからない。
フロンターレの6連勝は、それらしい理由があげられそうだけど、
それにしても仮説にすぎない。
世の中には、理由なんてわからないことがたくさんある。

もともとは、あたらしく家にきた子ネコのひたいに、
まえからいるココとおなじ(M)の文字を みとめたことにはじまる。
おなじトラネコだからあたりまえだ。
でも、なんでトラネコといえば (M)なのだろう。
そういえば、岩合さんのネコあるき(外国編)にも、
(M)がはいったネコが登場した。
トラネコは世界中にいて、世界じゅうのトラネコは
ひたいに(M)の文字をいれてるって、すごく不思議だ。
遺伝学からみれば、ちゃんと理由があるのだろうけど、
そこまでふかくさぐるつもりはない。

サッカーの魅力については、
きゅうにサッカーずきになったわたしにたいし、
ふるくからの友人が、なぜそんなにのぼせるほどの魅力が
サッカーにはあるのか、とわたしにきいてきた。
しばらくかんがえてみたけど、
そんなこと、わたしにわかるわけがない。
野球のおもしろさや、バスケットのおもしろさだって、
理論整然と説明するのはむつかしいだろう。
説明されても、それにだれもが納得できるわけでもないし。
ビールのうまさだって、理由はさまざまだろうから、
それをぜんぶあげられても、自分の気もちとは はなれてしまう。

新書うりばをあるくと、
「なぜ〜なのか」というタイトルをいくつもみかける。
みんな、「なぜ」をしりたがり、
おおくのひとがその疑問にこたえようとしている。
ひとの会話だって、疑問文がおおく、
そのなかでも「なぜ」がいちばん話題にされているのでは。
理由をほんとうにしりたいからというよりも、
とりあえず「なぜ」をわたしたちは口にしたいのかもしれない。

自分で「なぜ」といいだしておいて、
平気で「わかるわけがない」とひらきなおる。
めちゃくちゃな論理だけど、
こんなことを自由にかけるから ブログはたのしい。

posted by カルピス at 21:03 | Comment(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月25日

「どんな髭剃りにも哲学がある」というけど、わたしにはあるのか

「どんな髭剃りにも哲学がある」と
村上春樹さんがどこかにかいていた。
ささいなことでも、ながくつづけていたら、
自分では気づかないうちに、
おもいがけないなにかが身についているものだ、
みたいな意味だとうけとめている。
ながくつづけるうちに、どんなことでもおおきなちからとなる。

わたしには、ここでいう「髭剃り」にあたる
なにかをつづけたことがあるだろうか。
もちろんある。ひげそりだ。
わたしは、4枚歯のひげそりをつかい、
夜おふろにはいっているときにひげをそる。
朝のひげそりは、時間がないので夜に、
機械をつかってのひげそりはすきになれなかった。
この4枚歯(5枚歯でもよし)のひげそりは、以外とたかい。
ホームセンターで8個いりが3200円もした。
ネットをみても、すこしやすい程度で、たかいことにかわりはない。
ただ、たかいだけあって、ながもちする。
ひとつで1月半はつかえるので、8個あれば1年だ。
それだけの日数を、3200円なら、まあいいか、とおもっている。
たかくても、ながくつかえればよし。
これがわたしの「哲学」かもしれない。

ジョギングもわりとながくつづけている。
ラン歴でいえば、35年はしっているのでベテランだ。
ながくつづけていると、はしるのがいやなときでも、
はしらない理由をかんがえずに服をきがえ、はしりだせる。
つかれていたり、カゼっぽかったり、
とてもきょうは はしれそうにないとかんじるときでも、
はしりだせばなんとかなるとわかっているのではしる。
ふだんあまりはしらないひとは、調子がわるいときに
かんたんにあきらめるから、ながくつづかないのではないか。
はしりだせば、なんとかなる。
へろへろでも、1時間くらいははしれる。
どうしようもないときは、からだがわかる。
どうしようかなー、ぐらいのときは、まちがいなくはしれる。

これは、すこしまえに伊藤理佐さんがかいていた
「富士山は圧倒的に富士山」とよくにている。
「あの山は富士山?」と「?」がついたら、
その山は富士山ではない。
まよいなく富士山だとわかるのが富士山だ。
しつこいけど、はしれるかどうか、
まよっているぐらいの日は、はしれる。
ほんとうにはしれない日は、からだがおしえてくれる。
これもまた、わたしの哲学かもしれない。

posted by カルピス at 17:00 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月24日

伊藤理佐さんらしくない直球がはなたれた「クルクルやめる勇気」

たのしみにしている隔週連載のコラム
「オトナになった女子たちへ」(朝日新聞)。
こんかい伊藤理佐さんがえらんだ題材は、「やめる勇気」だ。
白くてまわる、まるい台を冷蔵庫のなかにいれると、
調味料などがうもれず、つかいやすいらしい。
伊藤さんはこのアイデアを雑誌でみかけ、
「ぜひうちで回っていただきたい!」
と、スカウトした。つまり、買った。

整理整頓のきりふだとして期待したこの「白いクルクル」は、
じっさいは ちっとも便利じゃなかった。
クルクルは、スペースを取る割にビンがたくさんのらない。で、回さないでも取れちゃう。で、回さない。回らない。(中略)
 わたしは、間違えた。なのに、それを認めなかった。我慢して使った。家族も巻きこまれて使っていた。何年もだ。そして2020年。
 日曜日、アベノマスクとGo To トラベルキャンペーンの悪口を言っていたのだ。わたしはでっかい声だった。
「間違えた、って言って、気づいた時すぐやめればいいんだ。なんで途中でやめられないんだバカ」
と、言ったのだ。自分に殴られた。つまりオバサンはオバサンに殴られた。

いつもならひねりがはいり、複雑な構造とことばづかいで
読者に知識とセンスを要求する伊藤さんのコラムなのに、
今回はすごくシンプルだ。それだけあたりまえのことを、
そのままおおくの読者につたえたかったのではないか。
(クルクルをまちがいとみとめるのは)勇気が必要だった。国もわたしを見習ってほしい。

むすびのことばも、伊藤さんらしくない直球がなげられた。
かんがえを、とちゅうでやめる勇気が政府にあるだろうか。

posted by カルピス at 16:52 | Comment(0) | 伊藤理佐 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月23日

きのうつれてかえった子ネコが すごくかわいい

目がさめたとき、子ネコがおなかのうえにいた。
きのう家につれてかえった子ネコが、
あっという間に家じゅうをうごきまわるようになり、
夜はわたしのベッドにきたようだ。
ゲージにいれていたら、下のすきまからでてしまい、
まあいいかと、そのまま子ネコの自由にさせた。
さみしがりやで、くつろぐときは、
ひとにだかれたがる。そして、おおきくのどをならす。
子ネコらしく、いろんなものに興味をしめし、
すでに家じゅうの探検をおえている。
障子をやぶり、ゴミ箱をひっくりかえし、
かなり手のかかる子ネコのようで、それだけにかわいい。
網戸のそとをうかがっているので、
そのうち家からでて あそぶようになるだろう。
ココがいちねんで活動範囲をひろげてきたのを、
この子ネコはいちにちでクリアーしてしまった。
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心配していた先住民であるココは、
新顔の子ネコをうけいれてくれ、
母ネコみたいにやさしくつきそっている。
ココのしっぽにじゃれついたり、
おにごっこにさそったり、子ネコにとってもココは
いい保護者にうつっているようだ。
きのうはすぐに里親をみつけようとおもっていたのに、
1日いっしょにいただけで、かわいさに気もちがゆれる。
きのうお世話になったしりあいによると、
茶トラは人気があるので、譲渡会でもよくひきとられるらしい。
わたしが身のまわりで里親になってくれるひとをさがさなくても、
かってくれるひとはみつかりそうだ。
問題はわたしの気もちとなった。
子ネコは耳におおきなかさぶたをつくっていて、
からだにもいくつかキズがある。
いろいろたいへんな目にあってきたようで、
それでもひとなつっこさをうしなわずに、
わたしとであうまで いきのびてくれた。
そして、たった1日でわたしをグニャグニャにした。
これぐらいあまえてくれるネコはそうおおくない。
あたりネコといえる別格のかわいさだ。
はげしくあそび、ごはんをたべるとふかくねむる。
完全に気をゆるしており、なにをされてもおきない。
子ネコのかわいさをまえに、いまさらわかれられなくなる。

posted by カルピス at 22:16 | Comment(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月22日

子ネコをひろう

子ネコをひろう。
野菜あつめの仕事で農家をまわっているとき、
建設現場の機械みたいな音がきこえた。
もしかしたら、ネコ?とあたりをみまわす。
ネコだった。
おなかをすかせたのか、子ネコが必死に大声をあげている。
でも、ひとがこわいようで、わたしがちかくによると、
給湯器のなかにかくれてしまう。
わたしがはなれると、すぐにまたでてきて大声をあげる。
ごはんでさそおうと、ちかくのコンビニでネコの缶詰をかった。
もとの家にもどってみると、おじさんが給湯器をのぞきこんでいる。
子ネコをさがしているようなので、あいさつをして、
「ネコの声がしますね」とはなしかけた。
毎年すてられるネコにこまっているそうで、
子ネコはもちろんこの家のネコではなく、すてられたネコだった。
ごはんをあげたらでてくるかもしれませんね、と
わたしが給湯器のちかくで缶詰をあけると子ネコがでてきた。
アワアワいいながらおおあわてでたべはじめる。
おじさんは、袋にいれてすててくる、といい、
じっさいに袋をもってきていたので、
世話をしてくれそうなひとのこころあたりがあるから、
おねがいしてみます、と子ネコを車にのせた。

というのが、子ネコとのであいだ。
わたしはまだ仕事ちゅうだったので、
近所にすんでいる ネコがすきなしりあいに、
夕方まであずかってもらうようおねがいする。
そのひとは、保健所の保護ネコにボランティアでかかわっている。
なんとかかいぬしをさがそう、でも
みつかるまでは、わたしがあつからないといけないだろう。
夕方子ネコをむかえにいき、ゲージにいれられていたネコを、
そのまま家につれてかえる。

わたしの家には、2年まえからかっているココがいる。
ひろったネコは、ココをつれてかえったときと、
ほぼおなじおおきさだった(900グラム)。
生まれてから6週間というところではないか。
ココが子ネコをうけいれてくれるか、いちばん心配していたけど、
はじめこそ警戒していたものの、じきに子ネコの存在になれ、
気にしながらも、リラックスしたようすをみせる。
子ネコが大声をだしつづけるので、ゲージからだし、
台所を自由にあるかせる。
あちこちをしらべ、ココにもちょっかいをだし、
ごはんをたべ、水をのみ、配偶者のヒザのうえでねむった。
いろんなできごとが いちにちのうちにおこり、
さすがに子ネコはくたびれたようすだ。
みつけたときは、給湯器にかくれていたけど、
すこしなれればひとなつっこい性格のようで、
とにかくひとのちかくにいたがる。
いまはわたしのひざのうえにまるくなり、
のどをゴロゴロいわせてねむっている。
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59歳というわたしの年齢をかんがえると、
ネコとのくらしは「あと ひとねこ」だとおもっていた。
いまいるココがさいごのネコ、という意味だけど、
きょうのように、緊急事態だ、いのちにかかわると、
からだじゅうでうったえる子ネコの声をきけば、
家につれてかえらないわけにいかない。
里親がうまくみつかるだろうか。

posted by カルピス at 21:36 | Comment(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月21日

いつまでも夏やすみがおわらない津村記久子さんのかぞえ方

きょうの天声人語(朝日新聞のコラム)によると、
コロナの影響で、子どもたちの夏やすみが ことしはみじかいらしい。
夏やすみがのこりすくなくなったときのとらえ方として、
津村記久子さんのエッセイが紹介されていた。
あと1週間になっても、冬休みの元日あたりと同じだと思えば余裕ができる。残り4日のなったら「これからゴールデンウィークだと考えよう」

夏やすみがいつまでもながもちする、すてきなかんがえ方だ。
いかにも津村さんらしく、調子がいい。
もしのこり2日になれば、いつもの週末を
まるごと これからむかえる、とおもえばいいし、
のこり1日なら、あそぶために有給をとったことにして、
おまけとしての1日にしてしまう。

半分の水がはいったコップをみて、
まだ半分ある、とおもうか、もう半分しかない、とおもうかが、
性格のちがいをあらわす例として、よくたとえられる。
津村さんは、のこり1/10でも、まだちゃんと水がある、
と断言するタイプだろう。
子どものころ、夏やすみがあと1週間になったとき、
友だちのだれかが「これからゴールデンウィークだと考えよう」
といいだしたら、わたしはほいほいそのアイデアにのっかって、
31日の夜に後悔するのをくりかえしただろう。

こらえ性のないわたしは、あつい夏がにがてだけど、
子どものころは、もちろん夏やすみがだいすきだった。
勉強とか自由研究なんかはほっといて、
ただあそぶだけのすばらしい40日。
宿題の影が、まったくないとはいえなかったけれど、
いま記憶にあるのは、虫とりやプールで
友だちとあそびまっくっていた小学生のころの夏やすみだ。
塾なんてだれもいってなかったし、家庭教師も もちろんついてない。

夏やすみは、かたまりとしてやすめるから意味があるのであり、
みじかい夏やすみとなる子どもたちは、ほんとに無念だろう。
天声人語によると、わずか9日しかやすめない地域もあるという。
そんなのは、夏やすみといえない。
夏やすみでおもいだすのは、
アーサー=ランサムの『ツバメ号とアマゾン号』だ。
夏やすみなると、田舎にある別荘へ家族じゅうででかけ、
兄弟たちは湖でボートをはしらせ、無人島を探検し、
海賊(にみたてた同年代の子どもたち)を
やっつけるはなしに夢中になる。
宿題なんてひとこともかたられていない(はず)。
夏目漱石の小説をよむと、
大学生はやたらとながい夏やすみをすごしている。
海辺の旅館でながらくすごしたり、避暑地ですずんだり。
どうかんがえても、夏やすみはながくなければならない。

7月23日は海の日、24日はスポーツの日で、おやすみ。
土日とあわせ、4日連休となるらしい。
わたしは金曜と土曜が休日のシフトではたらいており、
もともとの休日が祝日にあたった場合、いちにちソンをした形となる。
4連休なら「ゴールデンウィークだと考えよう」があてはまるけど、
3日だけでは「めでたさも中くらいなり」みたいなかんじだ
(ほんとうの意味はちがうかもしれない)。
1ヶ月のかたまりを、夏やすみとしてすごしたい。

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2020年07月20日

『新型コロナウイルスとの戦い方はサッカーが教えてくれる』(岩田健太郎)

『新型コロナウイルスとの戦い方はサッカーが教えてくれる』
(岩田健太郎・株式会社エクスナレッジ)

新型コロナウイルスの状況をサッカーにたとえ、
どうむきあっていけばいいのかがかかれている。
J1リーグは7月4日に再開し、はじめは無観客で、
いまは5000人の入場にかぎって試合がおこなわれている。
抽象的なはなしではなく、サッカーの試合をおこなうには
どんなやり方をとればいいのか、いま必要なとりくみはなにか。
とはいえ、この本はサッカーについての本ではなく、
感染症の本だと、はじめにことわってある。
ただ、サッカーを例にしてたとえられると、
すごくよくわかるはなしがおおかった。
この本の内容をまとめてしめしたかったけど、
引用していたら、ぞろぞろいい箇所がでてきた。
今回は、引用にたよることにする。
(症状がでていない患者について)
 症状が出ない患者さんは無視していいんです。症状がない患者さんは治療をしませんから、入院もせずに済みます。(中略)基本的に全員検査はしないというのが世界共通です。全員検査を戦略にしている国は世界に一つもありません。
 無症状の人まで全部しらみつぶしに検査をするのはリソースの無駄遣いだということですね。すべておの選手に常にマンマークをしているというようなもので、まったく無意味です。

「可能性がある」「可能性がない」という言い方をするのは未熟だと思います。可能性は高いか、低いか、で考えなければいけない。ロングシュートを打ってきめられる可能性があるか、ないか、という考え方がナンセンスなのと同じです。年に1回入るかどうかわからない、しかし「可能性がゼロではない」ロングシュートに対し、必死になってスライディングタックルを繰り返す行為は、ただの体力の無駄遣いです。

(布マスク2枚の配布について)
 布マスク2枚を送ることの是非以前に、なぜ2枚で、なぜ1枚ではないのか、なぜ5枚ではないのか、予算上の問題で仕方がないからか、2枚だと科学的整合性があって何かを得られるのか、なぜ布であって不織布ではないのか、布以外が手に入らないからか、もっとベターな理論があるのか、配ることで何を達成したいのか、それによって感染が15パーセント減るという見積もりがあるのか、それらを示唆するデータが実は存在するのかーという説明がまったくなく、「国民の全世帯にマスク2枚を配ることにしました」と言い切ってしまう。上意下達のまま情報だけを放り投げてしまう。これではみんな相当混乱します。

 今、横浜F・マリノスが強いですが、マリノスも良い時代も悪い時代もあって、苦労しましたが、結局、強いチームになれたから優勝できたのです。そういうシンプルな話です。強くなれば優勝できる。すごく当たり前の発想に戻ることの大事さが、サッカーからもわかると思います。
 話を満員電車に戻すと満員電車を回避することがもっともシンプルな答えなのです。多くの会社は満員電車を回避することができない、満員電車に乗らないと会社に行くことができないと考えています。しかし、それは短期的な考え方で、満員電車に乗らずに仕事をするにはどうすればいいのか真剣に考えればいいだけのことです。多くの人はできない理由を見つけるとそこで思考を止めてしまう。しかし、できない理由というのは我々が克服すべきハードルそのものなんです。自宅で仕事をする。通勤時間帯をずらす。様々な工夫をこらして、満員電車という現象を回避しなければなりません。
 僕はイギリスにも、アメリカにも、中国にも住んだことがあるのですが、日本のような満員電車はありません。ここで発想を変えて、そもそも満員電車があることがおかしい、という考え方に進歩しないといけません。

 イギリスのボリス・ジョンソン首相は、最初に謳った感染対策がものすごく批判されて、すぐにやめました。あれは偉かった。頭の良い証拠です。失敗を認識する。それから反対意見があったときにしっかり聞くことができる。これができないのが日本です。反対意見があると「俺たちはこんなにがんばっているのに、なぜお前は文句言うんだ!」となる。あるいは「もう決めたことだから」と思考停止に陥ります。すでに決めていたことも、おかしいと思えばかえたらいいのです。

(新型コロナウイルスとの共存について)
すべてを遮断して鎖国すれば感染のリスクを最小限に抑えることはできます。ただ、我々がその状況に耐えることができるか。おそらく多くの人は耐えられないでしょう。外国から物も人もやって来なくなる。あるいは外国に行くことができなくなる。ここでコロナウイルスを抑え込むのか、ある程度のリスクを許容するーつまり年間3000人ほどの交通事項があるという現実を受け入れて車に乗り続ける、というような選択をするのか。どちらかというと後者の方がよりリアルだし、コロナウイルスと一緒に生きていく世の中になるような気がします。

posted by カルピス at 21:53 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月19日

おとなって、いいかげんだなー

すこしまえの朝日新聞で、NON STYLEの石田明さんが、
高校の野球部でのおもいでをかたっていた。
記事をよむと、それはないでしょ、みたいな
ぞんざいなあつかいを監督からうけていたのに、
野球部は「今でもめちゃくちゃ良い思い出」なのだという。

部員はそうおおくないのに、なかなかレギュラーになれなかった。
ようやく背番号12を手にしてベンチにはいり、
どれだけうれしかったか。
高校さいごの試合、代打として打席にたつ。
最終回、2対15でまけており、しかも2アウトランナーなし。
ランナーがいないのに、監督からの指示はバントだった。
「セーフティーバントやったら失敗する可能性があるから、ちゃんと送りバントで」と監督。三塁線に打ってせめてもの思いでヘッドスライディングしたけど、ゲームセット。「無」ですよね。相手チームもポカーン。
 試合後は球場外に集まり、監督がそれぞれのよいところや思い出話を言っていきました。みんな泣いていました。
 ついに僕の番、「石井」って呼ばれて。「・・・あれ?これ俺やんな?」って。「はい」と返事したら、「昔部室で見かけた弁当、自分で作ってるっていってたな。あれ美味しそうやったな」って。監督としゃべったのはそれぐらいしかなかったですね。

打者がいないのに、おくりバントを指示し、
部員のなまえをまちがえておぼえ、
もっともらしく おくることばが「(弁当)美味しそうやったな」。
めちゃくちゃいいかげんな監督さんでおかしい。
先生って、この監督みたいに、調子よくて
生徒のことなんてあんまり頭にないひとがおおい。
 野球部のメンバーとは今でも定期的に年に1,2回会います。高校野球の思い出はたくさんありますし、今でもずっと同じ話をします。結局は楽しい話しか残っていない。
 夏の大会の中止が決まった夜、自分の高校野球のことを書いてるブログを更新しました。いてもたってもいられなくて。可哀想すぎやろっていうのも違うし、ちょっとでも軽い気持ちにしてもらえたらなって。

「いてもたってもいられなくて」がすてきだ。
「いてもたってもいられなくて」やったことは、
たいていそのひとのいちばんよい面があらわれる。

posted by カルピス at 20:33 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月18日

夫問題

きのうの朝日新聞に、
「ひとりっていいな」という投稿がのった。
15年まえに「一大決心して」離婚し、
それ以来、ひとりでのくらしをつづけてきた67歳の女性が、
さみしさより、気らくさがまさる生活をかいている。
 ご飯を食べるのも、お風呂に入るのも、トイレに行くのも、誰に気兼ねすることなく、この部屋も時間も全部私だけのもの。

きょうの朝日新聞土曜日版beの「悩みのるつぼ」には
「退職後の夫が、家からでない」なやみがもちこまれている。
 夫は家事も手伝ってくれ、優しい人だと思います。でも常に居られると気持ちが休まらないのです。イライラを感じ、血圧が高くなったりしますが夫に非はないので困っています。

この相談にたいし、回答者の美輪明宏さんは
「ぜいたくな悩みです」
「相手への感謝が全然感じられません」と、
相談者のなやみにぜんぜんかみあわないはなしを
延々とつづけるだけだ。
「夫に非はないので困っています」といっているのに、
美輪さんは「理想の夫」だと相談者の夫をとらえる。
「いっそ独身になられたらいいのではないでしょうか」
なんていいだす。
たしかに、それがいちばんいい解決法かもしれない。

先週の「悩みのるつぼ」は
「妻が手も握らせてくれない」
という70代男性からの相談で、回答者は上野千鶴子さんだ。
時には手ぐらい握り合ったり、ハグぐらいあったりしても良いのではないかと思いますが、妻は嫌なものは嫌だといってガンと受け付けません。ときに朝方に妻の布団に潜り込むとカンカンに怒り出し、罵声に暴力、最後は逃げ出し、昼間とは豹変します。

これに対し上野さんの回答はするどい。
(相談の)中には、書かれていないことがたっぷりありそうです。これまでに不倫したり、風俗にはまったりした「前科」はありませんか?(中略)
愛情のやりとりや気持ちのふれ合いなしで、突然スキンシップを求められても気持ち悪いだけ。

夫がらみでよせられた、3つのはなしをよむと、
夫の存在が、どれだけ妻にとってストレスかにおどろく。
ましてやそこにセックスがからむと、
すくいがたい一方通行の関係だ。
女性の拒否反応がここまではっきりしめされるとは。
夫婦とは、夫とは、いったいなんなのだろう。
ひるがえって、わがやはどんな関係をきずけているだろう。
わたしだけそれなりに問題なくやっているつもりでも、
配偶者がどうとらえているのか自信はない。
直接たずねるのはおっかないし・・・。
できるだけ家事をして、なるべく家にいないほうがよさそうだ。
わたしの存在が配偶者のストレスにならないよう、ひっそり生きよう。

posted by カルピス at 15:36 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月17日

歯医者さんにいったら、厳重な感染防止対策におどろいた

歯医者さんへ。
前回の治療がおわったとき、
3ヶ月後にようすをみさせてください、といわれ、
予約しておいたのがきょうだった。
3ヶ月まえは、コロナ対策として検温された。
でも、きょうの歯医者さんは、
もっと厳重なかまえとなっていた。

・玄関はあけっぱなし
・治療室の窓もあいている(エアコンはついていた)
・保険証と予約カードをみせると、洗面場のほうを指さされ、
 すぐに手をあらって消毒してください、といわれる
・検温
・待合室のイスはかずをへらされ、
 2メートルの距離をたもつようになっている
・先生は簡易的な防護服にフェイスシールド、
 そのほかのスタッフは、ビニールのエプロンか、
 不織布のようなものでできたかっぽう着をきている

新型コロナウイルスが、中国の武漢ではやりはじめたとき、
ニュースでながれた映像をおもいだした。
コロナの最前線をおもわせる ものものしさだ
(防護服は、簡易的なものだけど)。
治療や、それにともなう説明はとても丁寧で、
そのうえリスクをおかしてわたしの口のなかに手をいれ、
唾液や血をつけながら治療をすすめてくれる。
歯科医は、どうしても患者のからだにふれるので、
かなりリスクのたかい職業だと、いまさらながらおもった。
以前は治療をうけても、あたりまえだと、傲慢にかまえていたけど、
いまのようにコロナの感染が心配されるようになると、
先生と、わたしを担当してくれた助手のかたによる、
献身的な治療をありがたくおもった。
コロナの感染をおそれ、医療関係者が差別をうけるなんて、
とんでもないはなしだ。感謝しかない。

しりあいに、きょうでかけた 歯科医院の体制についてはなしたら、
そのひとがいった歯医者さんは、ほとんどいつもと
かわらないやり方で治療をうけたという。
もうひとりのひとも、「わたしもそうだった」という。
わたしがいっている歯科医が、
とくに厳重な体制をとっているのだろうか。

島根県の感染者は、これまでのところ25人にとどまっている。
せんじつ、東京のもよおしにでかけた10代の女性が、
ひさしぶりの感染者となった。
県をまたいでの移動があたりまえになると、
これからは、こういう形で感染がふえていく。
東京での感染がとまらないのに、いぜんきめたことだからと、
「Go To トラベル」キャンペーンの実施にこだわる気がしれない。
あるていど感染がひろがるのを、政府はうけいれているのだろう。

posted by カルピス at 21:42 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月16日

いまさらながら『イングリッシュ・ペイシェント』

『イングリッシュ・ペイシェント』
(アンソニー=ミンゲラ:監督・1996年・アメリカ)

オープニングは、茶色な砂地に
筆でなにかをかいている映像からはじまる。
はじめはなにをかいているかわからない。
しばらくたってから、およいでいるひとの姿だとわかる。
足のほうからかきはじめたので、
まさかひとの形だとはおもわなかった。
その絵がかかれた洞窟は、あとから意味をもってくるけど、
そんな情報はもちろんはじめはしらされない。
つぎの場面では、砂漠のうえを複葉機がゆっくりとんでいる。
なんという うつくしい映像。
砂漠と飛行機は、すばらしい相性でむすばれている。
あるくにはひろすぎる砂漠も、飛行機のスピードがあれば、
砂漠がつくる色や模様のうつくしさを把握できる。
飛行機からみる映像によって、
わたしは砂漠のうつくしさにはじめて気づく。

ドイツ軍にうたれた飛行機が墜落し、
からだじゅうにヤケドをおった主人公(アルマシー)が、
地元の民らしいアラブ人にすくいだされる。
彼らにつれていかれた洞窟のなかで、
息をするのが精一杯のアルマシーは手あてをうける。
薬草からつくったらしい薬のはいったビンを
ぶあつい板にいくつもぶらさげて、
シャーマンみたいな男性が洞窟にまねかれる。
おまじないのうたをとなえながら、薬と土をまぜたような
ドロっとしたなにかを、ヤケドしたアルマシーの顔にぬっていく。
ここらへん、欧米人のエキゾチズムがリアリティをひきうけている。
もっともらしい いのりのうたと、それらしい薬草をつかえば、
ありえない奇跡がおきても不思議はないというエキゾチズム。
『ベストキッド』で、ミヤギさんがなにやら気をいれて、
ダニエルのいたみをとりのぞいたのとおなじだ。

ストーリーがよくわからない。
でも、つい画面にみいってしまう魅力がある。
さいごまでみおえてから、またDVDの冒頭にもどり、
やっと 映画のはじめとさいごがつながっているのに気づいた。
アルマシーがヤケドをおうまでの回想と、
イタリアの廃墟となった修道院で 手あてをうけている今と、
2つのものがたりが交互にかたられる。
よくわからないのに、映像のうつくしさが
みるもののこころをとらえる。
ジュリエット=ビノシュがすきなのも、
この作品が印象にのこった要因かもしれない。
全身ヤケドをおったアルマシーにつきそい、
ひとりで世話をしようときめた看護婦役には、
彼女がぴったりだった。

けっきょくは、不倫映画であり、
アルマシーが砂漠でしりあった人妻にのめりこむはなしだ。
飛行機事故にまきこまれたのも、
もともとは不倫相手の夫がからんでいる。
不倫の代償は けしてかるくなかった。

posted by カルピス at 21:58 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月15日

カツライスが松江のソウルフードらしい

すこしまえの土曜日、カツライスをたべに
ふるくからやってるお店にでかけた。
トンカツをつかった料理といえば、
カツ丼やカツカレーが一般的だけど、
松江ではカレーのかわりにデミグラスソースをかけた
「カツライス」がむかしからたべられていたという。
いわゆる郷土料理のひとつらしい。
ネットをみると、カツライスは島根県東部のソウルフード、
という説も紹介してある。
松江カツライス研究会なんていうのもつくられていた。
https://www.fnn.jp/articles/-/36425
わたしは松江うまれの松江そだちなのに、
これまでカツライスをたべたことがないような気がする。

配偶者をさそい、ひさしぶりの外食となった。
新型コロナウイルスの影響で、営業時間はみじかくなっていたけど、
お客さんがよくはいっていて、わたしたちがお店についたとき、
あいているテーブルはひとつだけだった。
そのあとも、たべおえたお客さんがでていくとすぐに、
あたらしくお客さんがはいってくる。
お客さんは、マスクをつけてお店にはいってくるけど、
たべるときはもちろんマスクをはずすし、
テーブルについたてなどなく、いつもとおなじかまえだ。
お客さんがかえり、テーブルをかたづけるとき、
スタッフのかたが、メニューをひらいて消毒していた。
コロナの影響をかんじたのは、それくらいで、
リラックスして外食をたのしめた。
わたしはまよわずカツライスを、配偶者はオムライスを注文した。
どちらかというと、オムライスがよくしられたお店なのだ。

もってこられたカツライスはサラダつきで850円。
トンカツにデミグラスソースがかけてあるだけなので、
みためはとてもシンプルだ。
ネットでは、「たっぷりのデミグラスソース」とあるけど、
わたしには、そんなにたっぷりとはおもえない。
ハヤシライスじゃないのだから、
ソースとしてはこれがあたりまえの量なのだろう。
ふつうにたべていくと、どうしてもごはんがあまってしまう。
みかねた配偶者が、自分のオムライスについていたソースを、
わたしのごはんにかけてくれた。
おいしいけど、これがソウルフードといわれると、しっくりこない。
カツ丼のもつ迫力、ゴージャスさのほうが
貧乏性のわたしにはあっている。
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ちなみに、配偶者が注文したオムライスは、
しっかりたまごがやかれていて、いまはやりの
半熟たまごによるオムライスではない。
むかしながらのすがたをたもっていて好感がもてた。

posted by カルピス at 20:18 | Comment(0) | 食事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月14日

岩田健太郎さんの、コロナウイルス対策に納得する

サッカージャーナリストの宇都宮徹壱さんが、
感染症の専門家である岩田健太郎さんに、
Jリーグ再開についてインタビューした記事がのっていた。
新型コロナウイルスの存在を前提としたJリーグは
どんなスタイルがもとめられるだろうか。
・選手の感染リスクは?PCR検査は必要?
 岩田教授に聞く「無観客試合」
https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/202006170007-spnavi
・スタジアムでのコロナ感染はどう防ぐ?
 岩田教授に聞く「観客入場」
https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/202007080001-spnavi
──先ほど「トレードオフ」という言葉が出てきました。要するに「ゼロリスクはない」という前提を、まず確認しておく必要があるわけですね?

 そうです。先月(5月25日)、福岡県の高野連(高校野球連盟)が県独自の大会を開催しないことを発表しました(編注:6月12日に代替大会の開催を決定)。そのときの説明で「新型コロナの感染リスクがある」ことが理由になっていました。それなら「感染リスクがゼロになるまで待つのですか?」という話になってしまいます。できない理由を列挙して開催を見送るのではなく、むしろ「この条件をクリアできたら開催しましょう」という発想にしていくべきだと思います。

──なるほど。サッカーの場合ですと、密着マークや1対1といったコンタクトの機会が、野球に比べて非常に多くなります。この点についてはいかがでしょう?

 選手間での(感染)リスクはあるかもしれませんね。ただし、これは「お互い様」だと思います。相手から感染するかもしれないし、自分が感染させてしまうかもしれないわけですから。そのリスクを飲み込まないと、競技として成立しませんよ。

──だからこそ、PCR検査に安心感が求められているようにも思えるのですが。

 いつも申し上げていることですが、間違った安心感を得ることは、痛み止めの麻酔を打つだけで病気をなかったことにして、治療しないことと同じです。何らリスクヘッジになっていない。ウイルス感染というのは、確かにリスクのひとつなんですけど、試合を再開するんだったら、そのリスクを飲み込むほかないんですよ。

岩田さんのはなしは、わたしにもよく理解できる。
さっそく岩田さんのかかれた
『新型コロナウイルスとの戦い方はサッカーが教えてくれる』
(株式会社エクスナレッジ)
を注文し、よみはじめる。
タイトルだけをみると、
はやりにのっかったマユツバものにおもえるけど、
すこしよんだだけで、ただしい本なのがわかった。
新型コロナウイルスへのかんがえ方が ずいぶんすっきりしそうだ。
よみおえたときにも感想をかくとおもうけど、
できない理由を列挙して開催を見送るのではなく、むしろ「この条件をクリアできたら開催しましょう」という発想にしていくべきだと思います。

にしびれたので、宇都宮さんの記事からえた、
岩田さんのかんがえ方を紹介しておく。

posted by カルピス at 21:18 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月13日

『水を縫う』(寺地はるな)

『水を縫う』(寺地はるな・集英社)

「Web本の雑誌」の北上ラジオで、北上次郎さんがすすめていた。
http://www.webdoku.jp/column/radio/2020/0612083847.html
司会進行の杉江さんといっしょに、すごくもりあがっている。
北上さんは『本の雑誌 8月号』でもこの本をとりあげて絶賛している。
わたしがよみきれていないところに、
北上さんはたまらない魅力をかんじているようだ。
おなじく「Web本の雑誌」の「横丁カフェ」
(現役書店員が週替わりでおすすめ本を紹介する)
でも久田かおりさんがとりあげていた。
http://www.webdoku.jp/cafe/hisada/20200625074822.html

本書は、家族の6人が(家族でないひともふくめ)、
1章ずつ自分と家族をかたっている。
高校生の清澄は、男なのに刺繍がすき。
姉の水青は女なのに、かわいいものが苦手。
そんなふうに、家族それぞれ、ちょっとかわっている、
ということになってるけど、
男で刺繍がすきだって、ぜんぜんかまわないし、
べつにかわっているとも おもわない。
みんな、むかしにあったことをひきずっているのも
おもくかんじられ、わたしむきではなかった。
よみおえた感想は、そこそこおもしろいけど、
いまひとつ、となる。
この本がわるいのではなく、
こういうタイプの小説がわたしは苦手なのだろう。

70歳をすぎた祖母の文枝さんが、水泳教室にかよいはじめる。
50歳ぐらいのとき、家族全員でプールへいき、
彼女も水着になろうとしたら、夫から、
「そんな、若うもない女が水着を着るのは
 みっともないからやめときなさい」
と、とめられことをずっとひきずって生きてきた。
それ以来、25年をもんもんとすごし、
70をすぎたいま、とうとう水泳をはじめる気になった。
(水のなかを)歩くたび、自分のまわりを覆っていたかたい殻が剥がれ落ちていくようだった。
水につかっていた手を上げたら、指先から白いしぶきが生まれる。ぱしゃりと水面を叩いたら、透明の球がいくつも飛び出す。ああ、という声が喉の奥から漏れた。

わたしはスイミングスクールにつとめていたことがあり、
子どもから大人まで、はばひろい年代の会員におしえていた。
水泳をはじめようとおもったきっかけが みんなそれぞれあり、
胸をときめかせたり、緊張しながらきてくれていたのだろう。
わかいわたしはそうした心理を想像できず、
ただ淡々と、新入会してくれた会員さんをおしえていた。
プールにかようだけでドラマがあるなんて、かんがえもしなかった。
『水を縫う』をよんでいて、この一ヶ所だけは胸にひびいた。

この本には、自然描写がよくでてくるけど、
著者が日常的に自然とせっしているとはおもえない。
 九月になってからというものなぜか雨ばかり降る。夏に入る前にきれいに刈っておいた雑草が、もう青々と茂っている。

「夏にはいるまえ」といから7月上旬か中旬だろう。
そんなときにかった草が、
9月に「青々と茂って」いるのはあたりまえだ。
夏の草は2週間で姿をかえる。
もっともらしく あたりまえのことがかかれていて興ざめした。

posted by カルピス at 20:58 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月12日

観客がはいり、テニスの試合みたいだったJリーグ第4節

J1リーグ第4節
川崎フロンターレ対柏レイソル
3-1でフロンターレ

この試合から、制限つきで、観客をうけいれている。
入場できる人数は、スタジアムの収容人数の50%か、
5000人か、すくないほうとなる。
この日の入場者は4724人だった。
観客は、距離をおいてすわっている。
まばらにちらばるサポーターは、それでもうれしそうだ。

観客には、入場の際に検温と、
マスクをつけること、おおきな声をあげないこと、
旗やタオルをふらないことがもとめられている。
試合ちゅう、けっこう声がきこえるなー、とおもっていたら、
それはぜんぶ対戦チームの選手・スタッフの声だった。
いいプレーがでると、お客さんは声援ではなく、
拍手で選手をたたえていた。
まるでテニスの会場みたいだ。
ただ、得点がはいったときは、自然とチームの歌がはじまっていた。

前半は一方的にフロンターレがせめつづける。
レイソルはボールをおさめられない。
まるでちがうカテゴリーのチームを相手にしてるみたいに、
フロンターレがボールを自由にまわす。
得点はなかなかはいらなかったけど、
レイソルがいつまでたえられるか、という状態だった。
前半40分に、家長がコーナーキックをヘディングできめ、
その2分後に、さらに家長が2点目をあげる。

後半に呉屋がはいると、レイソルは攻撃の形をつくりはじめる。
後半11分に呉屋がクロスをあわせ3−1に。
そのあともレイソルはボールがよくつながる。
前半とはちがうチームとなった。

前後半に1どずつある給水時間。
このときに、監督が指示をつたえている。
選手交代は3人から5人にふえ、
ハーフタイム以外に3どまで交代できる。
いちどに複数の選手がかわると状況がうごきやすい。
先日のマリノスとベルマーレの試合では、
後半18分にマリノスがいっきょに3人をかえ
逆転にむすびつけた。

試合は1週間にいちど のときだけではなく、
なか2日や3日の日程もおおい。
調子にのったチームはいいとして、
かてないチームは なかなかたてなおせなくて、
ずるずるとまけつづけるのではないか。
フロンターレは3連勝、レイソルは3連敗だ。
12月末の最終節まで、どのチームもやりくりがたいへんだろう。
いったいどんなシーズンになるだろうか。

posted by カルピス at 21:16 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする