2020年07月10日

切実な「あと ひといぬ」問題

今週の「オトナになった女子たちへ」(朝日新聞)は、
伊藤理佐さんが担当だ。
タイトルは、「あと ひといぬ」。

「あと、ひといぬ」は、伊藤さんが実家の両親に
「犬、飼えば?」と提案しているところだ。
まえはかっていたのに、もう7、8年 犬がいないという。
動物といっしょのほうが、くらしにメリハリがつくのでは、
と伊藤さんはおもっている。
でも、父76、母77のふたりは、
「ここから13年は無理っ」
と伊藤さんの提案をうけいれない。
13年は、これまでかっていた犬の平均寿命だ。
ご両親が ためらってしまう気もちもわかる。

それにしても、「ひと いぬ」という単位がうまい。
わかいころなら、かんがえもしなかった切実なくぎり。
義理の母には
「ひとねこ、どうですか」
「ひとねこ、いけますって」
と、・・・言えない。

まえにかっていたネコが、24年も生きたからで、
84歳の母に「ひと ねこ」はとてもきりだせない。

自分たちのネコについても伊藤さんはかんがえる。
伊藤さんの家の「ひと ねこ」は18年だ。
配偶者のヨシダサンが70のとき、
いまかっているネコが死んだとして、
そこから18年をたすと88歳。
これならいけそうと、伊藤さんはほっとしている。
「おーい、もうふたねこ(今のを含む)で!」

わたしの家はどうだろうか。
いま家にいるココはまだ2歳で、
まえのネコであるピピが死んだのは18歳のときだった。
もうすぐ59歳のわたしが、75歳のときに、ココは18歳となる。
たまたまだけど、75歳は、わたしがそれぐらいで死ぬのでは、
となんとなくおもっている年齢だ。
そこから「もう ひとねこ」は、さすがにむりだ。
わたしにとって、ココがさいごのネコである可能性がたかい。
というか、ココをみとるのさえ むつかしいかもしれない。

「ひと いぬ」、そして「ひと ねこ」は、
動物がすきなものにとって、おおきな問題だ。
「ひと ねこ」の単位が意味するおもさを、
ちゃんとわかってないと、おたがいが不幸になる。
自分がいなくなったときのことをかんがえおかないと、
のこされた動物が路頭にまよう。
そうはいっても、ネコのいない生活はさみしい。
こころがよわいわたしは、これも縁だから、とかいって、
子ネコを家につれてかえりそうだ。
「あと ひとねこ」は、老人だけの世帯ではむつかしい。
ペットとのくらしをかんがえると、
核家族よりも二世帯、三世帯が正解かもしれない。
家族の人数がへり、ペットがふえるのは、
「ひと ねこ」問題からいうと、よくないながれだ。
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posted by カルピス at 20:37 | Comment(0) | 伊藤理佐 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする