2020年08月08日

『沖縄から貧困がなくならない本当の理由』(樋口耕太郎)

『沖縄から貧困がなくならない本当の理由』
(樋口耕太郎・光文社新書)
都道府県別の県民所得では11年連続で全国最下位、賃金は全国の最低水準で、貧困率は全国平均の拾に2倍。沖縄は日本でも突出した貧困社会である。
 優しい沖縄人、癒やしの島・・・沖縄に魅せられた多くのひとが、その最大の魅力は島の人の穏やかさ、温かさ、だと口をそろえる。
 またその一方で、沖縄社会における、自殺率、重犯罪、DV、幼児虐待、いじめ、依存症、飲酒、不登校、教員の鬱の問題は、全国でも他の地域を圧倒している。
 なぜ、「好景気」の中で貧困が生じ、「優しさ」の中で人が苦しむのだろう。

沖縄のひとが自動車を運転するとき、
クラクションを「鳴らさない」ことがしられているという。
こころやさしい運転をしたいから、ではなく、
加害者というレッテルをはなれたくない心理がはたらくからだ。
 沖縄社会は、現状維持が鉄則で、同調圧力が強く、出る杭の存在を許さない。
 この社会習慣は、人が個性を発揮しづらく、お互いが切磋琢磨できず、成長しようとする若者から挑戦と失敗の機会を奪うという、重大な弊害を生んでいる。

クラクションを「鳴らさない」のではなく、
「鳴らせない」社会なのだ。
(学生たちと対話を重ねるほど)他人の気分を害することを何よりも恐れていることがわかる。
「人の気分を害するくらいなら、何もしないほうがいい」というのが行動原則だ。

変化をきらう沖縄では、品質のよさや価値のたかさが評価されにくい。
これまでかってきた商品を、
すこしぐらい質がおとっていてもつかいつづける。
企業が努力して商品の品質をたかめても、
消費者にはうけいれられない。
とすれば、企業にとって、変化する意味がないことになる。

よんでいるうちに、沖縄のひとによくみられる気質は、
そのまま日本人の特徴でもあることに気づく。
沖縄問題は、じつは日本問題なのであり、
沖縄でおきている問題は、おおかれすくなかれ、
本土でもおなじような形であらわれている。
著者のみたてによると、こうした気質は自尊心のひくさからきている。
貧困は経済問題ではない。自尊心の低さが招く心の問題だ。

いくら補助金をふやしても、沖縄の貧困はなくならない。
では、どうしたら自尊心をたかめられるのか。
 人が自分を愛するため、私たちが究極的にできることは、「その人の関心に関心を注ぐこと」だ。(中略)
「自分のほんとうの気持ちをわかってくれる人がいる」と感じるとき、人は自分の価値を信じられるようになるからだ。

「愛」がすべて、なんていえば、精神論の本みたいだけど、
じっさいに鍵をにぎっているのは、相手への愛だった。
著者が沖縄の貧困問題をかんがえるうちに、
じつはこれが日本の問題でもあることに気づき、
そして根本的な貧困の理由をつきつめていくと、
自分自身のこころとむきあわざるをえなくなる。
この本は、すぐれた人生論でもあり、
仕事へのとりくみ方にも参考となるだろう。
相手のしあわせが、自分のしあわせでもあるのだから。
自分とむきあい、相手のことをおもえるのなら、
家族関係にもいい影響をおよぼすにちがいない。
ひとりの意識がかわれば、社会をもかえるちからともなる。
著者は沖縄でおおくのひとのはなしをきき、
「相手の関心に関心を注」ぐことが、
社会をかえるちからになる手ごたえをえている。
沖縄の貧困をつきつめるるうちに、
著者は宗教家のような人生をあるきはじめたようにみえる。
現代社会の問題を根源的に治癒する「第三のデザイン」は、「人の関心に関心を注ぐ」こと、そして、「人が自分を愛することの手助け」を基軸にした社会だということだ。
 これこそが、人が人の役に立つということ、人が人を愛するということ、人間が人間らしく生きる社会ということ、の究極的な意味だからだ。
 社会が人間の幸せのために存在しなければ、いったいなんのためにあると言うのだろう。

posted by カルピス at 15:13 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする