2020年07月16日

いまさらながら『イングリッシュ・ペイシェント』

『イングリッシュ・ペイシェント』
(アンソニー=ミンゲラ:監督・1996年・アメリカ)

オープニングは、茶色な砂地に
筆でなにかをかいている映像からはじまる。
はじめはなにをかいているかわからない。
しばらくたってから、およいでいるひとの姿だとわかる。
足のほうからかきはじめたので、
まさかひとの形だとはおもわなかった。
その絵がかかれた洞窟は、あとから意味をもってくるけど、
そんな情報はもちろんはじめはしらされない。
つぎの場面では、砂漠のうえを複葉機がゆっくりとんでいる。
なんという うつくしい映像。
砂漠と飛行機は、すばらしい相性でむすばれている。
あるくにはひろすぎる砂漠も、飛行機のスピードがあれば、
砂漠がつくる色や模様のうつくしさを把握できる。
飛行機からみる映像によって、
わたしは砂漠のうつくしさにはじめて気づく。

ドイツ軍にうたれた飛行機が墜落し、
からだじゅうにヤケドをおった主人公(アルマシー)が、
地元の民らしいアラブ人にすくいだされる。
彼らにつれていかれた洞窟のなかで、
息をするのが精一杯のアルマシーは手あてをうける。
薬草からつくったらしい薬のはいったビンを
ぶあつい板にいくつもぶらさげて、
シャーマンみたいな男性が洞窟にまねかれる。
おまじないのうたをとなえながら、薬と土をまぜたような
ドロっとしたなにかを、ヤケドしたアルマシーの顔にぬっていく。
ここらへん、欧米人のエキゾチズムがリアリティをひきうけている。
もっともらしい いのりのうたと、それらしい薬草をつかえば、
ありえない奇跡がおきても不思議はないというエキゾチズム。
『ベストキッド』で、ミヤギさんがなにやら気をいれて、
ダニエルのいたみをとりのぞいたのとおなじだ。

ストーリーがよくわからない。
でも、つい画面にみいってしまう魅力がある。
さいごまでみおえてから、またDVDの冒頭にもどり、
やっと 映画のはじめとさいごがつながっているのに気づいた。
アルマシーがヤケドをおうまでの回想と、
イタリアの廃墟となった修道院で 手あてをうけている今と、
2つのものがたりが交互にかたられる。
よくわからないのに、映像のうつくしさが
みるもののこころをとらえる。
ジュリエット=ビノシュがすきなのも、
この作品が印象にのこった要因かもしれない。
全身ヤケドをおったアルマシーにつきそい、
ひとりで世話をしようときめた看護婦役には、
彼女がぴったりだった。

けっきょくは、不倫映画であり、
アルマシーが砂漠でしりあった人妻にのめりこむはなしだ。
飛行機事故にまきこまれたのも、
もともとは不倫相手の夫がからんでいる。
不倫の代償は けしてかるくなかった。

posted by カルピス at 21:58 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする