映画『リンカーン』をみていたら、
あの時代のひとたちが、すごく大声なのにおどろいた。
リンカーンだけは、ボソボソとしゃべっているけど、
ここぞというときには、よくとおる声をだしている。
政治家たちによる 党内でのはなしあいや、
上院だか下院だかの議会では、とりわけ大声だ。
マイクはまだ発明されていないので、
大声をださなければ、だれもきいてくれないのだから、
だれもが大声になる。
声のおおきなひとが、はなしの内容よりも、
その迫力において まわりを圧倒する。
その発言にたいし、反対意見をのべるひとは、
なにか気のきいたセリフでいいかえすのだけど、
そのひとにしたって すごくおおきな声だ。
おおきな声をだせないわたしなんかは、
とても生きのこれない。
はなしあう場面がおおい作品であり、
内容はいまひとつあたまにはいらないけど、
登場人物の大声だけは印象にのこる。
新型コロナウイルスの感染をおさえようと、
再開したJリーグでは、大声をあげての応援がみとめられていない。
いいプレーにたいしては、拍手がおくられており、
これはこれで、ひとつの応援スタイルとしてなれてきた。
サポーターの声援がないため、選手どうしの声や、
チームスタッフからの指示まできこえるのだから、
テレビをみている側としては、いまのほうがいいくらいだ。
プレーする選手たちは、サポーターのあつい声援がほしいだろうけど、
観戦のしかたについては、「新しい生活様式」もわるくないとおもう。
スタジアムにおける大声がなぜいけないのかというと、
飛沫感染の可能性がたかまるからという。
大声ではなすひとのちかくにいると、
たしかにツバがとんでくることもあるので、
大声がよくないのは はっきりしている。
ざっくりいってしまうと、新型コロナウイルスがひろがったのは、
いずれも大声ではなす国と、極論することもできる。
日本人とくらべ外国には、大声でおしゃべりするひとがおおい。
ながい時間 おしゃべりに熱中すれば、感染がひろがるのもわかる。
大声がいいかわるいかなんて、かんたにはきめられないけど、
新型コロナウイルスにより、大声がさけられるようになったのは
大声が苦手なわたしにとって、ありがたいながれだ。