(岩田健太郎・株式会社エクスナレッジ)
新型コロナウイルスの状況をサッカーにたとえ、
どうむきあっていけばいいのかがかかれている。
J1リーグは7月4日に再開し、はじめは無観客で、
いまは5000人の入場にかぎって試合がおこなわれている。
抽象的なはなしではなく、サッカーの試合をおこなうには
どんなやり方をとればいいのか、いま必要なとりくみはなにか。
とはいえ、この本はサッカーについての本ではなく、
感染症の本だと、はじめにことわってある。
ただ、サッカーを例にしてたとえられると、
すごくよくわかるはなしがおおかった。
この本の内容をまとめてしめしたかったけど、
引用していたら、ぞろぞろいい箇所がでてきた。
今回は、引用にたよることにする。
(症状がでていない患者について)
症状が出ない患者さんは無視していいんです。症状がない患者さんは治療をしませんから、入院もせずに済みます。(中略)基本的に全員検査はしないというのが世界共通です。全員検査を戦略にしている国は世界に一つもありません。
無症状の人まで全部しらみつぶしに検査をするのはリソースの無駄遣いだということですね。すべておの選手に常にマンマークをしているというようなもので、まったく無意味です。
「可能性がある」「可能性がない」という言い方をするのは未熟だと思います。可能性は高いか、低いか、で考えなければいけない。ロングシュートを打ってきめられる可能性があるか、ないか、という考え方がナンセンスなのと同じです。年に1回入るかどうかわからない、しかし「可能性がゼロではない」ロングシュートに対し、必死になってスライディングタックルを繰り返す行為は、ただの体力の無駄遣いです。
(布マスク2枚の配布について)
布マスク2枚を送ることの是非以前に、なぜ2枚で、なぜ1枚ではないのか、なぜ5枚ではないのか、予算上の問題で仕方がないからか、2枚だと科学的整合性があって何かを得られるのか、なぜ布であって不織布ではないのか、布以外が手に入らないからか、もっとベターな理論があるのか、配ることで何を達成したいのか、それによって感染が15パーセント減るという見積もりがあるのか、それらを示唆するデータが実は存在するのかーという説明がまったくなく、「国民の全世帯にマスク2枚を配ることにしました」と言い切ってしまう。上意下達のまま情報だけを放り投げてしまう。これではみんな相当混乱します。
今、横浜F・マリノスが強いですが、マリノスも良い時代も悪い時代もあって、苦労しましたが、結局、強いチームになれたから優勝できたのです。そういうシンプルな話です。強くなれば優勝できる。すごく当たり前の発想に戻ることの大事さが、サッカーからもわかると思います。
話を満員電車に戻すと満員電車を回避することがもっともシンプルな答えなのです。多くの会社は満員電車を回避することができない、満員電車に乗らないと会社に行くことができないと考えています。しかし、それは短期的な考え方で、満員電車に乗らずに仕事をするにはどうすればいいのか真剣に考えればいいだけのことです。多くの人はできない理由を見つけるとそこで思考を止めてしまう。しかし、できない理由というのは我々が克服すべきハードルそのものなんです。自宅で仕事をする。通勤時間帯をずらす。様々な工夫をこらして、満員電車という現象を回避しなければなりません。
僕はイギリスにも、アメリカにも、中国にも住んだことがあるのですが、日本のような満員電車はありません。ここで発想を変えて、そもそも満員電車があることがおかしい、という考え方に進歩しないといけません。
イギリスのボリス・ジョンソン首相は、最初に謳った感染対策がものすごく批判されて、すぐにやめました。あれは偉かった。頭の良い証拠です。失敗を認識する。それから反対意見があったときにしっかり聞くことができる。これができないのが日本です。反対意見があると「俺たちはこんなにがんばっているのに、なぜお前は文句言うんだ!」となる。あるいは「もう決めたことだから」と思考停止に陥ります。すでに決めていたことも、おかしいと思えばかえたらいいのです。
(新型コロナウイルスとの共存について)
すべてを遮断して鎖国すれば感染のリスクを最小限に抑えることはできます。ただ、我々がその状況に耐えることができるか。おそらく多くの人は耐えられないでしょう。外国から物も人もやって来なくなる。あるいは外国に行くことができなくなる。ここでコロナウイルスを抑え込むのか、ある程度のリスクを許容するーつまり年間3000人ほどの交通事項があるという現実を受け入れて車に乗り続ける、というような選択をするのか。どちらかというと後者の方がよりリアルだし、コロナウイルスと一緒に生きていく世の中になるような気がします。