2020年07月08日

「一汁一菜で良し」というかんがえ方

きょうの朝日新聞に、「一汁一菜で良し」という記事がのっていた。
料理研究家の土井善晴さんが提案するかんがえ方なのだそうだ。
「一汁」は具がたくさんはいったみそ汁、というのはわかるけど、
「一菜」は つけものなのだという。
おかずは一品でいい、というのかとおもったら、
メインディッシュがあるのではなく、
つけものなのだから、「一汁」がよほど充実してないと
からだがもたないような気がする。
土井さんは、だれでも台所にたてるよう、
料理のしきいをおもいきってひくくしたいのだろう。

自分だけの食事を用意するのはたいして手間ではないけど、
人数がふえるほど、負担になってくる。
コロナの自粛で子どもたちが家にいて、
配偶者まで在宅勤務になれば、主婦はたいへんらしい。
もっとも、子どもがちいさくて、
保育園にいってる時期も、お母さんはめちゃくちゃいそがしい。
子どもをおこし、朝ごはんをたべさせ、おでかけの準備をして
保育園におくりとどける。
どうかんがえても、お父さんが家事にかかわらないと
お母さんの負担がおもすぎる。少子化がすすむわけだ。
男が料理をすればいいとおもうけど、
料理をしないひとは、ほんとうになにもしないようだ。
「一汁一菜で良し」とすることで
みそ汁ならつくれると、自信がつき、
つぎの段階へすすめるかもしれない。
いわば、スタートにたつための「一汁一菜」であり、
スタートとしては、それで良し、なのだろう。

ずいぶんまえに、「一汁一菜」で子そだてをしてきた
女性の記事をきりとったことがある。
このひとは、つけものではなく、
メインディッシュのほうの「一菜」だ。
おかずが一品だけでも、むすこはりっぱにそだったとはなしている。
この場合の「りっぱに」は、人格のことではなく、
ふつうの体格におおきくなった、という意味だ。
一品しかつくらないから、時間とお金があまりかからない。
料理をしなければ、というプレッシャーもすくなく、
いいことずくめのようにかいてあった気がする。
「一汁」とつけものだけでは、
ながくつづけたときに、ものたりなくなりそうだけど、
このひとのような「一汁一菜」だったら、
むすこさんがぶじにそだつくらい、じゅうぶんな食事なのだろう。
おかずを5品も6品もつくろうとするからたいへんなのであり、
日常の食事は一汁一菜でいいとわたしもおもう。

わたしの女子力を自慢するわけではないけど、
きょうは梅雨のはれまにめぐまれ、
洗濯物がかわいて ほんとうにうれしかった。
かわいた洗濯物のここちよさは、
しあわせなくらしの かなり上位にランクされる。
一汁一菜がつくれて洗濯物をほせたら、
それでもうじゅうぶんひとりでくらしていける。
ということは、だれかと同居できるスキルとは、
一汁一菜と洗濯物といえるかもしれない。

posted by カルピス at 21:07 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする