「駅ピアノ」という番組がすきで、
録画したものをときどきみる。
だれでも自由につかえるピアノが駅においてあり、
演奏したいひとがピアノによってきて、
このみの曲をひく。それだけ。
「空港ピアノ」もあるけど、駅のほうが
気らくにひいてるかんじがする。
このまえみたのは、神戸のなんとかという駅においてある
グランドピアノの「駅ピアノ」だった。
子どものころにピアノをならっていた、というひとや、
これから予備校へいく、という浪人生だったり、
たまたまその駅でまちあわせをした大学生だったり、
3歳の子どもをつれたお父さんだったり、
経理の仕事をしている女性だったり、
娘さんと連弾するお母さんだったり。
ひとまえでひくのは、それなりに緊張しそうだけど、
ひとがきいている、という状況がだいじみたいだ。
拍手してくれたり、そこでしりあえたり。
仕事のまえにときどきよる、というひとは、
ここで演奏するのをたのしみにしている、とはなしていた。
外国の「駅ピアノ」をみていると、
いろんな国のひとがピアノのまえにすわる。
その土地のひとばかりではなく、
外国人だったり、移民としてその国にきたひともいる。
ピアノをひくことは、特別なちからをもつようで、
演奏したひとたちはみな、はれやかな顔でピアノをあとにしていた。
番組をみていると、駅をいくひとの
ほとんどすべてが ピアノをひけるようにおもえてくる。
わたしもあんなふうに、ピアノがひきたい。
ピアノの演奏をきくのはすきだけど、
残念ながらわたしはまったくピアノをひけない。
自分がすきな曲を演奏できたらすてきだろう。
映画『ボヘミアン・ラプソディー』に感動し、
絶対にひけるようになろうと、本をかって練習した女性が
「ボヘミアン・ラプソディー」をひいていた。
そういうはいりかたもあるのだ。
べつに矢野顕子さんみたいに、
自由自在な演奏ができるようにならなくてもいい。
両手をつかい、そこそこメロディをおっかけられたら。
『もしもピアノが弾けたなら』という曲があり、
何十年もまえに西田敏行さんがうたっていた。
おもいいれいっぱいなうたいかただけど、
「だけどわたしはピアノがない」
のを理由に「あなたにきかせられない」というのは
どうなんだ、とむかしからおもっていた。
そんなに「あなた」にきかせたいのなら、
ピアノをなんとかすればいいじゃないか。
ピアノがひけるようになろうと、
電子キーボードをかったことがある。
1万円ほどの「ピアノ」だった。
病気のため仕事をやめたときのことだ。
しばらく時間があったので、
ピアノぐらいなんとかなるのでは、とおもった。
ちゃんとテキストをかい、
まいにち「ピアノ」とむきあうつもりだったのに、
けっきょくほとんどさわることなく ひとにあげた。
2020年08月11日
2020年08月10日
島根、というより松江で新型コロナウイルス感染者が91人増!
前日まで県内の新型コロナウイルス感染者が
31人という牧歌的な数字におさまっていた島根県なのに、
今朝の新聞をひらくと、いきなり
「島根91人感染」のこみだしがとびこんできた。
91人!。これまでの累計感染者数の3倍が、
たった1日でふえるなんて。
情報がないので、どんな状況なのかわからない。
91人の全部が松江市での感染というからひどい。
わずか人口20万人の町で、この規模の増加は、
東京でいうと2000人くらいの感染者数になるでは
(個人の感想です)。
逆上したわたしがなにをしたかというと、
棒雑巾で床を掃除し、ジャンパーなどの冬ものを洗濯機にかけた。
ひとはおちつかなくなると、へんなことにスイッチがはいるらしい。
そのあとプールへいく。コロナの感染もたいへんだけど、
この日は気温が36℃まであがる天気予報だった。
そんなあつさのなか、ジョギングはたのしくないので、
きょうはプールのほうがいいだろう。
それに、市の感染がこれからさらにひろがれば、
またプールでおよげなくなるかもしれないし。
さいわい、プールはかわりなく営業していた。
休日だというのに、外にある50メートルプールには
わたしをふくめて4人しかいない。
島根ならではのいいところだ。
その島根が、感染者数122人となり、
いきなりよくありがちなあぶない県になってしまった。
プールサイドで、およぎおわったしりあいに声をかけられる。
はなしはどうしても「91人感染」のほうにいってしまう。
だれもが不安で、なにかを口にださないとおちつけないのだ。
ネットをみると、高校の寮からひろがった感染のようで、
松江市内に感染者がうようよいる、という状況ではなかった。
寮という、とざされた空間であり、
感染経路がわかっているのなら、対応もとりやすいだろう。
わたしはすこしおちつきをとりもどす。
おなじ日に、沖縄県は159人も感染者がふえている。
感染経路がわからないまま感染者がふえるのは、
日常生活をおくるひとたちにとって、さぞ気もちわるい状況だろう。
今回の感染増加は、わたしがつとめる事業所も影響をうけている。
こまかいことはかかないけど、91人も感染者がふえれば、
なんらかの形で接触したひとがどうしてもでてくる。
こうやって、ひたひたと感染がひろがっていくのだ。
だれが、どんなかたちで感染をもちこんだのかと、
犯人さがしをする気はないけど、感染のひろがりを
ずっとほったらかしてきた国の方針に腹をたてる。
31人という牧歌的な数字におさまっていた島根県なのに、
今朝の新聞をひらくと、いきなり
「島根91人感染」のこみだしがとびこんできた。
91人!。これまでの累計感染者数の3倍が、
たった1日でふえるなんて。
情報がないので、どんな状況なのかわからない。
91人の全部が松江市での感染というからひどい。
わずか人口20万人の町で、この規模の増加は、
東京でいうと2000人くらいの感染者数になるでは
(個人の感想です)。
逆上したわたしがなにをしたかというと、
棒雑巾で床を掃除し、ジャンパーなどの冬ものを洗濯機にかけた。
ひとはおちつかなくなると、へんなことにスイッチがはいるらしい。
そのあとプールへいく。コロナの感染もたいへんだけど、
この日は気温が36℃まであがる天気予報だった。
そんなあつさのなか、ジョギングはたのしくないので、
きょうはプールのほうがいいだろう。
それに、市の感染がこれからさらにひろがれば、
またプールでおよげなくなるかもしれないし。
さいわい、プールはかわりなく営業していた。
休日だというのに、外にある50メートルプールには
わたしをふくめて4人しかいない。
島根ならではのいいところだ。
その島根が、感染者数122人となり、
いきなりよくありがちなあぶない県になってしまった。
プールサイドで、およぎおわったしりあいに声をかけられる。
はなしはどうしても「91人感染」のほうにいってしまう。
だれもが不安で、なにかを口にださないとおちつけないのだ。
ネットをみると、高校の寮からひろがった感染のようで、
松江市内に感染者がうようよいる、という状況ではなかった。
寮という、とざされた空間であり、
感染経路がわかっているのなら、対応もとりやすいだろう。
わたしはすこしおちつきをとりもどす。
おなじ日に、沖縄県は159人も感染者がふえている。
感染経路がわからないまま感染者がふえるのは、
日常生活をおくるひとたちにとって、さぞ気もちわるい状況だろう。
今回の感染増加は、わたしがつとめる事業所も影響をうけている。
こまかいことはかかないけど、91人も感染者がふえれば、
なんらかの形で接触したひとがどうしてもでてくる。
こうやって、ひたひたと感染がひろがっていくのだ。
だれが、どんなかたちで感染をもちこんだのかと、
犯人さがしをする気はないけど、感染のひろがりを
ずっとほったらかしてきた国の方針に腹をたてる。
2020年08月09日
『今日も、Jリーグ日和。』平畠啓史さんの、ひろくふかいサッカー愛
『今日も、Jリーグ日和。』
(平畠啓史・ヨシモトブックス)
「サッカーダイジェスト」に連載されたコラムをまとめたもの。
平畠さんは、NHKBSの「Jリーグタイム」に
ときどきゲスト出演されており、
サッカー愛にあふれたおしゃべりがいいかんじだ。
まえはJ2特集の担当みたいなポジションだったけど、
このごろは、J1の試合を速報する、ふつうの回にも顔をみせている。
Jリーグというと、J1ばかりが注目をあつめがちだけど、
平畑さんは、J2やJ3の試合にも足をはこび、
選手だけでなく、サポーターにも声をかける。
とにかく、サッカーがすきでたまらないひとのようで、
頭のなかには はかりしれない量の知識・情報が蓄積されている。
「Jリーグタイム」に出演するときも、
ほかの解説者が戦術についておおくかたるなかで、平畠さんは
選手やサポーターが、どんなおもいでいるかを的確にすくいあげる。
Jリーグがどうしたらもっともりあがっていくかに気もちをこめる。
本書は11章からなり、ひとつのはなしは3ページ弱とみじかい。
誠実なひとがらが、そのままあらわれている文章で
よんでいて とてもいい気もちになってくる。
はなしのおわりに(マニアック指数)がそえてあって、
たしかにものすごくマニアックなはなしもあるけど、
でも、どれもサッカーへのあついおもいにみちている。
がおかしい。
「サッカーパンツのはきかた」
「選手たちがバスにのるときの席順」
ほんとにサッカーがすきなおっさんだ。
平畠さんがスタジアムへいくと、
サポーターから声をかけられる。
「ひらちゃん、ちょっと話を聞いてもらっていいですか?」
ほかのサッカー解説者に、
こんなふうな声かけはふつうしないだろう。
Jリーグは、こんなあついサポーターにささえられている。
平畠さんもまた、Jリーグの魅力を
おおくのひとにひろめている伝道師だ。
Jリーグは、わずか27年のあいだに、日本のスポーツ文化として、
全国各地にひろく、ふかく、根をひろげた。
(平畠啓史・ヨシモトブックス)
「サッカーダイジェスト」に連載されたコラムをまとめたもの。
平畠さんは、NHKBSの「Jリーグタイム」に
ときどきゲスト出演されており、
サッカー愛にあふれたおしゃべりがいいかんじだ。
まえはJ2特集の担当みたいなポジションだったけど、
このごろは、J1の試合を速報する、ふつうの回にも顔をみせている。
Jリーグというと、J1ばかりが注目をあつめがちだけど、
平畑さんは、J2やJ3の試合にも足をはこび、
選手だけでなく、サポーターにも声をかける。
とにかく、サッカーがすきでたまらないひとのようで、
頭のなかには はかりしれない量の知識・情報が蓄積されている。
「Jリーグタイム」に出演するときも、
ほかの解説者が戦術についておおくかたるなかで、平畠さんは
選手やサポーターが、どんなおもいでいるかを的確にすくいあげる。
Jリーグがどうしたらもっともりあがっていくかに気もちをこめる。
本書は11章からなり、ひとつのはなしは3ページ弱とみじかい。
誠実なひとがらが、そのままあらわれている文章で
よんでいて とてもいい気もちになってくる。
はなしのおわりに(マニアック指数)がそえてあって、
たしかにものすごくマニアックなはなしもあるけど、
でも、どれもサッカーへのあついおもいにみちている。
それぞれのコラムにマニアック指数なるものがありますが、これは驚くほど何の目安にもなりません。
がおかしい。
「サッカーパンツのはきかた」
「選手たちがバスにのるときの席順」
ほんとにサッカーがすきなおっさんだ。
平畠さんがスタジアムへいくと、
サポーターから声をかけられる。
「ひらちゃん、ちょっと話を聞いてもらっていいですか?」
ほかのサッカー解説者に、
こんなふうな声かけはふつうしないだろう。
アルウィンで松本山雅FCが好きでたまらない40代くらいの女性と出会った。ホームゲームが待ちきれず、練習見学にも行くという。ただ、大人になればいろいろな用事がある。見学できない日はどうするのか訊いてみると、驚愕の答えが返ってきた。「妄想します!」
Jリーグは、こんなあついサポーターにささえられている。
平畠さんもまた、Jリーグの魅力を
おおくのひとにひろめている伝道師だ。
Jリーグは、わずか27年のあいだに、日本のスポーツ文化として、
全国各地にひろく、ふかく、根をひろげた。
2020年08月08日
『沖縄から貧困がなくならない本当の理由』(樋口耕太郎)
『沖縄から貧困がなくならない本当の理由』
(樋口耕太郎・光文社新書)
沖縄のひとが自動車を運転するとき、
クラクションを「鳴らさない」ことがしられているという。
こころやさしい運転をしたいから、ではなく、
加害者というレッテルをはなれたくない心理がはたらくからだ。
クラクションを「鳴らさない」のではなく、
「鳴らせない」社会なのだ。
変化をきらう沖縄では、品質のよさや価値のたかさが評価されにくい。
これまでかってきた商品を、
すこしぐらい質がおとっていてもつかいつづける。
企業が努力して商品の品質をたかめても、
消費者にはうけいれられない。
とすれば、企業にとって、変化する意味がないことになる。
よんでいるうちに、沖縄のひとによくみられる気質は、
そのまま日本人の特徴でもあることに気づく。
沖縄問題は、じつは日本問題なのであり、
沖縄でおきている問題は、おおかれすくなかれ、
本土でもおなじような形であらわれている。
著者のみたてによると、こうした気質は自尊心のひくさからきている。
いくら補助金をふやしても、沖縄の貧困はなくならない。
では、どうしたら自尊心をたかめられるのか。
「愛」がすべて、なんていえば、精神論の本みたいだけど、
じっさいに鍵をにぎっているのは、相手への愛だった。
著者が沖縄の貧困問題をかんがえるうちに、
じつはこれが日本の問題でもあることに気づき、
そして根本的な貧困の理由をつきつめていくと、
自分自身のこころとむきあわざるをえなくなる。
この本は、すぐれた人生論でもあり、
仕事へのとりくみ方にも参考となるだろう。
相手のしあわせが、自分のしあわせでもあるのだから。
自分とむきあい、相手のことをおもえるのなら、
家族関係にもいい影響をおよぼすにちがいない。
ひとりの意識がかわれば、社会をもかえるちからともなる。
著者は沖縄でおおくのひとのはなしをきき、
「相手の関心に関心を注」ぐことが、
社会をかえるちからになる手ごたえをえている。
沖縄の貧困をつきつめるるうちに、
著者は宗教家のような人生をあるきはじめたようにみえる。
(樋口耕太郎・光文社新書)
都道府県別の県民所得では11年連続で全国最下位、賃金は全国の最低水準で、貧困率は全国平均の拾に2倍。沖縄は日本でも突出した貧困社会である。
優しい沖縄人、癒やしの島・・・沖縄に魅せられた多くのひとが、その最大の魅力は島の人の穏やかさ、温かさ、だと口をそろえる。
またその一方で、沖縄社会における、自殺率、重犯罪、DV、幼児虐待、いじめ、依存症、飲酒、不登校、教員の鬱の問題は、全国でも他の地域を圧倒している。
なぜ、「好景気」の中で貧困が生じ、「優しさ」の中で人が苦しむのだろう。
沖縄のひとが自動車を運転するとき、
クラクションを「鳴らさない」ことがしられているという。
こころやさしい運転をしたいから、ではなく、
加害者というレッテルをはなれたくない心理がはたらくからだ。
沖縄社会は、現状維持が鉄則で、同調圧力が強く、出る杭の存在を許さない。
この社会習慣は、人が個性を発揮しづらく、お互いが切磋琢磨できず、成長しようとする若者から挑戦と失敗の機会を奪うという、重大な弊害を生んでいる。
クラクションを「鳴らさない」のではなく、
「鳴らせない」社会なのだ。
(学生たちと対話を重ねるほど)他人の気分を害することを何よりも恐れていることがわかる。
「人の気分を害するくらいなら、何もしないほうがいい」というのが行動原則だ。
変化をきらう沖縄では、品質のよさや価値のたかさが評価されにくい。
これまでかってきた商品を、
すこしぐらい質がおとっていてもつかいつづける。
企業が努力して商品の品質をたかめても、
消費者にはうけいれられない。
とすれば、企業にとって、変化する意味がないことになる。
よんでいるうちに、沖縄のひとによくみられる気質は、
そのまま日本人の特徴でもあることに気づく。
沖縄問題は、じつは日本問題なのであり、
沖縄でおきている問題は、おおかれすくなかれ、
本土でもおなじような形であらわれている。
著者のみたてによると、こうした気質は自尊心のひくさからきている。
貧困は経済問題ではない。自尊心の低さが招く心の問題だ。
いくら補助金をふやしても、沖縄の貧困はなくならない。
では、どうしたら自尊心をたかめられるのか。
人が自分を愛するため、私たちが究極的にできることは、「その人の関心に関心を注ぐこと」だ。(中略)
「自分のほんとうの気持ちをわかってくれる人がいる」と感じるとき、人は自分の価値を信じられるようになるからだ。
「愛」がすべて、なんていえば、精神論の本みたいだけど、
じっさいに鍵をにぎっているのは、相手への愛だった。
著者が沖縄の貧困問題をかんがえるうちに、
じつはこれが日本の問題でもあることに気づき、
そして根本的な貧困の理由をつきつめていくと、
自分自身のこころとむきあわざるをえなくなる。
この本は、すぐれた人生論でもあり、
仕事へのとりくみ方にも参考となるだろう。
相手のしあわせが、自分のしあわせでもあるのだから。
自分とむきあい、相手のことをおもえるのなら、
家族関係にもいい影響をおよぼすにちがいない。
ひとりの意識がかわれば、社会をもかえるちからともなる。
著者は沖縄でおおくのひとのはなしをきき、
「相手の関心に関心を注」ぐことが、
社会をかえるちからになる手ごたえをえている。
沖縄の貧困をつきつめるるうちに、
著者は宗教家のような人生をあるきはじめたようにみえる。
現代社会の問題を根源的に治癒する「第三のデザイン」は、「人の関心に関心を注ぐ」こと、そして、「人が自分を愛することの手助け」を基軸にした社会だということだ。
これこそが、人が人の役に立つということ、人が人を愛するということ、人間が人間らしく生きる社会ということ、の究極的な意味だからだ。
社会が人間の幸せのために存在しなければ、いったいなんのためにあると言うのだろう。
2020年08月07日
相手の気もちをひきだすには、どんな質問がいいか
林雄司さんのブログ「やぎの目」に、
「桃は好きですか?」がのった。
http://yaginome.jp/?p=2754
ひととの会話をもりあげるのは、
「はい」か「いいえ」でこたえられる質問はしないほうがいい、
というのをどこかでよんだ。
会話がそれっきりでとぎれてしまうからだ。
記事にとりあげられた果物うりばの女性は、
「はい」か「いいえ」でこたえられる質問をしている。
あまりよくないようにみえるけど、
そこは果物うりばという、限定された空間なので、
はじめからあまりややこしいといかけはできない。
気やすい質問をなげかけておいて、
「じゃあどれにする?と話をつなげているのが素晴らしい」
と林さんはいう。
桃がきらいなひとはあまりいないだろうから、
「すき」とお客がこたえたら、そのあとをつづけられる。
質問は、どうといかけるかがすべてだ、なんておもっていたら、
林さんがかいたべつの記事に、
「質問形式の人が苦手」というのがあった。
会話をはずませるいい質問って、むつかしい。
「桃は好きですか?」がのった。
http://yaginome.jp/?p=2754
果物売り場で販売の女性が「桃はお好きですか?」と通り過ぎる人に声をかけていた。
ある男性が「ええ、まあ、はい」と答えたら、では買っていきませんかと勧めていた。
桃が好きであることと、今日買うかどうかは別の話である。
だけど、じゃあどれにする?と話をつなげているのが素晴らしい。セールストークのお手本のようだ。
マッチ売りの少女も「マッチを買ってください」じゃなくて「マッチはお好きですか?」と聞けばよかったのだ。
大好き!って人がいたらそれはそれでやばい。
ひととの会話をもりあげるのは、
「はい」か「いいえ」でこたえられる質問はしないほうがいい、
というのをどこかでよんだ。
会話がそれっきりでとぎれてしまうからだ。
記事にとりあげられた果物うりばの女性は、
「はい」か「いいえ」でこたえられる質問をしている。
あまりよくないようにみえるけど、
そこは果物うりばという、限定された空間なので、
はじめからあまりややこしいといかけはできない。
気やすい質問をなげかけておいて、
「じゃあどれにする?と話をつなげているのが素晴らしい」
と林さんはいう。
桃がきらいなひとはあまりいないだろうから、
「すき」とお客がこたえたら、そのあとをつづけられる。
質問は、どうといかけるかがすべてだ、なんておもっていたら、
林さんがかいたべつの記事に、
「質問形式の人が苦手」というのがあった。
僕 「そのTシャツいいじゃん。どこで買ったの?」
質問形式の人 「どこだと思う?」
僕 「?」
僕が質問していたはずである。なんで質問に質問で返すのか。さほど興味がないときの質問形式のときも困る。
「これいくらだと思う?」
会話をはずませるいい質問って、むつかしい。
2020年08月06日
手がきの文字って、そんなにありがたいものなのか
デイリーポータルZに、興座ひかるさんの
「キーボードを禁止し『手書き』で暮らす1日」
がのった。
https://dailyportalz.jp/kiji/handwriting_without_typing_keyboard
手がきでのやりとりはたのしい、という内容だけど、
わたしはものすごく字がへたくそなので、
キーボードを禁止されるとすごくこまる。
いちにちのおわりに、利用者さんのようすを保護者につたえる
「活動のようす」を毎日かいている。
どんな仕事をされて、どんなようすだったかをかけばいいのだから、
けしてむつかしい仕事ではないはずなのに、
わたしはかくたびに内容につまり、へたくそな文章しかかけない。
字をまちがえて、ぐじゃぐじゃっと黒くぬりつぶしたり、
あんまりひどい内容のときは、そのさきをつづけるのをあきらめ、
はじめからやりなおすこともすくなくない。
漢字もかけないから、しょっちゅう電子辞書のお世話になる。
漢字をできるだけつかわないですごしたいわたしだけど、
かけてあたりまえの単語となると(「緊張」「積極的」など)、
ひらがなでとおすのは勇気がいる。
辞書をひいて漢字をたしかめるくらいなら、
ひらがなですませばいいとひとにはいうくせに、
自分があまりにも字をしらないのは
社会人としてはずかしいので かくしたいのだ。
文章をかきなれないから、ろくでもない内容になるのならわかるけど、
まいにちブログにむかい、ある程度の文章をかいていながら、
手がきになると、ボロボロの内容になってしまう。
わたしはずいぶんキーボードにたすけられている。
興座さんみたいに手がきでのやりとりをたのしむには、
そこそこの字がかけて、最低限の漢字をしっていることが前提となる。
わたしはそこまでのレベルにないため、
自分のこだわりで漢字をつかわないことを、
よむひとにしってもうらうには、
キーボードで入力するのがてっとりばやい。
文章の内容で勝負しようとしても、デジタルでないと
かきなおしができないし、最低限の漢字がでてこない。
手がきの文字をありがたがる風潮が、
いいかげんなくなればいいのに。
「キーボードを禁止し『手書き』で暮らす1日」
がのった。
https://dailyportalz.jp/kiji/handwriting_without_typing_keyboard
手がきでのやりとりはたのしい、という内容だけど、
わたしはものすごく字がへたくそなので、
キーボードを禁止されるとすごくこまる。
いちにちのおわりに、利用者さんのようすを保護者につたえる
「活動のようす」を毎日かいている。
どんな仕事をされて、どんなようすだったかをかけばいいのだから、
けしてむつかしい仕事ではないはずなのに、
わたしはかくたびに内容につまり、へたくそな文章しかかけない。
字をまちがえて、ぐじゃぐじゃっと黒くぬりつぶしたり、
あんまりひどい内容のときは、そのさきをつづけるのをあきらめ、
はじめからやりなおすこともすくなくない。
漢字もかけないから、しょっちゅう電子辞書のお世話になる。
漢字をできるだけつかわないですごしたいわたしだけど、
かけてあたりまえの単語となると(「緊張」「積極的」など)、
ひらがなでとおすのは勇気がいる。
辞書をひいて漢字をたしかめるくらいなら、
ひらがなですませばいいとひとにはいうくせに、
自分があまりにも字をしらないのは
社会人としてはずかしいので かくしたいのだ。
文章をかきなれないから、ろくでもない内容になるのならわかるけど、
まいにちブログにむかい、ある程度の文章をかいていながら、
手がきになると、ボロボロの内容になってしまう。
わたしはずいぶんキーボードにたすけられている。
興座さんみたいに手がきでのやりとりをたのしむには、
そこそこの字がかけて、最低限の漢字をしっていることが前提となる。
わたしはそこまでのレベルにないため、
自分のこだわりで漢字をつかわないことを、
よむひとにしってもうらうには、
キーボードで入力するのがてっとりばやい。
文章の内容で勝負しようとしても、デジタルでないと
かきなおしができないし、最低限の漢字がでてこない。
手がきの文字をありがたがる風潮が、
いいかげんなくなればいいのに。
2020年08月05日
トランジットで一泊したモスクワの記憶
デイリーポータルZに地主恵亮さんの
「ソ連時代のガイドブックでロシアに行く」がのった。
再放送の記事で、公開されたのは2016年だ。
https://dailyportalz.jp/kiji/160317195945
記事とはぜんぜん関係ないけど、
わたしは飛行機の のりつぎ時間の関係で、
ひとばんだけモスクワにとまったことがある。
デリーからアテネにむかうアエロフロートは、
モスクワでいちにちをすごしてから、
つぎの日にアテネへとむかう便だった。
1987年の5月、いまから33年まえのはなしだ。
ソ連が崩壊したのが1991年だから、
もうそろそろ30年になるわけで、
わかいひとのなかには、ソ連という国があったことを
しらないひともおおいのではないか。
わたしは、いまでも「ソ連」と、よく口にしてしまう。
あたまのなかではロシアだって、けっきょくは
ソ連みたいなものだろうと、おおざっぱにとらえている。
ひとばんとまった、といっても、それはソ連のことだから、
自由行動はみとめられていない。
空港でやたらとまたされたあげく、
10人ほどの旅行者がバスにのせられて
空港ちかくのホテルにはいった。
2人部屋で、わたしはこれからドイツではたらくという
タイ人のわかものとおなじ部屋だった。
ホテルからかってにでられないけど、
モスクワの市内観光をするバスがホテルにむかえにきた。
わたしは体調がよくなかったため、部屋にのこったので、
ソ連のことは、空港とホテル以外、まったくしらない。
5月だというのに、ひえびえとした空気をおぼえている。
もっている服をぜんぶきてもさむかった。
ソ連といえばトイレだ。男性用トイレの便器が、
ものすごくたかいところにとりつけてあり、
身長180センチのわたしでも、つかいずらい。
トイレにそなえつけてある紙は、
トイレットペーパーではなく、長方形の茶色い紙だった。
おしりをふきたくないぐらい、ゴワゴワでかたい紙だ。
食事はぜんぶホテルの食堂でとった。
朝ごはんと昼ごはんは、ハムやソーセージなどのつめたい食事で、
夕ごはんは料理されたものだった。
味については、なにもおぼえていない。
空港とホテルしかしらないのに、
なんにちも滞在した国とおなじように、
ソ連について、いくつかの断片が記憶にひっかかっている。
予定していた旅行ではなく、なにもしなかった一泊二日なのに、
いまとなっては いいおもいでとなったトランジットだ。
「ソ連時代のガイドブックでロシアに行く」がのった。
再放送の記事で、公開されたのは2016年だ。
https://dailyportalz.jp/kiji/160317195945
記事とはぜんぜん関係ないけど、
わたしは飛行機の のりつぎ時間の関係で、
ひとばんだけモスクワにとまったことがある。
デリーからアテネにむかうアエロフロートは、
モスクワでいちにちをすごしてから、
つぎの日にアテネへとむかう便だった。
1987年の5月、いまから33年まえのはなしだ。
ソ連が崩壊したのが1991年だから、
もうそろそろ30年になるわけで、
わかいひとのなかには、ソ連という国があったことを
しらないひともおおいのではないか。
わたしは、いまでも「ソ連」と、よく口にしてしまう。
あたまのなかではロシアだって、けっきょくは
ソ連みたいなものだろうと、おおざっぱにとらえている。
ひとばんとまった、といっても、それはソ連のことだから、
自由行動はみとめられていない。
空港でやたらとまたされたあげく、
10人ほどの旅行者がバスにのせられて
空港ちかくのホテルにはいった。
2人部屋で、わたしはこれからドイツではたらくという
タイ人のわかものとおなじ部屋だった。
ホテルからかってにでられないけど、
モスクワの市内観光をするバスがホテルにむかえにきた。
わたしは体調がよくなかったため、部屋にのこったので、
ソ連のことは、空港とホテル以外、まったくしらない。
5月だというのに、ひえびえとした空気をおぼえている。
もっている服をぜんぶきてもさむかった。
ソ連といえばトイレだ。男性用トイレの便器が、
ものすごくたかいところにとりつけてあり、
身長180センチのわたしでも、つかいずらい。
トイレにそなえつけてある紙は、
トイレットペーパーではなく、長方形の茶色い紙だった。
おしりをふきたくないぐらい、ゴワゴワでかたい紙だ。
食事はぜんぶホテルの食堂でとった。
朝ごはんと昼ごはんは、ハムやソーセージなどのつめたい食事で、
夕ごはんは料理されたものだった。
味については、なにもおぼえていない。
空港とホテルしかしらないのに、
なんにちも滞在した国とおなじように、
ソ連について、いくつかの断片が記憶にひっかかっている。
予定していた旅行ではなく、なにもしなかった一泊二日なのに、
いまとなっては いいおもいでとなったトランジットだ。
2020年08月04日
新型コロナウイルスのまえに、プライバシーをどれだけまもれるか
先週の週末、大阪にすむ配偶者の妹さんが、
半年ぶりの帰省として、島根の実家にかえってきた。
いちねんになんどかは かえってこられるので、
いつもならふつうの帰省だけど、
いまは県をまたいでの移動があまり歓迎されるときではない。
Go To なんとか など、おでかけをおあっておきながら、
感染がひろがると、自粛しながらのおでかけを おねがいしたい、
なんていいだしている。
大阪は、いま感染がとまらなくなっており、やばい雰囲気な一方、
島根は人口のすくなさをいかして、まだ感染者が29人という状況だ。
まいにち100人以上の感染者がでている大阪のひとが、
まだ29人しか感染者のでていない島根ですごすのは、
島根県民の感覚からいえば、リスクのたかい行為となる。
とはいえ、ふるさとにかえりたいという、
妹さんの気もちもまたよくわかる。
お盆には、自粛といいながらも、
かなりのひとが、ふるさとをめざてうごくだろう。
これまでながいこと我慢してきたのだから、
もういいかげん気をゆるめたくもなる。
妹さんのまわりには感染したひとがおらず、
さほどリアルな脅威はかんじないという。
大阪には、大阪のひとの日常があるわけで、
はなしをきいていると、島根とあまりかわらない気がした。
妹さんと実家で2日すごし、配偶者がもどってきた。
ここでわたしがマスクをつけてむかえたり、
やたらと消毒に気をつかったりしたら、
配偶者としてはいい気分はしないだろう。
わたしはもちろん、いつもとかわらぬせっしかたで
「おかえりなさい」をいう。
夫婦といえども、新型コロナウイルスについての
ふたりのかんがえ方にちがいがおおきければ、
家じゅうに地雷がしかけられているようなものだ。
あまり感染予防に注意をはらわない夫にたいし、
子どもや老人への配慮から、こまかく気をつかう妻、
みたいなふたりの場合、衝突の機会はいくらでもある。
わたしの家では、さいわいおおきな断絶はうまれなかった。
配偶者がリスクをおかしてから3日たったころ、
しりあいからわたしに、のみ会のさそいがはいった。
レース仲間との会で、会場は焼肉屋。
かるい気もちで了解し、配偶者につたえると、
この時期に大人数で外食するなんて、と
わたしの無神経がしんじられないみたいにいう。
こんどは、わたしのほうが感染リスクをたかめる側へと
あっというまに立場が逆転した。
もしわたしが感染したら、感染にいたる数日について、
また、発症してからどうすごしたか、
だれとあい、どこへいったのか、
こまかくたずねられるにちがいない。
わたしの病歴にも質問がおよぶだろう。
健康状態や、どこでだれとなにをしたかという、
究極のプライベートな情報を、
しらないひとにあらいざらいはなすのは、
いくらやましいことのないわたしとしても、抵抗がある。
ましてや、あってはならないひととすごし、
してはならないことをしたひとにとって、
新型コロナウイルスの感染は、
非常にややこしい状況をまねく。
だれだって、ひとにいいたくない秘密はある。
それを、コロナにかかったからといって、
ぜんぶあきらかにしなければならなとなると、
だれだって、感染をかくしたいだろう。
感染者の数が、まいにち報告されるけど、
そこからかくれた感染者が、まだたくさんいるのではないか。
新型コロナウイルスへの対応をめぐり、
おおくの家庭が、シビアな状況にならざるをえない。
本質的な愛があるかどうか、ためされるよい機会だ。
半年ぶりの帰省として、島根の実家にかえってきた。
いちねんになんどかは かえってこられるので、
いつもならふつうの帰省だけど、
いまは県をまたいでの移動があまり歓迎されるときではない。
Go To なんとか など、おでかけをおあっておきながら、
感染がひろがると、自粛しながらのおでかけを おねがいしたい、
なんていいだしている。
大阪は、いま感染がとまらなくなっており、やばい雰囲気な一方、
島根は人口のすくなさをいかして、まだ感染者が29人という状況だ。
まいにち100人以上の感染者がでている大阪のひとが、
まだ29人しか感染者のでていない島根ですごすのは、
島根県民の感覚からいえば、リスクのたかい行為となる。
とはいえ、ふるさとにかえりたいという、
妹さんの気もちもまたよくわかる。
お盆には、自粛といいながらも、
かなりのひとが、ふるさとをめざてうごくだろう。
これまでながいこと我慢してきたのだから、
もういいかげん気をゆるめたくもなる。
妹さんのまわりには感染したひとがおらず、
さほどリアルな脅威はかんじないという。
大阪には、大阪のひとの日常があるわけで、
はなしをきいていると、島根とあまりかわらない気がした。
妹さんと実家で2日すごし、配偶者がもどってきた。
ここでわたしがマスクをつけてむかえたり、
やたらと消毒に気をつかったりしたら、
配偶者としてはいい気分はしないだろう。
わたしはもちろん、いつもとかわらぬせっしかたで
「おかえりなさい」をいう。
夫婦といえども、新型コロナウイルスについての
ふたりのかんがえ方にちがいがおおきければ、
家じゅうに地雷がしかけられているようなものだ。
あまり感染予防に注意をはらわない夫にたいし、
子どもや老人への配慮から、こまかく気をつかう妻、
みたいなふたりの場合、衝突の機会はいくらでもある。
わたしの家では、さいわいおおきな断絶はうまれなかった。
配偶者がリスクをおかしてから3日たったころ、
しりあいからわたしに、のみ会のさそいがはいった。
レース仲間との会で、会場は焼肉屋。
かるい気もちで了解し、配偶者につたえると、
この時期に大人数で外食するなんて、と
わたしの無神経がしんじられないみたいにいう。
こんどは、わたしのほうが感染リスクをたかめる側へと
あっというまに立場が逆転した。
もしわたしが感染したら、感染にいたる数日について、
また、発症してからどうすごしたか、
だれとあい、どこへいったのか、
こまかくたずねられるにちがいない。
わたしの病歴にも質問がおよぶだろう。
健康状態や、どこでだれとなにをしたかという、
究極のプライベートな情報を、
しらないひとにあらいざらいはなすのは、
いくらやましいことのないわたしとしても、抵抗がある。
ましてや、あってはならないひととすごし、
してはならないことをしたひとにとって、
新型コロナウイルスの感染は、
非常にややこしい状況をまねく。
だれだって、ひとにいいたくない秘密はある。
それを、コロナにかかったからといって、
ぜんぶあきらかにしなければならなとなると、
だれだって、感染をかくしたいだろう。
感染者の数が、まいにち報告されるけど、
そこからかくれた感染者が、まだたくさんいるのではないか。
新型コロナウイルスへの対応をめぐり、
おおくの家庭が、シビアな状況にならざるをえない。
本質的な愛があるかどうか、ためされるよい機会だ。
2020年08月03日
映画『リンカーン』はだれもがすごく大声ではなす
映画『リンカーン』をみていたら、
あの時代のひとたちが、すごく大声なのにおどろいた。
リンカーンだけは、ボソボソとしゃべっているけど、
ここぞというときには、よくとおる声をだしている。
政治家たちによる 党内でのはなしあいや、
上院だか下院だかの議会では、とりわけ大声だ。
マイクはまだ発明されていないので、
大声をださなければ、だれもきいてくれないのだから、
だれもが大声になる。
声のおおきなひとが、はなしの内容よりも、
その迫力において まわりを圧倒する。
その発言にたいし、反対意見をのべるひとは、
なにか気のきいたセリフでいいかえすのだけど、
そのひとにしたって すごくおおきな声だ。
おおきな声をだせないわたしなんかは、
とても生きのこれない。
はなしあう場面がおおい作品であり、
内容はいまひとつあたまにはいらないけど、
登場人物の大声だけは印象にのこる。
新型コロナウイルスの感染をおさえようと、
再開したJリーグでは、大声をあげての応援がみとめられていない。
いいプレーにたいしては、拍手がおくられており、
これはこれで、ひとつの応援スタイルとしてなれてきた。
サポーターの声援がないため、選手どうしの声や、
チームスタッフからの指示まできこえるのだから、
テレビをみている側としては、いまのほうがいいくらいだ。
プレーする選手たちは、サポーターのあつい声援がほしいだろうけど、
観戦のしかたについては、「新しい生活様式」もわるくないとおもう。
スタジアムにおける大声がなぜいけないのかというと、
飛沫感染の可能性がたかまるからという。
大声ではなすひとのちかくにいると、
たしかにツバがとんでくることもあるので、
大声がよくないのは はっきりしている。
ざっくりいってしまうと、新型コロナウイルスがひろがったのは、
いずれも大声ではなす国と、極論することもできる。
日本人とくらべ外国には、大声でおしゃべりするひとがおおい。
ながい時間 おしゃべりに熱中すれば、感染がひろがるのもわかる。
大声がいいかわるいかなんて、かんたにはきめられないけど、
新型コロナウイルスにより、大声がさけられるようになったのは
大声が苦手なわたしにとって、ありがたいながれだ。
あの時代のひとたちが、すごく大声なのにおどろいた。
リンカーンだけは、ボソボソとしゃべっているけど、
ここぞというときには、よくとおる声をだしている。
政治家たちによる 党内でのはなしあいや、
上院だか下院だかの議会では、とりわけ大声だ。
マイクはまだ発明されていないので、
大声をださなければ、だれもきいてくれないのだから、
だれもが大声になる。
声のおおきなひとが、はなしの内容よりも、
その迫力において まわりを圧倒する。
その発言にたいし、反対意見をのべるひとは、
なにか気のきいたセリフでいいかえすのだけど、
そのひとにしたって すごくおおきな声だ。
おおきな声をだせないわたしなんかは、
とても生きのこれない。
はなしあう場面がおおい作品であり、
内容はいまひとつあたまにはいらないけど、
登場人物の大声だけは印象にのこる。
新型コロナウイルスの感染をおさえようと、
再開したJリーグでは、大声をあげての応援がみとめられていない。
いいプレーにたいしては、拍手がおくられており、
これはこれで、ひとつの応援スタイルとしてなれてきた。
サポーターの声援がないため、選手どうしの声や、
チームスタッフからの指示まできこえるのだから、
テレビをみている側としては、いまのほうがいいくらいだ。
プレーする選手たちは、サポーターのあつい声援がほしいだろうけど、
観戦のしかたについては、「新しい生活様式」もわるくないとおもう。
スタジアムにおける大声がなぜいけないのかというと、
飛沫感染の可能性がたかまるからという。
大声ではなすひとのちかくにいると、
たしかにツバがとんでくることもあるので、
大声がよくないのは はっきりしている。
ざっくりいってしまうと、新型コロナウイルスがひろがったのは、
いずれも大声ではなす国と、極論することもできる。
日本人とくらべ外国には、大声でおしゃべりするひとがおおい。
ながい時間 おしゃべりに熱中すれば、感染がひろがるのもわかる。
大声がいいかわるいかなんて、かんたにはきめられないけど、
新型コロナウイルスにより、大声がさけられるようになったのは
大声が苦手なわたしにとって、ありがたいながれだ。
2020年08月02日
土曜日は、いちにちのうちで、なにかひとつやればいい日
土曜日のすごし方が このところ安定してきた。
いつもより1時間おそくベッドからはなれ、
新聞をゆっくりよみながら朝ごはん。
9時半から、レース仲間といっしょに9キロほどはしる。
キロ7分の、すごくゆっくりなペース。
はしるよりも、おしゃべりがめあてみたいなジョギングだ。
家にもどってシャワーをあびてから、
かりていたDVDをお店にかえし、
スーパーで夕ごはんのかいものをすませる。
ここまでで 午前がおわる。
ひるごはんのあと、1時間ひるね。
目がさめても、すぐにはうごきださない。
ぼーっとした頭で、よみかけの本をごそごそひらく。
4時からはラジオマンジャック(NHK-FM)をきき、ブログをかく。
スタジオでの放送が再開してから2ヶ月がたった。
フルメンバーではないものの、わたしがよりどころとする
平凡な日常生活をとどけてくれる ありがたい番組だ。
とくにふかい内容に期待するわけではなく、安心してきいていられる。
ラジオマンジャックは2時間番組なので、
あちこちよそみをしても、なんとかブログがしあがる。
夕方までにブログをアップしておくと、夜はDVDや本につかえる。
ブログがないのに安心するのだから、
そんなに負担ならやめればいいようなものだけど、
かくのがたのしい日もあり、なんとなくつづいている。
6時から夕ごはんをつくりはじめ、
7時からJリーグの試合をみながらたべる。
いろいろやってるようだけど、いちばんの仕事は午前のジョギングで、
そのあとはひるねやラジオ、それにDVDでだらだらすごしている。
たったジョギングだけでいちにちがおわっているようなものなのに、
わたしはこんな土曜日を指おりかぞえてたのしみにまっている。
だらだらとしたすごし方のなかに、
わたしの理想とする休日がかくされているのだろう。
一日一善、とむかしだれかがいっていたけど、
あんがい含蓄のふかいことばなのかもしれない。
いちにちに、ひとつなにかをやれば、それでいい。
いつもより1時間おそくベッドからはなれ、
新聞をゆっくりよみながら朝ごはん。
9時半から、レース仲間といっしょに9キロほどはしる。
キロ7分の、すごくゆっくりなペース。
はしるよりも、おしゃべりがめあてみたいなジョギングだ。
家にもどってシャワーをあびてから、
かりていたDVDをお店にかえし、
スーパーで夕ごはんのかいものをすませる。
ここまでで 午前がおわる。
ひるごはんのあと、1時間ひるね。
目がさめても、すぐにはうごきださない。
ぼーっとした頭で、よみかけの本をごそごそひらく。
4時からはラジオマンジャック(NHK-FM)をきき、ブログをかく。
スタジオでの放送が再開してから2ヶ月がたった。
フルメンバーではないものの、わたしがよりどころとする
平凡な日常生活をとどけてくれる ありがたい番組だ。
とくにふかい内容に期待するわけではなく、安心してきいていられる。
ラジオマンジャックは2時間番組なので、
あちこちよそみをしても、なんとかブログがしあがる。
夕方までにブログをアップしておくと、夜はDVDや本につかえる。
ブログがないのに安心するのだから、
そんなに負担ならやめればいいようなものだけど、
かくのがたのしい日もあり、なんとなくつづいている。
6時から夕ごはんをつくりはじめ、
7時からJリーグの試合をみながらたべる。
いろいろやってるようだけど、いちばんの仕事は午前のジョギングで、
そのあとはひるねやラジオ、それにDVDでだらだらすごしている。
たったジョギングだけでいちにちがおわっているようなものなのに、
わたしはこんな土曜日を指おりかぞえてたのしみにまっている。
だらだらとしたすごし方のなかに、
わたしの理想とする休日がかくされているのだろう。
一日一善、とむかしだれかがいっていたけど、
あんがい含蓄のふかいことばなのかもしれない。
いちにちに、ひとつなにかをやれば、それでいい。
2020年08月01日
そこそこはやいランナーにみられ、かんちがいでもよろこぶ
テレビ番組のCMで、
アホっぽい若者がパソコンをのぞきこんでいた。
「こうみえて、彼はそうとう仕事ができる。
ただ彼の優秀さを面接でみぬくのは、至難の技だ」
CMにはそのつづきがあって、
いかにも「できそう」な若者が、すましてたっている。
「こうみえて彼はまったく仕事ができない。
ただかれのダメっぷりを面接でみぬくのは至難の技だ」
Web面接システム「インタビューメーカー」のCMだった。
新型コロナウイルスの感染により、
ふつうの面接ができないことしの就職活動において、
相手のひととなりを正確にみぬくのは、
会社にとってものすごく大切なマストだろう
(仕事ができるふうをよそおって)。
ここからさきはわたしの自慢ばなしになる。
ジョギングをしているとき、みしらぬおじさんに
「あなたはフルマラソンをはしられますか? 」
とたずねられた。
それらしいスタイルをしているので、
おもわず声をかけたのだという。
「ありがとうございます。でも、すごくおそいタイムです」
と事実をつたえると、
おじさんは謙遜とおもわれたようで、
「がんばってください」とかえされた。
ランナーとして、ほんとにがっかりなタイムでしかはしれないけど、
わたしは はやくはしれそうにみえるようだ。
ほかにも、なにかの部活をおえた高校生がだべっていて、
そのまえをジョギングしていたら、
「ちわーっす!」「ファイト」
と声をかけられたことがある。
おそらく、そこそこのランナーが、
かるくながしていると、かんちがいしてくれたのだろう。
かんちがいでもいいから、ほめられるとわたしはよろこぶ。
「インタビューメーカー」のCMをみたとき、
ランナーの実力をみぬくソフトがあったら、
わたしの実力なんて すぐにばれるんだろうな、とおもった。
アホっぽい若者がパソコンをのぞきこんでいた。
「こうみえて、彼はそうとう仕事ができる。
ただ彼の優秀さを面接でみぬくのは、至難の技だ」
CMにはそのつづきがあって、
いかにも「できそう」な若者が、すましてたっている。
「こうみえて彼はまったく仕事ができない。
ただかれのダメっぷりを面接でみぬくのは至難の技だ」
Web面接システム「インタビューメーカー」のCMだった。
新型コロナウイルスの感染により、
ふつうの面接ができないことしの就職活動において、
相手のひととなりを正確にみぬくのは、
会社にとってものすごく大切なマストだろう
(仕事ができるふうをよそおって)。
ここからさきはわたしの自慢ばなしになる。
ジョギングをしているとき、みしらぬおじさんに
「あなたはフルマラソンをはしられますか? 」
とたずねられた。
それらしいスタイルをしているので、
おもわず声をかけたのだという。
「ありがとうございます。でも、すごくおそいタイムです」
と事実をつたえると、
おじさんは謙遜とおもわれたようで、
「がんばってください」とかえされた。
ランナーとして、ほんとにがっかりなタイムでしかはしれないけど、
わたしは はやくはしれそうにみえるようだ。
ほかにも、なにかの部活をおえた高校生がだべっていて、
そのまえをジョギングしていたら、
「ちわーっす!」「ファイト」
と声をかけられたことがある。
おそらく、そこそこのランナーが、
かるくながしていると、かんちがいしてくれたのだろう。
かんちがいでもいいから、ほめられるとわたしはよろこぶ。
「インタビューメーカー」のCMをみたとき、
ランナーの実力をみぬくソフトがあったら、
わたしの実力なんて すぐにばれるんだろうな、とおもった。