脱プラスチック運動をすすめるメラティさんが紹介されていた。
メラティさんは、バリ島にすむ19歳の女性で、
12歳のころからレジ袋やプラスチック製の容器を
なんとかしたいとおもいはじめたという。
日本でも7月からレジ袋が有料になり、
プラスティック製品について、わずかとはいえ
わたしたちは意識するようになった。
有料化になれば、レジ袋を自分で用意するようになる。
なれの問題であり、無料のレジ袋がなくてもぜんぜん問題ない。
とはいえ、脱プラスチックをかんがえるとき、
レジ袋がプラスティック製品にしめる割合はそうおおくない。
メラティさんを紹介する記事のひとつうえには、
「日本でも廃プラの年間排出量のうち、レジ袋の割合は2%ほど。」
とのっていた。
メラティさんは、コロナ後の「ニューノーマル」(新たな日常)には、
どんな期待を?とい質問にたいし、
その言葉を使いたくありません。コロナだけでなく、豪州では森林火災、ジャカルタでは洪水が深刻です。もはや平穏な「日常」なんて存在せず、経済や社会に「新しい仕組み」をどう生み出せるかのほうが大事だとおもいます
とこたえている。
「もはや平穏な『日常』なんて存在」しない、
というとらえ方にリアリティがある。
そういってるのが、10代のわかものであるのがすごい。
いまは新型コロナウイルスに世界じゅうの目がそそがれているけど、
そのほかにも いくつもの深刻な問題が
それぞれに「新しい仕組み」を必要としている。
コロナで在宅での仕事がすすんだように、
おいこまれ、どうしようもなくなると、
ようやく対応するための工夫がうまれてくる。
脱プラスヒックは、わたしたちの生活を
ちょくせつにはおびやかさないので、
運動をすすめるにはつよい気もちが必要だろう。
プラスティックや電力をなるべくつかわないくらし。
やればいいことはたくさんあるのに、具体的な一歩をふみだせない。
スーパーで材料をかい、いちど夕ごはんをつくるだけで、
たくさんのプラスティック容器やビニールにより、
ゴミ袋がすぐにふくらんでゆく。
お弁当を用意するときは、なんども電子レンジでおかずをあたため、
電力の浪費にひとやくかっている。
新型コロナウイルスがこれだけ世界をかえたのだから、
やりかたにより、世界がかわるのはあきらかだ。
それなのに、だらしのないわたしは、
世界がかわらないときめこんでいた。
グレタさんやメラティさんのように、10代のわかものが、
自分やなかまをしんじて運動にとりくむすがたがまぶしい。