2020年07月25日

「どんな髭剃りにも哲学がある」というけど、わたしにはあるのか

「どんな髭剃りにも哲学がある」と
村上春樹さんがどこかにかいていた。
ささいなことでも、ながくつづけていたら、
自分では気づかないうちに、
おもいがけないなにかが身についているものだ、
みたいな意味だとうけとめている。
ながくつづけるうちに、どんなことでもおおきなちからとなる。

わたしには、ここでいう「髭剃り」にあたる
なにかをつづけたことがあるだろうか。
もちろんある。ひげそりだ。
わたしは、4枚歯のひげそりをつかい、
夜おふろにはいっているときにひげをそる。
朝のひげそりは、時間がないので夜に、
機械をつかってのひげそりはすきになれなかった。
この4枚歯(5枚歯でもよし)のひげそりは、以外とたかい。
ホームセンターで8個いりが3200円もした。
ネットをみても、すこしやすい程度で、たかいことにかわりはない。
ただ、たかいだけあって、ながもちする。
ひとつで1月半はつかえるので、8個あれば1年だ。
それだけの日数を、3200円なら、まあいいか、とおもっている。
たかくても、ながくつかえればよし。
これがわたしの「哲学」かもしれない。

ジョギングもわりとながくつづけている。
ラン歴でいえば、35年はしっているのでベテランだ。
ながくつづけていると、はしるのがいやなときでも、
はしらない理由をかんがえずに服をきがえ、はしりだせる。
つかれていたり、カゼっぽかったり、
とてもきょうは はしれそうにないとかんじるときでも、
はしりだせばなんとかなるとわかっているのではしる。
ふだんあまりはしらないひとは、調子がわるいときに
かんたんにあきらめるから、ながくつづかないのではないか。
はしりだせば、なんとかなる。
へろへろでも、1時間くらいははしれる。
どうしようもないときは、からだがわかる。
どうしようかなー、ぐらいのときは、まちがいなくはしれる。

これは、すこしまえに伊藤理佐さんがかいていた
「富士山は圧倒的に富士山」とよくにている。
「あの山は富士山?」と「?」がついたら、
その山は富士山ではない。
まよいなく富士山だとわかるのが富士山だ。
しつこいけど、はしれるかどうか、
まよっているぐらいの日は、はしれる。
ほんとうにはしれない日は、からだがおしえてくれる。
これもまた、わたしの哲学かもしれない。

posted by カルピス at 17:00 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする